THOUSAND WINDS -132ページ目

この世の仕組みには興味がない

まるで関心がないわけではないけれども、
今五感で感じ取ってる世界だけが
全てじゃないと思われるから。
ヴィトゲンシュタインの論理哲学論考にあるように、
世界は事実の総体であると言う事は、
現象として人が認識されるものだけが
世界のメンバーとして見なされるのだが、
それ以外の物はたとえあったとしても我々には「無い」と見なすしかない。
かつては放射線も電磁波も可視光線外の波長の光も重力も、
ニュートリノも「無い」ものと見なされていた。
それらは最近になってようやく世界の一部として認められた。
そんな重箱のすみをつつくみたいな物理学を展開して行けば、
きっと人間に知る事が許されている枠の限界にまでは到達出来るのだろう。
でもそれがどうしたと言うのだろうか。
宇宙自体は今ある形でしか存在出来なかったのだろうか。
他の可能性はなかったのか。
ある意味人間原理が謳うように、
あたかも人間が誕生出来る為に、宇宙定数などが慎重に選ばれたふしがあるのだが、
そんな物理学者みたいな神様なんかご免だと思っている。
宗教ではよく人格神とかがポピュラーで、つい人間の尺度で神をも想像しがちなんだが、
本当は我々人間ごときが、万物の長なんかの訳がない。
あらゆる生物の進化の果てが、
こんなちんけな人間であろうはずがない。
むしろ我々は進化に失敗したくちなのだ。
だから思う、この宇宙のどこかで全くこの人類とは異なる進化を遂げたような生物が仮にいたとするなら、
もはや宗教などでわざわざ自分達に似た「神」なぞ
想像したりしないに違いない。
人が人であるがゆえに、これらの「神」なる偶像が生まれた故に。

Who am I ?

私は哲学者です。
それは間違いない。
正規の授業を学校で受けたわけではないが、
自分なりに学習してきた事をまとめてみると、
自称哲学者であること、
それは間違いない。
日曜日には大抵教会に行き、
どっぷらはまった信者たちを横目に見ながら、
やはり距離を置いている。
かつてはフルートも習っていたもんだから、
今だにそこそこ一定の下手さで、
うまくも下手にもならずに吹けていたりする。
しかし私はフルーティストじゃない。
教会じゃやたらでかい声張り上げて歌うから、あそこじゃ名物になってるか知れないけど、
しかし私は歌手ではない。
たまに発作的に小説みたいな事書いたりして、
さっき自分で書いたやつ読み返したら、
ナルシシズムでつい感動を覚えてしまいもしたが、
しかし私は小説家ではない。
最近人まねで詩を書くことをたしなんでいるが、
どこか詩だか小説だかただの愚痴だか知れない、
訳の分からん散文詩になってしまってるが、
しかし私は詩人ではない。
仕事においてもそれが本職とか天職とか言う自覚はない。
どちらかと言えば
私は哲学者なのだと思う。
人とは違う事をよく想ったりする。
それが生まれる前からの引き続きでしかないのか、
死んでからも持ち越されるのかは知らない。
ただ私の思考が人のそれでない事は明らかな事で、
私は哲学者に違いない。
但し人は私の想いを
理解するだろうか。

この狭い中に押し込まれた言葉よ

たかだか20程度の詩が載っているだけの
2000円台する詩集が欲しいのは、
そんな限定された狭い中に押し込まれた
言葉が何かとてつもなくいとおしくて、
こんなブログとかのような、川の流れみたいに
よどむ事もなく
刻々と更新されてゆくみたいな
生命みたいな所にいる言葉なんかと違い、
ある種の墓碑銘のような感じに映るからだ。
だからと言っておいそれとは買えない、つい財布と相談してしまう。
つい新潮文庫の安い海外の詩集を集めてしまうが、
こいつもあたりはずれが激しい。
かなり覚悟を決めないとこうした2000円もする詩集は買えない。
ただでいくらでも優秀な詩が読める時代に、
あえてそんなたかだか20程度の言葉の塊を買うと言う事の意味について
考えてみる。
それがどう私にとって値打ちがあったろうか。
いつでもそれがすぐにでも読み出せるようになっているのかどうか。
携帯電話のメモ機能に一つだけ、
ある人の書いた詩をそのまま保存している。
それはいつでも読めるように、ブログと言う流れから切り出されたもの。
これが載った詩集なら、
私は2000円支払う事を惜しまない。

ピグの力

パソコン版ピグをやらなくなって久しい。
あの中に交わっていけない事を知ったからもうあそこではピグ友みたいなものは一人たりとも作れないのだと知ったから、私には時間の無駄だと思えたから。
ケータイ版ピグなんか機能もしょぼくてどないもならん代物ではあったのだが、さにあらず。
ケータイピグをやっていくつか人のピグにぐっぴぐをつけて回ってると、
翌日のケータイからのアクセス数が異常に増えてくる。
昨日などはケータイからだけで3桁行ってたから。
たださっきも書いたようなこれからは、1次アクセスばかり伸ばす事はやめなきゃと思う。
でもケータイ持っている時間、ブログが書けない事もあるが、
その間にケータイピグやっとけば、つばつけたみたいになって
いくらかは多くの新しい人への宣伝にはなると思う。
livedoorブログを引き合いに出し過ぎるけれども、
やはり誰かが読んでくれていると言う気配を感じながら書くから、創作意欲もさることながら、
無責任な書き込みは控えようと
思えたりするから。

今さらシンプルには出来ないが

いつしかここもカテゴリだらけの訳の分からないしろものになってしまった。
複数のブログ持てる所だったら、
ブログごとにカテゴリを一つきりにまとめて、
すっきりしたようなブログにした方が、
もしかしたら二次アクセス対策にはなるのだろうか。
今さらここはどうしようもないが、
外のブログもだいたい似たような肥満型になってしまっている。
あまりあれこれためても、新規で見に来た人が果たしてあれこれと
カテゴリ変えて見たりするだろうか。
一ヶ月前程に書いた小説みたいなのが、
果たして今の時点で読み出されたりするだろうか。
大抵の場合パソコンでサイト開いた時に出てくるTOP画面だけ見て去るものではないだろうか。
ましてやデフォルトがよく分からないよた話ばかりなうちとこのサイトならなおさら、
過去記事にまで手を伸ばしてくれる人はまれかも知れない。
つまりそう言う事だ。
大抵の書き込みは当日過ぎたら用がなくなる。
そんなのがたまりたまってるから、
かつての第1アメーバブログみたいに、また1500記事までそのうち到達してしまうはずだ。
もはやここじゃそうなるともう
過去記事の管理が実質出来ない。
そんなのも一度は辞めた理由ではなかったか。
一度公開したネタの再利用は、ここじゃかなり難しい。
使い捨てみたいな記事ばかり書いてるからあまり気にしなかったが、
このままある日突然全部消えてしまったら、
やはりいくつかは消えると悲しいものが含まれてはいるのだが。