THOUSAND WINDS -102ページ目

占いぐるっぽ

キリスト教のぐるっぽも似たり寄ったりなんだが、
沈滞化は避けられないのかなどと勝手に思う。
手前みそなんだがほんとはいくらでも引っ張れるような気がする。
いくつかぐるっぽに入っていて長く更新のないもの、自己紹介だけがたまにつくものも見てきた。
システム自体の問題を取り上げてみても仕方ないのだが、
やはりどこも継続してくには
やり方自体でつまづく。
管理者いなくなったようなぐるっぽでどうやって維持すればいいのか。
少人数で特定の人の書き込みだけがあるような所もある。
アメーバ当局のもくろみ通り
荒しのようなものは見かけない。
でも昔あったような、まんまBBS形式のものの方がいい。
今はあめばたとかになってるようだけど、
あれはまた空気読めなくて参加しづらい。
何のためあるのかなと思ってしまう。
いちいち承認受けてから中に書き込めるみたいな形式
ほんとにそれで構わないのか

うれしい

一杯ペタもらって
一杯ペタ返して
見に行った記念として
年末から年明け体験してみて
何かすごく
うれしかった事を
なぜこっちに書くかあ~~
(おっと、もうどうでもいいか)
そろそろ正式に白状・・・
(ボカボカボカボカ、
ハァハァ
口封じ)

パンパン

お近くに地元としては最大級の神社がいくつも転がっている。
だから徒歩であらかたお参りに行く事も出来る。
教会の人ですぐ隣に(おっと!)
神社があるのに、参拝とか行かないのを聞いて、
あれ?と思った事はある。
おみくじもしない、絵馬なんかも書かない、お守りをもらってもしまってしまう。
正当なキリスト教の信者さんならそうするのが当たり前なんだろうか。
クリスチャンの何人かは、偶像崇拝なんかも嫌うし、寺なんかにも行かない、
あれ?と思った事はある。
こんな世間さまなら当たり前なように、神社やら寺ならに参拝に行くのに、
この国の少数派はそんな事しないらしい。
私はそんな盛大にはあちこち行かないが、
近くの氏神神社位には行く。
別にそれに違和感覚えた事ないし、
今しがたも教会では元日礼拝やっていようが参加していない。
そんななんちゃってクリスチャンなわけだが、
私がこうだからあなたもこうしろとはやはり言えない。
ただ私はこう思うと言うしかない。
会社の人のお葬式には出かけるし、数珠を手にかけて拝んであげもする。
別に仏教信じてるわけじゃないが、
それが社会と折り合っていく方法だと思うから。
使徒言行録第10章参照、神は分けへだてなさらない。
あれは単に異邦人にも洗礼を施し、信者にしろ、と言う意味じゃない。
またコリントの信徒への手紙一・第10章23節参照。

第2バチカン公会議は何だったのか

詳しく知らないくせに偉そうなこと言わせてもらう。
たぶんそれはカトリックだけが絶対じゃなくて、
他の宗教も平等に考えることだったと思う。
世の中の人が一人残らず、キリスト教に改宗しないと、救いはないみたいな発想は、
私には狂気に思える。どこかの原理主義者の発想に思える。
そんな事はありえないしそんな事になるはずはないしそんな事は
あってはならない。
宗教の多様化はむしろあるべきものであり、
ただ一つの宗教しか公認されない世の中だったらきっとそれは
神がいない事の証明になってしまう。
つまり神がいないから、そう思えるから、
何とか人間の方で扱いやすい、単一の神様を作って、全ての人がそれを拝むようにすれば、
とても管理しやすい。
世の中はそうはならなかった。
つまり人間が神に対して、宗教に対して、思うように行かない領域が残された。
宗教のゆえに戦争が起きるのは、そのどうにもならない事を
無理矢理どうにかしようとして、
つまり相手を自分の宗教に無理矢理改宗させようとするから。
宗教が多様化し、一つにまとまる事がなかったのは、
我々には完全には神の事が分からないのであり、
ただそれは神の不在の証明にはならない。
むしろそうやって人間にふれられない未知の領域が残っている事が、
神が実在する事を表していまいか。
つまり「知られざる神」

のっけから言い争うつもりはないが

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。


いきなりですが悪魔払いのぐるっぽについて。

年末あたりからキリスト教系のぐるっぽ、あい変わらず盛り上がって、ない。

一部の熱心な方の書き込みが見かけられる程度。

まあ私が書いてないのだから人のことは言えないのだが。

悪霊払いについての意見の相違について。

私は宗教がどうたら言う前に、本人の意思の問題が

一番重要だと思う。

イエスが地元のナザレで病気治しがうまく行かなかったみたいに、

本人に治る意思が、もしくはイエスにすがろうとするみたいな

信仰がなければ、いくら癒しの主体がイエスであっても、

効果が無いものと思われる。

だったら何が何でも無理やりに、キリスト教徒に改宗させなければ、

世の中の人は誰も、悪霊から逃れられないのか、そんな馬鹿な。

だったらとっくの昔に人類滅んでいる。

その人の信仰の力だけがその人の悪霊から身を守る力を与える。

ただ一方的にイエスが何かをしてくれたとして、

効果を期待してはいけない。聖書にもそう書いてある。

だからと言って異教のお払い師に頼むのか。

それはただ本人の希望によるものでしかなくて、

無理やり教会連れて行って、嫌がるのを無理に

悪霊払いしたところで、それはむしろ

悪霊の思うつぼではないかと。

キリスト教だけが偉いのか。

たまにそんなクリスチャンを見かけるが

私とは多分馬が合わない。

だからどうこう言うつもりはないが。

私はたまたまキリスト教を選んだだけで、

導かれたわけでもないだろうから、

そんな感情持つんだろうけれども。

正月早々から、あまりいい書き込みじゃなかったな。

ルゥーヤさんとしては、言いたいことは言う。

(また思わせぶりなことを・・・)