THOUSAND WINDS -101ページ目

水を差してみる

正当派の教義とは大きく違い過ぎてるから、
こんな事書きゃ、昔なら宗教裁判だな、まあカトリックじゃないからいいか。
前から感じていた事。
ヨハネの福音書だけ、他の三つの福音書と書き方が異なっている。
他の三つはどれも似かよっていて、しかも極めて作為的だし、
特定のグループの中の複数の人によって検討されて書かれた、
論理的な文章に見える。
実際マルコによる福音書も、構文を検討したら、かなり
技巧的な作りになっているのが
分かる。
しかしヨハネによる福音書はそうではない。
何か個人が長い年月書けて書いたような気がする。
しかもこれ何か思い付きであちこち、つぎはぎだらけで
思い出話を足し込んだような気がする。
それとあまり論理的じゃない。
繰り返しの言葉も多く、もっと簡潔に言えるものも何か
もったいぶってる。
うがった見方かも分からないが、
これってもしかして、
女性が書いたのではないかなと。
別にどこにもヨハネが書きましたとは書いていない。
確かに後のヨハネの手紙と付き合わせば同一人物なような気がするのだが。
どの福音書が史実に近いのか分からない。
ただ私てきには、ヨハネのそれは、
あるグループの意図によって、改ざんされたような痕跡が見当たらない。
わざわざイエスの活動を一年間の期間に合わせて作り替えていない。
ただひたすら
覚えてる事を思い付くまま
書き上げたような気がする。
あくまでも
勝手な憶測ですが。

下手なフルート演奏(04)

マグダラ

逃げよう。
この地を離れなければ。
追っ手から逃れる為に。
私が彼と関わっていた為に。
私にだけ与えられた言葉、
このまま闇の中に葬られても構わないから。
あとの事はもう知らない。
確かに墓は空っぽだった。
絶対見間違いじゃない。
安息日をいい事に、
誰かがあの人の亡骸を
持ち出してしまった。
私にはそれが誰なのか分かってる。
だから口封じ、
逃げなきゃ。
どうせ逃げおおせて、
この話人に伝えても、
誰もまともに取り合ってはくれない。
あの人と寝食を共にしたなんて言ったら、
何て言われる事か。
実際何もなかったのだし、
私はあの中では、
あの人の一番弟子だったのだから。
だからこそあの人は、
私にしか告げなかった、
あの奥義の言葉を、
誰に告げたらいいか。
そうか
私が文字を学べばいいんだ。
私が書いてやる。
彼ら残された連中が、何を言い広めるか知ったこっちゃない。
匿名で、わたしの名を隠し、
いつまでかかったって構わないから、
私の手でこれを記そう、
あなたの愛された弟子として。

最後の審判の場に立つ貧しい人の弁明

そんな宗教があるなんて知りませんでした。
ただその日その日食べていくので精一杯でしたから。
私の村でも何人もの人が餓死しました。
時たま思い出したようにボランティアの人が来て、食べ物を置いていってくれるのですが、
彼らが去った後は、その乏しい支援物資の、醜い奪い合いとなりました。
隣村に強奪に行く事もありました。
人の畑の作物を盗みに行く事もありました。
それもみな生きる為です。
そのうち近くで戦争が始まり、私たち弱い者は戦争に駆り出される事はなく、
ただ近くに落ちた爆弾の為、何の関わりもない人が死にました。
私もこうして、地面に埋められていた、対人地雷を踏んだ為、亡くなった次第です。

あなたが神なのですか。
一体何をお望みですか。
私の罪状をお調べになるのですか。
一体私が、何をしたと言うのですか。
何かの宗教に入っていれば、
無条件に救われたのですか。
どうして私たちは、こんな目に会うのですか。
今さら裁かれて地獄に落ちようが構いません。
生きてる間こそが、私には地獄そのものでしたから。
私には分かりません。
どうして地上をあんなままにしておくのですか。
もう地上は用がなくなるのですか。
この終わりの刻を迎えて、
今後救われるべき人らには、
一体どのような楽園を提供されるつもりですか。
私なら別に何もいらない。
あの私が暮らしていた村で、
毎日食べていけるだけの食料があって、
戦争さえなければあとは何もいらない。
すいませんでした、長々と話ましたが、
後はただ、
御心のままに。
Let it be.

behaviour

つづり違うかも知れない。
意味も間違ってるかも知れない。
ブランクが長いとは言え、
今年3月にて丸二年になるこのブログ、
最初にやってたアメーバから換算すれば、
もう「こんな事」を二年半以上続けている。
ふと後ろを振り替えってみた。
始めた当初から一体何が変わったろうか。
知らぬ間に古参と化していたらしいが、
全然目新しい変化などなかったようなのだった。
一体何がしたかったのか、最近自問する。
ここがブランクこいてた一年間は、
じゅげむブログとかをしていたわけだが、
すっかりコンテンツの提供者と言う
役回りでロールして来た。
ここに久方ぶりに戻って来たものの、
私はどう振る舞ったらよいか、
いまだに分からない。
むしろここで古参となり、そんな歴史を持ってしまったがために、
何か居づらくなったのは事実。
そう言えば
ここんとこ最近やたらキリスト教の方に傾いているが、
以前してたアメーバも含めて
一切キリスト教ネタは関わらなかった。
自分の中ではブログでやるのは難しいからと言う思いもある。
今となっては、ここではキリスト教関連でちょっとした顔に
なりつつあるのか。
何でこんな事になってしまったのかな。
今持ってアメーバに戻って来てからの
私のふるまいに確信が持てない。
やめこそしないが、続くのかどうか