ベタニアのマリアとは
今回かなりあてずっぽで書いてるから、あっさりうのみにせんように。
マリアだけでも何人も登場する。
どこか情報が混乱しているように思えてならない。
いくらありふれた名前とは言えあまりにあちこちに出て来る。
香油を塗った女の箇所でも分かるみたいに、
ベタニアのマリアと恐らくマグダラのマリアとが混合されてしまっている。
母親のマリアと合わせて、何か他にもいたような、マリアさん多すぎ。
で思った、ベタニアのマリアがなぜ必要だったのだろうか。
うがった意見、一杯マリアさんがちりばめられているが、
ある人物の存在をはぐらかす為に、
つまり違う人物にあてがう事で目立たなくするため。
ベタニアのマリアが香油を塗った事になっているが、
あまりにも動機が不純すぎる。
ラザロを生き返らせてもらったお礼にしては、
意味が全く分からない。
そもラザロなんかいたのか。
ラザロが生き返ったように
イエスも生き返った
つまり蘇生みたいな感じで
そう言いたかったがための創作に思える。
復活はそんな半死人の蘇生でしかなかったのか。
なぜあんなラザロの生き返りみたいなエピソードを挿入したのか。
たぶん墓が空っぽだったまでが事実、あとは後世の人がつけた創作だろう。
ただヨハネ書、あれが一番復活後の話がくどい。
あれも何の為にあんなべたべたと足したのか。
下手に教会のドグマに毒されてしまうと、
聖書の裏に隠された真実を見逃してしまわないか。
マリアだけでも何人も登場する。
どこか情報が混乱しているように思えてならない。
いくらありふれた名前とは言えあまりにあちこちに出て来る。
香油を塗った女の箇所でも分かるみたいに、
ベタニアのマリアと恐らくマグダラのマリアとが混合されてしまっている。
母親のマリアと合わせて、何か他にもいたような、マリアさん多すぎ。
で思った、ベタニアのマリアがなぜ必要だったのだろうか。
うがった意見、一杯マリアさんがちりばめられているが、
ある人物の存在をはぐらかす為に、
つまり違う人物にあてがう事で目立たなくするため。
ベタニアのマリアが香油を塗った事になっているが、
あまりにも動機が不純すぎる。
ラザロを生き返らせてもらったお礼にしては、
意味が全く分からない。
そもラザロなんかいたのか。
ラザロが生き返ったように
イエスも生き返った
つまり蘇生みたいな感じで
そう言いたかったがための創作に思える。
復活はそんな半死人の蘇生でしかなかったのか。
なぜあんなラザロの生き返りみたいなエピソードを挿入したのか。
たぶん墓が空っぽだったまでが事実、あとは後世の人がつけた創作だろう。
ただヨハネ書、あれが一番復活後の話がくどい。
あれも何の為にあんなべたべたと足したのか。
下手に教会のドグマに毒されてしまうと、
聖書の裏に隠された真実を見逃してしまわないか。
再度マグダラ
ただ生きる為に
体を売って来て
とうとう検挙されて
あの人の前に連れて来られた
どうせこのまま
石打の刑に処しても
構わないんだから
ただ彼は助けるでもなく
見捨てるでもなく
ただ一言言葉をつぶやいただけ
なのに
みんなの怒りが鎮まって
一人
また一人と
広場からいなくなった
最後に彼と私だけ
「わたしもあなたを罪に定めない
生きなさい」
はい、そうします
あなたはあの時から私の主です
死の間際までお供しますから
わたしの主よ
今どこにおいでですか
体を売って来て
とうとう検挙されて
あの人の前に連れて来られた
どうせこのまま
石打の刑に処しても
構わないんだから
ただ彼は助けるでもなく
見捨てるでもなく
ただ一言言葉をつぶやいただけ
なのに
みんなの怒りが鎮まって
一人
また一人と
広場からいなくなった
最後に彼と私だけ
「わたしもあなたを罪に定めない
生きなさい」
はい、そうします
あなたはあの時から私の主です
死の間際までお供しますから
わたしの主よ
今どこにおいでですか
再度の宣伝
とうとう41人です。ものすごいです。
管理する人おっついてきません。
感謝としか言いようないです、ええ。
この際だからここらで宣伝です。
キリスト教系ぐるっぽで最大数を目指しますから。
また時間見て内容も揃えたりしようとしてますので、
どうかご参加お願い申し上げます。
香油を塗ったのは誰か
ルカによる福音書第7章36節にあるのは、一人の罪深い女とだけ書かれていて、
通説ではマグダラのマリアとされる。
他の三つの福音書では申し合わせたように、それがベタニヤのマリアであると書かれている。
どっちかが伝承違いだろうが、ルカ書の方が確かに分が悪い。
ただ思うのはなぜベタニアのマリアなんかが、
そんな高価な香油をイエスの足に塗ったのか。
メシアの印としての、油そそがれし者であるなら、頭からかけるのがならわしではなかったか。
つまりこの香油はイエスの受難の印などではなかった。
またヨハネ書のそれでは、ベタニアのマリアが同じ事をしたのを、
なぜかイスカリオテのユダが非難している。
別にベタニアのマリアなんか、弟子でも何でもないのに、
自分がどうしようが構わないはずなのに。
つまり油を注いだ者は、イエスのグループの中にいる者で、
金銭的な結び付きもあった者に限られる。
またルカ書では非難してるのがファリサイ派でしかもシモンとなっている。
しかも非難の内容はここでは金銭的な話ではなくなっている。
シモンと言えば、ペトロの本名である。
また他の福音書と違って、ルカ書だけ前半に置かれている。
うがった意見だがこれは、マグダラのマリアがイエスの教団に入る際に、
シモンなるペトロがその女は罪深い女だから、入門を拒んでるシーンのように見える。
ただ直接書けないものだから、ファリサイ人のようにしたり、女の名前を明確にしなかったりで
はぐらかしてるみたいに見える。
もしかするとこの女、
ヨハネ書で石打の刑にあう所を、イエスに助けられた女性なのかも知れない。
いじょ
通説ではマグダラのマリアとされる。
他の三つの福音書では申し合わせたように、それがベタニヤのマリアであると書かれている。
どっちかが伝承違いだろうが、ルカ書の方が確かに分が悪い。
ただ思うのはなぜベタニアのマリアなんかが、
そんな高価な香油をイエスの足に塗ったのか。
メシアの印としての、油そそがれし者であるなら、頭からかけるのがならわしではなかったか。
つまりこの香油はイエスの受難の印などではなかった。
またヨハネ書のそれでは、ベタニアのマリアが同じ事をしたのを、
なぜかイスカリオテのユダが非難している。
別にベタニアのマリアなんか、弟子でも何でもないのに、
自分がどうしようが構わないはずなのに。
つまり油を注いだ者は、イエスのグループの中にいる者で、
金銭的な結び付きもあった者に限られる。
またルカ書では非難してるのがファリサイ派でしかもシモンとなっている。
しかも非難の内容はここでは金銭的な話ではなくなっている。
シモンと言えば、ペトロの本名である。
また他の福音書と違って、ルカ書だけ前半に置かれている。
うがった意見だがこれは、マグダラのマリアがイエスの教団に入る際に、
シモンなるペトロがその女は罪深い女だから、入門を拒んでるシーンのように見える。
ただ直接書けないものだから、ファリサイ人のようにしたり、女の名前を明確にしなかったりで
はぐらかしてるみたいに見える。
もしかするとこの女、
ヨハネ書で石打の刑にあう所を、イエスに助けられた女性なのかも知れない。
いじょ
