外部環境に支配されない経営術:創造思考型 経営コンサルタント 中村文彦
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先日、朝のTVニュースで香川照之氏の歌舞伎デビューが報じられていた。


「この年齢でデビューするなんて、よっぽど歌舞伎をやりたかったんだろうなぁ」と感想を述べると、妻から「あら、逆じゃない?」と反対意見が返ってきた。


「この年齢でデビューするなんて、断わりたくても断われなかったのよ」というのが、妻の解釈である。


私と妻とは、しばしば意見や感想が異なる。


今回も受け取り方がまったく異なっており、「面白いなぁ」と改めて感心した。



コーチングには「価値」と「ニーズ」という概念があるそうだ。


この「価値」と「ニーズ」に関して、私は次のように理解している。


「価値」は、人が生まれながらに持っている深いレベルの価値観であり、その人にとっては魂とも言えるものである。


「価値」に基づく思考や行動は、その人の核から湧き出るポジティブな動機がエネルギー源になっている。


一方で「ニーズ」は、成長過程において親や教師等の他者との関わりの中で、その人の内部に後天的に培われた基準や規範である。


「価値」と違って、「ニーズ」に基づく思考や行動の源泉は他者にある。


たとえば、「誰かに認められたい」といった動機がエネルギー源になっている。


「ニーズ」は、その人にとっての強みになるとともに、制限や制約になっていることも少なくない。


香川照之氏のデビューに関して言えば、私は「価値」に基づいた行動と解釈し、妻は「ニーズ」に基づいた行動と解釈したということである。


ただ、「価値」と「ニーズ」のどちらか片方のエネルギーだけで活動してる人はまれである。


結局のところ、香川照之氏の行動も「価値」と「ニーズ」の両方に基づいているはずだ。



創造性を発揮するためには、「ニーズ」よりも「価値」に重きを置く必要がある。


創造性は、「価値」に基づく思考や行動から生まれやすいからだ。


「ニーズ」に基づく思考や行動からは、創造性は生まれづらい。


「ニーズ」は、外部から与えられた基準をクリアし、外部の期待に応えることができさえすれば、それで十分だからである。


「ニーズ」は、反応的(リアクティブ)であると言うことができる。


創造思考型経営を実践する上では、「価値」をメインとする必要がある。


その上で、「ニーズ」をうまく利用すれば、成果や効果を整えることができるだろう。


創造的であることを目指すならば、まずは自分が「価値」と「ニーズ」のどちらを利用しているか、内省することが重要である。



香川照之氏が、「価値」と「ニーズ」のどちらをメインとしているかも、彼の今後の在り方や成果を見れば、自ずとわかることになるだろう。

コンプガチャの問題に対してソーシャルゲーム大手6社が足並みをそろえて5月末までにコンプガチャを全面廃止すると発表した。


違法との見解が消費者庁から公式発表される前に、自主規制した形である。


この問題は、コンプガチャで大きな売上を上げていたソーシャルゲーム関連企業にとっては、業績悪化や株価ダウンにつながる大きな問題であったが、経営者の判断は迅速であった。


行政からの明確な見解が出る前に、主体的に意思決定したことの意味は大きい。


違法性を指摘されたとしても、収益を上げているビジネスを廃止するのは、企業として並大抵のことではない。


凡庸な経営者が多ければ、本件に関する各社の対応は足並みもそろわず迷走したのではないだろうか。


各社の経営者のミッションの軸がぶれていないことに加え、業界内における日頃からの問題共有や対話の賜物ではないかと思う。



「支配されない経営」とは、外部環境に支配されないことだけではない。


自分自身の中にある「手放すべきもの」に支配されないことも、「支配されない経営」である。



もちろん今回の件は、違法性のある遊びを提供してきたわけだから、廃止さえすれば企業としての責任を果たしたということにはならない。


コンプガチャを開発・提供してきたソーシャルゲーム関係各社には、本件に対して今後もしかるべき対応が必要である。



それを踏まえた上でも、今回の対応は見事であったと感じる。


コンプガチャ問題は、ソーシャルゲーム各社が今後も社会に貢献し認められる企業であるか、それとも時代のあだ花で終わるのかという分岐点の一つであったような気がする。


今回の問題に関して、某ソーシャルゲーム開発会社の社長が、「そもそもコンプガチャはユーザーが独りで楽しむものであり、ソーシャルゲームの本道ではなかった。今後は、ソーシャルゲームの本質的な楽しみを提供するようなゲームを開発していきたい」という旨の発言をしている。


ソーシャルゲーム関係各社には、ソーシャルゲームの本質的な愉しみを提供し、ワクワクするような創造性に期待したい。

さて、「ヤシの木みたいな松」の番外編である。


「ヤシの木みたいな松」のステークホルダー(利害関係者)としては、周辺住民・地域住民・行政・工事業者が登場する。


本編において登場したのは周辺住民・地域住民・行政である。


本編においては、その三者の立場からこの問題を考察した。


しかし、経営者・事業責任者・プロジェクトマネジャー・現場リーダーの多くは、工事業者の立場に近いはずである。


したがって、この番外編においては、工事業者の位置で「ヤシの木みたいな松」の問題を述べてみたい。



工事業者は、登場人物の中でもっとも影響力が弱く発言力も弱い。


「言われたことを言われたとおり」にやれば良い立場である。


本件に関しても、「いかんともしがたい立場だった」「どうしようもなかった」と考えることが可能である。


しかし本当にそうだろうか?


「ヤシの木みたいな松」に直接手をくだしたのは、誰でもない工事業者である。


工事業者の在り方によっては状況を変える可能性はあったと考える。


工事業者の立場であっても創造思考型経営の思考様式や行動様式は持つべきである。



たとえば、工事業者が行政からの発注に対して反応的に対応するのではなく、そのリクエストの背景にあるものをじっくりと自らの頭で考えたらどうなったであろうか。


周辺住民の話しに耳を傾ける場や、地域住民と松並木の関わりあいを観察する機会をもったら何か違うことは起きなかっただろうか。


そうすれば、自分達の能力の範囲内で反応的に対応するのではなく、樹木の専門家に相談する等の行動も生まれるのではないだろうか。


そして、そこから創造的な解決案が生まれ、発注担当者である行政に提案することもできるはずである。


場合によっては、工事業者がリーダーシップを発揮して、この問題を創造的に解決するプロデューサー的な役割を担うことさえもできるかもしれない。



もちろん、工事業者の立場で創造思考型経営を行っても、成果に結びつかない可能性は高い。


発注者である行政から「余計なことを考えず、指示したことだけをやっておけばよい」と一蹴されるかもしれない。


住民たちからも、冷めた反応をされるかもしれない。


しかし、だからといって自分の使命を限定的にとらえて、受動的かつ反応的な立場に固定していては、未来はない。


「言われたこと言われたとおりにやる」業者なら世の中には山ほどいる。


そこには、競争上の優位性はない。


創造思考型経営をつづけていれば、短期的には結果が出なくても、それはいつの日か何らかの実を必ず結ぶ。


数年後に、世の中から選ばれている企業になっているかどうかは、それで決まるのである。


(了)