四谷で働く社長のブログ -2ページ目

最新ITのダイナミズム

グーグルマップの衝撃
2006年のことだったと記憶しています。今やだれもが知る検索大手「グーグル」がまだ一部のマニアックな人の間のみで知られていた頃、“グーグルマップ”というサービスが世に出されました。今ではすっかり定着したこのサービスですが、これを初めて見た時、私はひっくり返るほど大きな衝撃を受け、同時に時代が変わりつつあることを直感しました。
全世界の地図や衛星写真(無論、砂漠の真ん中は解像度が低いですが)を瞬時に閲覧できて、しかもそれが全部タダで提供されるという常識破りのサービス。「いったいどうしてこんなサービスができるんだ?」という驚き。その後ストリートビューという、旅行好きの私にはたまらない機能も追加され、居ながらにしてパソコンの画面上にビバリーヒルズの高級住宅街を映し出したり、長崎の街並みを映したりしてバーチャル「散歩」ができるようになりました。
私は中学と高校を長崎で過ごしたのですが、昔住んでいた家の前、友人の家、母校をパソコン上で「訪問」したりして、なつかしい散歩を時々楽しんでいます。勿論、プライバシー上の問題点はありますが、結局便利で面白いもの(しかもタダ!)はみんな使ってしまうものです。
それでは、グーグルの「衝撃」とは一体何なのでしょうか?時代はどのように変わりつつあるのでしょうか?いままでもITはいろいろと喧伝されてきましたが、それとどこが違うのでしょうか?技術的な話や難しい話は一切抜きにして、いま起こりつつある「IT革命」についてお話をしてみたいと思います。
重要なのはテクノロジーではない―歴史をひも解くとわかる情報革命の本質
 私たちはITの技術がどれだけ発達したか、クラウドとは何か、スマートフォンとは何か、「i-pad」とは何か、などといった瑣末な事象のみをウォッチしてはいけません。そうではなく、今のIT革命によって引き起こされつつある、社会の大変革をつかむことが重要です。
 端的に言うと、それは情報革命です。さてそれでは、歴史上、過去数千年の間に情報革命は全くなかったでしょうか?そんなことはありません。文字の発明が、紙の発明が、社会にどれほどのインパクトを与えたかは言うまでもありません。私たちは、歴史上の情報革命が当時の社会に与えた影響を知ることで、現代の情報革命の本質をつかむことができるのです。
 一例として、活版印刷の発明を考えてみましょう。1445年ごろにヨハネス・グーテンベルクが発明したこの新技術によって、情報の伝達力は飛躍的に向上しました。しかし、活版印刷技術そのものは重要ではない。東洋にだってかなり発達した印刷技術があったではないか・・・?しかし、それを最大限利用したマルチン・ルターの業績を見るとき、それが社会に与えた影響の大きさを知ることができるのです。
 当時、聖書はラテン語かギリシャ語で書かれており、聖職者・知識階級でなければ内容を知ることはできないものでした。そこでルターは聖書をドイツ語に翻訳し、聖職者でない階層にも読めるようにしました。そして、ドイツ語訳聖書を活版印刷技術を用いて大量に、安価でばらまいたのです(もちろん、これと併せて様々なパンフなどもばらまかれました)。この結果、それまで見えにくかったキリスト教の本当の姿が広く知られるところとなり、カトリックの欺瞞性が糾弾されることとなりました。聖書はこの時期、各国語に翻訳され、宗教改革は大きなうねりとなり、同時に古代ギリシャ・ローマ文明を再評価する運動も起こったのです。ルネッサンス・宗教改革を経て、近代文明の誕生に至る過程で、活版印刷技術は大きな貢献したと言えるでしょう。
 もうひとつ例を挙げてみたいと思います。それは新聞の発明です。それは産業活動を支える役割を果たしたと同時に、清教徒革命、フランス革命など市民革命の温床にもなりました。いつでも新聞を読み放題の「コーヒーハウス」「カフェ」といった店が出現し、当時台頭しつつあったブルジョワジーたちはここで情報交換と政治討論をしていました。
 少し時代は下り、19世紀になると、新聞に加えて近代郵便(1840年代)、電報という通信手段(1860年代)が普及し、それらは列強による植民地支配に抵抗する人々にとって大切な情報交換ツールになりました。地球の裏側で起こっている事件をほぼ同時に知り、ほぼ同時に世界中の仲間たちと交信できるというツールを革命家たちは最大限に利用しました。日露戦争での日本の勝利を知った若きマハトマ・ガンジーは、当時南アフリカで公民権活動に参加していたのですが、名もない東アジアの小国が初めて列強を破ったとの報に接し、手放しで喜び、大いに勇気づけられました。共産主義を標榜する人が「万国のプロレタリアートよ、団結せよ」と主張し、実行することができたのも、情報技術の発展によるところが大きかったのです。
情報革命は誰に恩恵をもたらすか?
 このように見ていくと、情報革命が何をもたらすのかが見えてきます。すなわち、一つは、情報の「解放」、つまり、情報を「持てる者」から「持たざる者」への流れです。もう一つは情報の「価格破壊」です。
 一昔前なら世界地図帳といえば、分厚くて、とんでもない値段のものしかなかったのですが、今や私たちは世界中の地図情報を瞬時に、それもタダで探し出すことができるようになっています。過去このような恩恵を最大に受けたのは、それを最大限に利用した弱者か、または新しく台頭した勢力だったというのが歴史的事実です。
現代の情報革命は中小企業にとり大きな追い風である
 さて、会計事務所の顧客の多くは中小・零細企業ですが、このような歴史から類推するならば、現代の情報革命の恩恵を受けるのは大企業ではなく、中小企業ではないかと思えてきます。これだけ景気が悪い悪いと言われている中ではありますが、ちょっとした工夫とアイデアさえあれば、大企業を向こうに回しても決して負けない、強い中小企業が日本中から沸き起こるのではないかと感じているのは私だけでしょうか?
 中小企業は今のIT革命をもっともっと利用するべきだと考えます。いや、一部の賢い経営者は意識する・しないにかかわらず既に最新のITを利用し始めているのではないでしょうか?そのような潮流の中にあって、会計事務所が独り安穏としていてよいはずがありません。
 最新のITを徹底活用することで、会計事務所でなければできないサービス提供の余地は大いにあると私は思います。それは決して難しいものではなく、従来の延長線上にあるものだともいえます。

事務所移転しました

このたび、OKSは住所を下記に移転致しました。

新住所

〒160-0023 東京都新宿区西新宿7-2-6 K-1ビル3F
新電話:03-6890-1120
新FAX:03-6890-1158

これを機に、ますますお客様にご満足いただけるよう、精進してまいる所存でございます。
今後とも宜しくお願いします。

中小企業の海外取引の経済効果試算

メモランダムです。

ブログ『漂流する身体』を時々読んでいますが、

経産省編「日本の産業をめぐる現状と課題について」について論じています。

経産省のこのレポートは、かなり高い評価を得ており、日本の厳しい現状を

極めて正しく表しているといわれています(ただ、それへの解決策となると

舌足らず感がありますが)。

で、それへの論考の中で、参考にすべき記述があったので引用させて頂きます。

トラバができないぞ??う~む、仕方ないので、ブログURLをコピペ。

http://d.hatena.ne.jp/bohemian_style/20100420/p1

<以下引用>

 結論の前の裏返しスライド。要は、グローバル製造業もモデル変えて生き残らないといけないし、それに今はぶら下がっている技術のあるものづくり企業もグローバル製造業を中抜きして海外市場に出ないといけないし、国内型産業の中にも海外市場に出れる産業があるということである。

 感想だけど、部下がこんなスライド作ってきたら、丸焼きにしたであろうミスリーディングなスライドも散見されたが、役人に顧客にスライドを売るコンサルタントの仕事を期待すべきでは無いし、全般にはメッセージは正しいと思う。要は、

輸出依存度が余り高く無い→日本はまだ実は輸出で稼げる余地がある
輸出型大企業は勝てるビジネスモデルに転換し、中小企業や国内型産業は輸出できる産業に転換し、輸出を創出すべき
ということだ。結局輸出かよ、という声も聞こえてきそうだが、上記過去エントリでも日本の純輸出とGDPの比は僅かに1.7%であり、これが5%を超えるドイツとはまだ随分差があると指摘したし、ミクロで見ても経産省が目を付けている分野には確かに余地はあると思う。

 これは、なぜ中小企業や国内型産業に輸出機会が訪れているか、という点で更に深掘りが出来る。前者については、大企業が連敗を喫したモジュール化と水平統合の波が、中小企業にとって直接国内の大企業を中抜きする機会になっていることである。また、グローバルに新興国の成長が続いている結果、何も無い発展途上国に道路とか発電所を作るという従来の「開発経済・国際援助型」インフラ投資一辺倒から、中進国が先進国並みのQOLを得る為の「高度化投資・内需型」インフラ投資に力点が移りつつあることもその背景にある。高速鉄道や上下水道、或いは火力でなくてより複雑な原発など、先進国なら当たり前に持っている内需型産業が、一通り必要なインフラは持っているが、それをシステムごと輸入して高度化した新興国=中進国に魅力的に映っている。

 また、何故輸出型大企業がコケたのか、という点への考察ももう少し必要である。これは要は、特定分野毎に規模の利益がより重要になったことを示している。背景には、これも新興国需要の台頭があり、そのマーケットにおいては、垂直統合した高度なプロダクトよりも、水平統合して安く作れた商品が売れた。その結果として、水平統合型エコシステムの企業の製造コストが劇的に下がり、それに参加している企業しか先進国市場においてもコスト的に生き残れなくなったのである。ただ、誤解して欲しくないのは、水平統合だからOKということでは無く、水平統合は規模の利益をどう作るかという手段に過ぎないことだ。日本市場には、過当競争であったことや、グローバル化が遅れていたことなど、規模の利益を作らせない構造があったのが、更に不利に働いた。もし、例えば液晶テレビで日本を独占する巨大企業があったとして、その巨大企業が十分にグローバルに販売網を持っていたとしたら、垂直統合していても、コストで勝負できる筈だからである。

 では、この輸出振興は正しいとして、この輸出振興によって、どの程度GDPが底上げされるかというポテンシャルを試算してみたい。中小企業実態基本調査を基に簡単に検証してみるが、まず輸出に対応可能なある程度大きさのメーカーがどの程度あるかと言うと、世の中の中小企業373万社の内、製造業は42万社である。売上高で言えば534兆円の内110兆円なので、全中小企業の中で、20.6%が製造業の売上シェアである。ただ、この中には傘張り浪人みたいなのも、「個人事業主」としてカウントされており、例えば従業員51人以上と、そこそこの売上高の中小製造業の売上を抽出すると、65兆円だ。従業員50人以下の中小製造業の一社当たり売上は僅か1.3億円だが、従業員51人以上の中小製造業の一社当たり売上は28.8億円である。自分自身、ミッドキャップの買収案件を担当した実感として、輸出に対応する為に、海外向け営業マンから英文契約、貿易実務、貿易金融等を担当する社員を養うには、売上50-100億円・社員50人というのがギリギリの規模感だったから、ここで区切ることは大凡外れてはいまい。

 どういう政策を打てば彼ら65兆円が輸出に向かうのかは実感が沸かないが、仮に甘く見て、この中の10%の企業が海外向けに全体の30%の売上高を新規に獲得するとしよう。このカテゴリーの中小製造業の原価率は48%だから、52%が付加価値になるので、

65兆×打率10%×売上増30%×付加価値52%=1兆円(!)
がGDP上のインパクトである。日本のGDPは526兆円だから、0.2%。「まるでアリの様だ! (C)ムスカ」とは言わないが、世界が変わる程のものでは無い。世界を変えるには、半分位の中小製造業が、海外向けに売上を倍増位のことにならないとダメである。これは相当大変な事のように僕は思える。小さくてもやった方がいいのは間違いないが、全体にインパクト与えるには相当頑張らないといけないということだ。

 こういった規模感の問題もあるが、それをクリアして大規模に輸出を創出すれば長期的にも万事解決かと言うと、そこは疑問で、中長期ストラテジーは別に用意しないといけない。なぜなら、これは製造業の輸出立国というストラテジーそのものが、グローバルにトランザクションコストが低下した現在では、中進国との裁定が働きやすいからである。インフラのシステム輸出にしても、中小製造業にしても、いずれ産業が高度化した中進国が追いついて来るだろう。よって、輸出は、比較的短期の稼ぎにしかならないと思われる。この点は非常に解決策が見いだしにくい所で、米英がこけたことで、先進国群に勝ちパターンの人が居なくなったのが迷いを深くする。米英の金融立国的な戦術は間違いとまでは言えないが、打ち出の小槌では無い事は既に判明している。日独の製造業主導の輸出立国戦略は、上記の通り中進国との裁定が働きやすい。中進国が発展途上国だった時代は、技術に圧倒的な格差が有ったので、先進工業国の製品が世界を席巻したが、途上国が成長して中進国となった現在、先進工業国と中進国それぞれの企業の技術格差も縮まった。縮まったが故に競合が発生して、むしろコストパフォーマンスでは先進国側が見劣りし、これを是正するなら先進国側が労働分配と価格を下げないといけない状況になっている。これが裁定ということである。敗戦国で国土が灰燼に帰した日独は、戦後の50年代後半から80年代までの長い間、戦勝国である先進国に対して、中進国的な立場を維持し、そのコスト競争力を誇った。いま両国が苦しいのは、その有利な立場が新興国に取って代わられ、追われる立場となったから、という単純な構造だと推察する。また、日独の製造業によって、自国製造業をボロボロにされた米英は、金融資本の拡大再生産や、IT等の知識やサービス輸出に活路を見出した。つまり、輸出型製造業というのは、元来中進国的立場の国が有利に戦えるフィールドであって、コストの高い先進国はより資本や知識集約型で無いと厳しいということだ。ただ、金融立国というのが果たして正解なのかは、ある程度までは正しいとしか言えないのが、現在の迷いであるし、日本の打てる手としては、若干手遅れというのが残念である。