知り合いの女性にシビアな意見をもらった。


女性「あなたが「僕はいっぱい考えたんだよ、こんなことも思ったりしたよ。」って彼女に話してる時、彼女はどうしてた?」


俺「泣いてたよ。」


女性「ただ泣いてただけ?・・・それ、話聞いてなかったんじゃない?


なんだそれ!?


女性「だってさ、普通は「そんなふうに考えてくれたんだ?」とか「わたしはこう思ったよ。」とか、何かリアクションがあるんじゃないの?


言われてはっとした・・・。


声は耳に届いてても、言葉に耳を傾けてはくれてなかったかもしれない。

言葉や伝えたかった気持ちは彼女の心に届いてなかったかもしれない。

ただただ、彼女の耳にただの音として入っていっただけで。


女性「ただ寂しいから会いに来ただけで、いま出来つつある彼氏も、あなたのことも、きっと両方とも本当には大事じゃないんだよ。自分だけが大事なのであって。」


正直、彼女にまだ情が残ってる。

彼女がいないと寂しくてしょうがない。

でも、もう前に向かって一歩進むべきなんだろうな。

どんなにたくさん考えたって、どんなに自分の悪いところを克服しようとしたって、彼女とは一緒にいることが出来ない。


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と、ここ二、三日はネガの波に飲まれかけてどうもプラスの発想に出来てなかったな。

てわけで、編集で付け加え。


あれから仕事しながらも考えてて、やっとプラスの思考が帰ってきた。

同じこと繰り返さないように、今回で本当の本当にケジメをつければいいんだ!

だったら今回の事にも意味がある。


自分はもう彼女じゃなくても幸せを探そうと、そのためにも自分自身の課題を克服しようとおもってたんだった。

だから、泣いてばかりじゃなくて、ちゃんと彼女にも意見を言わせて、もう腹を割って話してみようと思う。

話す内容といかに彼女に自分の意見を言わせるかについては、すでにA4用紙4枚にまとめてプリントアウトした。

準備はOKだ。

やるだけやったら後悔もなかろう。

そして、彼女にも問題があったのだから、それを認めて直してくれないというのであれば、もうケジメをつけてちゃんとサヨナラを言おう。

これは、自分のためだけじゃなく、彼女のためにもなることだから、良い事なのだ。


実は、職場で縁があって一回お見合いみたいなのに行った。

相手はきれいな人で、留学の経験もあり知性的で、家族が医者という凄い家系の人だった。

良縁だった。

乗ってる車は外車のオープンカー・・・すんでる世界が凄すぎてご遠慮させてもらったけど (苦笑)

きっとこれからまだまだ色んな出会いが待ってる。(変な縁もあったけど (´д`lll) )

そうやって前に進むから、もうお前も振り返るな、そういって背中を押してやろう。

そうと決めたら即行動だな、今夜、ケジメつけさせてもらおう。


で、ちょっと寂しくなって怒りの感情にのまれそうになった時、のまれるのを「やめる」のは難しそうなので、何か別のことを「始める」のはどうかなと思いついた。

タバコをやめるんじゃなくて禁煙パイポ吸い始めるようなかんじ。

ムカついたらアイーンしてみるとか・・・アイーンしながらは怒れないだろう w

それは冗談として、怒りを感じた時に相手に何か言っちゃう変わりになるようななにか、いつも楽しい気分にさせてくれる友達がいるから、そいつとちょっとメールなり電話なりして楽しい気分にさせてもらうとかね。

そうすることで状況に流されるのを防ぐこと出来ないかな?って思った。


ついでに、良い言葉に出会ったから書いておこう


激しく傷つくということは・・・


傷つく能力があるから傷つくのであって・・・


その能力といえば、豊かな感受性と鋭い感覚である・・・


吉行淳之介

やはり連絡をとるべきじゃなかったのか・・・。

どうも彼女は自分の弱点や抱えてしまった問題を刺激する存在らしい。

夏と同じこと繰り返してる気がしてきた。


なんだか、彼女も成長してたくさん考えて考えて、考えて考えて、考え抜いた挙句に連絡してきたんだと思ってた。

あの涙は信じたかった。

でも、どうやら違ってるみたいだ。


上手くいきつつある男もいる。

でも、俺がいなくなるのも寂しい、そういう夏と全く同じ状態のままのようだ。


付き合ってるときは8時くらいが門限だったので、その時間帯には絶対に送り届けてた。

が・・・今は普通に10時すぎくらいに帰宅してるらしい。

二人で一緒に見つけた店に男を連れて行ったりして・・・。


寂しい。

寂しくて寂しくてしょうがない。

でも、怒ったり無視したりしないで「そんなことされると寂しくてしょうがない」と、「寂しいだけで俺に連絡してくるのは間違いだよ」と、「連絡をすることで君は何をしたかったのか?」伝えたいこと、分かってもらえたら良いなと思うことは素直に最後にメールで言えたと思う。

自分は、怒りの習慣をちょっとだけでも乗り越えていけたのかな。


今日は大学の時入ってたサークルの新歓コンパがあって行って来たけど、はしゃぐ気分じゃなかったから途中で抜けてきた。

寂しくて辛くてたまらないから、今日は街にギターかかえて出かけてこようと思う。


余談・・・。

今日、職場の知り合いの人が離婚することが決まったと聞いた。

理由は旦那さんの不倫・・・つまりは浮気。

人当たりの良い、優しそうな旦那さんだったんだが。

ちょっと、また人間不信になりそうだ。

その人の子供達もよく知っている。

可愛い子達だ。

どうして子供が悲しむようなことするんだよ。

人間、結局我が大事な人が多いってことか。


今日はなんだか悲しくて仕方がない。

当然という言葉は使いたくない。

中村俊輔という選手は、あれほどの技術がありながら常に上のステージに上がるための課題を探し続けてきた。

不当なWCの代表からの落選という壁にも負けずに。

とうとう誰の目から見ても必要だと思われる選手として23人の日本代表の選手の中に名を連ねた。


徹頭徹尾、彼が貫いた姿勢。

この選択肢を選ぶことでどんな課題が自分に見つかるか。


彼が喜ぶ時は、その課題を克服して自分なりの答えをピッチで出せた時だ。

尊敬する。

自分の携帯が見当たらないで、家電から自分の携帯に電話して探してみた。

が、何故かつながらない・・・。

結局ベッドの上にあって毛布に隠れて ただけだったんだけど。


なんでつながらなかったんだろう?と思いながら携帯を手に取ると、確かに着信履歴が一件ある。

ちゃんと履歴あるよな、なんでつながらないってアナウンスに・・・と思いながら履歴をみると、どこかで見覚えのある番号。


元彼女からだ。

すぐにかけ直してみると何コール目かで彼女が出た。

久しぶりに聞く声。

「今何してるの?」って聞いたらすぐそこまで来てるって ∑(゚Д゚)


元彼女「ピンポンダッシュしようと思ったけど出来なかった。」って・・・。

そんなことするな(汗


会ってたくさん話をした。

あれからたくさん本を読んで自分を見つめなおしてきたこと。

寂しがりのくせにそれに蓋をして、怒りの習慣に飲み込まれてきてたのに気がついたこと。

連絡したい気持ちもあったけど、すぐには自分の生き方は変えられないから、今は一人で時間をかけて自分の生き方を磨く時期だと思ってたこと。

彼女のためにも、離れた方が良いと思ったこと。

責めるわけではないけど、寂しがりの彼女が離れていく時は次を見つけてからのことが多いから、喧嘩か何かあったとき、去年の夏みたいな状態になるのも嫌だったこと。

全て伝えた。

実際、会ってるときに携帯にメールが来ても、彼女は携帯を取らなかった。


結局、もう遅いから今度時間のあるときにゆっくりご飯でも食べようってことにして別れた。

もう夜が明けて空が明るくなってた。

3時間しか寝てねぇ。

さて、自分の中に愛されたいという甘えの欲求があるのは自覚できた。

それを彼女によって満たして欲しいと甘えが出たときに怒りの習慣が起こるのも理解した。

その欲求自体は自然な感情で、愛されたがるなというのはトイレに行くなというのと同じくらい無理な要求だ。

まずはそれが自分の中にあることを認めよう、それが第一歩だ。

しかし大人になったら子どもじゃなるまいし、今まではおおっぴらに甘えの欲求があるのは自分で認めることが出来ない。

なのでなかったことにして愛という名の下に相手を攻撃してきた。

自分の中で合理化をして目をそむけてきた。


・・・かなり自分を客観的に俯瞰図で見ることが出来るようになった。

あと数年でも早くここに到達していれば・・・。

まぁ、気がつかないよりはましだけど。

実際、怒りの感情がわきそうになる状況に遭遇した時、それがなぜ怒りの感情を起こすのか、それがそんなに大したことなのか?自分の我を通してるだけじゃないのか?相手が万が一間違ってたとしても、怒りを増幅したり攻撃したりするのは自分の生き方の問題ではないのか?そう自問自答することで怒りの感情がゼロにはならないんだけど、ホントに穏やかになっていく。


では、その甘えの欲求を克服するためにどのようにそれを満たしていくか・・・。


はっきり言ってすっげぇ難しいんですけど。

まるで思いつきません。

相変わらず読書の日々。

また新しい本を買った。

今回の恋愛で経験したこと、見つけた課題、それを自分の中で消化し克服する手助けにするために。


怒りという感情はよくないものだ・・・と見ない振りしたりなかったことにしたりするのは得策ではないらしい。

それはただの抑圧であって、根本的な解決にならないばかりか別の弊害があるだろう。

実際には自分の中にあるのに、ごまかしてるのでいろんな場面で色んな形でよくない形で吹き出てくるだろう。

嫌な事があってむっとしたりカチンとくる気持ち自体は自然なこと、要はそういう気持ちになった時にどんな選択肢を選ぶか・・・そういうことだと思う。


余談。

元彼女にいろいろ文句はあったけど、自分にも元彼女のこと言えない自分勝手なところがたくさんあった。

自分の嫌なところが元彼女に投影されて跳ね返ってきてたのか、自分が嫌なところある人間だからそういう人が寄ってきたのか、それはわからない。

どっちにしても、他人のこといえないよなって感じ。


彼女にされたこと、その時思ったことで・・・昔自分が振った女の子のことを思い出す。

自分がされて、初めて自分がどんなに自分勝手だったか、相手に配慮のない人間だったか痛感した(x_x;)


昔、振った女の子とその後も切れないでずるずると連絡取り合って続いてたことがある。

「ドライブにでも連れて行ってやるか」とか「飯でも食いにつれてってやるか」とか、いろいろ自分なりに良くしたつもりだったが、その子にしてみれば「~してやった」というふうにとられてしまい、ずいぶんと責められてそういう恩着せがましいつもりはないのに・・・もう絶対に連れて行かない!と不愉快になったことがある。


でも、よく考えてみたら、その子はドライブに行きたかったのだろうか?ご飯を食べにいきたかったのだろうか?その子のことを理解しようとしてただろうか?

彼女が本当にして欲しかったことは別にあったはずでは・・・。

その当時の自分の中に、本当の思いやりはなかった、自己満足の思いやりだった。

別にその時は彼女も一応は楽しんだりしてくれてたので、悪いことではなかったんだろうけど、自分がそういうことして良い気分になってただけかもで、本当の思いやりではなかった。


こういう自己満足的なのを直接的な愛情って言うんだって。

本当の愛情はもっと間接的で、相手のことを理解できるからこそ、その相手のために心をくだいて何かしてあげられるものなんだそうだ。


今回、彼女はスーパーのレジのバイトしてたので、復縁中に生活雑貨品(洗剤やトイレットペーパーやパスタのソース)を何度か差し入れしてもらったことがある。

それで、荷物が多くなったので電車でいけないのでとりに来てって言われたんだけど、彼女の家まで往復100キロ・・・時間にして2時間、自分の燃費の悪い車だと3000円近くガソリン代がかかるので、ありがたく思いつつもどっかに「?」があった。

正直、自分がして欲しいのはそういうことじゃなくて・・・それに、買ってくれるのはありがたいんだけど、よけいにこっちがしんどくなるの分かんないのかな・・・でも、せっかくしてくれてるのにそんなこと言っちゃ悪いよな。でも、何か違う・・・。

↑こんな感じ。


過去、自分がしたことが今回そのまま返って来た感じ。

振っただの振られただの、憎いだの寂しいだの、そういうのばかり残る恋愛じゃなくて、今回は本当に自分自身の課題が見えてくる恋愛だったな。

先日、仕事で付き合いのある人から告白された。

でも、無理です・・・あなたには家庭があってご主人と子供さんがいるじゃないですか。(´д`lll)

軽い遊びのつもりで寄ってきたんですか?あなたはそういう人だったんですか?

・・・と怒りの感情がわきそうになり・・・。

でも、人は人、自分は自分、あの人がそういう人でも自分には関係ない・・・と自分を立て直す。


昨日、街にギター弾きに出た。

昔から知り合いの道端で自分のイラストを売ってる子と遭遇。

せっかくだから隣で弾きなよってその子に言われて、隣で弾かせてもらった。

帰りはその子が車で送ってくれるというので(お酒が入ってたので自分はタクシーできてた)ありがたく乗らせてもらった。

で、うちに上がってもいいかと言われたので「いいよ」って上がってもらう。

そして・・・ぐだぐだに・・・。

抱っこしてとか言われ、無理って言ったら「じゃあ、だっこさせて」って・・・。

なんだか布団の中で10も年下の子に抱かれて、でも友達に変な気は起きず。

深夜3時回ってたし、酒もかなり入ってたのでそのまま爆睡。

目が覚めたらその子はもう帰ってた。


なんだか妙な縁が続く。(´д`lll)


人間、長い年月かけて性格や生き方を形成してきたので、急にはそれをかえられない。ホントにちょっとずつ、ちょっとずつ 、自分の内面の嫌な部分とも向き合いながら、自分自身に気づくことによって変えていくしかない。


最近は、カチンと来たらひとまず時間をおくことにしてる。時間がたてば大抵のことは自分にとって「どーでもいい」ことだったりする。勝ち負けという視点で物事を捉えることが、いかに心安らかに生きることを困難にするか・・・。そう思えば「そういう人もいるんだ。」という一言で少々のことは完結する。


今日、細い道を猛烈な勢いで走ってくる軽自動車とすれ違った。ぶつかりそうで危なかったのでブレーキかけてハンドルを切る。すれ違った軽自動車は一旦停まり、ドライバーが睨みながらこっちに向かって何か怒鳴ってる。ちょっとムカッときてしまった。・・・が、「乱暴な運転をして感情を垂れ流しにする人もいる。」という一言で完結。以前なら勝ち負けを基準にして、追いかけて車止めるとかして、しばらくカリカリしてただろうな・・・。


嫌な場面に直面して怒る時、その嫌なことはきっかけに過ぎない。元々自分の生き方の方向性がずれてたり、内面に怒りの問題を抱えたままになってるのがそもそもの原因。無意識に怒りの感情で人を攻撃してたんだなとしみじみ思う。


「意識することで無意識の拘束力は弱まる」これは本当だね。

今回の恋愛で、思った以上に大事な課題が見つかった。

そう考えたら、良い恋愛だったんじゃないかと今は思える。

自分の怒りとか、その原因とか、ちょっとずつでも消化していけてることを願う毎日。

でも、やっぱり彼女にされたことやはかれた暴言には怒りの感情がわいてしまうし、先日も交差点でこちらが直進でヤンキー仕様の車が右折してきてぶつかりそうになってにらみ合いになったり・・・。

いかんいかん・・・また怒りの習慣に飲み込まれてる。


にたよな理由で、高校卒業直後にゲーセンで喧嘩になって、壁をぶち壊して後日謝りにいったこともあったな・・・。

その時は、普通にビリヤードしてたら数人に睨まれて絡まれて。

喧嘩売られて、そのまま目をそらす?無理。

何もしてないのに睨んで脅しにかかってくるなんて、いつもそうやって周りを脅して我を通してるのか?

何様だよ、そうそう思い通りにならないことを思い知らせてやる。

カッとなる時の気分はこんな感じ。


(こういう気持ちは理解できる人いると思う。が・・・そこで自分が得ようといているのは、相手を屈服させて自分の我を通すという虚栄心。)


当時はそれで良いんだと思ってた。

不当に我を通す奴は潰してしまえ!!

今は・・・それもせこい生き方だなと思い始めてる。

もっと大きな生き方があるのでは?

それだと、より我の強い力の強い人間が勝つということになってしまう。

今はこのあたりの心境。


でも、もともと自己主張をしない人間だったので、これではいけないと自分を主張できる人間になろうと・・・それにはまず力が必要だと・・・。

そういう経緯があって、空手を習い始めて、自分の主張もはっきりするようになった経緯があるだけに、方向転換も容易ではなく・・・。


と・・・書いてて気がついた。

我を通されるのが自分は嫌いらしい。

我を通すことイコール、コントロールだもんな。

ヤンキーは睨むことによって人をコントロールしようとする。(従わなければ暴力という攻撃)

それ(コントロール)に反発したくなるのは、当然と言えば当然か。

それに巻き込まれない自分を探さなくてはなんだな。




これまで、自分自身の「怒りの表現」についてや「自分は相手をコントロールする必要はない」ということに焦点を絞って話を進めてきた。


相手をコントロールしようとすることに対する、一つの対応策は、ルールを用いるということだ。


しかし、「怒り」や「不幸で惨めな気持ち」を感じていては、あまり効果的にルールを活用することができない。もし、「怒りの習慣」にとらわれたままルールを作り、相手にそれを守るように言ったとしたら、怒りであいてにルールを押し付けるということになってしまう。それでは、お互いがコントロールしあうという、これまでのパターンに戻ってしまう。


ルールが適用されるとき、相手は自分の意思でルールに従うか、それとも従わないか、どちらかを選択することができる。もしルールが守られなかった場合、罰する事はなく、伝えられたルールの内容を再確認するのだ。


「怒り」に支配されてしまっているとき、私たちは自分自身が自分の行動をコントロールする力を握っていることになかなか気づかない。私たちは、他の人をコントロールすることに集中するあまり、自分に何がコントロールできて、何ができないのかの判断力を失ってしまう。

私たちは誰でも人に影響を及ぼす力を自分の能力の範囲でもっている。しかし、それはあくまでも影響であって、コントロールではない。つまり、相手の行動は、いつでも彼ら自身のものなのだ。


私たちが他の人々に何を期待しているのかをはっきりさせることは、その人々の行動に影響を及ぼす一つの方法だ。