自分の怒りとか、その原因とか、ちょっとずつでも消化していけてることを願う毎日。
でも、やっぱり彼女にされたことやはかれた暴言には怒りの感情がわいてしまうし、先日も交差点でこちらが直進でヤンキー仕様の車が右折してきてぶつかりそうになってにらみ合いになったり・・・。
いかんいかん・・・また怒りの習慣に飲み込まれてる。
にたよな理由で、高校卒業直後にゲーセンで喧嘩になって、壁をぶち壊して後日謝りにいったこともあったな・・・。
その時は、普通にビリヤードしてたら数人に睨まれて絡まれて。
喧嘩売られて、そのまま目をそらす?無理。
何もしてないのに睨んで脅しにかかってくるなんて、いつもそうやって周りを脅して我を通してるのか?
何様だよ、そうそう思い通りにならないことを思い知らせてやる。
カッとなる時の気分はこんな感じ。
(こういう気持ちは理解できる人いると思う。が・・・そこで自分が得ようといているのは、相手を屈服させて自分の我を通すという虚栄心。)
当時はそれで良いんだと思ってた。
不当に我を通す奴は潰してしまえ!!
今は・・・それもせこい生き方だなと思い始めてる。
もっと大きな生き方があるのでは?
それだと、より我の強い力の強い人間が勝つということになってしまう。
今はこのあたりの心境。
でも、もともと自己主張をしない人間だったので、これではいけないと自分を主張できる人間になろうと・・・それにはまず力が必要だと・・・。
そういう経緯があって、空手を習い始めて、自分の主張もはっきりするようになった経緯があるだけに、方向転換も容易ではなく・・・。
と・・・書いてて気がついた。
我を通されるのが自分は嫌いらしい。
我を通すことイコール、コントロールだもんな。
ヤンキーは睨むことによって人をコントロールしようとする。(従わなければ暴力という攻撃)
それ(コントロール)に反発したくなるのは、当然と言えば当然か。
それに巻き込まれない自分を探さなくてはなんだな。