わたしが薬や病院を積極的に使わない理由④ 最終回 | 自閉症、発達障がいのお子さんの気持ちがわかるキネシオロジー

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言葉が遅い、出てこない、話すのが苦手!でも、お子さんは伝えたい言葉をもっていて、それを伝えようとしています。その言葉を受信するには、まずはかかわる人が、素直に受けとめる準備をすること♪自分と仲良くなるセラピーを提供しています。

最終回。
続きもので書いてます。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ書いてみようかと

思ったかと言うと

医療や薬を使っているお友達に

自分の思いがエゴとして

とらえられてしまったと

(わたしが)感じたためです。

 

なにを選択しても

その方の自由と

頭ではわかりつつも

それを認めたくない思いも

自分の中にありましたので

たしかにエゴなんですよね。

 

それを真摯に

受け止めつつも

 

病気ってなんだろう?

 

わたしは

なぜ積極的に

薬や医療を使いたくないのか?

わたし自身の考えを

書いてみようと思いました。

 

昨日も書きましたが

 

あくまで

わたしの思いです!

 

押し付けるつもりも

ないですし

医療を否定

しているわけでも

ありません。

 

ということを

先に書いておこうと思います。

 

 
○心が大事と学んだ日々
 
自然療法家さんとの出会いから
キネシオロジーを知り
ものすごく運命を
勝手に感じて笑
学ぶことにしました。
2007年でした。
 
キネシオロジーを
学んだきっかけは
別に書いてるので
違う観点から
書いてみようと思います。
 
特別支援学校の
教員だったから
お子さんのために学んで
役に立てたいというのが
ありましたが
 
実は
自然療法家に憧れたと
いうのもあります。
 
自分の身ひとつで
技術ひとつで
お客様の症状が
改善していく
 
なんて素敵!
 
と思いました。
 
今思えば仕事がきつくて
からだもこころも
しんどかったから
 
わたし自身が
誰かに救ってほしかった。
 
素直じゃなかったから
救いを素直に求められず
自分で自分を
なんとかしないと
自立しないとと
思い込んでたけど
 
ほんとはいつでも
誰かに救ってほしかった。
 
逃げ場を求めていた。
 
でも逃げ場が
必要なときってあるよね
人間ってね口笛
 
キネシオロジーを
学んだけど
ほんと劣等生からのスタート
 
なんてったって
 
からだの感覚が
わからないの。
 
あのときは
意地はって
わかる!って
思い込んで
がんばってやってたけど
 
筋反射とか
わからないときもあって
だからわたしは
練習しないと
ダメなんだって思って
 
月一で練習してた
時期もあった。
 
それが今に
つながっているって
今は思うんだけどね爆笑
 
でもそのときは
 
からだの反応を
わかりたいのに
わからなくて
本当苦しかったよ。
 
それは今思うに
 
からだが何十年も
続けてきた無理のせいで
麻痺しきっていたし
 
こころも
逃げ場を求めていたくらい
疲弊が溜まっていたから
 
何をやっても
感じられない時期
だったんだよね。
 
不感症っていうやつ。
 
でもたくさん
インプットしなきゃと
思いこんでいた時期だったから
 
瞑想にタロットにカバラ
ほんといろいろ学んだけど
その麻痺のせいで
学んだことが
実感できなかった
時期でした。
 
それからしばらくして
結婚して仕事を辞め
 
大阪で開業して
6年めになりますけど
(一気に話が飛ぶけど)
 
最近ようやく
こころが正常化した笑
という気がしている。
 
まぁ浮き沈みはあるし
落ち込むこともあるけど
 
それでいいんだと
素直に受け止められるように
なってきた。
 
そのバロメーターは
 
感覚センサーが
まともになってきた
ということかなと思う。
 
ほんと何をやっても
感じられない
というか
頭が先に働いてしまい
感覚の邪魔をするのが
悩みだったのが
最近はない。
 
たぶん
病院に行っても
何の病気でも
なかったと思うけれども
 
これまでのわたしは
間違いなく
病んでいたんだよね。
 
 
○病気ってなんだろう?
 
「病気」の意味を
辞書で引いてみると
 
生体がその形態や生理・
精神機能に障害を起こし、
苦痛や不快感を伴い、
健康な日常生活を営めない状態。
医療の対象。
疾病 (しっぺい) 。やまい。
 
と出てくるんですよね。
 
ものすごい広い意味だね。
 
わたしの経験を
これまでつらつら
書いてきましたけれど
 
健康な日常生活を
営めない状態。
 
というのは
もう「病気」なんだよね。
 
これって
誰が判断する?
 
お医者さん?
 
本人が認めたら
それは病気だと思う。
 
気が病むって書いて
「病気」だもの。
 
日常生活を営めないと
感じたことはないけれど
 
わたしも
あらためて
健康な日常生活かどうか
聞かれたら
ん?ってなる。
 
自分の中で
心がきつかったのは
事実だし
 
もしあのとき
自分が心がきついんですって
病院に行っていたら
 
なんらかの
診断名がついて
薬も処方されているかも
しれないって
思うんだよね。
 
そのくらい
病気と健康って
線引きできないって思う。
 
 
○わたしが薬や病院を
積極的に使わない理由。
 
ようやく結論にきた(^◇^;)
 
今の日本の医療って
 
「症状が出ている状態への対処」
がほとんどだと思うの。
 
たとえ自分が
こころもからだも
しんどくて
きついし痛いし
病気だと
感じていたとしても
 
数値的に
問題はなかった場合は
 
薬を出す対応か
もう少し様子を見て
またきてくださいね
 
ということしか
できないと思うんですよ。
 
もし違ったら
ごめんなさいね。
 
医療関係者じゃないから
自分が患者としての
立場でしか見てないから。
 
これまで
つらつら書いてきたけど
 
病気というのは
もちろん
突然のものも
あるけれど
 
自分の経験からいうと
 
体と心に
疲労や麻痺が
溜まりに溜まって
引き起こすことが
多いと思っている。
 
あなたの心とからだ
疲れてませんか?
麻痺してませんか?
という
自分へのメッセージ
と思っているのよ。
 
こころとからだが
疲れて麻痺してるけど
数値的には病気ではない
未病の人って
ごまんといると思うのね。
 
そういうときって
原因不明って
診断されることも
多いと思うし
わたしもそういうときあった。
 
そして
たとえば病院が
 
こういう未病の状態でも
丁寧にカウンセリングして
こういう状態ですって
教えてくれるところであれば
 
わたしも
行くかもしれないけど
 
そんな病院あるのかな?
 
普段から気軽に
相談に行ける病院が
増えてくれたら
いいなとは思う。
 
とはいえ
現状では難しいので
 
わたしは
鍼灸の先生に
月一で体を見てもらって
自分のからだの弱点を知り
罹患しやすい病気を知り
傾向と対策を
知っておくことは
しているんだけど
 
これはわたしにとって
大事なこと。
 
心のことを
自分で見つめて
今の自分がどういう状態か
見ておくのも大事なこと。
 
普段から心と体と
コミュニケーションが
取れていないと
 
命にかかわることが
あったとき
 
自分の体を
自分の心を
どう管理する?
どう付き合う?
 
ということが
自分でできないと
思うんだよね。
 
突然の病気や事故で
意識不明とか
認知症になっちゃったら
別だけどね。
 
でも見えないところでは
魂が自分を
見ていると思うよ。
 
病気に関しては
専門家の判断
お医者さんの判断が
一番正しいって
思う人もいるかも
知れないし
確かにそうだけど
 
お医者さんは
お医者さんであって
わたしではない。
 
言いなりになって
受け入れてしまうのではなく
 
わたしがどうするか
治療を受け入れるか
薬を飲むか
治療を受け入れないか
薬を飲まないか
 
わたしの命のことは
わたしが決める。
 
コミュニケーションできる
自分でいたい。
 
そういうスタンスで
生きていきたいなと
思っているんです✨
 
そして
 
自分の心と体からの
メッセージを受けとめ
心と体に
最大の敬意をはらいながら
責任を持って
心と体とおつきあいし
生きていく
 
そんな人が
増えてほしいと
思っているんだよね。
 
決して
医療と薬を否定している
わけではなくて
 
薬は何を使おうが
どういう
治療方法であろうが
構わないよ。
 
ただ
自分の心とからだが
了承しているか?
責任持っているか?
 
まず自分の心と体を
チェックしようよって
言いたいだけなのよね。
 
また書き残したことがあれば
書いていきたいと思います。
 
お読みいただき
ありがとうございましたー