自閉症、発達障がいのお子さんの気持ちがわかるキネシオロジー

自閉症、発達障がいのお子さんの気持ちがわかるキネシオロジー

言葉が遅い、出てこない、話すのが苦手!でも、お子さんは伝えたい言葉をもっていて、それを伝えようとしています。その言葉を受信するには、まずはかかわる人が、素直に受けとめる準備をすること♪自分と仲良くなるセラピーを提供しています。

■こんにちは■
おうちサロン Open Sesami です。

なんだか最近

心がざわついてて


姑のこととか

実家の家族とのこととか

周囲の人とのこととか


人間関係で


なんか

うまいこと行ってないと

感じることがあり


ざわつく中でも

じっとそれを

見つめていたんですけど


そんな中

昨日

申し込んでいたイベントを

すっかり忘れていた、

という出来事がありました。


結局は

直感で思い出し

ほんの少しの遅れで

済みましたが


今までの

うん10年の人生の中で

すっかり忘れてる、

なんてことは

一度もなかった。


この出来事を通して

今のわたしは


ほんの少しの

直感で生きてることが

明確になって


まずいなこれは、

自分会議を

昨日から始めました。


本来のわたしを

100%で

生きていないそのわけは


答えがふとやってきた。


わたし

無意識のうちに

わたしを

あきらめていました。


わたしの可能性を、

というか

わたし自身を

生きることを

あきらめていた。


知らずのうちに

枝葉と

太い幹とがわからなくなり

枝葉ばかりを生やすことを

選んでいた。


そんな自分に

イライラしてたけど

そのイライラとも

向き合わずに

日々に流されてた。


わたしがわたしの

大部分をあきらめてたら

ずっと死ぬまで

あきらめたまんま。


あきらめたくないんだよ。


自由に羽ばたきたいし

やりたいことを

何一つ諦めたくなんかない。


そのためには


わたしが

自由に羽ばたくための行動を

まず第一に選択して行動する。


それを繰り返し

やっていく必要がある。


具体的には

やりたいことを

毎日発信していくのを

あきらめない。


一瞬一瞬を大事にし

無意識に

枝葉をやってしまっている時には

すぐに氣づき

やめるようにする。


あー

他にもあるけど


少しでも

わたしの太い幹が

少しずつ

育ってきたら

また書いて行きたいです


















義母ストレス。。。。

ありますよねぇ


無いという人はそれでよし!


今世で

その関係から

学ぶことが無いから

無いんだろうと思う。


そういう意味で言うと

わたしは 

どうやら

ありまくりっぽいな笑


何が起きても

わたしの内側のことだから

わたしがわたしと対話して

解決していくしかない、という

最終到達点はあるのだけど


何か出来事が起きたときに

わたし自身の中で対話が進み

學ぶこともできて

最終到達点に着いたと思っても


それは最終ではなく

あくまで通過点、、と

感じるのは

生きているからこそ、

なのでしょーね。


義母は

わたしをどうやら

義母の大切なものを

持っていく人、と

思っているようでして

まぁ

嫁=最愛の息子を

盗っていった人なんで

潜在意識のどこかには

そういう思いあるのかなあ。


それが最初に分かったのが

一年前くらいだったけど

そのときも 

ものすごーくショックで

正直夫の実家に

二度と行きたくないと思った。


でも

義母がそうなるのは

認知能力の衰えが

もちろんあるわけだから

それは考慮しないとだし

どう思われても

わたしが何もやましいことを

していない以上


わたしはわたしで

いるしかない、と

今までとは

距離を取りつつも

おつきあいしてきた。


昨年から今年にかけて

父の介護の手伝いや

葬儀のことなどで

行けないときもあったけど


いるときは出来うる限り

隔週くらいで

夫の実家に行き

お料理

掃除と

やれることはやった。


義母はいつも

ごはん作っても

美味しいとは言わないし

掃除をするわたしを見ても

一言もありがとうも言わない。


でも逆に

文句を言われることもないし

なにより

わたしが

心地よく過ごしたいから

やったことなので

氣にはならなかった。


見返りのない愛を

學ぶ必要があると思ってたし


それ以後

盗人扱いされることも

なかったし。


けれど


8月お盆あたりの

台風騒ぎで

不安定になった義母


夫のところに電話をしてきて

「久美子さん(わたしのことね)が

この前家の中で

わたしの実印を

ぶらぶらさせて歩いてるのを見た」

と言ってるのが

横から聞こえてきて


とてもショックで

電話が切れた後

怒りと悲しみで

さすがに夫の前でキレた。


しばらく

実家には行ってないし

そんなこと

したこともないから。


やっぱり

どんなにこっちが

氣をつけたとしても

そう思われているのは

変わることが無いんだと

真っ先に思ったし


今度もし同じことを

お義母さんが言うようなら

「わたしはやっていません。

お義母さんがそう言われるなら

わたしは

もうおうちに行きません」と

言うから!と

夫に言い


そしたらその後

また義母から

電話がかかってきて

同じようなことを言うので


今度は夫がキレた。。。


夫はわたしのことを

分かってくれているので

はっきりお義母さんに

言ってくれたことで

わたしは

良いんだけれど

キレすぎ。。。


お義母さんは

夫とのやりとりの中で


あんたたちが

お金が必要だと思って、

というようなことを

口にしていて


義母の大事なモノは

それも義母の希望があったから

夫が預かってるんだけど


どうやら義母の中では


わたしたちが

お金に困っているから

自分の大事なモノを

持って行かれた、と

なっているらしく


それで

さらに激おこ。


義母も

かなり焦ってはいたけど

その後の連絡は無し。


その日の翌日

ケアマネさんが

義母を訪問していたので

聞くところによると


長男のところも

いろいろ大変なのよ、と

ケアマネさんに

話していたそうで


いやいや

やっぱりそう思ってるやん!笑


と思い

なおさらガックリきた。


さらに夫は

そのあと

体調まで崩してしまい


それが

わたしが父の初盆で

実家に帰っていたときと重なり


なかなかに

大変だったのでした。


とにかく義母は

自分に非があることは

全く認めず

全て他の人やら物やらの

せいにする。


それが

認知症の症状、と

一言で言ってしまえばそうだし


中医学的には

腎の弱り、

という症状らしい。


でも

そうですか

わかりました

それなら仕方ないですね!


とはならないのが人間。。。


かなりしんどい。


昨日

そんな中でも

わたしたちの番だったので

夫のきょうだい夫婦と

交代で義母の様子を

見に行っている


夫の実家に

行ってきたんだけど


今度は明らかに

カベを作られている感じ。


夫曰く

この前キレたのが

効いているんじゃないかなと

言っていたけど


わたしの中でも

腹立ちは

完全におさまってないし

カベを作ってくる態度が

なんかイラつく。


実際に

お金がどうのこうのの話には

ならなかったけど

トゲトゲしい言葉が

出てしまい

自分でも

止められませんでした。。。


それと

昨日氣づいたけど

義母は

ありがとうと言うのが

相応しい場面で

ごめんなさいと

言うことが多いと分かり

(しかも心とは裏腹な場合でも)

それがなんかイラつく。


まぁ

イラつくということは

わたしの内側が

何か反応している証拠だし


それが何かがわかれば 

一区切りつきそうな氣はする。


今はまだ答えが出ませんが


わたしの中の「正義」

「こうあるべき」


そんなもんが

浮上してきてる氣はするなぁ。


もう少し深めてから

出したいと思います。


書いた後で


義母から電話が。


来週の予定について

混乱しているようで

すぐに夫に代わったのだけど


後から

わたしに電話が来て


頭がおかしくなって、、

ごめんねぇ、と

謝られました。


わたしが

謝ってほしい内容とは

違うけれど笑、、


義母はわたしに

謝りたかったのかなぁ、

とも思えて、、、


大きな氣持ちで

見ていくしか無いな、と

思っているところです。



普段言えずに

我慢していることって

あります?


わたしは

沸点が低いので

(短氣とも言う)

言わないでおこうと思っても

態度にダダ漏れるし


割と溜め込まずに

思ったことは

言ってしまう方なんだけど


言い方、、、!

ってときが

ままあると思ってます。


こと

実家の家族には

容赦ないって

自覚しているので


伝え方について

中庸を目指してます。


お盆にお墓参りに行ったとき

母への対応を見ていて

弟に

ムカついたことがあって


でも

伝え方を練り直さないとなと

すぐに思ったので


一度持ち帰り


なぜ弟の言動に

腹が立つのか


わたし自身の

感情と向き合っているうちに

腹立ちはおさまり


じゃあ

なんて伝えたらいいのか?

今度は言語化していく。


わたしの場合

こうやって

ブログに書くことも

十分俯瞰作業にはなるし

実際に

書きかけていたんだけど

なんか違うと思って

投稿はしなかった。


母や夫とも話して

見えてきたのは


わたしの思いを

図式にして見せる、

という方法。


プレゼンの資料みたいに

簡潔な言葉でまとめ

見てわかるようにして

伝えたらどうだろう、

と思いついた。


特別支援学校の教員として

働いてきた経験や

義父母など

認知的に少し衰えがある方と

関わってきた経験から


口で伝える言葉は

いかにも

ダイレクトに届きそうだけど

すり抜けていってしまい

伝わりにくいこともあると

実感していたので。


思いを伝えるにあたっては


相手は変わらないのは

わかっているから


変わってよ!という

独りよがりな方向性は

最初から選択しない。


けど

こちらの思いが

抵抗なく

心に届くように伝えたい。


方向性が固まったところで

大体

この日に伝えようと

思っていたんだけど


書く時間を取ることができず

その日の朝に書くという

インスタントなものに

なりまして


結局は、、

まとめたものを

見せるのもやめて

口で伝えました。笑


内容は伏せるけど


母に対して

わたしはこう思って

行動している。

一方で

あなたたちにも思いがあり

氣遣いしてくれているのは

わかっている。


でも

思いにだいぶ違いがあり

すれ違いが起きており

結果

母にあなた方の思いが

伝わっていないように思う、

というようなこと。


事前に書いておいたことで

自分の中では

まとまっていて

中庸に伝えられたと思うし


いつもの伝え方よりずっと

弟は耳を傾けていたようなので

まぁよかったかなと。


ここまで時間をかけずとも

その場で

中庸に伝えられたら

一番良いのだけど


まだまだ修行は足りない笑


けれど

こうやって実生活に

活かすことこそが


わたしが今まで経験してきた

心の学びの

総決算だと思っていて


おそらくは

これからも

心を込めてやっていくこと

なのだなと


実感した出来事でしたよ🎵




父の納骨のため

実家の札幌に滞在していて

今日大阪に帰るのだけど

実家の札幌で

初めての光景に遭遇。


母と

近所のスーパーに行ったとき

長蛇の列が出来ていて


てっきり

レジの列かと思い

先に並んどくかとみてみると


並んでるのは

レジではなくて


米行列!!!!!


開店直後だったので

たぶん

お米の入荷を待つ

行列だと思うんだけど


わたし

リアルにみたのは

初めてでした。


スーパーの棚に

お米が無いのは

大阪も同じで

もしかしたら 

大阪でも開店直後に

並んだりしてるのかも

しれないけど。


昨日 

母の買い物に付き合い

同じスーパーに

開店から20分後くらいに

行ったので

お米の棚を見たら

この日は

結構お米があったけど

(5キロでしたけど)


お隣のスーパーは

すっからかん。


みんながみんな

買い占めてるとは

思わないけども

必要なぶんだけ買おうよね。


とは思う。


そりゃ消費者は自由。

それぞれに

事情もあるだろうけれど、、、

ホントに必要な人が

買えるように

なってるのかいな、と思います。


うちも実家の母も

個人店だったり 

直接農家の方から

買ったりしてるから

さいわい

今のところ買えない、

ということはないけど。


この先はわからないけども

でも

見える景色は

わたしが何を基点に置くかで

異なるから

思考はなるべく

中庸にしときたい。


足りない、と思っていれば

足りない現実がやってくるし

米が無い!

並んででも買わないと!

でも無い!


無いものは仕方ないし

あるもので

満たされようと思うと

まず「足りない」現実に

遭遇することもないのだと思う。


この先は見えなくても

未来不安に怯えず

常に今に居る。


それが

この時代を生きるのに

必要なのかなぁ、、と

思う今日この頃。


父の納骨を

昨日済ませました。


弟の運転する車で行ったので


お骨を持つのはわたし。


道中


このへんを父が散歩中に

蜂に刺されたとか


かなり長い距離を

歩いてたとか


父の思い出についても

家族で共有することが

出来ました。


父も

最期に

慣れ親しんだ道を

ドライブできて

喜んでいたのではないかなぁ


お骨をお墓に

おさめるとき


ここの霊園では

お骨をお墓の中に

直接撒くか

お骨をさらしの袋の中に

入れた状態でおさめるか


どちらかなのですが


母の要望で

さらしにいれることに。


どうやっておさめるかも

初体験だったので

当日まで

わからなかったのですが


納骨の時間

弟には

お坊さんを

迎えに行ってもらっていて

時間の都合で致し方なかった


しかも

しゃがんで

お墓の奥の方に入れるのは

母も難しいとのことだったので

わたしがすることに。


父のお骨の重みを

手のひらに感じながら

おさめたわけですが


なんとなくだけど


最初から

わたしが

することになっていたのかなぁと

思いました。


ここ一年

1ヶ月に一度は帰省して

父の世話をする母の手伝いを

していたので


最後まで

手ずから

父を見送ることが出来て

ありがたいなぁと。


ご先祖様の代表として?

無事

おつとめを終了致しました。


相続の手続きも完了したし


こころおきなく

次に進んでいこーっと


かんぱーい