先々週、姉より連絡がありました。
「最初、貧血やと思ってたけど、
どうやらおぺ~と、同じ症状みたい。
ちょいと、話を聞かせて」と。
で、話を聞いてみると、
まがう事なき“パニック障害”でした。
でも、姉もやはり、精神的要因が強い病気だと思っていたため
「わたしは全然身に覚えないし、
病院行くほどじゃないと思うねんけど」
との事でした。
さらに「パニック障害治療マニュアルみたいなサイト見たけど、
病院行っても、治る訳じゃないんでしょ?」と。
なので、わたしは
「心因だけじゃく、花粉症みたいなもん。
なる人はなるねん」と、
「いかに病院へ行って薬を飲むと楽になるか」
を延々と説明しました。
で、ようやく決心を固めたらしく、
明日、わたしと同じ病院へ受診に行きます。
確かに、わたしもこれだけ病院に通っていても、
まだ、完治はしていません。
でも、でも、でも、
病院へ行って薬を飲むことで、
100倍、楽になれます。
わたしにとっては、かなり身近なパニック障害ですが、
まだまだ、辛さを我慢している人、
病院に行く勇気がない人がたくさんいることを、
姉の連絡により、痛感しました。
10年以上、わたしと一緒に居る旦那様でも、
未だにパニックについて、理解してくれていません。
姉の話をしても
「毎日乗ってるねんから、そのうち慣れるんちゃう?」
(姉も3月に引っ越ししたところなので)
との発言です。
声を大にして言いたい!
『慣れるとか、あり得ませんから。
むしろ、日が経つにつれ、どんどん乗れなくなりますから』
苦しさを感じたことがない人は、気軽に
「気のせいちゃう?」といいます。
でも、気のせいではなく、
息苦しくなります。
息が通っていても、息苦しくなることはあるんです。
でも、病院に行けば、必ず楽になります!
と言うことを伝えたくて、今回ブログに書くことにしました。
そんなに大勢の人が読んでくれている訳ではないけど、
経験者の生の声を伝えることで、
少しでも楽になれる人が増えればいいな、と。
もし、自分が息苦しくなった場合、
もし、周りで「地下はちょっと苦手やねん」
などと言う人が居た場合、
このブログを思い出してもらえれば幸いです。
わたしが行っていた、病院に行く前の対策。
●フリスク常備
●飲み物常備
です。
フリスクでスースーすると、息苦しくても
「息が通っている」と言う実感が得られるので、
少しは楽になります。
飲み物も同じ。
ゴクリ、ゴクリと飲むことで、少し安心します。
病院を躊躇っていた理由は、もう1つありました。
それは、ストレスの理由がハッキリしている事。
(当時はわたしはパニック障害を、
ストレスから来る病気だと思っていたので)
話をした所で、解決策がないのを
自分でもわかっておりました。
だって、仕事辞めるしか方法ないもん。
ところが、先生の診察は違いました。
悩みを聞き出すのではなく、
発作が起きた状況や回数など、
症状のみを診察してくださいました。
そして「私は元々薬学が専門です。
心療系の疾患は、きちんとした薬を飲めば
絶対に楽になれます。
必ず、元の生活に戻れますからね」
と、力強いお言葉を頂きました。
それから、投薬治療が始まりました。
わたしは幸い、大きな副作用もなく、
徐々に回復していきました。
映画館に行けるようになり、
地下鉄に乗れるようになり、
飛行機まで乗れちゃいました。
ほとんど発作もなくなり、
「もう、薬飲まなくても大丈夫ちゃうの?」
と思いながらも、先生からお墨付きが頂けないまま、
月1回、病院に通っております。
ところが、先月の引越から、
またもや頻繁に発作が起きるようになってしまいました。
最初の場所は、やはり地下鉄でした⋯。
久しぶりに脂汗が出ました。
1駅が、何時間にも感じました。
もちろん、頭では「大丈夫」と言い聞かせてはおりますが、
本当に息苦しかった。
それから、家でもなりました。
先生は「せっかく薬を減らしているから、
もう少し、様子を見ましょう。
でも、頻発するようだったら、予約以外でも受診してください」
と言ってくださいました。
パニック障害はハッキリした原因は解明されていませんが、
ストレスと言うよりは、
脳内伝達物質の異常が原因とわたしは解釈しています。
“恐怖”を回避するための物質が
女性は男性より、元々少ないらしいです。
パニック障害になる人は、それが更におかしいらしいのです。
なので、薬で飛躍的な改善が、望めるらしいです。
先日、家で発作が起きた時は、
脳内で伝達物質に『頑張れ! もうちょい頑張れ』と
声援を送りました。
仕事のゴタゴタや引越など、色々重なっているからとは思いますが、
とりあえずしばらくは、地下・酒は控えたいと思います。
で、わたしがなぜ今更、こんな話を書いているかと言うと⋯
(う~ん、さらに続きます)
それは、ストレスの理由がハッキリしている事。
(当時はわたしはパニック障害を、
ストレスから来る病気だと思っていたので)
話をした所で、解決策がないのを
自分でもわかっておりました。
だって、仕事辞めるしか方法ないもん。
ところが、先生の診察は違いました。
悩みを聞き出すのではなく、
発作が起きた状況や回数など、
症状のみを診察してくださいました。
そして「私は元々薬学が専門です。
心療系の疾患は、きちんとした薬を飲めば
絶対に楽になれます。
必ず、元の生活に戻れますからね」
と、力強いお言葉を頂きました。
それから、投薬治療が始まりました。
わたしは幸い、大きな副作用もなく、
徐々に回復していきました。
映画館に行けるようになり、
地下鉄に乗れるようになり、
飛行機まで乗れちゃいました。
ほとんど発作もなくなり、
「もう、薬飲まなくても大丈夫ちゃうの?」
と思いながらも、先生からお墨付きが頂けないまま、
月1回、病院に通っております。
ところが、先月の引越から、
またもや頻繁に発作が起きるようになってしまいました。
最初の場所は、やはり地下鉄でした⋯。
久しぶりに脂汗が出ました。
1駅が、何時間にも感じました。
もちろん、頭では「大丈夫」と言い聞かせてはおりますが、
本当に息苦しかった。
それから、家でもなりました。
先生は「せっかく薬を減らしているから、
もう少し、様子を見ましょう。
でも、頻発するようだったら、予約以外でも受診してください」
と言ってくださいました。
パニック障害はハッキリした原因は解明されていませんが、
ストレスと言うよりは、
脳内伝達物質の異常が原因とわたしは解釈しています。
“恐怖”を回避するための物質が
女性は男性より、元々少ないらしいです。
パニック障害になる人は、それが更におかしいらしいのです。
なので、薬で飛躍的な改善が、望めるらしいです。
先日、家で発作が起きた時は、
脳内で伝達物質に『頑張れ! もうちょい頑張れ』と
声援を送りました。
仕事のゴタゴタや引越など、色々重なっているからとは思いますが、
とりあえずしばらくは、地下・酒は控えたいと思います。
で、わたしがなぜ今更、こんな話を書いているかと言うと⋯
(う~ん、さらに続きます)
あーーーーーーーっ、ウザイ!
最近また、頻繁に発作がおきます。
月曜もありました。
月曜は家だったので、何とか堪えましたけど。
わたしは5~6年前から、パニック障害の治療を受けています。
最初に発作が起きたのは、それからさらに2年前ほどです。
最初の発作は、前の前の家に住んでいた頃ですが、
今でもハッキリ覚えています。
お酒を飲んで、カラオケで盛り上がっていた所、
急に意識が遠のき、息苦しさを感じました。
外に出て、電話をして、何とか一緒に居る子に
「体調が悪いので帰ろう」と告げ、
そのまま寝ました。
酔っぱらっているからや、とは思いながらも、
寝る時に「わたしはこのまま死ぬんだな」
と言う思いにも駆られました。
でも、次の日起きてみるとケロッとしていたので、
特に気にする事もありませんでした。
ところがソイツは、わたしの日常生活に
度々現れるようになりました。
特にわたしの場合
“地下”が鬼門でした。
窓のない空間。
そこにいるだけで、言いようのない不安に襲われ、
息苦しくなりました。
「とにかく外に出たい」
その一心です。
さらに、映画館、特急電車、カラオケ、コンサート会場、飲み会
など、わたしが行けなくなる場所やできない事は
徐々に増えていきました。
ただ、通常バイクで移動し、
最寄り電車も地上だったので、
極力お酒を飲まないようにすれば
日常生活は送れていました。
と言うのも、1回目の発作が起きてすぐ、
わたしは病院に行きました。
それは、もちろん内科でした。
「息苦しいんです」と言うも
医者はレントゲンを見ながら
あきれ顔で「空気は通っているけどね」と答えました。
そこは総合病院で、心療内科もありました。
なので、心因性の病気なら、そちらを紹介されるだろう、
との思いもあり
「単なるわたしの気のせいなんだ」と思いこむようにしました。
でも、やっぱり発作が起こりそうな場所には近づけませんでした。
仕事でどうしても地下鉄に乗らなければならない場合、
実費でタクシー使ってました。
自分を騙しながら、常に恐怖を感じながら、
日常生活を送っておりました。
でも、やっぱり限界が来ました。
ちょうどその頃、「パニック障害」と言う病気を、
本やらネットやらで目にするようになりました。
まさか自分が「心療内科」系の病気になるとは
夢にも思っていなかったのですが、
色々当てはまる事項があり、
周りの進めもあって、病院へ行きました。
でも、そこでもまたわたしはミスを犯しました。
受診したのは総合病院の「神経内科」でした。
HPでは「パニック障害」の治療も行っている、
との事だったのですが、
そこの医者も最悪でした。
詳しくは覚えていないのですが、
「薬も出せない、治療法もない」と言われ、
わたしが「じゃぁ、どうすれば良いですか?」
と問うと
「我慢すれば」と言われました。
それまで散々我慢していたんです。
そんな風に思うのは、わたしの気のせいだ、と。
息は通っている、息は通っている、息は通っている⋯。
そんな事は百も承知です。
でも、息苦しくなるんです。
で、結局わたしが号泣したので、
医者は渋々薬を出してくれました。
何の説明もなく、わたしが泣いたから出された薬。
そんな薬を飲める訳がありません。
それからも自分に言い聞かせる日々が続きました。
友達にも「多分気のせいやから、大丈夫」と強がりました。
「わたしが怖がり過ぎなだけやから」と。
その時、幼なじみのTちゃんが、
「もう1回病院に行き」と強く進めてくれました。
一度嫌な目に遭っているわたしは、もちろん拒みました。
「わたしなんて症状ひどくないし、
行っても門前払い食らうだけやし」と。
でも、Tちゃんは食い下がりました。
「そんなん、その病院が悪かっただけかもやん」
「現に普通に生活できてないやん」
「もう1回行って、それでも“大丈夫”って言われたら、
また安心できるやん」と。
そこでわたしも決心しました。
確かに、普通の生活ではありませんでした。
ネットで調べ、家からは遠いけど、
良さそうなところを発見しました。
それでも不安だったので、
病院にメールを出しました。
自分の症状、病院に行った事など詳細に書きました。
すると、返事がすぐ来ました。
返事は大変温かく、「1度でも辛い思いをしたならば、
ぜひ受診に来てください」と結んでありました。
それが今通っている病院です。
(う~ん、長くなったので続きます)
最近また、頻繁に発作がおきます。
月曜もありました。
月曜は家だったので、何とか堪えましたけど。
わたしは5~6年前から、パニック障害の治療を受けています。
最初に発作が起きたのは、それからさらに2年前ほどです。
最初の発作は、前の前の家に住んでいた頃ですが、
今でもハッキリ覚えています。
お酒を飲んで、カラオケで盛り上がっていた所、
急に意識が遠のき、息苦しさを感じました。
外に出て、電話をして、何とか一緒に居る子に
「体調が悪いので帰ろう」と告げ、
そのまま寝ました。
酔っぱらっているからや、とは思いながらも、
寝る時に「わたしはこのまま死ぬんだな」
と言う思いにも駆られました。
でも、次の日起きてみるとケロッとしていたので、
特に気にする事もありませんでした。
ところがソイツは、わたしの日常生活に
度々現れるようになりました。
特にわたしの場合
“地下”が鬼門でした。
窓のない空間。
そこにいるだけで、言いようのない不安に襲われ、
息苦しくなりました。
「とにかく外に出たい」
その一心です。
さらに、映画館、特急電車、カラオケ、コンサート会場、飲み会
など、わたしが行けなくなる場所やできない事は
徐々に増えていきました。
ただ、通常バイクで移動し、
最寄り電車も地上だったので、
極力お酒を飲まないようにすれば
日常生活は送れていました。
と言うのも、1回目の発作が起きてすぐ、
わたしは病院に行きました。
それは、もちろん内科でした。
「息苦しいんです」と言うも
医者はレントゲンを見ながら
あきれ顔で「空気は通っているけどね」と答えました。
そこは総合病院で、心療内科もありました。
なので、心因性の病気なら、そちらを紹介されるだろう、
との思いもあり
「単なるわたしの気のせいなんだ」と思いこむようにしました。
でも、やっぱり発作が起こりそうな場所には近づけませんでした。
仕事でどうしても地下鉄に乗らなければならない場合、
実費でタクシー使ってました。
自分を騙しながら、常に恐怖を感じながら、
日常生活を送っておりました。
でも、やっぱり限界が来ました。
ちょうどその頃、「パニック障害」と言う病気を、
本やらネットやらで目にするようになりました。
まさか自分が「心療内科」系の病気になるとは
夢にも思っていなかったのですが、
色々当てはまる事項があり、
周りの進めもあって、病院へ行きました。
でも、そこでもまたわたしはミスを犯しました。
受診したのは総合病院の「神経内科」でした。
HPでは「パニック障害」の治療も行っている、
との事だったのですが、
そこの医者も最悪でした。
詳しくは覚えていないのですが、
「薬も出せない、治療法もない」と言われ、
わたしが「じゃぁ、どうすれば良いですか?」
と問うと
「我慢すれば」と言われました。
それまで散々我慢していたんです。
そんな風に思うのは、わたしの気のせいだ、と。
息は通っている、息は通っている、息は通っている⋯。
そんな事は百も承知です。
でも、息苦しくなるんです。
で、結局わたしが号泣したので、
医者は渋々薬を出してくれました。
何の説明もなく、わたしが泣いたから出された薬。
そんな薬を飲める訳がありません。
それからも自分に言い聞かせる日々が続きました。
友達にも「多分気のせいやから、大丈夫」と強がりました。
「わたしが怖がり過ぎなだけやから」と。
その時、幼なじみのTちゃんが、
「もう1回病院に行き」と強く進めてくれました。
一度嫌な目に遭っているわたしは、もちろん拒みました。
「わたしなんて症状ひどくないし、
行っても門前払い食らうだけやし」と。
でも、Tちゃんは食い下がりました。
「そんなん、その病院が悪かっただけかもやん」
「現に普通に生活できてないやん」
「もう1回行って、それでも“大丈夫”って言われたら、
また安心できるやん」と。
そこでわたしも決心しました。
確かに、普通の生活ではありませんでした。
ネットで調べ、家からは遠いけど、
良さそうなところを発見しました。
それでも不安だったので、
病院にメールを出しました。
自分の症状、病院に行った事など詳細に書きました。
すると、返事がすぐ来ました。
返事は大変温かく、「1度でも辛い思いをしたならば、
ぜひ受診に来てください」と結んでありました。
それが今通っている病院です。
(う~ん、長くなったので続きます)
昨日の“アメトーク”、
おばあちゃん子芸人さんでしたね。
どの方のおばあちゃんも朗らかで、
なぜか爆笑エピソードがてんこ盛りでしたね。
特にJr.のおばあちゃん!
全然せいじを愛していないのが笑えました。
ただ、正直、グッともなりましたが⋯。
と言うのも、昨日のお昼に、
わたしのおばあちゃんが亡くなりました。
御歳、87歳。
4~5年前から癌も見つかっていたし、
重度の認知症だったし、
もう、大往生です。
普通、おばあちゃんを思い出す時、
何か料理をしていたり、繕い物をしていたり、
忙しく動いているイメージなのですが、
うちのおばあちゃんは違います。
詳しくは知らないのですが、おばあちゃんは、
超超超お嬢様だったらしいのです。
恐らく、1人で電車に乗ったことも、
人生で数える程しかないはずです。
なので、わたしが行く=娘(わたし母)も行くので、
家事は母達がやり、
おばあちゃんは孫達と一緒に遊んでいました。
いとこと姉の年齢が近く、
盛り上がっている輪に入れないわたくしは、
いつもおばあちゃんと遊んでいました。
ダイヤモンドゲームをしたり、
坊主めくりをしたり、
しりとりをしたり、
じゃんけんをしたり、
リッツの箱でカバンを作ったり、
ジグソーパズルをしたり⋯。
特に「おばあちゃんと遊ぶの大好き」とか思ってはいませんでした。
でも、おばあちゃんと遊ぶことは、
小学生のわたしにとっては、
友達と遊ぶことのように、当然の事でした。
おばあちゃんは、失敗したりすると、
おでこを自分で“ペシッ”て叩きます。
そのクセは、痴呆が進んでも同じでした。
当たり前の様に、誰が誰だか
わからなくなっていったおばあちゃん。
でも、何回かに1回は偶然「おぺ~ちゃん?」と、
当ててくれた事もあります。
で、おめかしが大好きで、
色々わからなくなっていても、
外出する時はキレイに眉毛を書いて
鏡でチェックしてデイケアに出かけていたらしいです。
さらに、うちの旦那と父の事が大好き。
女性よりも男性が居るとご機嫌でした。
痴呆が始まる前から天然キャラで、
“てへっ”って笑う姿が印象的なおばあちゃん。
家に行くと、食べきれない程のおやつを進めてくれるおばあちゃん。
帰り際に、ティッシュにくるんだお小遣いを、
おじいちゃんに見つからないようにくれたおばあちゃん。
おばあちゃんが赤ちゃんの頃で、
軍服の写真を来た、おばあちゃんのお父さんと
一緒に写っている写真を
恥ずかしそうに見せてくれた時、
わたしが「おばあちゃんのお父さん、格好いいね!」と言うと、
(目パッチリの、海老蔵顔)
「そうやろ~」と、嬉しそうにはにかむおばあちゃん。
とにかく食べるのも飲むのも大好きで、
亡くなる日まで食べていたおばあちゃん。
そして、いつも人一倍、「コレ食べ」「アレ食べ」と
孫娘達に進めてくれていたおばあちゃん。
人は痴呆が進むと、少女に戻ると言います。
でも、おばあちゃんは、
少女のまま母親になり子供を育て、
少女のままおばあちゃんになって孫達と遊び、
そして、少女のまま天国に行っちゃいました。
今まで意識した事はなかったけど、
わたしはおばあちゃんの事が、大好きだったみたいです。
痴呆介護で疲れ切っていたお母さんも、
いっぱい泣いてました。
おじさんも、おばさんも、いとこも、
みんな泣いていました。
でも、おじいちゃんだけは泣いていなかった。
多分、状況がよくわかっていないんだと思います。
ただ、人がいっぱい集まって、嬉しいみたい。
以前のおばあちゃんと一緒です。
わたしがおばあちゃんに最後に会ったのは、
今年のお正月でした。
何もわかっていないおばあちゃんと、
一緒にテレビを見ていました。
それでもわたしは楽しかった。
わたしが子供の頃から“おじいちゃんとおばあちゃん”は
“おじいちゃんとおばあちゃん”として、そこに居ました。
なので、自分が年を取ってもおじいちゃんやおばあちゃんが
年を取っている事に、気付いていなかったのかもしれません。
わたしは多分、おじいちゃんも大好きです。
だから、後悔したくないから、
おじいちゃんにはいっぱい、いっぱい会いに行かなきゃ。
おばあちゃん、いっぱい遊んでくれてありがとう。
天国でも、永遠の少女キャラでいてください。
最後も、しっかりお化粧してもらえて良かったね。
コタ・みるく、おばあちゃんのこと、
よろしくお願いします。
おばあちゃん子芸人さんでしたね。
どの方のおばあちゃんも朗らかで、
なぜか爆笑エピソードがてんこ盛りでしたね。
特にJr.のおばあちゃん!
全然せいじを愛していないのが笑えました。
ただ、正直、グッともなりましたが⋯。
と言うのも、昨日のお昼に、
わたしのおばあちゃんが亡くなりました。
御歳、87歳。
4~5年前から癌も見つかっていたし、
重度の認知症だったし、
もう、大往生です。
普通、おばあちゃんを思い出す時、
何か料理をしていたり、繕い物をしていたり、
忙しく動いているイメージなのですが、
うちのおばあちゃんは違います。
詳しくは知らないのですが、おばあちゃんは、
超超超お嬢様だったらしいのです。
恐らく、1人で電車に乗ったことも、
人生で数える程しかないはずです。
なので、わたしが行く=娘(わたし母)も行くので、
家事は母達がやり、
おばあちゃんは孫達と一緒に遊んでいました。
いとこと姉の年齢が近く、
盛り上がっている輪に入れないわたくしは、
いつもおばあちゃんと遊んでいました。
ダイヤモンドゲームをしたり、
坊主めくりをしたり、
しりとりをしたり、
じゃんけんをしたり、
リッツの箱でカバンを作ったり、
ジグソーパズルをしたり⋯。
特に「おばあちゃんと遊ぶの大好き」とか思ってはいませんでした。
でも、おばあちゃんと遊ぶことは、
小学生のわたしにとっては、
友達と遊ぶことのように、当然の事でした。
おばあちゃんは、失敗したりすると、
おでこを自分で“ペシッ”て叩きます。
そのクセは、痴呆が進んでも同じでした。
当たり前の様に、誰が誰だか
わからなくなっていったおばあちゃん。
でも、何回かに1回は偶然「おぺ~ちゃん?」と、
当ててくれた事もあります。
で、おめかしが大好きで、
色々わからなくなっていても、
外出する時はキレイに眉毛を書いて
鏡でチェックしてデイケアに出かけていたらしいです。
さらに、うちの旦那と父の事が大好き。
女性よりも男性が居るとご機嫌でした。
痴呆が始まる前から天然キャラで、
“てへっ”って笑う姿が印象的なおばあちゃん。
家に行くと、食べきれない程のおやつを進めてくれるおばあちゃん。
帰り際に、ティッシュにくるんだお小遣いを、
おじいちゃんに見つからないようにくれたおばあちゃん。
おばあちゃんが赤ちゃんの頃で、
軍服の写真を来た、おばあちゃんのお父さんと
一緒に写っている写真を
恥ずかしそうに見せてくれた時、
わたしが「おばあちゃんのお父さん、格好いいね!」と言うと、
(目パッチリの、海老蔵顔)
「そうやろ~」と、嬉しそうにはにかむおばあちゃん。
とにかく食べるのも飲むのも大好きで、
亡くなる日まで食べていたおばあちゃん。
そして、いつも人一倍、「コレ食べ」「アレ食べ」と
孫娘達に進めてくれていたおばあちゃん。
人は痴呆が進むと、少女に戻ると言います。
でも、おばあちゃんは、
少女のまま母親になり子供を育て、
少女のままおばあちゃんになって孫達と遊び、
そして、少女のまま天国に行っちゃいました。
今まで意識した事はなかったけど、
わたしはおばあちゃんの事が、大好きだったみたいです。
痴呆介護で疲れ切っていたお母さんも、
いっぱい泣いてました。
おじさんも、おばさんも、いとこも、
みんな泣いていました。
でも、おじいちゃんだけは泣いていなかった。
多分、状況がよくわかっていないんだと思います。
ただ、人がいっぱい集まって、嬉しいみたい。
以前のおばあちゃんと一緒です。
わたしがおばあちゃんに最後に会ったのは、
今年のお正月でした。
何もわかっていないおばあちゃんと、
一緒にテレビを見ていました。
それでもわたしは楽しかった。
わたしが子供の頃から“おじいちゃんとおばあちゃん”は
“おじいちゃんとおばあちゃん”として、そこに居ました。
なので、自分が年を取ってもおじいちゃんやおばあちゃんが
年を取っている事に、気付いていなかったのかもしれません。
わたしは多分、おじいちゃんも大好きです。
だから、後悔したくないから、
おじいちゃんにはいっぱい、いっぱい会いに行かなきゃ。
おばあちゃん、いっぱい遊んでくれてありがとう。
天国でも、永遠の少女キャラでいてください。
最後も、しっかりお化粧してもらえて良かったね。
コタ・みるく、おばあちゃんのこと、
よろしくお願いします。
最近のわたしの帰ってからの日課。
今更ですが“DS”です。
デジタルママンがいち早く脳トレをゲット。
もちろん、流行りモノ好きのわたしとしては
「いいなぁ、いいなぁ、わたしもやりたい」
と、連呼していた訳で。
「自分で買う」ほどではないのですが、
借りられるなら、買ってもらえるならやりたいな
程度に思っていたところ、
デジタルママンが買ってくれてました♪
しかも、「ママは今別のゲームしてるから、
ママの脳トレ貸してあげるよ」と。
さらに、「何か欲しいゲームあったら、買ってあげるよ」と、
およそ、ミソイチとは思えない甘やかされぶりで、
DS本体とゲーム2個をゲットしました。
でね、でね、コレが面白いのよ。
やっぱり。
脳トレは、序盤はできるゲームが少ないから、
そんなに長時間はやらないのだけど、
もう1つ買ってもらたゲームが、止められない止まらない。
“のだめカンタービレ”の音ゲーなのですが、
プチロールプレイングになっているから、
お馴染みのキャラと会話ができるの。
しかも、名前も呼んでもらえて。
千秋様に「いいから、やれよ」とか言われると、
S気味のわたしも、かなりクラッときてしまいます。
で、音楽もクラシックなので、
何回プレイしても、意外と飽きない。
さらに、楽曲紹介も歴史的な部分と、
漫画内での役割と、両方説明があったり、
楽器解説があったりと、
豆知識も豊富になります。
もちろん、音ゲーとしても
簡単すぎず、難しすぎずの絶妙なさじ加減で、
気付けば2時間くらいぶっ通しでやってしまいます。
(タッチペンで操作するので、若干手首が痛くなるほど)
旦那様もはまったゲームは、
ずーーーーーーっとやり続けるタイプなので、
わたしが延々プレイしていても、
特にお小言なんかは言われません。
「あー、大人で良かった!!!」と思える瞬間です。
でもね、1つだけ気にかかる事が⋯。
かなーーーり昔なのですが、
DSを作ってらっしゃるメーカー
(しかも、開発関係)の人と、
いわゆるコンパをした事があるんですよ。
その時はちょうどPSPがバカ売れ状態の時だったのですが、
元々ゲームに興味がなかったわたしは、
「ゲームってよくわからないんですよね」と
言っていたのですが、
その方が「今度作るDSは、そう言った
今までゲームにはまらなかったような人たちが、
楽しめるゲームになる」
と、おっしゃってました。
まさか、その時は本当にそんなゲームができるとは
思っていなかったのですが。
ただね、その人がねぇ(来ていたのはお一人でしたが)
もの凄く、カンに障るタイプの人だったのですよ。
だって、何十回コンパをしていた中で、
開口一番「最終学歴は?」って聞かれたのは、
その人だけですし。
終始、上から目線でモノをおっしゃるので、
わたしはことごとく、たてついていました。
(笑顔で)
なので、その人の術中にはまってしまったかと思うと、
どうにも負けた気がして悔しい!!!
でも、面白いけど。
寝る時間削って、ゲームしてます。
今更ですが“DS”です。
デジタルママンがいち早く脳トレをゲット。
もちろん、流行りモノ好きのわたしとしては
「いいなぁ、いいなぁ、わたしもやりたい」
と、連呼していた訳で。
「自分で買う」ほどではないのですが、
借りられるなら、買ってもらえるならやりたいな
程度に思っていたところ、
デジタルママンが買ってくれてました♪
しかも、「ママは今別のゲームしてるから、
ママの脳トレ貸してあげるよ」と。
さらに、「何か欲しいゲームあったら、買ってあげるよ」と、
およそ、ミソイチとは思えない甘やかされぶりで、
DS本体とゲーム2個をゲットしました。
でね、でね、コレが面白いのよ。
やっぱり。
脳トレは、序盤はできるゲームが少ないから、
そんなに長時間はやらないのだけど、
もう1つ買ってもらたゲームが、止められない止まらない。
“のだめカンタービレ”の音ゲーなのですが、
プチロールプレイングになっているから、
お馴染みのキャラと会話ができるの。
しかも、名前も呼んでもらえて。
千秋様に「いいから、やれよ」とか言われると、
S気味のわたしも、かなりクラッときてしまいます。
で、音楽もクラシックなので、
何回プレイしても、意外と飽きない。
さらに、楽曲紹介も歴史的な部分と、
漫画内での役割と、両方説明があったり、
楽器解説があったりと、
豆知識も豊富になります。
もちろん、音ゲーとしても
簡単すぎず、難しすぎずの絶妙なさじ加減で、
気付けば2時間くらいぶっ通しでやってしまいます。
(タッチペンで操作するので、若干手首が痛くなるほど)
旦那様もはまったゲームは、
ずーーーーーーっとやり続けるタイプなので、
わたしが延々プレイしていても、
特にお小言なんかは言われません。
「あー、大人で良かった!!!」と思える瞬間です。
でもね、1つだけ気にかかる事が⋯。
かなーーーり昔なのですが、
DSを作ってらっしゃるメーカー
(しかも、開発関係)の人と、
いわゆるコンパをした事があるんですよ。
その時はちょうどPSPがバカ売れ状態の時だったのですが、
元々ゲームに興味がなかったわたしは、
「ゲームってよくわからないんですよね」と
言っていたのですが、
その方が「今度作るDSは、そう言った
今までゲームにはまらなかったような人たちが、
楽しめるゲームになる」
と、おっしゃってました。
まさか、その時は本当にそんなゲームができるとは
思っていなかったのですが。
ただね、その人がねぇ(来ていたのはお一人でしたが)
もの凄く、カンに障るタイプの人だったのですよ。
だって、何十回コンパをしていた中で、
開口一番「最終学歴は?」って聞かれたのは、
その人だけですし。
終始、上から目線でモノをおっしゃるので、
わたしはことごとく、たてついていました。
(笑顔で)
なので、その人の術中にはまってしまったかと思うと、
どうにも負けた気がして悔しい!!!
でも、面白いけど。
寝る時間削って、ゲームしてます。
“プリクラ”って言葉を発するのも恥ずかしい
ミソイチですが、
恥ずかしさついでに告白すると⋯
昨日、プリクラ撮っちゃいました♪
もうね、以前撮ったのがいつだったか、
年単位で覚えていないほど、
久しぶりのプリクラ。
別に男子高校生とつきあい始めた、
とか、そんな訳ではないのですが、
現在・熊本に嫁いだ天然e様が
御帰阪中なのですよ。
しかも、ご懐妊!!!
と言うわけで、記念にプリクラ撮っちゃいました。
ドギマギしながら入る、ミソイチ4人衆。
色々な事がわかりません。
スゴイね、最近のは、本当にスゴイね。
美白ライトは当たり前!
何より驚いたのが、10パターン、
すべて違うショットが撮れるところですよ。
わたしたちの時代は、多くて3パターンとか、
もしくは、連写24コマ、とかだったのよ。
で、撮った後には落書きタイム。
わたしは、こういうセンスはゼロ、
いや、むしろマイナスなので、
落書きは見ているだけでした。
でもね、その分撮影は頑張ったよ!
途中から
「次はe様にみんなでチュー」とか、
「艶女風」とか「ギャル風」とか、
撮影指示出してみたよ。
で、思いの外楽しかったので、
e様の体調を気遣いつつも
「もう1回撮る?」と、調子乗った事を⋯。
最初に撮った機械が埋まっていたので、
「別ので撮る?」ともなったのですが、
「さっき、あんなにあたふたして、ようやく慣れたのに、
違う機械にしたら、またわからんこといっぱいやで」
と、身の丈にあった事を考え(そもそも、プリクラが×ですが)
再度、同じ機械でチャレンジ。
でも、2回目ともなると、さすがにいいポーズがなく、
指示しきれなかった自分がくやしい!
なにはともあれ、嬉し恥ずかしプリクラタイムを
しっかり満喫しました。
今日は、撮ったプリクラを眺めては、
一人ニヤニヤ。
どこに貼ろうか考え中。
にしても、e様、いい顔してたな♪。
まだ、そんなにお腹は目立たないけれど、
しっかりお母さんの顔になってたな。
今年、わたしの周りがもの凄い出産ラッシュなもので、
正直、マタニティ姿のe様を見たら、
焦るのかな? と思っておりました。
でも、そんなこと全然ないね。
e様の顔を見ていると、本当に喜びを実感できました。
もちろん、お腹もナデナデさせてもらって。
お腹ってすんごい、温かいのよね。
その中に“命”が宿っていると思うから、なおさら。
ただただ純粋に、嬉しかったです。
どうか無事、元気な赤ちゃんにお目にかかれますように。
あー、楽しみだ!!!
ミソイチですが、
恥ずかしさついでに告白すると⋯
昨日、プリクラ撮っちゃいました♪
もうね、以前撮ったのがいつだったか、
年単位で覚えていないほど、
久しぶりのプリクラ。
別に男子高校生とつきあい始めた、
とか、そんな訳ではないのですが、
現在・熊本に嫁いだ天然e様が
御帰阪中なのですよ。
しかも、ご懐妊!!!
と言うわけで、記念にプリクラ撮っちゃいました。
ドギマギしながら入る、ミソイチ4人衆。
色々な事がわかりません。
スゴイね、最近のは、本当にスゴイね。
美白ライトは当たり前!
何より驚いたのが、10パターン、
すべて違うショットが撮れるところですよ。
わたしたちの時代は、多くて3パターンとか、
もしくは、連写24コマ、とかだったのよ。
で、撮った後には落書きタイム。
わたしは、こういうセンスはゼロ、
いや、むしろマイナスなので、
落書きは見ているだけでした。
でもね、その分撮影は頑張ったよ!
途中から
「次はe様にみんなでチュー」とか、
「艶女風」とか「ギャル風」とか、
撮影指示出してみたよ。
で、思いの外楽しかったので、
e様の体調を気遣いつつも
「もう1回撮る?」と、調子乗った事を⋯。
最初に撮った機械が埋まっていたので、
「別ので撮る?」ともなったのですが、
「さっき、あんなにあたふたして、ようやく慣れたのに、
違う機械にしたら、またわからんこといっぱいやで」
と、身の丈にあった事を考え(そもそも、プリクラが×ですが)
再度、同じ機械でチャレンジ。
でも、2回目ともなると、さすがにいいポーズがなく、
指示しきれなかった自分がくやしい!
なにはともあれ、嬉し恥ずかしプリクラタイムを
しっかり満喫しました。
今日は、撮ったプリクラを眺めては、
一人ニヤニヤ。
どこに貼ろうか考え中。
にしても、e様、いい顔してたな♪。
まだ、そんなにお腹は目立たないけれど、
しっかりお母さんの顔になってたな。
今年、わたしの周りがもの凄い出産ラッシュなもので、
正直、マタニティ姿のe様を見たら、
焦るのかな? と思っておりました。
でも、そんなこと全然ないね。
e様の顔を見ていると、本当に喜びを実感できました。
もちろん、お腹もナデナデさせてもらって。
お腹ってすんごい、温かいのよね。
その中に“命”が宿っていると思うから、なおさら。
ただただ純粋に、嬉しかったです。
どうか無事、元気な赤ちゃんにお目にかかれますように。
あー、楽しみだ!!!
昨日、何とか31歳になりました。
なぜ、何とかかと言うと、
思いっきり仕事漬けだったから⋯。
ロケは諦めていたのですが、
帰ってから入稿地獄。
「おめでとう」メールを頂いたものの、
返事すらできない有様。
「なんで、誕生日にこんなに働いてるねん!!!」
と、またもやイライラモード突入でしたが、
皆さまからのメールに、かなり癒されました。
覚えていてくれて、ありがとう。
温かい言葉を、ありがとう。
怒りっぽくて、面倒くさがりで、
性悪なわたくしですが、
末永くよろしくお願い致します。
んで、水曜の段階で、誕生日当日は
恐らく帰れないだろう、と、嫌な予測を立てたわたくし。
しかも、水曜日は1:00頃に家に帰り、
帰った所で「カギがない!」と気付きました。
幸い、旦那様は起きていたので、
家には入れたのですが、
木曜ロケ、集合前に事務所に入れません⋯。
事務所に残る社長に「もう少し、居てください」と頼み込み、
泣く泣く取りに戻りました。
で、疲れ切っているわたしに旦那様が
「明日(木曜ね)は何時頃帰って来るの?」と。
イライラおぺ~は、
「えっ、明日は多分帰れない」と冷たく言い放ちました。
すると、
「そっかぁ⋯。おケーキ予約してるねんけど⋯。
タルトやで♪」と。
もうね、嬉しくて泣きそうですよ。
だって、引っ越しして間もないから、
わたし、ケーキ屋さんなんて、発見してません。
でも、旦那様はこの日に備えて、
下見して、予約してくれていたらしいのです。
それなのに、それなのに、わたしは帰れない⋯。
とりあえず「状況次第で、ケーキだけ食べに帰るかも」
と言っていたのですが、
メールすら返す暇ないわたくしに、
ケーキを食べに帰る時間なんぞ、ありませんでした。
結局、帰ったのは朝4:30頃。
で、朝起きて、急いでローソク点けて消して、
プチバースデイしました。
ケーキを切って皿に盛るのも、
コーヒーを淹れるのも旦那様。
本当にありがたいです。
何だか、幸先悪い“三十一”
と、思っていたのですが、
よくよく考えると、幸先いいですね。
かなり、実感として体力の衰えを感じておりますが、
ボチボチ頑張ります。
なぜ、何とかかと言うと、
思いっきり仕事漬けだったから⋯。
ロケは諦めていたのですが、
帰ってから入稿地獄。
「おめでとう」メールを頂いたものの、
返事すらできない有様。
「なんで、誕生日にこんなに働いてるねん!!!」
と、またもやイライラモード突入でしたが、
皆さまからのメールに、かなり癒されました。
覚えていてくれて、ありがとう。
温かい言葉を、ありがとう。
怒りっぽくて、面倒くさがりで、
性悪なわたくしですが、
末永くよろしくお願い致します。
んで、水曜の段階で、誕生日当日は
恐らく帰れないだろう、と、嫌な予測を立てたわたくし。
しかも、水曜日は1:00頃に家に帰り、
帰った所で「カギがない!」と気付きました。
幸い、旦那様は起きていたので、
家には入れたのですが、
木曜ロケ、集合前に事務所に入れません⋯。
事務所に残る社長に「もう少し、居てください」と頼み込み、
泣く泣く取りに戻りました。
で、疲れ切っているわたしに旦那様が
「明日(木曜ね)は何時頃帰って来るの?」と。
イライラおぺ~は、
「えっ、明日は多分帰れない」と冷たく言い放ちました。
すると、
「そっかぁ⋯。おケーキ予約してるねんけど⋯。
タルトやで♪」と。
もうね、嬉しくて泣きそうですよ。
だって、引っ越しして間もないから、
わたし、ケーキ屋さんなんて、発見してません。
でも、旦那様はこの日に備えて、
下見して、予約してくれていたらしいのです。
それなのに、それなのに、わたしは帰れない⋯。
とりあえず「状況次第で、ケーキだけ食べに帰るかも」
と言っていたのですが、
メールすら返す暇ないわたくしに、
ケーキを食べに帰る時間なんぞ、ありませんでした。
結局、帰ったのは朝4:30頃。
で、朝起きて、急いでローソク点けて消して、
プチバースデイしました。
ケーキを切って皿に盛るのも、
コーヒーを淹れるのも旦那様。
本当にありがたいです。
何だか、幸先悪い“三十一”
と、思っていたのですが、
よくよく考えると、幸先いいですね。
かなり、実感として体力の衰えを感じておりますが、
ボチボチ頑張ります。
歳だわ、本当に歳だわ。
金曜昼過ぎからロケ、
月・火、早朝~夜までロケ、
の生活を送っただけで、
身体がまったく機能致しません!!!
もう、今日なんて、起きているのか寝ているのか
わからない程、一日ボーっとしております。
んでもって、ファイテンの効果が薄れたのか、
肩も異常に痛いです。
『だって、明日で31歳になっちゃう。
疲れなんて、そんなにすぐに回復しないもん』
と、自虐的になるくらい、
異常なまでに疲労感に打ちのめされております。
まぁ、明日もバースデーロケ&入稿で、
恐らく、家に帰れません!!!
身体が疲れると、やっぱり心も疲れるんですよね。
些細な事でイライラしちゃいます。
んで、そんな状況の時に、
大自然のキャンプ場に行き、
脱サラしてほんわか、ほんわか暮らしている
ご夫婦に会い、とっても親切にして頂くと⋯。
仕事中に、ちょっと泣いてました。
その間、懸念事項もあった訳で⋯。
カメラマンさんも居るので
こっそり泣いていたのですが、
気付かれそうになりました。
「もしかして、泣いてます?」って聞かれました。
『泣くわけないじゃないですか!
もうすぐ、31歳ですよ!
この歳になって、仕事で泣きたくなんかないですよ』
と、必死です、わたし。
だって、心の叫びだもの。
もうそろそろ、落ち着きたいよ。
胃が痛くなって、時に泣いて、
そんな生活、限界に近いよ。
でも、あと1年半でライター生活丸10年になるんですよ。
意味はないけど、“10年続ける”は
わたしの中での目標なので、
もう少し、踏ん張ります!!!
ただね、これだけは言わせて。
集合場所がわからなくて、道に迷った女!
散々歩いてイライラするのはわかるが、
自分が間違えておきながら、
『○○見えるよね?』と聞いたら
『えっ? ないですよ。
なくなったんじゃないですか?』とは何事じゃ!!!
わたしが居る場所からは、その目印が見えているんじゃ!!!
10歳以上も年上の女に向かって
逆切れするな!!!
と、10歳以上も年下の女の子に対して、
本気でブチ切れてしまう、自分が嫌だ⋯。
金曜昼過ぎからロケ、
月・火、早朝~夜までロケ、
の生活を送っただけで、
身体がまったく機能致しません!!!
もう、今日なんて、起きているのか寝ているのか
わからない程、一日ボーっとしております。
んでもって、ファイテンの効果が薄れたのか、
肩も異常に痛いです。
『だって、明日で31歳になっちゃう。
疲れなんて、そんなにすぐに回復しないもん』
と、自虐的になるくらい、
異常なまでに疲労感に打ちのめされております。
まぁ、明日もバースデーロケ&入稿で、
恐らく、家に帰れません!!!
身体が疲れると、やっぱり心も疲れるんですよね。
些細な事でイライラしちゃいます。
んで、そんな状況の時に、
大自然のキャンプ場に行き、
脱サラしてほんわか、ほんわか暮らしている
ご夫婦に会い、とっても親切にして頂くと⋯。
仕事中に、ちょっと泣いてました。
その間、懸念事項もあった訳で⋯。
カメラマンさんも居るので
こっそり泣いていたのですが、
気付かれそうになりました。
「もしかして、泣いてます?」って聞かれました。
『泣くわけないじゃないですか!
もうすぐ、31歳ですよ!
この歳になって、仕事で泣きたくなんかないですよ』
と、必死です、わたし。
だって、心の叫びだもの。
もうそろそろ、落ち着きたいよ。
胃が痛くなって、時に泣いて、
そんな生活、限界に近いよ。
でも、あと1年半でライター生活丸10年になるんですよ。
意味はないけど、“10年続ける”は
わたしの中での目標なので、
もう少し、踏ん張ります!!!
ただね、これだけは言わせて。
集合場所がわからなくて、道に迷った女!
散々歩いてイライラするのはわかるが、
自分が間違えておきながら、
『○○見えるよね?』と聞いたら
『えっ? ないですよ。
なくなったんじゃないですか?』とは何事じゃ!!!
わたしが居る場所からは、その目印が見えているんじゃ!!!
10歳以上も年上の女に向かって
逆切れするな!!!
と、10歳以上も年下の女の子に対して、
本気でブチ切れてしまう、自分が嫌だ⋯。
(1日空きましたが宇治の続きです)
宇治川沿いをプラプラし、最終目的地に向かおうとしたわたしたち。
でも、待てと。
ホタルが飛ぶのは20:00~20:30頃。
「じゃぁ、いつ晩ご飯食べるの?」と。
もちろん、ホタルスポット内で食べる事もできるのですが⋯。
実は、お茶したカフェの段階で、
3人ともけっこうお腹空いてました。
(お昼11:30、カフェ15:00頃。お腹減るの早っ!)
んで「お茶じゃなく、ご飯食べる?」と言ったものの、
基本カフェなので、メニューは“おそば”とか
軽めの食事ばかり。
「おそば食べても、またお腹空きそうじゃない?」
「って言うか、肉食べたい!」
という事になり、
宇治まで行っているのに
『帰りに焼肉行こう♪』と盛り上がっておりました。
ソレを踏まえて、
「晩ご飯、いつ食べる?」です。
ホタルを見終わって、大阪戻って⋯。
絶対に、お腹が持ちません。
確実に、ホタル見ずに帰ります。
そこで、恐る恐る
『ホタルスポットまでの道に、チェーン系のステーキ屋さんが
あるねんけど⋯。
あっ、でも、カフェでけっこうしっかり
パフェとか食べたし、みんなお腹減ってないよね。
わたしだけだよね、“ステーキ食べられるな”って
思っているの』
と言ってみると
2人とも『問題なし!』
って言うか『肉! 肉!』と言うわけで、
満場一致でお茶の味も乾かぬ内に、
ステーキ屋さんで夕食です。
180gのステーキを平らげ、ようやくホタルスポットへ。
でも、園内に入る前に、またもや買い物。
cちゃんに“お箸セット”(6人分)を買ってもらいました!!!
(新居祝いです)
ありがとうございます。
と言うのも、日常用品に関しては、
“旦那検閲”がかかるんです。
なので、“お箸欲しい”と思っても、
許可前に買って文句言われるの嫌やし⋯。
と、悩んでいたら、cちゃんが
“じゃぁ、わたしが買ってあげる”と
ありがたい提案をしてくれたんです。
まぁ、それはさておき、ようやく園内に入ったわたくしたち。
まだ、外は明るいです。
でも、人はいっぱいです。
とりあえず、プラプラ園内を散策し、
日暮れを待ちました。
で、暗くなって来たので、ホタルポイントへ移動。
でもね、人が多くて何も見えない。
ステーキでお腹も心も満たされていたわたしたちは、
“ちょっと待とうか”なんて、大人なコメント。
多分、空腹で行っていたら、
『もう、ホタル見ずに帰る?』とかになっていたと思います。
満腹ってステキ。
30分ほど待ってから、ようやく見られました、ホタル!!!
かなり元気に飛び回っておりました!
見ていたのは10分程度だったと思うけど、
かなり満足です。
ただの光っている虫って事はわかっているのだけど
“今しか見られない!”って所に、儚さを感じて惹かれます。
と言うわけで
見て、買って、食べる!!!
“女三人・宇治ぶらり旅”
は無事、終了しました。
本当に完全なデートコースです。
関係あることから、関係ない事まで、
ずーっと、ずーっとしゃべりっぱなし。
何で、一日ってあんなに早いのだろう?
最近読んだ何かに書いてあった(←そこ大事!)印象的な言葉。
「大人の女性が、くだらないおしゃべりが好きなのは、
話してもどうにもならない悩みを
それぞれ抱えているから。
だからこそ、関係のないおしゃべりをするの。
たわいもないおしゃべりをしている時だけが、
悩みを忘れられるから」
だからこそ、“みそ一ツアー”もドンドン続きます。
にしても、すんごい印象的やのに、
何で読んだか、全然思い出されへんのが悲しい⋯。
最後に、cちゃんから貰ったお箸セット。
布のお箸袋に小さな象さんの、
木の飾りが付いた可愛いお箸。
旦那様に見せた所
「いいやん! いいやん! お箸ぼろくなってたから、
買おうと思っててん」と、好感触。
でも、
「箸袋はいらんけどね」だとさ。
そこが可愛いのに⋯。

↑草花でできたウサ。名前は『ペーター』!
おぺ~の本名と同じです♪

↑見に行ったのは、「宇治市植物公園」です。
今年のホタルイベントは6/24日までなので
行かれる方はお早めに。
ホタルの乱舞はしょぼデジカメでは撮れていないので、
ホタルの花絵で我慢してください
宇治川沿いをプラプラし、最終目的地に向かおうとしたわたしたち。
でも、待てと。
ホタルが飛ぶのは20:00~20:30頃。
「じゃぁ、いつ晩ご飯食べるの?」と。
もちろん、ホタルスポット内で食べる事もできるのですが⋯。
実は、お茶したカフェの段階で、
3人ともけっこうお腹空いてました。
(お昼11:30、カフェ15:00頃。お腹減るの早っ!)
んで「お茶じゃなく、ご飯食べる?」と言ったものの、
基本カフェなので、メニューは“おそば”とか
軽めの食事ばかり。
「おそば食べても、またお腹空きそうじゃない?」
「って言うか、肉食べたい!」
という事になり、
宇治まで行っているのに
『帰りに焼肉行こう♪』と盛り上がっておりました。
ソレを踏まえて、
「晩ご飯、いつ食べる?」です。
ホタルを見終わって、大阪戻って⋯。
絶対に、お腹が持ちません。
確実に、ホタル見ずに帰ります。
そこで、恐る恐る
『ホタルスポットまでの道に、チェーン系のステーキ屋さんが
あるねんけど⋯。
あっ、でも、カフェでけっこうしっかり
パフェとか食べたし、みんなお腹減ってないよね。
わたしだけだよね、“ステーキ食べられるな”って
思っているの』
と言ってみると
2人とも『問題なし!』
って言うか『肉! 肉!』と言うわけで、
満場一致でお茶の味も乾かぬ内に、
ステーキ屋さんで夕食です。
180gのステーキを平らげ、ようやくホタルスポットへ。
でも、園内に入る前に、またもや買い物。
cちゃんに“お箸セット”(6人分)を買ってもらいました!!!
(新居祝いです)
ありがとうございます。
と言うのも、日常用品に関しては、
“旦那検閲”がかかるんです。
なので、“お箸欲しい”と思っても、
許可前に買って文句言われるの嫌やし⋯。
と、悩んでいたら、cちゃんが
“じゃぁ、わたしが買ってあげる”と
ありがたい提案をしてくれたんです。
まぁ、それはさておき、ようやく園内に入ったわたくしたち。
まだ、外は明るいです。
でも、人はいっぱいです。
とりあえず、プラプラ園内を散策し、
日暮れを待ちました。
で、暗くなって来たので、ホタルポイントへ移動。
でもね、人が多くて何も見えない。
ステーキでお腹も心も満たされていたわたしたちは、
“ちょっと待とうか”なんて、大人なコメント。
多分、空腹で行っていたら、
『もう、ホタル見ずに帰る?』とかになっていたと思います。
満腹ってステキ。
30分ほど待ってから、ようやく見られました、ホタル!!!
かなり元気に飛び回っておりました!
見ていたのは10分程度だったと思うけど、
かなり満足です。
ただの光っている虫って事はわかっているのだけど
“今しか見られない!”って所に、儚さを感じて惹かれます。
と言うわけで
見て、買って、食べる!!!
“女三人・宇治ぶらり旅”
は無事、終了しました。
本当に完全なデートコースです。
関係あることから、関係ない事まで、
ずーっと、ずーっとしゃべりっぱなし。
何で、一日ってあんなに早いのだろう?
最近読んだ何かに書いてあった(←そこ大事!)印象的な言葉。
「大人の女性が、くだらないおしゃべりが好きなのは、
話してもどうにもならない悩みを
それぞれ抱えているから。
だからこそ、関係のないおしゃべりをするの。
たわいもないおしゃべりをしている時だけが、
悩みを忘れられるから」
だからこそ、“みそ一ツアー”もドンドン続きます。
にしても、すんごい印象的やのに、
何で読んだか、全然思い出されへんのが悲しい⋯。
最後に、cちゃんから貰ったお箸セット。
布のお箸袋に小さな象さんの、
木の飾りが付いた可愛いお箸。
旦那様に見せた所
「いいやん! いいやん! お箸ぼろくなってたから、
買おうと思っててん」と、好感触。
でも、
「箸袋はいらんけどね」だとさ。
そこが可愛いのに⋯。

↑草花でできたウサ。名前は『ペーター』!
おぺ~の本名と同じです♪

↑見に行ったのは、「宇治市植物公園」です。
今年のホタルイベントは6/24日までなので
行かれる方はお早めに。
ホタルの乱舞はしょぼデジカメでは撮れていないので、
ホタルの花絵で我慢してください
先週末、久しぶりに三十路ツアーを敢行しました!
なぜ、ファイナルかと言うと、
もうすぐ三十路じゃなくなるから。
ただそれだけ。
まだまだ三十路の子もいるけど、
わたしが三十路じゃなくなった時点で、
“みそ一ツアー”に変更となります。
で、この時期の宇治に何があるかと言いますと、
“ホタル”&“紫陽花”です。
もう、まさに6月!
初夏の二大風物詩です。
朝、cちゃんとhたんと、
10:30頃大阪を出発したわたしたち。
渋滞もなく、順調に宇治へ到着。
ランチにはフレンチビストロを考えていたのですが、
予約で満席との事⋯。
仕方がないので、夜ご飯に予定していた、
“ゆば丼”のお店へ。
美山の名水で作るもっちりとした湯葉に、
本葛でとろみを付けたダシがたっぷり。
あん状態のダシと湯葉を絡めながら食べると、
アッという間に完食です。
2人も満足してくれたようで、わたしもご満悦です。
で、“紫陽花寺”とも呼ばれる『三室戸寺』を参拝。
「紫陽花にはまだ早いかな?」と心配していたのですが、
なんの、なんの。
満開まではいかないけれど、大層キレイに咲いておりました。
何たって数が違うから。
植物園や山の中で見る紫陽花もいいけど、
お寺の境内で見る紫陽花は、やっぱりひと味違う。
真っ赤な門や東屋、杉木立とのコントラストで、
絵巻の世界に飛び込んだような気分になれます。

↑全景はこんな感じ(紫陽花園下から見上げた図)

↑紫のアジサイもあり。原色ではなく、
涼しげな色も紫陽花の魅力かと思われます。
他にも、水色、白、ピンクなどイロイロね
思ったより駐車場渋滞がなかったのも嬉しい限り。
ただ、駐車場に警備員が4人くらいいたのに、
まったく誘導していなかった事に、若干イライラ。
で、やっぱり蒸し暑い!!!
わたくし、灼熱より、蒸し暑さに弱いんですよ。
あの、もわ~んとした感じに、ジワジワやられてしまいました。
散々写真を撮りまくり、紫陽花を満喫したわたしたちは、
せっかくの宇治なので、お茶カフェへ。
と、その前に、和雑貨屋さんを物色していたのですが、
急激に気分が悪くなって来ました。
単純に暑さのせいです。
で、雑貨屋もソコソコに、お茶屋さん直営のカフェへ。
でも、わたくし、抹茶系スイーツにまったく興味がないんです。
なので、普通に“バニラソフトクリーム”頼みました。
(茶団子やあんこは乗っていましたが)
で、せっかくなので、夏季限定の“冷煎茶”も頼むことに。
普通に飲むより甘味が強くなる、水出し日本茶。
以前、お茶系取材ではまったのですが、
家でやるには面倒なので、久しぶりの再会。
見た目も涼しく、体調不良はすぐに回復しました。

↑夏のメニューって感じですよね
で、その後先ほどの和雑貨屋さんに戻り、
三者三様散々買いまくり、
次のイベント“ホタル”スポットへ!!!
が、しかし、問題が⋯。
長くなったので、続きは後で(明日かも)
なぜ、ファイナルかと言うと、
もうすぐ三十路じゃなくなるから。
ただそれだけ。
まだまだ三十路の子もいるけど、
わたしが三十路じゃなくなった時点で、
“みそ一ツアー”に変更となります。
で、この時期の宇治に何があるかと言いますと、
“ホタル”&“紫陽花”です。
もう、まさに6月!
初夏の二大風物詩です。
朝、cちゃんとhたんと、
10:30頃大阪を出発したわたしたち。
渋滞もなく、順調に宇治へ到着。
ランチにはフレンチビストロを考えていたのですが、
予約で満席との事⋯。
仕方がないので、夜ご飯に予定していた、
“ゆば丼”のお店へ。
美山の名水で作るもっちりとした湯葉に、
本葛でとろみを付けたダシがたっぷり。
あん状態のダシと湯葉を絡めながら食べると、
アッという間に完食です。
2人も満足してくれたようで、わたしもご満悦です。
で、“紫陽花寺”とも呼ばれる『三室戸寺』を参拝。
「紫陽花にはまだ早いかな?」と心配していたのですが、
なんの、なんの。
満開まではいかないけれど、大層キレイに咲いておりました。
何たって数が違うから。
植物園や山の中で見る紫陽花もいいけど、
お寺の境内で見る紫陽花は、やっぱりひと味違う。
真っ赤な門や東屋、杉木立とのコントラストで、
絵巻の世界に飛び込んだような気分になれます。

↑全景はこんな感じ(紫陽花園下から見上げた図)

↑紫のアジサイもあり。原色ではなく、
涼しげな色も紫陽花の魅力かと思われます。
他にも、水色、白、ピンクなどイロイロね
思ったより駐車場渋滞がなかったのも嬉しい限り。
ただ、駐車場に警備員が4人くらいいたのに、
まったく誘導していなかった事に、若干イライラ。
で、やっぱり蒸し暑い!!!
わたくし、灼熱より、蒸し暑さに弱いんですよ。
あの、もわ~んとした感じに、ジワジワやられてしまいました。
散々写真を撮りまくり、紫陽花を満喫したわたしたちは、
せっかくの宇治なので、お茶カフェへ。
と、その前に、和雑貨屋さんを物色していたのですが、
急激に気分が悪くなって来ました。
単純に暑さのせいです。
で、雑貨屋もソコソコに、お茶屋さん直営のカフェへ。
でも、わたくし、抹茶系スイーツにまったく興味がないんです。
なので、普通に“バニラソフトクリーム”頼みました。
(茶団子やあんこは乗っていましたが)
で、せっかくなので、夏季限定の“冷煎茶”も頼むことに。
普通に飲むより甘味が強くなる、水出し日本茶。
以前、お茶系取材ではまったのですが、
家でやるには面倒なので、久しぶりの再会。
見た目も涼しく、体調不良はすぐに回復しました。

↑夏のメニューって感じですよね
で、その後先ほどの和雑貨屋さんに戻り、
三者三様散々買いまくり、
次のイベント“ホタル”スポットへ!!!
が、しかし、問題が⋯。
長くなったので、続きは後で(明日かも)