おばあちゃん | おぺ~の読書日記

おぺ~の読書日記

【本を読んでの感想や、その作品に対する思いなどをつづっていければと思います】

だったのですが2008年11月に娘を出産。すっかり“おぺーの育児日記”になっていますがタイトルはそのままで。

昨日の“アメトーク”、
おばあちゃん子芸人さんでしたね。
どの方のおばあちゃんも朗らかで、
なぜか爆笑エピソードがてんこ盛りでしたね。

特にJr.のおばあちゃん!
全然せいじを愛していないのが笑えました。

ただ、正直、グッともなりましたが⋯。

と言うのも、昨日のお昼に、
わたしのおばあちゃんが亡くなりました。

御歳、87歳。
4~5年前から癌も見つかっていたし、
重度の認知症だったし、
もう、大往生です。

普通、おばあちゃんを思い出す時、
何か料理をしていたり、繕い物をしていたり、
忙しく動いているイメージなのですが、
うちのおばあちゃんは違います。

詳しくは知らないのですが、おばあちゃんは、
超超超お嬢様だったらしいのです。

恐らく、1人で電車に乗ったことも、
人生で数える程しかないはずです。

なので、わたしが行く=娘(わたし母)も行くので、
家事は母達がやり、
おばあちゃんは孫達と一緒に遊んでいました。

いとこと姉の年齢が近く、
盛り上がっている輪に入れないわたくしは、
いつもおばあちゃんと遊んでいました。

ダイヤモンドゲームをしたり、
坊主めくりをしたり、
しりとりをしたり、
じゃんけんをしたり、
リッツの箱でカバンを作ったり、
ジグソーパズルをしたり⋯。

特に「おばあちゃんと遊ぶの大好き」とか思ってはいませんでした。
でも、おばあちゃんと遊ぶことは、
小学生のわたしにとっては、
友達と遊ぶことのように、当然の事でした。

おばあちゃんは、失敗したりすると、
おでこを自分で“ペシッ”て叩きます。
そのクセは、痴呆が進んでも同じでした。

当たり前の様に、誰が誰だか
わからなくなっていったおばあちゃん。
でも、何回かに1回は偶然「おぺ~ちゃん?」と、
当ててくれた事もあります。

で、おめかしが大好きで、
色々わからなくなっていても、
外出する時はキレイに眉毛を書いて
鏡でチェックしてデイケアに出かけていたらしいです。

さらに、うちの旦那と父の事が大好き。
女性よりも男性が居るとご機嫌でした。

痴呆が始まる前から天然キャラで、
“てへっ”って笑う姿が印象的なおばあちゃん。

家に行くと、食べきれない程のおやつを進めてくれるおばあちゃん。
帰り際に、ティッシュにくるんだお小遣いを、
おじいちゃんに見つからないようにくれたおばあちゃん。

おばあちゃんが赤ちゃんの頃で、
軍服の写真を来た、おばあちゃんのお父さんと
一緒に写っている写真を
恥ずかしそうに見せてくれた時、
わたしが「おばあちゃんのお父さん、格好いいね!」と言うと、
(目パッチリの、海老蔵顔)
「そうやろ~」と、嬉しそうにはにかむおばあちゃん。

とにかく食べるのも飲むのも大好きで、
亡くなる日まで食べていたおばあちゃん。
そして、いつも人一倍、「コレ食べ」「アレ食べ」と
孫娘達に進めてくれていたおばあちゃん。

人は痴呆が進むと、少女に戻ると言います。
でも、おばあちゃんは、
少女のまま母親になり子供を育て、
少女のままおばあちゃんになって孫達と遊び、
そして、少女のまま天国に行っちゃいました。

今まで意識した事はなかったけど、
わたしはおばあちゃんの事が、大好きだったみたいです。

痴呆介護で疲れ切っていたお母さんも、
いっぱい泣いてました。

おじさんも、おばさんも、いとこも、
みんな泣いていました。

でも、おじいちゃんだけは泣いていなかった。
多分、状況がよくわかっていないんだと思います。

ただ、人がいっぱい集まって、嬉しいみたい。
以前のおばあちゃんと一緒です。

わたしがおばあちゃんに最後に会ったのは、
今年のお正月でした。
何もわかっていないおばあちゃんと、
一緒にテレビを見ていました。
それでもわたしは楽しかった。

わたしが子供の頃から“おじいちゃんとおばあちゃん”は
“おじいちゃんとおばあちゃん”として、そこに居ました。

なので、自分が年を取ってもおじいちゃんやおばあちゃんが
年を取っている事に、気付いていなかったのかもしれません。

わたしは多分、おじいちゃんも大好きです。
だから、後悔したくないから、
おじいちゃんにはいっぱい、いっぱい会いに行かなきゃ。

おばあちゃん、いっぱい遊んでくれてありがとう。
天国でも、永遠の少女キャラでいてください。
最後も、しっかりお化粧してもらえて良かったね。

コタ・みるく、おばあちゃんのこと、
よろしくお願いします。