発作
逮捕の日、取り調べが終わると留置場の6畳ほどの大きさの檻のなかにはすでに2人が入っていて私を観察していた。ひとりは50才がらみで自称、コテツ組の系列の組長との事、右翼が街宣カーに乗るとき着るような上下黒いナイロン服を着ている。もうひとりは70才ぐらいの老人。
「なにしたんや。若いの」と聞かれたので「仏像を持ち出そうとして・・」と言うと「あーあ、あれは銅製だと6万円で売れるからな」と言った。
すると組長が「このじーさんはもう30回も刑務所行っているんや。刑務所の神様やで。どんな悪さでも知っているからなんでも教えてもらったらええで」話に気分が悪くなるとはこのことだろうか。
はやくも息ができなくなり始めた。顔がチアノーゼ状態になり留置場がドヤドヤしてきて、初めて私はふただび手錠をかけられ橿原警察の近くの平成記念病院に連れてこられた。
仮病を使って逃げると怪しむかのように、制服を着た警官4人が手錠をかけたままの私をゴール前のサッカー選手のように隙なく取り囲んでいた。その診察室の光景に看護婦も当惑気味。医師が私に聴診器をあて「ひどいですね。」と呟く。警官「薬か何か貰えますか。」とすぐにでも連れて帰りたそうな言い方。若い医師はとんでもないという感じで看護婦に急いで何か指示し、看護婦があわてて動き出した。それを見て警官はあわててトランシーバーのようなものでヒソヒソ「・・・本当のようです・・すぐは帰れません・・ハイすいません。」とか言っているのが自分の声の遠くで聞こえる。私は必死に息を整え一気に医師に訴えた。
「パキシルかアモキサンをください。さっき警察で没収されてしまっ・・ぜぃぜぃぜぃぜぃ・・。
医師「それはここでは無理ですね」とあっさり。あなたそんなどころでないよという雰囲気。
吸入を吸い病床の準備が整ったが、私はべットにあがることができず、左腕だけべットに伸ばし、椅子に座り、べットにもたれかかったまま点滴を受け始めた。発作の時はそうするしかないのだ。それをまだ怪しいと思ったのか4人の制服警官は上半身波打って音を発している私を4方からピクリともせず仁王立像のように見下ろしている。私は`世界遺産を傷つけた凶悪犯として厳重監視命令が出ているのだろう。
点滴が半分ほどになり、筋肉注射などが打たれ呼吸音が穏やかになってくると「楽になったか。」「ハイおかげさまで。すいません。」と答えると、警官達は一層じれったそうに点滴が一滴一滴落ちるのを見始めている。念じれば早く点滴が落ちると信じている人のように4人で睨みつけている。何回かトランシーバーが鳴り、出て行った部屋の外で・・まだです・・とか・・もう少し・・とか聞こえてきた。ようやく点滴が終了した。私の呼吸はようやく落ち着いた。若い医師はステロイド系の吸入器を警官に渡し、いくつか指示したあと私に向かい「いいですか。苦しくなったら必ずすぐ言ってくださいね。」と警官に聞こえるように念を押したが、私は息を取り戻し、再び、
「先生 せめてパキシルだけでもないですかっ!」と迫ったが、無駄だった。
発作が止まった私は次に来るあること怖れた。留置場に帰った私は不眠のまま翌朝を迎えた。
「なにしたんや。若いの」と聞かれたので「仏像を持ち出そうとして・・」と言うと「あーあ、あれは銅製だと6万円で売れるからな」と言った。
すると組長が「このじーさんはもう30回も刑務所行っているんや。刑務所の神様やで。どんな悪さでも知っているからなんでも教えてもらったらええで」話に気分が悪くなるとはこのことだろうか。
はやくも息ができなくなり始めた。顔がチアノーゼ状態になり留置場がドヤドヤしてきて、初めて私はふただび手錠をかけられ橿原警察の近くの平成記念病院に連れてこられた。
仮病を使って逃げると怪しむかのように、制服を着た警官4人が手錠をかけたままの私をゴール前のサッカー選手のように隙なく取り囲んでいた。その診察室の光景に看護婦も当惑気味。医師が私に聴診器をあて「ひどいですね。」と呟く。警官「薬か何か貰えますか。」とすぐにでも連れて帰りたそうな言い方。若い医師はとんでもないという感じで看護婦に急いで何か指示し、看護婦があわてて動き出した。それを見て警官はあわててトランシーバーのようなものでヒソヒソ「・・・本当のようです・・すぐは帰れません・・ハイすいません。」とか言っているのが自分の声の遠くで聞こえる。私は必死に息を整え一気に医師に訴えた。「パキシルかアモキサンをください。さっき警察で没収されてしまっ・・ぜぃぜぃぜぃぜぃ・・。
医師「それはここでは無理ですね」とあっさり。あなたそんなどころでないよという雰囲気。
吸入を吸い病床の準備が整ったが、私はべットにあがることができず、左腕だけべットに伸ばし、椅子に座り、べットにもたれかかったまま点滴を受け始めた。発作の時はそうするしかないのだ。それをまだ怪しいと思ったのか4人の制服警官は上半身波打って音を発している私を4方からピクリともせず仁王立像のように見下ろしている。私は`世界遺産を傷つけた凶悪犯として厳重監視命令が出ているのだろう。
点滴が半分ほどになり、筋肉注射などが打たれ呼吸音が穏やかになってくると「楽になったか。」「ハイおかげさまで。すいません。」と答えると、警官達は一層じれったそうに点滴が一滴一滴落ちるのを見始めている。念じれば早く点滴が落ちると信じている人のように4人で睨みつけている。何回かトランシーバーが鳴り、出て行った部屋の外で・・まだです・・とか・・もう少し・・とか聞こえてきた。ようやく点滴が終了した。私の呼吸はようやく落ち着いた。若い医師はステロイド系の吸入器を警官に渡し、いくつか指示したあと私に向かい「いいですか。苦しくなったら必ずすぐ言ってくださいね。」と警官に聞こえるように念を押したが、私は息を取り戻し、再び、
「先生 せめてパキシルだけでもないですかっ!」と迫ったが、無駄だった。
発作が止まった私は次に来るあること怖れた。留置場に帰った私は不眠のまま翌朝を迎えた。
マスコミの包囲
私は逮捕から5日目となる禁断症状と戦っていた。9日不眠134時間目「くまさん。病院に行こう。」と北川刑事はやっと言ってくれた。小刻みに震え続ける私は刑事2人に車に乗せられ、町から南下した。明日香村と久米町の境の田園風景の丘に人里をさけるように建物が見えてきた。飛鳥病院だった。
丘を上がって正門のなかを見ると目の焦点があっていない老婆が一人たたずんでこちらを見て?いる。老婆のうしろ 正門の奥には格子でできた病棟のようなものが見えた。私は少し怖くなった。年功の院長が警察から報告を受けたあと「これだけの薬を突然、断ってはひどいリバウンドになるハズ。その為の不眠。幻覚を見ただろう。」冷汗や脈増加などこちらの症状を適格に言い当てる。身体の自傷の箇所を確認。カルテに体図を記入。
院長「うつの病状はいつから?さしつかえなけれ職業教えて。」
小職「1年前から。損保。」(しまった)さしつかえなければという言葉に反応して私は逮捕以来初めて「損保」と反応してしまった。幸い、北川刑事はいなかった。医師も気にしていない。
院長「他に病気はありますか?」
「喘息。」「薬は?」「ストメリン。」「たいへんだね。」院長が手を握り、冷汗を確認「かなり汗が出てるね。」
「日本で売っていない薬もあるが?」「インターネットで買いました。」「調べてみよう。」
院長「徐々に減らしたいが病院として1種類しか出せない。君はどれが一番効くと思う?」「それではアモキサンをください。」アモキサンと不眠薬?を処方される。アモキサンが効く自信はないし、確信もないが。北川刑事「先生、うつ病でしょうか?」「まあうつ的症状ですな。」
車に乗り込みながら北川刑事は嬉しそうに私に言った「なっ、くまさん。うつ的って言ったろ。的って。的ってことはうつ病じゃないんや。ちゃんと薬もらったんだ。これで寝て、しっかり思い出してや。頼むで。」
(私がうつ病だと北川刑事は何か困るのだろうか?)
同日17:00 メモ妻へ
日々、社会から離されていっているのが判る。
同室2名(小鉄組長と人生半分をム所暮らしという70才のダンボール売りの人)は僕がたびたび「出発!」=留置場から出かけること するので不思議そう。やはり君には不釣り合いな世界だと思う。
言葉だけで十分有り難く受け取るよ。
薬もらえたので、とりあえずがんばってみるから。
2/10 (メモ)
事務の便せんが渡された。
昨晩寝る前に5錠の薬を渡され飲んだ。
近くの電車の音が止み、静まり、電車が走り出すまで、すこし初めて若干寝ることができたようだ。
脈はあいかわらず100以上だが自傷は増えていない。
起きたらまだふるえは止まっていない。が同室の人に気づかれていないぐらい出来てそうなので安心してください。
昨晩、5日ぶりに夢に観音様が出た。
これから書くことはとても取調べでいうことができないので忘れないうちに書き留めとく。
私「33体集められなかったが?どうしましょう。」
観「もう33体集まったよ。安心しなさい。」
私「いえ。まだですが。」
観、うっすらえみを浮かべただけ。
そして言った「おまえは選ばれた。今は宿命。死人である。6週間の苦行のうえ、1週間の悟りを得るだろう。」と言って消えた。
どうして33体集まっていないのに、とずっと考えていた。
今 僕に名前は無い。42番という留置番号があるだけ。
そうか42というのが死人の啓示だったのか。
42+1週間で49日=悟って1週間としその苦しみから解かれる・・・
妻へ
昨日は薬のおかげでやっと少し眠れた。
何の薬がわからないけどハルシオン以外も処方してくれた様だ。
4種類ぐらい5錠がもらえた。
朝はこな薬(たぶんアモキサンだと思う)飛鳥病院は精神科なので頭と心臓のバクバクが若干おさまった。
頭と手のふるえはまだ続いている。
しかしよなかに自傷することははないで済んだ。
冷汗も少しあるが、アモキサンは1週間で効いてくるハズだから、もう少し出直ると思う。
冷静になって目を開け
心配になるのは君と会社のことばかり。
会社がつぶれたらどうしよう。従業員はどうなるだろう。
冷静に客観的にやはり離婚した方がいいと思う。
僕は現世から離れて苦行に入る。
もう君の住んでいる世界の人間ではない。
42番の名のとおり僕は死んだ
42日間(6週間)の苦行ですべてを失い、7日間(1週間)の悟りを得るらしい。
49日間で別人になる。
君の知っている大隈光祐はもう死んだ。
だから離れて姓を変えて。
すべてを君に託す。
でも別れたあとも会社の事、近況だけは伝えてほしい。
従業員が心配。
家族がある。
生活があるのにどうしているのか?
ここで考えても仕方ないとわかっているのに考えてしまう。
だから「煩悩が最も強い」から僕が仏に選ばれたのだろうか。
これは滅私。
いや「滅私」への苦行である。
僕が世でもっとも「私」が強いから選ばれたのだろう。
残りはこれから6週間の死人生活で心が集まるだろうか。
昨仏夢の意味は何だったんだろう。
何が分かるのだろう。
2月10日。私はろれつが上手く回らなくなった。中国語の行進、夜中中やっている。近くに外国人専用の施設があるのだろう。(しかしそれは存在しないとのことだった。禁断症状下の幻聴だった。)2月13日の日曜日は職員は少なかった。夜中に同室の人間の高いびきを確認し、下着を金網に掛けクビをつろうとした。留置場は真っ暗な裏手の通路からこっそり職員が見れるように出来ていた。それを知らずに発見された。私は上着と下着を没収され、つなぎのジャンパーを着せられた。
2月15日。
保田検事がパソコンを持った助手を伴って警察署の取調室にやってきた。
日に日に報道がひどくなり、マスコミが検察庁を取り囲んでいるため、警察でこっそり取り調べるやってきたということだった。
机に数十枚のデジカメを広げふたりで検証した。検事は少し笑いを堪え「本当に仏像だったら何でもよかったんだな。」と一言。「これなんかどう見ても仏像じゃないよ。」西徳寺や普斎寺の和尚像の写真を指しながら検事は尋ねた。「お寺にある像は仏像なんではないですか。」と私は逆に質問した。それから法隆寺をいったん出れたのに、わざわざどうしてまた法隆寺の大宝物殿に入っていったのかなど、考えてもおかしいことを私に尋ねた。
「そこが薬師寺だと思ったから。」と想像で答えた。
しかし薬師寺の入館案内もそこにあった。おそらく検事はマスコミに聞かれることであろうことを聞いているのだ。
「まだ聞きたいことがたくさんあるんだけどなあ。」と名残惜しそうに検事は警察を去った。
世間の騒ぎを私はこのときまだ全く知らなかった。
もはや中央や警視庁上層部にとって、私の行為はまともな日本人がしたこととしてはまずかった。私はある意味`キチガイ`である方が都合が良かった。
一方、捜査担当官である彼は、できれば通常の社会人である私を本鑑定に付し、世間が納得する形で起訴猶予処分にしたうえで、家族の元に返したいと個人的に考えた。
警視庁、検察庁上層部と彼の利害は一致した。警察によるポリグラフ(嘘発見器)の実施は見送られ、窃盗犯に初の本格的な精神鑑定が実施されることが検察庁で検討されはじめた。
私の長い長いとてつもなく長い3年間。それはマスコミと世論を納得させるために始まった。
丘を上がって正門のなかを見ると目の焦点があっていない老婆が一人たたずんでこちらを見て?いる。老婆のうしろ 正門の奥には格子でできた病棟のようなものが見えた。私は少し怖くなった。年功の院長が警察から報告を受けたあと「これだけの薬を突然、断ってはひどいリバウンドになるハズ。その為の不眠。幻覚を見ただろう。」冷汗や脈増加などこちらの症状を適格に言い当てる。身体の自傷の箇所を確認。カルテに体図を記入。院長「うつの病状はいつから?さしつかえなけれ職業教えて。」
小職「1年前から。損保。」(しまった)さしつかえなければという言葉に反応して私は逮捕以来初めて「損保」と反応してしまった。幸い、北川刑事はいなかった。医師も気にしていない。
院長「他に病気はありますか?」
「喘息。」「薬は?」「ストメリン。」「たいへんだね。」院長が手を握り、冷汗を確認「かなり汗が出てるね。」
「日本で売っていない薬もあるが?」「インターネットで買いました。」「調べてみよう。」
院長「徐々に減らしたいが病院として1種類しか出せない。君はどれが一番効くと思う?」「それではアモキサンをください。」アモキサンと不眠薬?を処方される。アモキサンが効く自信はないし、確信もないが。北川刑事「先生、うつ病でしょうか?」「まあうつ的症状ですな。」
車に乗り込みながら北川刑事は嬉しそうに私に言った「なっ、くまさん。うつ的って言ったろ。的って。的ってことはうつ病じゃないんや。ちゃんと薬もらったんだ。これで寝て、しっかり思い出してや。頼むで。」
(私がうつ病だと北川刑事は何か困るのだろうか?)
同日17:00 メモ妻へ
日々、社会から離されていっているのが判る。
同室2名(小鉄組長と人生半分をム所暮らしという70才のダンボール売りの人)は僕がたびたび「出発!」=留置場から出かけること するので不思議そう。やはり君には不釣り合いな世界だと思う。
言葉だけで十分有り難く受け取るよ。
薬もらえたので、とりあえずがんばってみるから。
2/10 (メモ)
事務の便せんが渡された。
昨晩寝る前に5錠の薬を渡され飲んだ。
近くの電車の音が止み、静まり、電車が走り出すまで、すこし初めて若干寝ることができたようだ。
脈はあいかわらず100以上だが自傷は増えていない。
起きたらまだふるえは止まっていない。が同室の人に気づかれていないぐらい出来てそうなので安心してください。
昨晩、5日ぶりに夢に観音様が出た。
これから書くことはとても取調べでいうことができないので忘れないうちに書き留めとく。
私「33体集められなかったが?どうしましょう。」
観「もう33体集まったよ。安心しなさい。」
私「いえ。まだですが。」
観、うっすらえみを浮かべただけ。
そして言った「おまえは選ばれた。今は宿命。死人である。6週間の苦行のうえ、1週間の悟りを得るだろう。」と言って消えた。
どうして33体集まっていないのに、とずっと考えていた。
今 僕に名前は無い。42番という留置番号があるだけ。
そうか42というのが死人の啓示だったのか。
42+1週間で49日=悟って1週間としその苦しみから解かれる・・・
妻へ
昨日は薬のおかげでやっと少し眠れた。
何の薬がわからないけどハルシオン以外も処方してくれた様だ。
4種類ぐらい5錠がもらえた。
朝はこな薬(たぶんアモキサンだと思う)飛鳥病院は精神科なので頭と心臓のバクバクが若干おさまった。
頭と手のふるえはまだ続いている。
しかしよなかに自傷することははないで済んだ。
冷汗も少しあるが、アモキサンは1週間で効いてくるハズだから、もう少し出直ると思う。
冷静になって目を開け
心配になるのは君と会社のことばかり。
会社がつぶれたらどうしよう。従業員はどうなるだろう。
冷静に客観的にやはり離婚した方がいいと思う。
僕は現世から離れて苦行に入る。
もう君の住んでいる世界の人間ではない。
42番の名のとおり僕は死んだ
42日間(6週間)の苦行ですべてを失い、7日間(1週間)の悟りを得るらしい。
49日間で別人になる。
君の知っている大隈光祐はもう死んだ。
だから離れて姓を変えて。
すべてを君に託す。
でも別れたあとも会社の事、近況だけは伝えてほしい。
従業員が心配。
家族がある。
生活があるのにどうしているのか?
ここで考えても仕方ないとわかっているのに考えてしまう。
だから「煩悩が最も強い」から僕が仏に選ばれたのだろうか。
これは滅私。
いや「滅私」への苦行である。
僕が世でもっとも「私」が強いから選ばれたのだろう。
残りはこれから6週間の死人生活で心が集まるだろうか。
昨仏夢の意味は何だったんだろう。
何が分かるのだろう。
2月10日。私はろれつが上手く回らなくなった。中国語の行進、夜中中やっている。近くに外国人専用の施設があるのだろう。(しかしそれは存在しないとのことだった。禁断症状下の幻聴だった。)2月13日の日曜日は職員は少なかった。夜中に同室の人間の高いびきを確認し、下着を金網に掛けクビをつろうとした。留置場は真っ暗な裏手の通路からこっそり職員が見れるように出来ていた。それを知らずに発見された。私は上着と下着を没収され、つなぎのジャンパーを着せられた。
2月15日。
保田検事がパソコンを持った助手を伴って警察署の取調室にやってきた。
日に日に報道がひどくなり、マスコミが検察庁を取り囲んでいるため、警察でこっそり取り調べるやってきたということだった。
机に数十枚のデジカメを広げふたりで検証した。検事は少し笑いを堪え「本当に仏像だったら何でもよかったんだな。」と一言。「これなんかどう見ても仏像じゃないよ。」西徳寺や普斎寺の和尚像の写真を指しながら検事は尋ねた。「お寺にある像は仏像なんではないですか。」と私は逆に質問した。それから法隆寺をいったん出れたのに、わざわざどうしてまた法隆寺の大宝物殿に入っていったのかなど、考えてもおかしいことを私に尋ねた。
「そこが薬師寺だと思ったから。」と想像で答えた。
しかし薬師寺の入館案内もそこにあった。おそらく検事はマスコミに聞かれることであろうことを聞いているのだ。
「まだ聞きたいことがたくさんあるんだけどなあ。」と名残惜しそうに検事は警察を去った。
世間の騒ぎを私はこのときまだ全く知らなかった。
もはや中央や警視庁上層部にとって、私の行為はまともな日本人がしたこととしてはまずかった。私はある意味`キチガイ`である方が都合が良かった。
一方、捜査担当官である彼は、できれば通常の社会人である私を本鑑定に付し、世間が納得する形で起訴猶予処分にしたうえで、家族の元に返したいと個人的に考えた。
警視庁、検察庁上層部と彼の利害は一致した。警察によるポリグラフ(嘘発見器)の実施は見送られ、窃盗犯に初の本格的な精神鑑定が実施されることが検察庁で検討されはじめた。
私の長い長いとてつもなく長い3年間。それはマスコミと世論を納得させるために始まった。
