バッシング
私の事件報道を形成した世論、それは時に盛んだった反中感情だった。
平成17年10月17日 小泉総理の靖国神社公式訪問に対する激しい反発から、中国では半日デモが日に日に高まりを見せ、日本製品の不買運動にまで発展していた。
それに対し、日本国民も政治的自由民主化を進めないまま年々経済成長を続けるこの巨大な隣国に対して盛んに中国脅威論が唱えられるようになっていた。
2ちゃんねるのスレは私の名前が光祐と`光という字が使われていたことに注目し、私がアジア系の窃盗団で仏像を中国に売りさばいていると憶測記事であふれた。隣国の経済力と政治力が月日とともに強まり日本に近づく苛立ち。私の事件、世界遺産破損のバッシングは日に日に納まるところか、1週間経っても反中スレに代わるようにネット上に溢れ始めていた。
(インターネットスレより)
「法隆寺の格子切っちゃった大隈光祐が在日だったら楽しいな」
「経営大隈光祐容疑者(43)の「光祐」って名前は、やっぱり、あっち?」
「経営者が犯罪者ってのは在日多いね。」
「文化財が盗まれても犯人が韓国籍ならマスコミは沈黙・・・」etc
ネット上のバッシングは2週間以上続いた。現実社会でも。妻は連日の報道陣から逃げるように車内生活を続け、そのまま自宅に戻れず実家にも帰れない宙ぶらりんのホームレスのような状態になった。
結局、地方の人気のないアパートを借り、ひっそり私の帰りを待つことにした。しかし私は福岡県出身の純粋な日本人。大隈盛宗之祐から十三代目の日本人だ。
東京の警視庁はまったく別のことを気にしていた。
その年の始め、兵庫県で起きていた「絹本著色阿弥陀三尊像」掛け軸事件を警視庁と奈良県警上層部は重視していた。文化財盗難で隣国韓国と外交問題が起きていた。
(年初のニュースより)
「高麗無双筆とされる掛け軸「絹本著色阿弥陀三尊像」(重要文化財)が韓国で見つかり、窃盗犯二人が韓国検察によって逮捕されたが、お寺へは盗難品とは知らずに布施されており、日本への返還は困難となった。容疑者は「日本に略奪された文化財を取り戻すために犯行を決心した」などと主張し、これが大きく報道されたため、仏画の返還問題にも微妙な影を落としていた。
韓国マスコミは容疑者を「愛国者」日本奪われた高麗仏画の「数奇な帰郷」と報道し日本略奪の文化財、国内搬入(中央日報)などと報じていた。作品は“壬辰倭乱(豊臣秀吉の朝鮮出兵)や日帝強占時期(韓国併合時期)に日本に略奪されたもの”と信じられていた。インターネット上では、「窃盗犯に褒賞金として十億ウォンを与えるべきだ」という主張まで出回っていた。」文科省にとって上記の問題は省をまたぐこの年の未解決外交懸案のひとつだった。そこに私の事件が発生した。タイミングは最悪だった・・・・
私の集めた仏像は文化財などとは全く関係がなかった。にもかかわらず、この年のふたつ、対中関係、対韓国関係は検察庁を過敏に反応させた。外交問題への飛び火。この官庁間問題のマスコミ、世論への波及を中央部はもっとも怖れた。
一方、大マスコミは法隆寺が[世界遺産]に登録されていることを大々的に報道した。
当時2004年に熊野山道、2005年に知床半島が世界遺産に登録されたばかりで、まだ国民的な世界遺産ブームは始まっていなかった(世界遺産検定は2006年6月~、TBSthe世界遺産の放送開始は2008年4月~)。
法隆寺=世界遺産 建物が破損されたということが繰り返しニュースで強調された。
平成18年2月7日。検事による取り調べが始まった。橿原警察署から奈良検察庁葛城支部に向かう、出入り口で三脚に乗った大勢のカメラマンのフラッシュを浴びた。
「災難だったな。TVに映っちゃって。」
「顔色真っ青だぞ。だいじょうぶか。」異常な事件・・しかし彼の目の前いたのは予想外にも普通の背広を着たサラリーマンだった。
「法隆寺西室が世界遺産って知ってた?」
「すいません。知りませんでした。」(私は本当に知らなかった。)
「私も見に行ってきたんだけど世界遺産って看板とか立ってたんだけどなあ。見えなかった?そんな状況じゃ見てないと思うけど。」
「すいません。」
「この事件で重要なことは君が法隆寺を世界遺産と認識していたかどうかということなんだ。どう?
正直に言ってあの建物が世界遺産って知っていた?」
「すいません。私は世界遺産とは熊野古道とか屋久島とか自然遺産だと思っていました。すいません。」
「ほら。アンコールワットとか。建物だって世界に世界遺産はたくさんあるだろ。」
「そうですね。アンコールワットか。法隆寺が世界遺産なのは当然ですね。本当に申し訳ありません。」
抑えようとしても震えのとまらない手足・・・真っ青になり小刻みに震える顔の皮膚・・・
私は禁断症状が始まっていた。彼は私の姿を頭から足元まで観察した。彼はくしくも私の妻が言ったことと同じことを言った。「子供をはねてなくて本当によかった。」と。
大量のハルシオン、ベゲタミンなどの睡眠薬服用の意識混濁の中で奈良県内を何十キロも迷走しながら交通事故を起こさなかったのはまさに奇跡だった。留置場では新聞は切り取られ、ラジオのニュースは消された。私は外で何が起きているのがまったくわからなかった。
平成17年10月17日 小泉総理の靖国神社公式訪問に対する激しい反発から、中国では半日デモが日に日に高まりを見せ、日本製品の不買運動にまで発展していた。

それに対し、日本国民も政治的自由民主化を進めないまま年々経済成長を続けるこの巨大な隣国に対して盛んに中国脅威論が唱えられるようになっていた。2ちゃんねるのスレは私の名前が光祐と`光という字が使われていたことに注目し、私がアジア系の窃盗団で仏像を中国に売りさばいていると憶測記事であふれた。隣国の経済力と政治力が月日とともに強まり日本に近づく苛立ち。私の事件、世界遺産破損のバッシングは日に日に納まるところか、1週間経っても反中スレに代わるようにネット上に溢れ始めていた。
(インターネットスレより)
「法隆寺の格子切っちゃった大隈光祐が在日だったら楽しいな」
「経営大隈光祐容疑者(43)の「光祐」って名前は、やっぱり、あっち?」
「経営者が犯罪者ってのは在日多いね。」
「文化財が盗まれても犯人が韓国籍ならマスコミは沈黙・・・」etc
ネット上のバッシングは2週間以上続いた。現実社会でも。妻は連日の報道陣から逃げるように車内生活を続け、そのまま自宅に戻れず実家にも帰れない宙ぶらりんのホームレスのような状態になった。
結局、地方の人気のないアパートを借り、ひっそり私の帰りを待つことにした。しかし私は福岡県出身の純粋な日本人。大隈盛宗之祐から十三代目の日本人だ。
東京の警視庁はまったく別のことを気にしていた。
その年の始め、兵庫県で起きていた「絹本著色阿弥陀三尊像」掛け軸事件を警視庁と奈良県警上層部は重視していた。文化財盗難で隣国韓国と外交問題が起きていた。
(年初のニュースより)
「高麗無双筆とされる掛け軸「絹本著色阿弥陀三尊像」(重要文化財)が韓国で見つかり、窃盗犯二人が韓国検察によって逮捕されたが、お寺へは盗難品とは知らずに布施されており、日本への返還は困難となった。容疑者は「日本に略奪された文化財を取り戻すために犯行を決心した」などと主張し、これが大きく報道されたため、仏画の返還問題にも微妙な影を落としていた。韓国マスコミは容疑者を「愛国者」日本奪われた高麗仏画の「数奇な帰郷」と報道し日本略奪の文化財、国内搬入(中央日報)などと報じていた。作品は“壬辰倭乱(豊臣秀吉の朝鮮出兵)や日帝強占時期(韓国併合時期)に日本に略奪されたもの”と信じられていた。インターネット上では、「窃盗犯に褒賞金として十億ウォンを与えるべきだ」という主張まで出回っていた。」文科省にとって上記の問題は省をまたぐこの年の未解決外交懸案のひとつだった。そこに私の事件が発生した。タイミングは最悪だった・・・・
私の集めた仏像は文化財などとは全く関係がなかった。にもかかわらず、この年のふたつ、対中関係、対韓国関係は検察庁を過敏に反応させた。外交問題への飛び火。この官庁間問題のマスコミ、世論への波及を中央部はもっとも怖れた。一方、大マスコミは法隆寺が[世界遺産]に登録されていることを大々的に報道した。
当時2004年に熊野山道、2005年に知床半島が世界遺産に登録されたばかりで、まだ国民的な世界遺産ブームは始まっていなかった(世界遺産検定は2006年6月~、TBSthe世界遺産の放送開始は2008年4月~)。
法隆寺=世界遺産 建物が破損されたということが繰り返しニュースで強調された。
平成18年2月7日。検事による取り調べが始まった。橿原警察署から奈良検察庁葛城支部に向かう、出入り口で三脚に乗った大勢のカメラマンのフラッシュを浴びた。
「災難だったな。TVに映っちゃって。」
「顔色真っ青だぞ。だいじょうぶか。」異常な事件・・しかし彼の目の前いたのは予想外にも普通の背広を着たサラリーマンだった。
「法隆寺西室が世界遺産って知ってた?」
「すいません。知りませんでした。」(私は本当に知らなかった。)
「私も見に行ってきたんだけど世界遺産って看板とか立ってたんだけどなあ。見えなかった?そんな状況じゃ見てないと思うけど。」
「すいません。」
「この事件で重要なことは君が法隆寺を世界遺産と認識していたかどうかということなんだ。どう?
正直に言ってあの建物が世界遺産って知っていた?」
「すいません。私は世界遺産とは熊野古道とか屋久島とか自然遺産だと思っていました。すいません。」
「ほら。アンコールワットとか。建物だって世界に世界遺産はたくさんあるだろ。」
「そうですね。アンコールワットか。法隆寺が世界遺産なのは当然ですね。本当に申し訳ありません。」
抑えようとしても震えのとまらない手足・・・真っ青になり小刻みに震える顔の皮膚・・・
私は禁断症状が始まっていた。彼は私の姿を頭から足元まで観察した。彼はくしくも私の妻が言ったことと同じことを言った。「子供をはねてなくて本当によかった。」と。
大量のハルシオン、ベゲタミンなどの睡眠薬服用の意識混濁の中で奈良県内を何十キロも迷走しながら交通事故を起こさなかったのはまさに奇跡だった。留置場では新聞は切り取られ、ラジオのニュースは消された。私は外で何が起きているのがまったくわからなかった。
