5年目の花見
出所して1年が経った。
上野公園にさくらが咲いている。
1度目に見たさくらは拘置所の独房から脳波検査のため奈良県立医科大学精神医学教室に護送される途中の車窓から見えた高田川辺の桜だった。きらきら輝いていた。
2度目に見た桜は精神鑑定テストを受けるため、京都拘置所から護送された京都府立らくなん病院の病室の窓から見たさくらだった。病院から飛び出していきたい衝動にかられた。
3度目に見たさくらは1本だった。大阪拘置所=アウシュビッツの灰色の巨大な建物に囲われた中庭の中心に生えていた大きな1本の桜の木。灰色と黒と白の世界でたったひとつの色。ここで死刑になっていく人を見守るようにしっかりと根付いていた。
4度目に見たさくらは出所の日、わずかに咲き始めていた刑務所の外に咲くさくらだった。
5度目のさくら。
僕はここに店を出す。
上野公園にさくらが咲いている。
1度目に見たさくらは拘置所の独房から脳波検査のため奈良県立医科大学精神医学教室に護送される途中の車窓から見えた高田川辺の桜だった。きらきら輝いていた。
2度目に見た桜は精神鑑定テストを受けるため、京都拘置所から護送された京都府立らくなん病院の病室の窓から見たさくらだった。病院から飛び出していきたい衝動にかられた。
3度目に見たさくらは1本だった。大阪拘置所=アウシュビッツの灰色の巨大な建物に囲われた中庭の中心に生えていた大きな1本の桜の木。灰色と黒と白の世界でたったひとつの色。ここで死刑になっていく人を見守るようにしっかりと根付いていた。
4度目に見たさくらは出所の日、わずかに咲き始めていた刑務所の外に咲くさくらだった。
5度目のさくら。
僕はここに店を出す。
帰京
あれから3年・・・。今、東京に戻った私に残されてたものは、トランクルームに預けられてた数個の段ボール箱だけ。勤務先も自宅も、家族もすべて私の前から消えている。当時、あわただしく荷造りされたのか、むき出しのままガムテープを使って束に巻かれ押し込められた書類の一番上に張り付いていた一枚の[お寺の入館パンフレット]を発見した。そうだった。3年前の数ヶ月間、私はたしかに`イメージ`から離れることがどうしてもできなくなった。
逃げられなくなった。闇に浮かぶ小さな顔``顔`顔・・その下に見える特徴のある大きな二つの細い目。
私をじっと見つめているそれは最初、大小の仏像の頭に見えた。仕事をしていても、車を運転していても、眠れずまどろんでいても`彼ら`は私の直ぐ「そこ」に浮かんでいた。ある日、私は池袋の書店で彼を発見(実はひとりだった!)し、確認するために奈良県 飛鳥村に出かけ、・・・・・・・・そして、東京に戻った私は、おそろしい事件を起こしはじめた。3カ月後、私はふただび飛鳥村に導かれ、そこで止められ、警察に拘束された。マスコミのフラッシュの中、奈良検察庁により保護観察独房に拘禁された私は、唯一の希望=死ぬことすらできなくなった。そして、そこで待っていたのは想像を絶する生と死への闘いの日々の始まりだった。ダンボール箱しかない薄暗い独房で生きたまま、大切なものを次々失っていき、生命が尽きかけ、2年の年月が過ぎた。そして判決が下った。
判決
平成19年12月26日 午後1時少し前。
2人の職員に連行され、短い階段を一歩一歩上がりきった私は、我慢できず、膝に手をついた。ぜぃーぜぃー「すいません・・ぜぃ・・やすませ ぜぃ ください。それと・・ぜぃー」。前の使用許可から、まだ4時間経過していない規定違反な申出であることは明らかだったが、この場合そんなことは係長も言ってられなかった。葛城拘置所と裁判所は目と鼻の先だった。移動のためワゴンカーに乗ったら全部ブルーシートで目張りを始めた。マスコミがいるらしいとの話だった。本人をこんな姿で法廷に出すわけにはいかない。廊下の先には法廷の扉が見えている。医務職員より「ほら」と手渡された呼吸の元=吸入器をシュ、シュと2回吸い込むとやっと私の中の喘ぐマラソンがしばし休憩に入った。法廷の扉が開けられ、私は正面の椅子に座った。裁判長と左右に2裁判官計3人ぞくぞく後ろの扉から入ってきた。右の裁判官はさっき書類を抱えて廊下をあわてて走っていた若いOLのような女性だった。別人のよう。裁判席という威厳の化粧。左の裁判官は米国帰りのエリートらしい。裁判長は私を「前へ」と促すと一挙に判決文を読み始めた。主文 被告人を懲役3年に処する・・・・・・
・・・・夢と現実の張り合わせ。判らない動機。医師の解釈・・・ネイルサロン・・・睡眠薬依存・・幻覚・・・・もっともらしい文章が続く。しかし当時の私の悩みは別にあった。大手損保会社からの分離独立・・・・日本初の高齢者のための保険会社の設立・・。
今日、この判決が下りたとき私の刑期は既に3分の2が経過していた。受刑者であれば刑期の1/3で仮釈放の対象になり2/3~3/4程度で出所する。
ここからの実刑は実質的には保釈もない懲役約5年を受けた者に相当した。私はもうそういうことすら何も感じなくなっていた。長期拘禁した事実を追認するための判決文。これは裁判所の下した判決ではない。多くのマスコミと大寺院と医師である。この前例のない奇妙な事件・・世間の大騒ぎ・・・。結局、医師の解釈のため・・・・・私はこの長い裁判の間、2畳の保護監視独房に閉じ込められていただけだ。
禁断症状・・・保釈却下・・・・発狂・・・衰弱・・・変身・・・・
私は保護監禁独房で生死を彷徨い続けた。私は検事側席へ歩み寄り「いろいろお世話になりました。」とゆっくり頭を下げた。
「病気を早く治して健康になって復帰することを願っているから・・・」
半分本心でないのは明らかだった。私が元来、普通の社会人で正気であるはずだったことを一番理解してくれていたのはこの検察官だけなのかも知れなかった。私は変わり果てた。2年前、禁断症状から回復したときとは別人に変わり果て、やせ衰えたこの眼前の被告人。元サラリーマン。この結果に釈然としていないのもおそらく彼だったろう。検察官の使命。真実の探究。2年前 彼の正義、世論・マスコミへの抵抗、起訴保留からすべては始まった。再本鑑定、求刑、再求刑・・裁判所の釈明権・・異例続きの長期裁判。東京裁判以来、判決とは被告人以外の当事者間の思惑と妥協の産物なのは分かっていた。しかし、この裁判は最初、検察と裁判所が過熱する世論報道に対応しようと試み、そして関係者の立場や思惑により、私は忘れられ、人生はすべて過ぎ去ってしまった。私は何も争っていなかった・・保護独房でただ月日が・・時が流れ、何より私が変わってしまった。平成19年の御用収め。この法廷にいるマスコミの人たちは、あの騒ぎは忘れ、ただここにいるだけだろう。家族と正月をどう過ごすか考えているのだろうか・・。・・少し、ぜいぜいしてきた。まだ1時間。あと3時間の苦しみ。孤独なマラソンの再開 ぜぃ ひゅうー ぜえ ぜえ ぜえ。年を越え、凍える保護独房には、葛城拘置所長によるもう一つの「裁き」が私を待っていた。
2人の職員に連行され、短い階段を一歩一歩上がりきった私は、我慢できず、膝に手をついた。ぜぃーぜぃー「すいません・・ぜぃ・・やすませ ぜぃ ください。それと・・ぜぃー」。前の使用許可から、まだ4時間経過していない規定違反な申出であることは明らかだったが、この場合そんなことは係長も言ってられなかった。葛城拘置所と裁判所は目と鼻の先だった。移動のためワゴンカーに乗ったら全部ブルーシートで目張りを始めた。マスコミがいるらしいとの話だった。本人をこんな姿で法廷に出すわけにはいかない。廊下の先には法廷の扉が見えている。医務職員より「ほら」と手渡された呼吸の元=吸入器をシュ、シュと2回吸い込むとやっと私の中の喘ぐマラソンがしばし休憩に入った。法廷の扉が開けられ、私は正面の椅子に座った。裁判長と左右に2裁判官計3人ぞくぞく後ろの扉から入ってきた。右の裁判官はさっき書類を抱えて廊下をあわてて走っていた若いOLのような女性だった。別人のよう。裁判席という威厳の化粧。左の裁判官は米国帰りのエリートらしい。裁判長は私を「前へ」と促すと一挙に判決文を読み始めた。主文 被告人を懲役3年に処する・・・・・・
・・・・夢と現実の張り合わせ。判らない動機。医師の解釈・・・ネイルサロン・・・睡眠薬依存・・幻覚・・・・もっともらしい文章が続く。しかし当時の私の悩みは別にあった。大手損保会社からの分離独立・・・・日本初の高齢者のための保険会社の設立・・。
今日、この判決が下りたとき私の刑期は既に3分の2が経過していた。受刑者であれば刑期の1/3で仮釈放の対象になり2/3~3/4程度で出所する。
ここからの実刑は実質的には保釈もない懲役約5年を受けた者に相当した。私はもうそういうことすら何も感じなくなっていた。長期拘禁した事実を追認するための判決文。これは裁判所の下した判決ではない。多くのマスコミと大寺院と医師である。この前例のない奇妙な事件・・世間の大騒ぎ・・・。結局、医師の解釈のため・・・・・私はこの長い裁判の間、2畳の保護監視独房に閉じ込められていただけだ。
禁断症状・・・保釈却下・・・・発狂・・・衰弱・・・変身・・・・
私は保護監禁独房で生死を彷徨い続けた。私は検事側席へ歩み寄り「いろいろお世話になりました。」とゆっくり頭を下げた。
「病気を早く治して健康になって復帰することを願っているから・・・」
半分本心でないのは明らかだった。私が元来、普通の社会人で正気であるはずだったことを一番理解してくれていたのはこの検察官だけなのかも知れなかった。私は変わり果てた。2年前、禁断症状から回復したときとは別人に変わり果て、やせ衰えたこの眼前の被告人。元サラリーマン。この結果に釈然としていないのもおそらく彼だったろう。検察官の使命。真実の探究。2年前 彼の正義、世論・マスコミへの抵抗、起訴保留からすべては始まった。再本鑑定、求刑、再求刑・・裁判所の釈明権・・異例続きの長期裁判。東京裁判以来、判決とは被告人以外の当事者間の思惑と妥協の産物なのは分かっていた。しかし、この裁判は最初、検察と裁判所が過熱する世論報道に対応しようと試み、そして関係者の立場や思惑により、私は忘れられ、人生はすべて過ぎ去ってしまった。私は何も争っていなかった・・保護独房でただ月日が・・時が流れ、何より私が変わってしまった。平成19年の御用収め。この法廷にいるマスコミの人たちは、あの騒ぎは忘れ、ただここにいるだけだろう。家族と正月をどう過ごすか考えているのだろうか・・。・・少し、ぜいぜいしてきた。まだ1時間。あと3時間の苦しみ。孤独なマラソンの再開 ぜぃ ひゅうー ぜえ ぜえ ぜえ。年を越え、凍える保護独房には、葛城拘置所長によるもう一つの「裁き」が私を待っていた。

