大隈光祐`アントワープの絵へ` -13ページ目

アングリマーラ

(もう続けられない。もう無理だ。)
平成17年12月9日23:00ごろ 
私は西武線の野方駅のホームから線路に飛び降り、電車が来るのを迎え撃とうとしていた。背広のズボンのポケットの中には登山用の万能ナイフを忍ばせていた。私は電車が来るはずの闇にむかってどんどん歩いた。いくら歩いても光が走って向かって来ない。大隈光祐`アントワープの絵ヘ死へのひかり。
どれぐらい時間が経ったろう。背後から聞こえる叫び。それは近づいてくる。駅員がわたしを背後からはがい締めにした。
「何をする気だ。君のおかげで3万人の足が止まっているんだ。直ぐ線路から出るんだ。ほら。」
手を引っ張られる。
「離してくれ。私は道に迷っただけなんだ。自分で(線路から)出るから放っておいてくれ。」
`早く電車来てくれ! 早く!`私は心のなかで祈った。さらに応援の職員が来て、私を線路脇に寄せようと私の進行を阻んだ。私は反転し逃げ、こんどは登り車線の電車に期待した。駅まで来て私はついに捕獲された。駅長は警察を呼んだ。私は「私は道に迷って線路に迷い込んだだけだ。」と叫び続けていた。
おそらく私のせいで下りホームが無人となっていた西武線野方駅に、私が望んだ電車が近づく音のかわりにサイレンが近づいてきた。
「いいから。いいから。落ち着いて。事情は警察で聞くから。」
私は過去2回しかパトカーに乗ったことがなかった。1回目は小学1年。大阪城内で閉館時間が過ぎても迷って出られなくなったとき。2回目は高校1年のとき、友人と一緒に下校中に田んぼのあぜ道で中学生風の集団にカツアゲに遭って刑事さんにパトカーに乗せられ、犯人探しに田舎のゲームセンターやファミレスを回ったときでこの日は人生3回目だった。大隈光祐`アントワープの絵ヘ野方署に入っても私は自殺目的を隠し続けた。
「私は道に迷って線路に迷い込んだだけなんです。信じてください。」
「じゃあ。これは何のために持っていたんですか。」刑事は取調室のデスクの上に置かれた登山用の小さな万能ナイフを指さした。それは私が念のため、静脈を切って線路に寝るため持ってきたのもだった。
「それは以前スイスに登山に行った知人にもらったものです。栓抜きや爪切りが付いていて。持ってちゃいけないんですか!」私はうそをついている場の悪さから、なおさら語気を強めた。死を邪魔された苛立ちもあった。だが、この若い刑事はもう調書を作り始めながら、
「こういうのも銃器扱いになるんですよ。一応、軽犯罪法違反ということになりますが・・」ここで若い刑事はペンを止め、私の方に少し姿勢を正し、
「しかし、大隈さん。大隈さんは社会的に非常に地位の高いところにいらっしゃる方です。少し、興奮なさっているようなので、本当は何をしようとしていたかは今日はこれ以上詮索しません。また今日の件で大隈さんの将来やお仕事に支障が出たり、人に知られたりするようなことは決してありませんからご安心ください。また落ち着かれたころ携帯の方にご連絡します。よろしいでしょうか。」
私は死ねなかった。その丑三つ時、いつものように半覚半睡のなかで私は`長い夢`を見た。
「何をあきらめているのですか。」
「私にはもう無理です。
      疲れました。
      楽になりたい。」
「何をあきらめているのですか。」
「信者様たちに迷惑をかけます。もう続けられません。」
「何をあきらめているのですか。」
 ・・・・・・・・・・
「仏は心の中にあるもの。」
 ・・・・・・・・・・
「仏は偶像を認めていません。」
「あきらめずに続けなさい。」
 ・・・・・・・・・・
「物や仏を拠り所にしている間は仏法は広まりません。」
「一時的な仏体の喪失感により無我となり、信者もまた救われるでしょう。」

仏教が何であるかということはよほどの専門家でない限り誰も理解していない。お葬式で僧侶がお経を読んでいるとき、本気で聞いている人が何人いるだろう。早く終わってくれないかなあぐらいしか考えていなかったのでは?そのとおりだ。
「一時的な喪失感とは?」
「人が無我を知ること。」
「本来一切が無。そうか。そして仏像はもとのところに戻る? それが私の役目? 私が戻すのだ! そしてさらに信仰は広まる そうか!」33体集まれば宅急便で匿名でお寺に返す!これで私も私の家族も従業員も信者もすべて救われ、良い方向へ向かう!
私は光明を得た!
この日の「夢問答」は確実に`私の拠り所となった。
それは本覚寺の奇跡から続く身の周りの出来事に良心の呵責への解釈の連鎖だった。東京の仏像はふたたび消えはじめた。

都内から消え始める仏像

大隈光祐`アントワープの絵ヘ

平成18年1月6日18:00スーパーニュース
私は知らなかった。報道各社がニュースを流し始めたことを。専門家も出演し、警視庁も都内に厳戒態勢をひいていたことを。
私はあせっていた。お告げの実行はとても困難を極めていた。
やるべきことはすべてやった。準備は整った。あとはを実行するだけだ。33体か?33寺分の仏体を一か所に集めれば、・・・・・保険会社が出来・・・従業員も・・・信者もみな救われる・・・・
「全国有名寺院ガイド」そこに記載された寺を訪れれば、仏像は`そこ`に安置されていた。
ところが`人`がいない。
`条件が揃わない。
`仏像に大勢の`人の集まる`高名な寺`は東京には少なかった。`深大寺・増上寺・・・無駄足ばかりだ。
1月2日 広島に出張したときは意外にも3体がすぐ集まった。たまたま正月で仏像のまわりに`人が集まっていた`からだった。私は仏像を抱え、帰省から戻る客で乗車率200%の新幹線に乗り、つぶされないよう、押される人から`仏体`を守り、四谷に戻った。
寛永寺、伝通院、高円寺、普斎寺、西徳寺、定泉寺、成願寺、
*資料より
寛永寺(東京都台東区) 衿羯羅童子、制叱迦童子 (像高45cm)江戸時代
西徳寺(東京都台東区) 親鸞聖人御木像(像高30cm)
薬王寺(新井薬師 東京都中野区) 日光菩薩像、月光菩薩像
普済寺(東京都立川市) 物外可什和尚木像 現代
高円寺(東京都杉並区) 釈迦如来坐像
明王院(広島県福山市草戸町) 本堂 不動明王立像(像高70cm) 室町時代前期
海龍寺(広島県尾道市東久保町) 地蔵堂 地蔵菩薩坐像(像高30cm) 江戸時代
浄土寺(広島県尾道市東久保町) 文殊堂 宇賀弁財天坐像
もう無理だ・・・・私は2カ月で早くも行詰まった・・・・
私を支えていたのは 12月9日 夢にふたたび出た十一面観音のあの夢の「教え」だけだった。
「物や仏を拠り所にしている間は仏法は広まらない。」
「一時的な仏体の喪失感により無我となり、信者もまた救われるでしょう。」
かわりに私はまた精神内科を追加し、処方を頼んだ。
ある日、いつものまどろみの中、それは突然、閃いた。
奈良!
一挙に集める・・・・問題はどうやって東京に戻ってくるかだ。
境内の外界は`お告げ`の外の「普通の世界」だった。私は検問を怖れた。12月9日にも線路内で自殺を妨害され、警察に捕まったばかりだ。野方署の処理は終わっていない。連絡先を教えて担当署員からの連絡待ちだった。・・・
今度は邪魔はさせない。・・・でもどうすれば

世界遺産

平成18年2月5日(日)午前6時、私は冷たさに目を覚ました。私は昨晩この駐車場に入り、車を止め、キーを回し、エンジンを切り・・この真冬に、そのまま寝てしまっていたようだ。失禁していた。右手でシートをなぞるとビチャビチャと冷たい。こんなことは物心がついて以来、初めてだ。手足に力が゛入らない。下半身が別人のようだ。限界は近い・・・・
「今日こそ集めてしまわなければ・・・」昨日はお寺は間に合わなかった。警察に捕まらず東京に運ぶためのナンバープレートは見つかった。それは`西成にあるはずだった。先週、突然ひらめいた啓示に従い「放置」「困る」「自動車」「ナンバープレート」とパソコンに入力すると`大阪府西成区周辺`と ヒットした。東京から新幹線で来てみるとその街は明らかに周りと光景を異にしていた。バラックと廃墟と公共施設と無意味に広い道 殺伐とした灰色の街。おそらくこの町は夜行動するのだろう。ひと気がなくまばらで日光がここではけだるい厭なものに感じる。西成区に確かに`放置自動車`はたくさんあった・・しかしそれはすべてナンバープレートが外されていた・・。私は失望しながらレンタカーをぐるぐる周回させ、やがて区画から外され、高速道路の高架のような道路にはめられ、その街に戻ろうと、もがいて直進していた。
それは冬の曇天の下、ひかり輝いて、運転する私の目に突如、飛び込んできた。まるで私を待っていたかのように。びゅん々と大量の車が行きかう淀川区の高架下の公共駐車スペースに放置されていた。緑色の電光ナンバープレート・・なにわ○○ナンバー・・`放置されていたこと`を誇らしげに私に語りかける黄色い駐車違反のステッカー。明らかに一般の持ち主のマイカーではなかった。駐車違反のステッカーは10月・・・つまり半年前だ。指でスーッとボンネットをなぞるとそれが白い車であったことが分かる。車中から窓ガラスに張り付いたいくつもの段ボール箱と紙屑が見える。その光るなにわナンバーは横たわる粗大ゴミが自動車であることを主張し続けるためにその前後に厚くネジで取り付けられていた。
(はずさなければ)
すぐ先にロフトがあった。私はエスカレータを上がったり下がったりしながらロフト中にある、思いつく限りの、その為の`七つ道具`を購入した。
(とにかく奈良で決着をつけるのだ。せっかくおあつらえのナーバープレートまで用意してくれたのだ。
仏の期待にこたえなければならない。)
ドライバー、のこぎり、脱出用万能ハンマー(ラジオ付き)、イトノコギリ、吸盤、ライター、ガラス切り・・・・・。それらは東京の寺で断念したとき、「あればよかった。」と思ったものはかりだった。大隈光祐`アントワープの絵ヘ大隈光祐`アントワープの絵ヘ日差しが弱まり、降り始めた雪が私を冷まし、理性が出始めていた。
(ナンバープレートを取るのは窃盗だろう。大隈!)良心が叫ぶ。私はかぶりを振りながら道路を渡り、向いのうどん屋チェーン「得得」に飛び込み、ビール瓶を頼み、ベケタミンとマイスリー数錠をビールで飲み干し、折り返し車に突進し、ドライバーでいくつかのねじを外すと、はめ込まれた浪速ナンバーはぐらりと外れた。後ろも同じだった。ナンバープレートからなお伸びている数本の配線をそのまま引きちぎって、呼吸が止まった戦利品をレンタカーの後部座席に投げ入れると、私は思いついたように助手席の窓ガラスを脱出用ハンマーで叩いた。一度やってみたかった。硬い車の助手首席の窓ガラス全体が砂のように崩れおちた。簡単に割れた。ダッシュボードから車検証も回収し私は`初めての犯罪を完全にこなした達成感に高揚した。
(まだ間に合う。与えられた時間だ。無駄にはできない。)
駐車場近くの高架下から奈名高速道入口に入り、私はそのまま、飛鳥方面に向かった。私は降りた。私の故郷に。岡寺・・橘寺・・・私の子供時代に通ったお寺。しかし拝観時間が終わっていた。私はそのまま、飛鳥の丘陵を走り室生寺に向かった。私が再建に携わってから、改めてみるのはひさしぶりだった。真っ暗な山間部を走り続けると室生村に出た。あたりに開いている店は既になく、五重塔は黒いシルエットになっていた。旅館すら開いていなかった。私はしかたなく橿原駅に戻り、びっくりドンキーの駐車場に車を止め夜を明かした。大隈光祐`アントワープの絵ヘ大隈光祐`アントワープの絵ヘ
失禁したシートを拭きながら私は何度もつぶやく。
「限界は近い。今日こそ残りの15体を集めてしまうのだ。」レンタカーの返却24時間借りは西成近くのなんば店に本日10時までに返却期限だったが、私はナンバープレートが取れた瞬間から、自分乗っている車は11月の追突全損事故で今月、保険会社から提供される予定の新しいワゴン車と思い込んでいた。私は迷わず、ナビゲーションを「法隆寺」に合わせた。途中のコンビニで失禁してしまったパンツを着替え、缶ビールを買い、睡眠薬を数錠また飲んだ。正面のローターリーで開演時間を待つ。境内はもう開いていた。
しかし゛人゛が集まらなければ意味はなかった。お告げに妥協は許されない。単純に33体集めても「声」通りに従わなければ、失敗しては保険会社はできないだろう。気が付くと周りか急に騒がしい。車の横で店のシャッターが開き始め、観光に訪れたフランス人のような外国人の団体や複数の日本人が正門に向かって入って行った。大隈光祐`アントワープの絵ヘ
私は昨日、ロフトで購入したものをすべてカバンにつめ、参拝の受付に向かった。私は目覚めたばかりの朦朧のなかでふたたび決められたマイスリー2錠とハルシオン2錠とベゲタミンを口に入れ、人を捜し砂利道を進んだ。
視界がぼやける・・・
nooonOOOOnooon~ zuniiinoOOOoouunnn nyoun~ nyoun~ oooooooon MYoo~
haiyo~ goouuuyoyoyoyooneeeennn sha! sha! sha! myaooooo~o o o nnnn~ ~
大隈光祐`アントワープの絵ヘどこからか朝の読経が聞こえる。それも相当の数の僧侶だ。うなりのような読経が風に流れてきた。私の足は集団から離れそちらに向かった。
nooonOOOOnooon~ zuniiinoOOOoouunnn nyoun~ nyoun~ OOOOON MYoo~
「この建物からだ。」私は入口を捜し、ふらふら、周回した。
「入口が無い!」私は迷わず、昨日ロフトで買った携帯鋸を取り出し、自分が入れるだけの`入口`を作り、靴をぬぎ、障子を開き、堂内に上がった。大隈光祐`アントワープの絵ヘ
haiyo~ goouuuyoyoyoyooneeeennn sha! sha! sha! myaooooo~ooo nnnn~ ~大隈光祐`アントワープの絵ヘ
声のする方へ進む。ずんずん進む・・・
OOOoouunn~~ Myooo~nn Ooyoun~ nyoun~ ooooon myoo~~~haiyo~ goouuuyoyoyoyooneeeennn sha! sha! sha!大隈光祐`アントワープの絵ヘ
そこには誰もいなかった。
・・・・・・・・・・ただ文殊菩薩像があるだけだった。大隈光祐`アントワープの絵ヘ