大隈光祐`アントワープの絵へ` -10ページ目

障壁

すべては順調だった。大隈光祐`アントワープの絵ヘ従業員のひとりひとりが小さな保険会社への夢を語りだしていた。時給社員でもがんばれば新保険会社の社員になれるんだと信じ始めていた。平成17年3月31日ペイオフ解禁前日。突然、保険会社への登録法人口座から現金1,000万円が無断で地方銀行へ移される事態がおきた。経理部長に聞くと「オーナーより常務に内緒で出金し、用立てするよう指示があったので。」と悪びれない様子。保険代理店は預かった保険料を月末に精算するまで当該法人口座から勝手に入出金してはいけない。金融機関の窓口としてコンプライアンス上の常識だった。私は和菓子を買い、オーナーの家へ、やんわり諭しに出かけた。逆切れされた。
「俺の金だからどう使おうと俺の勝手だ。最近のユニクロの例もあるだろ(ユニクロは若い人間に社長を譲ったが1年後に社長は解任になりオーナーが復帰していた)。いやならクビだ。」今後の注意をしに来たつもりなのに予想外の展開だった。必死の説得で漸く預金は戻されたが金融機関を預かる身として底なしの不安となった。
私は高熱が出た。急性肺炎だった。大隈光祐`アントワープの絵ヘ聖路加国際病院に入院し個室で点滴を受けたが、時間がなく半日で無理に退院した。大隈光祐の”アントワープの絵”
私が約20年間損保総合職として接してきた、法人代理店主と異質のまったく反応だった。私が担当してきた損害保険の代理店主でもあるあらゆる業態の第一線の経営者は、ある意味損害保険会社のいうことに従順だった。知らないことに臆病だった。北海道北半分のトヨタ店を総括するオーナー経営者、老舗の旅館経営者、関西で一代でのし上がった有名な中古車チェーンのオーナー、毎日新聞専売店の会長、上場企業の創業者、どんなに普段保険会社に難癖をいう大型代理店でも、地方銀行のオーナー頭取でさえ、他人の保険料を預かる保険料預かり金口座に関することだけは、担当社員に真剣に耳を傾け、保険会社の指示通り、管理してくれた。しかしこの協会のオーナーにとってお金とはあくまで'お金'で、そこに区別はなかった。お金の種類にあるのは自分の金か他人のものかの違いだけだった。私以外の古参の若い社員たちはオーナーのお金の力によって採用された人たちだった。そのためこの団体ではオーナーの意思がすべてだった。オーナー以外との上下関係は実質なく、オーナーの指示を敢行することのみに一人一人が終始していた。協会保険事務局の責任常務である私の配下の経理部長ですらオーナーから言われれば、預かり金口座からの私に相談なくオーナーへ出金し用立てることに躊躇しないことは明らかだった。
しばらくするとオーナーから露骨な嫌がらせが始まった。まず私を5Fの保険事務局とは関係ない6Fの一人机に移動させるよう私を飛び越して指示があったが、従業員達の当然の反対で見送られた。70歳過ぎた参与からオーナーに日記をオーナー宅にFAXするよう要請があり、馬鹿らしいとは思ったが、毎日FAXを入れた。私以外の幹部は以前から毎日日記をFAXしていたらしい。オーナーは実は猜疑心の人だった。信じるのは`お金だけだったのだ。行政すら信じていなかった。と同時に(部下たちにこっそり教えてもらったのだが)参与も私に関する観察日記を報告し始めていた。まるで一昔前のチャウセスクの国。稟議は何も通らなくなった。私は毎日どきどきした。
保険業法改定の半年に迫ってきていた。後戻りは出来なかった。
私は保険会社に格上げ候補団体の常務理事として金融庁に呼ばれた。大隈光祐`アントワープの絵ヘ
大隈光祐`アントワープの絵ヘ頼みの宗田弁護士はあいかわらずいつも不在で、事務所から毎月10万円の請求書が届くだけで、相談できなかった。明らかに居留守のこともあり、顧問料だけ上手く払わされているようだった。しかし、歴史的に困難が大きいからこそ、出来上がるものも、ピュアで追随しがたい制度が出来上がるはずであると思えた。私はあせっていた。疑心暗鬼、権威誇示 それらがなぜ、今必要なのだろう。来年4月が保険業法改正なのに、まるでわざとそれに違反して小規模保険会社の審査欠格になりたいかのような指示を次々とぶつけてきた。私をそれをその都度 徹夜で資料を作り、かわした。私は手が振るえ、眠れなくなった。しかし私は休むわけにはいないかった。作品の完成は目前だ。眠れない日が続く・・。時間を割いて病院を見つけ、処方してもらう。息苦しい。また、ぜんぜん寝れなくなる。まだ次の処方日までかなりある。ゆっくり医師に相談してる暇はなかった。とりあえずその日寝るために病院の看板を探した。待っている人の多い病院はすぐ出て・・次を探した。大隈光祐の”アントワープの絵”30分。それが私に許された、一日のうち自分のための時間だった。

顧問契約

平成17年5月12日。「小額短期保険会社!すばらしい。ぜひ私にお手伝いさせてください。私は金融庁や総務省にも知り合いが多い。」 なあ そうだろう という風にちらっと横向くと隣の40代の弁護士があわてて大きくうなずいた。`たしかにそうだろうと私は思った。ネットで調べた今、私の前に座る銀髪の初老の弁護士の経歴は完璧だった。法学博士にして慶応大の教授。住専問題の時の政府側参考人。民事再生法の権威。著作も多い。永田町のビルの高層にある小説から飛び出して来たようなこの英国風事務所を訪れた依頼人はきっとそれだけで安心するのだろう。濁と清。所有するビルの外色はすべて黒で統一しているというオーナーの顔がよぎる。
「俺は児玉や小佐野とも知り合いだったんだ。わっはは・・」
過去、右翼とも渡り合ったというオーナーから一介のサラリーマン出身の私が私の`身を守るのに、これ以上の適任者がいるだろうか。助手2人を両側に従え座っている様子はそのまま私を将来の災いから守る傘に見えた。
「説明差し上げて。」
「ハイ」隣の弁護士が書類を取り出した。
「顧問契約は2タイプあります。ひとつは一般的な顧問契約で月5万円。もうひとつは10万円のコースです。」
内容の違いがわからない。その横で「小規模短期保険会社かぁ。さっそく、金融庁の人間によく言っておこう。」誰とはなく先生が言っている。10万円を選ばなければいけない雰囲気があった。松竹梅の弁当なら竹を選ぶ。この場合、梅の提示はないようだ・・。この出費は如何に当面の生活を圧迫しようとも私のこれまでの人生でもっとも不可欠で必要な出費だった。手術費用は○○円です・・・ブラックジャックか・・
「10万円の方にさせていただきます。」
私は印鑑をかばんから取り出し、持参した100円ショップの朱肉を使い書類に印を押した。
「どんなことでも、困ったことは何でも私に相談してください。」と笑えんでいる。
もうひとりの女性の助手が先生の印鑑を預かった。そして印鑑を押そうと朱肉につけ、そのまま書類に押そうとした。すると
「きみっ ちょっと待って 貸してごらんなさい。朱肉というのはそのように押すものじゃない。
そして印鑑を手に持つと
「こうやってまわしながら」と朱肉の上で印をぐるっとまわした。
 ・・わかった? じゃあやってみて。」
そのまま印を押すかと思ったらまた印鑑を助手に渡して、彼女が書類に押印するのを観察している。
「そう それでいいんだ。これはかなりいい朱肉なんだ。普通の朱肉ではないんですよ。」
割り印の講義もはじまり、助手はいちいち「ハイっ」「ハイっ」と答えている。きっと助手の眼中に`私という人間は今いないのだろう。100円ショップの印の方が濃いように見えた。大隈光祐`アントワープの絵ヘそれから、私は毎月一回予約の電話を女性に入れ、そして・・・その時間から待たされた。
いつも30分ほど永田町のビル1Fフロントでソファにまどろみ寄りかかっていると「先生が空きましたのでお上がりください。」と携帯に電話が入った。私が相談の説明をし終わると、それだけで時間が終わった。事務員が間に入る。「では大隈さん。先生は次の予定がありますので申し訳ありませんが・・」先生「今日は悪いですね。その件は次回ゆっくり相談に乗りましょう。」その繰り返し。その間。オーナーの妨害は日々著しくなっていた。
私を気にし、私の日常業務を如何に妨害するかということが、協会の所有者の証であるかのように。どうでもいいことだった。作品さえできれば、しかし私を取り巻く状況は限りなく切迫していた。それに比例してこの事務所とは連絡がまったく取れなくなった。10万円の請求書だけが正確に自宅に届き、妻は私の不在から家を守る証であるかのように生活費を切り詰め、消費税を加えた10,500円を弁護士の口座に振り込み続けた。

不眠症

私はまったく眠れなくなった。いや睡眠薬なしでは起きていることすらできなくなった。抗うつ剤が量が少なくなるとはげしい希死感に襲われた。普通の人には不幸があったわけでないのに?仕事をしているのになんで死にたくなるのか?と疑問に思うかもしれない。しかし、希死感とは今ある生活とは別に襲ってくるのだ。睡眠薬マイスリー、ハルシオンを日中も飲まなければ、足は激しい貧乏ゆすりがとまらなかった。仕事している間だけ、それは私を通常人の活動レベルに抑え、精力的に仕事し、そのインターバルには役員室のソファーや、移動中、電車の隅っこ、タクシーのソファーに横になりまどろみの世界にいた。一日一回就寝前に服用すべきマイスリーもしくはハルシオンを朝昼夕服用しながら仕事を指示し、夜になり本当に就寝前には、指示された倍の2錠を服用した。それでもまもなく眠れなくなり始めた。私は1,2時間で直ぐ覚醒した。異常にのどが渇き、ビールを飲み干し、甘いものをもとめてアイスクリームをいくつも食べた。
毎日が長い夜だった。単純に計算しても一日一回、就寝前に処方されている睡眠薬を朝昼晩+寝る前2錠飲むわけだから、同時に6通院は必要になった。抗うつ剤はいろいろ処方されたがパキシルが一番効いているようである。日中の睡眠薬の効き目は序々に短くなり、私はインターネットでも薬の購入を試みた。プロザック・・・飛鳥病院の院長も知らなかった抗うつ剤。私の体重は急激に増えつつあった。60Kなかった体重はあっと言う間に65Kを超えた。目だけがぎらぎらしていた。私にはもう保険会社化を阻む何事も排除していく、気概に満ち溢れていた。体調が悪化するのに反比例するのにしたがって、保険会社化への義務感・執着だけが私を支え、身体を支配していった。