その637
☆大相撲が終わった 2横綱2大関が休場という不甲斐ない場所になったが、幕内力士の賜杯争いよりも気になることがあって私はチャネルをひねった。お目当は、怪我で幕内から何と最下位の序の口にまで落ち込んだ炎鵬である。上背は170センチ、体重は力士の中で最低の100キロあるかなしかの小兵だが、均整の取れた体格、何よりその美男子振りで絶大な人気を誇っていた。雌伏時代があまりに長く、マスコミからも消えうせた感じで寂しい限りだったが、幕下に上がってテレビで取り組みが報じられるようになり、彼の登場する時間帯を狙ってテレビにスイッチを入れるようになった。彼が登場するや、場内の空気が一変、拍手が沸き上がる。あんこ型の力士が多い中で、小兵ながら筋骨隆々、立ち姿の美しい彼のファンがいかに多いかを思う。相撲も外連味がなく大型力士にも敢然とぶつかっていき、時に押しつぶされるが、時には切れ味鋭い投げ技で相手を土俵に転がす。まさに⁅小よく大を制す」である。
その炎鵬の名を遂に新聞の十両表に見るようになった。どん尻で、今場所負け越せばまた幕下に転落、新聞から名前が消える。何としても勝ち越してほしいと祈るような思いで連日の取り組みに見入っていたが、7勝してから連敗が続き気をもんだ。千秋楽を前に、かろうじて8勝を挙げ十両にとどまった。勝ち越しを続け、再び幕内力士としてその英姿を見せてほしいものだ。
☆テニスの4大グランドトーナメントの一つフランスオープンが始まった。残念ながら、日本人選手の登場は、ない。いや大坂なおみがいるではないか、という方があるかもしれないが、私は彼女が日本人とはもうひとつ認めがたいものがある。母親は日本人だからいわゆるハーフだが、彼女はいっかな日本語をしゃべらない。インタビューを受ければ必ず英語で答える。日本を代表していると自負するなら、日本語をもっとすべきであろう。
其れよりも惜しまれるのは、フェデラー、ナダル、ジョコビッチのビッグスリーと死闘を演じ、世界第4位までのし上がった錦織圭の引退である。グランドスラムの下部試合で優勝を重ねて這い上がっててくれることを期待したが、満身創痍の体はそれを許さなっか様だ。
赤土の王者としてフランスオープンで最多の優勝を重ねたナダルを私は好きだったが、そのファイト溢れるテニスも見られなくなった。一人ジョコビッチが奮闘しているが、彼の時代はもう先が見えている。これからはシナー、アルカラスの
時代だろう。
☆相撲やテニスは見るばかりだが、この年で唯一たしなんでいるスポーツは卓球である。市の大会が近づき、エントリーしたが、私より年長者は、ご婦人でも男性でもお一人くらいだ。男性のTさんは私の一つ年長、威勢がいい。こと卓球に関しては一言居士でうるさい。ゆえに煙たがられているが、本人にその認識はないようだ。しかし私は彼が元気でいてくれることが励みになる。
私は中学時代、町の卓球場でたまたま隣あわせた高校生のシェイクハンドのカットボールに魅せられ、見よう見まねで、当時はほとんどのものがぺんホールだーだったのを尻目にシェイクハンドを専らとし今日に及んでいるが、本格的に指導を受けたわけではないから我流の域を出ない。橋本ほのかの妙技は垂涎の限りだ。
一回り以上も若い連れ合いは、当初は私が手ほどきをしたが、今では完全に逆転、シングルではもはや太刀打ちできない。私はどちらかといえばシングルが好きだが、5アセットで3ゲーム取らないと勝てない試合はもとより、3セットで2ゲーム先取の試合でも体力が続かないことに気づき始めている。ことに暑い時期、冷房のない体育館での手合わせは鬼門だ。そろそろその季節が近づいている。
夏はマリーンスポーツと決め込み、卓球はお休み、近くの浜辺で水と戯れるのがおちであろう。それにしても5月にしてこの暑さ、真夏日が思いやれやられる。NHKが子供に言って聞かせるような熱中症対策は適当に聞き流すとして、健康にはくれぐれもお気を付けいただきたい。
その636
☆GWも終わった。皆さんはいかにお過ごしになられただろうか?
私は20年来のお付き合いになる94歳の男性の身内からいつ彼の訃報が伝えられるかしれない状況なので遠出を控えていた。
ことはGW前、遠方の娘さんで介護士を務めているひとから、父がもう動けない状態なのでここ暫く仕事を休んで泊まり込んでいます、そうそう仕事を休めないので父には入院してくれと言っているのですが頑として聞き入れません、先生の言うことなら聞くと思いますので説得に来ていただけませんか、と電話が入ったことが発端だ。かれTさんの家は私も看護師も知らない遠方の地だ。自宅で亡くなった場合はかかりつけ医として駆け付け死亡診断書を書かねばならないだろう。しかしGW目前、一泊くらいで島外に出るやも知れぬ。入院してくれれば誰かはいる勤務医が最後をみとってくれるだろう。
Tさんは日ごろ急変で入院をお願いする病院に入院したことが何度かある。今回はもう潮時だ、説得しましょう、と言って、淡路島に来て以来四半世紀になるが一度も踏み入れたことがない、車で30分ほどの地に、自宅のあり場を聞いたという看護師とともに出かけた。5月一日のことだ。
☆Tさんはベッドにひっくり返ったまま身動き取れないでいた。意識はしっかりしている。足の力がないから寝そべったままなのだ。ヴァイタル【血圧、呼吸、脈拍、体温】も特に問題はないが、食事はほとんど摂っていないと言う。体重は相当落ち込んでいる。それでも、つい2,3週前までは、娘さんに付き添われて自分の足で診療所に来ていたのだ。せめて点滴だけでもしてやったくださいと娘さん。焼け石に水だが、それでも確かに、点滴後は少し楽になっている由。
GW前の最後の診療日で、30分後には午後診を控えている。説得は容易にできるだろう、と私はたかをくくっていたが、どうしてどうして、Tさんはいっかなかぶりを下ろさない。前の入院でよほど懲りたのか?それは、わたしも昨年の暮れから正月明けにかけた入院中塗炭の苦しみを味わったから、そうだとすれば私にもよくわかる。私のその苦い体験が、娘さんの期待に反して、私が説得力を欠いた一因かもしれない。午後診には遅刻して30分かけて繰り返し説得したが、どうしてもTさんの首を縦におろさせるせることはできなかった。看護師も外泊の予定はないという。私もその場で遠出は諦めた。
父は先生のおっしゃることなら何でも聞いていましたから、説得していただけると思っていましたが、と無念の面持ちの娘さん。
彼女から、たった今父が息を引き取りました、と連絡が入ったのは、GW最後の5月六日、午後6時過ぎだった。あと一週間で94歳の誕生日を向かえるところだった。看護師の連絡を受け、彼女の案内でお宅に向かった。最初は道を誤ったが、今度は過たず案内してくれた。
「午前中まで、診療所に行かないかんとか言ってしゃべっていたんですが」と娘さん。臨終には30分間に合わなかったが、最後を自宅で看取れてよかったと看護師と頷き合う。
一夜明けて今朝認めた「死亡診断書」の死因欄にははためらわず
「老衰」と書いた。本邦人の三大死因である癌、心筋梗塞、脳卒中以外の死因を記したのは何年振りかであった。
☆先般出版した「薬の話―その効能と副作用」を神戸新聞社が紹介してくれました。お目に触れれば幸いです。南あわじ市ではシーパの書店坂本文署堂においてくれています。アマゾンや直接出版社に注文していただいても結構です
その635
☆3月14日、神戸港から「飛鳥ⅲ」に乗り込んだ。
乗船者は300余名、船長以下船の乗務員は400余名と聞いた。
前年の9月に予約したものの、暮れから正月明けにかけての青天の霹靂の病魔に見舞われ、9分9厘キャンセルになるだろうと思っていた。2月20日がキャンセルの期限。1月中旬には手術台に乗っているだろう、手術は根治を期すなら胃の全摘に膵臓の一部と脾臓を切らなければならないと言われていたから、何より楽しみにしていた客船での三度三度の食事など夢のまた夢、到底乗船には間に合わない、船には乗れたとしても、胃を全部取ってしまったらかゆ食が精々で、フランスやイタリア料理などもってのほかと思われた。
だが、不思議なことに、飲まず食わずながらそれでも嘔吐を繰り返す私の惨状をつぶさに見ながら、連れ合いは「飛鳥スリー」には乗れる気がする」と、言ったのだ。彼女はもとより霊能者ではないが、時々霊感のようなものを感じさせることを口走る。
其れかあらぬか、主治医たちも経験が無く頭を悩ませいた私の腹の中の腫瘍は、悪性ではなく良性のもののようだから大それた手術を敢行するには及ばない、経過観察しましょう、と最終診断を下してくれたのだ。
☆退院後もしばらくは恐る恐るおかゆを続けていたが嘔吐は一度も起こらず、モノはおとなしくしてくれているとの手ごたえを覚えた。
2月4日、特大を受診、CT検査を受けたが、径8センチあった腫瘍は4センチに縮小、全体のボリュームは3分の1になっていると思われた。この間治療は何もしていない。それどころか、このころにはおかゆを脱却、ごく普通の食事をしていた。
3か月後もう一度来られますか、それとも何か変わったことがあったら連絡してもらうということにしましょうか、と、端から気の合うものを覚えていた主治医の斎藤ドクター。寸時一考、後者でお願いします、と答えていた。破顔一笑の斎藤ドクター、快く頷いてくれた。
☆船旅は3泊4日、宮崎の日南へのそれだった。飛鳥での旅の目的の一つは、以前にも書いたと記憶しているが、ここに、高校時代の同期生で柔道部でしばし汗を流し合った平松礼二の絵が展示されていると知ったことだ。君の絵を見てくるよ、と約束していた。パンフにはその絵がほんの一部小さく紹介されているだけだったが、乗船するや、はてどこにあるかと探るまでもなく、5階から11階までのデッキの踊り場の壁一面を彼の絵が覆っていた。聞きしに勝る大作の数々に息をのんだ。彼はフランスの画家モネのハスの絵に傾倒し、彼の絵を日本画風にアレンジできないものかと試行錯誤してきた人物だ。苦節幾星霜、手掛けたその作品の数々がフランスの著名な美術館に展示されているという。
船はほとんど揺れることなく、酔い止めを備えていった連れ合いもほんの一服口にした程度だ。日南で下船し、せっかくだからとタクシーで古城跡に走ったが、日南市の市会議員も兼ねているという運転手が周辺を案内してくれた。飛鳥の寄港を当てにして土地の人々が繰り出していた。土地の産物の売店や、驚いたことには、飛鳥に乗ったのは何どめか、また乗りたいと思うかなどの項目を書いたアンケート用紙を求める人もいた。
船内では、ピアノや軽音楽の演奏もあったが、何と言っても楽しかったのは、我々の部屋のすぐ上の11デッキのレストランの食事や間食であった。ほとんど1日中、夜遅くまで食べるものがあった
下船後、さっそく平松礼二に一筆認めた。「見てくれてわがことのようにうれしいよ」と返ってきた。
