その636
☆GWも終わった。皆さんはいかにお過ごしになられただろうか?
私は20年来のお付き合いになる94歳の男性の身内からいつ彼の訃報が伝えられるかしれない状況なので遠出を控えていた。
ことはGW前、遠方の娘さんで介護士を務めているひとから、父がもう動けない状態なのでここ暫く仕事を休んで泊まり込んでいます、そうそう仕事を休めないので父には入院してくれと言っているのですが頑として聞き入れません、先生の言うことなら聞くと思いますので説得に来ていただけませんか、と電話が入ったことが発端だ。かれTさんの家は私も看護師も知らない遠方の地だ。自宅で亡くなった場合はかかりつけ医として駆け付け死亡診断書を書かねばならないだろう。しかしGW目前、一泊くらいで島外に出るやも知れぬ。入院してくれれば誰かはいる勤務医が最後をみとってくれるだろう。
Tさんは日ごろ急変で入院をお願いする病院に入院したことが何度かある。今回はもう潮時だ、説得しましょう、と言って、淡路島に来て以来四半世紀になるが一度も踏み入れたことがない、車で30分ほどの地に、自宅のあり場を聞いたという看護師とともに出かけた。5月一日のことだ。
☆Tさんはベッドにひっくり返ったまま身動き取れないでいた。意識はしっかりしている。足の力がないから寝そべったままなのだ。ヴァイタル【血圧、呼吸、脈拍、体温】も特に問題はないが、食事はほとんど摂っていないと言う。体重は相当落ち込んでいる。それでも、つい2,3週前までは、娘さんに付き添われて自分の足で診療所に来ていたのだ。せめて点滴だけでもしてやったくださいと娘さん。焼け石に水だが、それでも確かに、点滴後は少し楽になっている由。
GW前の最後の診療日で、30分後には午後診を控えている。説得は容易にできるだろう、と私はたかをくくっていたが、どうしてどうして、Tさんはいっかなかぶりを下ろさない。前の入院でよほど懲りたのか?それは、わたしも昨年の暮れから正月明けにかけた入院中塗炭の苦しみを味わったから、そうだとすれば私にもよくわかる。私のその苦い体験が、娘さんの期待に反して、私が説得力を欠いた一因かもしれない。午後診には遅刻して30分かけて繰り返し説得したが、どうしてもTさんの首を縦におろさせるせることはできなかった。看護師も外泊の予定はないという。私もその場で遠出は諦めた。
父は先生のおっしゃることなら何でも聞いていましたから、説得していただけると思っていましたが、と無念の面持ちの娘さん。
彼女から、たった今父が息を引き取りました、と連絡が入ったのは、GW最後の5月六日、午後6時過ぎだった。あと一週間で94歳の誕生日を向かえるところだった。看護師の連絡を受け、彼女の案内でお宅に向かった。最初は道を誤ったが、今度は過たず案内してくれた。
「午前中まで、診療所に行かないかんとか言ってしゃべっていたんですが」と娘さん。臨終には30分間に合わなかったが、最後を自宅で看取れてよかったと看護師と頷き合う。
一夜明けて今朝認めた「死亡診断書」の死因欄にははためらわず
「老衰」と書いた。本邦人の三大死因である癌、心筋梗塞、脳卒中以外の死因を記したのは何年振りかであった。
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その635
☆3月14日、神戸港から「飛鳥ⅲ」に乗り込んだ。
乗船者は300余名、船長以下船の乗務員は400余名と聞いた。
前年の9月に予約したものの、暮れから正月明けにかけての青天の霹靂の病魔に見舞われ、9分9厘キャンセルになるだろうと思っていた。2月20日がキャンセルの期限。1月中旬には手術台に乗っているだろう、手術は根治を期すなら胃の全摘に膵臓の一部と脾臓を切らなければならないと言われていたから、何より楽しみにしていた客船での三度三度の食事など夢のまた夢、到底乗船には間に合わない、船には乗れたとしても、胃を全部取ってしまったらかゆ食が精々で、フランスやイタリア料理などもってのほかと思われた。
だが、不思議なことに、飲まず食わずながらそれでも嘔吐を繰り返す私の惨状をつぶさに見ながら、連れ合いは「飛鳥スリー」には乗れる気がする」と、言ったのだ。彼女はもとより霊能者ではないが、時々霊感のようなものを感じさせることを口走る。
其れかあらぬか、主治医たちも経験が無く頭を悩ませいた私の腹の中の腫瘍は、悪性ではなく良性のもののようだから大それた手術を敢行するには及ばない、経過観察しましょう、と最終診断を下してくれたのだ。
☆退院後もしばらくは恐る恐るおかゆを続けていたが嘔吐は一度も起こらず、モノはおとなしくしてくれているとの手ごたえを覚えた。
2月4日、特大を受診、CT検査を受けたが、径8センチあった腫瘍は4センチに縮小、全体のボリュームは3分の1になっていると思われた。この間治療は何もしていない。それどころか、このころにはおかゆを脱却、ごく普通の食事をしていた。
3か月後もう一度来られますか、それとも何か変わったことがあったら連絡してもらうということにしましょうか、と、端から気の合うものを覚えていた主治医の斎藤ドクター。寸時一考、後者でお願いします、と答えていた。破顔一笑の斎藤ドクター、快く頷いてくれた。
☆船旅は3泊4日、宮崎の日南へのそれだった。飛鳥での旅の目的の一つは、以前にも書いたと記憶しているが、ここに、高校時代の同期生で柔道部でしばし汗を流し合った平松礼二の絵が展示されていると知ったことだ。君の絵を見てくるよ、と約束していた。パンフにはその絵がほんの一部小さく紹介されているだけだったが、乗船するや、はてどこにあるかと探るまでもなく、5階から11階までのデッキの踊り場の壁一面を彼の絵が覆っていた。聞きしに勝る大作の数々に息をのんだ。彼はフランスの画家モネのハスの絵に傾倒し、彼の絵を日本画風にアレンジできないものかと試行錯誤してきた人物だ。苦節幾星霜、手掛けたその作品の数々がフランスの著名な美術館に展示されているという。
船はほとんど揺れることなく、酔い止めを備えていった連れ合いもほんの一服口にした程度だ。日南で下船し、せっかくだからとタクシーで古城跡に走ったが、日南市の市会議員も兼ねているという運転手が周辺を案内してくれた。飛鳥の寄港を当てにして土地の人々が繰り出していた。土地の産物の売店や、驚いたことには、飛鳥に乗ったのは何どめか、また乗りたいと思うかなどの項目を書いたアンケート用紙を求める人もいた。
船内では、ピアノや軽音楽の演奏もあったが、何と言っても楽しかったのは、我々の部屋のすぐ上の11デッキのレストランの食事や間食であった。ほとんど1日中、夜遅くまで食べるものがあった
下船後、さっそく平松礼二に一筆認めた。「見てくれてわがことのようにうれしいよ」と返ってきた。
その634
☆東北大震災から15年たった。新聞やテレビは関連記事や放映に多くのスペースや時間を割いた。昨日まで身近にいた人が数時間後には姿を消してしまい、今に至るまで行方知れずとなったひとびとは、到底現実のこととして受け入れられないだろう。
そんな一人、69歳の男性は、突如行方知れずとなった妻を今も探し続けている。地上をくまなく探し回っても見つからず、さては津波とともに海に引きずられ、ひょっとしたら海底に沈んでいるのではと、遂に海の底に潜ることを決意、潜水の技術を学び、海に潜ること750回に及んでいるという。かくまで一人の人を追い求め、生きた姿は捉えられなくとも、せめて亡骸の一片なりとこの目にしたいというその執念は、ストーカーとは真逆の真実の愛以外の何物でもあるまい。唖然たる思いでしばし動けなかった。
☆最近、読みだしたらやめられなくなった本がある。第二次大戦下、ナチスドイツの非業を綴ったノンフィクションだが、この手の本はまず例外なく重苦しい。手にするのを躊躇するが、この本はそのタイトルに一筋の光明があるように思えて買い求めた。曰く「アウシュビッツの恋人たち」何百万というユダヤ人がガス室に送られていった強制収容所の中で恋が生まれ、実際に情を交わし合うことができたのか?本書は、奇跡を生んだ、オペラ歌手を目指していた18歳の少年と、8歳年長のグラフィックアートを学んでいた女性との運命的な出会いと別れ、奇跡の再会を描いている。然り、ダビッドとツイッピは、見つかれば即銃殺刑に処せられる中で密かに逢瀬を重ね、危ないところを何度も同じ収容者の機転によって救われ、最後には離れ離れになるものの、それぞれ生き地獄から生還を遂げる。そうしてなんと90歳に及んで再会を遂げるのである。この信じがたいドキュメントを、綿密な取材で書き上げた著者もさりながら、邦訳者も素晴らしい。人間がどこまで残虐になれるか、さては希望を失わず生き抜けるかを本書程赤裸々に丹念に描いて見せた作品は他に知らない。ぜひご一読をお勧めする。
☆思い返せば私の人生もいくつかの奇跡によってなんとかここまでたどり着けた感を禁じ得ない。その一つがつい最近の出来事だ。2カ月余前、私は絶望的な思いで手術台に横たわるものと思っていた。“ショーシャンクの空”のような青空を晴れがましい思いで見上げる日が果たして訪れるだろうかと。其れより数か月前に、念願の≪飛鳥Ⅲ≫の乗船予約を取っていた。わずか3泊4日の旅だが、それでも心待ちにしていた。しかし、青天の霹靂がその希望を奪い去ろうとした。切腹を覚悟した時は、まず9分9厘、せっかく取り付けた予約はキャンセルすることになるだろうと思った。それが今、奇跡的に覆って、明日、≪飛鳥Ⅲ≫に乗ろうとしている。タイタニックのような悲運が起こることはまずないだろう。今日は冬がぶり返したように寒いが、明日は春日だというのも嬉しい。
