大鐘 稔彦のブログ
淡路島の診療所からお送りいたします。
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その633

☆(前回の続き)

 切腹を覚悟で転院した特大病院から思いがけない退院許可が出て以来ひと月余が過ぎた。お陰様で大過なく過ぎている。帰宅後数日は用心におかゆと副食は容易に噛めるものに終始していたが、いつの間にか普通の食事ができるようになり、一か月後にはフランス料理に舌太鼓を打てるようになった。

☆二月四日、検診のため特大を受診、CTを受けたが、例の腹中の異物は、最大径8センチあったのが約二分の一に縮小していた。これといった治療は何もしていない。自然に小さくなったのだ。ボリュウム的には㈣分の一か、ひょっとしたら八分の一になっているかもしれない。実はこの前日、診療所でガストログラフィンによる食道透視を行い、入院後数日後の透視では造影剤が食道内に滞り、2分ほどしてようやく糸のような線を引いて胃に流れて行ったのが、この日は全く食道内に滞留することなくスムーズに胃に流れていくのを確かめ、あれほど苦しんだ食道から胃の上部の締め付けが失せているのを確認していた。

 主治医の斎藤ドクターが、CTと私の持参した透視のフィルムを見て言った。「よくなっていますね。どうしましょうか?3か月後にもう一度予約しましょうか、それともなにかあったらそのとき連絡いただくか、近くの病院を受診するかにしましょうか?」

 私はためらわず言った。「後者でお願いします」

斎藤ドクターは破顔一笑して言った。「ではそういうことで」と。

 かくして私は自由の身となった。ほとんど諦めかけていた3月半ばの「飛鳥Ⅲ」の乗船に臨むべく、昨日手付金の残額を払いに行った。この船には高校の同期生平松礼二画伯の作品が展示されているというので、船へのあこがれもあって応募していたのだ。

☆同期生といえば、昨年の10月半ばに東京の一ツ橋会館で開かれた同期会に、ぜひとも会いたい友人がいて上京したのだが、その二人がドタキャンと連絡してきて驚かされた。一人は右の肺に巨大な癌が、今一人はやはり右肺に間質性肺炎が出て高熱を発した、というのだ。肺がんと宣告された友人は、どうせ何をしても助からないと思う、ここまで生きてこれただけで十分だから何もしない©で緩和医療を受けようと思う、と限りなく悲嘆的なことを言ってきた。肺の写真が送られてきていた。なるほど確かに癌は相当なものだが、ほかに転移はなさそうだ、何かと世話になった友人だ、このまま手を打たず死んでほしくはない、今は分子標的薬ほか、優れた抗がん剤ができている、その副作用が我慢できないものならいざ知らず、そうでないなら、一度試してみてほしい、と訴えた。数日後、諸検査の結果、効きそうだという抗癌剤があると言われた、あなたの進めてくれる通り受けてみようと思う、と返事が返った。更に半月ほどして、軽いむくみ程度で副作用は大したことなく受けられた、効果があった模様で、写真を見てほしいとの便り。添付されたフィルムを見て驚いた。癌が顕著に縮小し、ほとんど消えかかっているのだ。

「間質性肺炎」の彼からも、ステロイドホロモンでずいぶんよくなった、自宅に戻ってこれ、すごくさわやかな気分でいる、と明るい声で電話をくれた。ひとまず一件落着、お互いに嬉しい春を迎えられそうだ。

☆今回の青天の霹靂につきご心配いただいた諸兄姉に、心から御礼申し上げます。

その632

☆(前回の続き)

 飲まず食わずながら相変わらず嘔気嘔吐に 悩まされ、検査がないまま長い長い日が続いた 

 入院は二度目だ。一昨年の9月半ば、これまた青天の霹靂でここにご厄介になった。脳梗塞であった。幸い早い治療で改善、二泊三日で退院でき、一週間後には診療に戻れた。今度はそうはいかなさそうだ。長期戦、下手すれば復帰できないかもしれない、それこそ年貢の納め時かもと暗澹たる気持ちに閉ざされた。

 N先生は年末ぎりぎり切りまで毎日顔を見せてくださったが、朗報はただ一つ、放射線科の医師の診断では、「リンパ管種」ではないか、というものだった。医者になって60年、外科医として30年の私だが、聞いたことのない病名だ。N先生も私より10年若いくらいの超ベテランだが、やはり経験したことがないという。ネットで調べてみると、若い世代の病気で様々な症状を呈するが、悪性疾患ではなく良性で必ずしも手術は必要ないということだった。

 わずかな光が差した。嘔気嘔吐は本当に忌々しいが、唯一の救いは、腹痛が全くないことだ。それに、料理番組を見ると無性に食べたくなる、つまり食欲は十分あることだ。さらに言えば、癌の腫瘍マーカーはすべて正常で、例えば当初疑った、「リンパ腫」ならばIL2やLDHが高値をしめしてよいはずだ。実際私の患者さんで70代の女性は他何も異常はなかったが、LDHの高値で悪性腫瘍を疑い、やがてわきの下の大きな腫瘤が出現、「リンパ腫」と判明した。

 今一つ疑われるのはGIST(消化管間腫瘍)だが、これは実質性の硬い腫瘤で、私の腹の一物は多数の嚢胞からできており、GISTとは様相が違う。何にせよ、この腫瘍が食道下端から胃上部を圧排して嘔吐をもたらしているようだ。いずれにしても、強引に胃壁からはがすある、つまりは手術になるだろうと思われた。

☆もし手術となるなら執刀してもらいたい医者がいた。徳島大学の教授島田光生先生だ。先代の田代教授の時代から良く存じ上げており、ごく親しい隣人の転移性肝臓がん23個を摘出し、長年生かしていてくださる国手だ。島田先生に藁にも縋る思いで電話を掛ける。いつもの通り明るい声がかかったが、あいにく先生は春に退官され、市内の病院で地域医療に従事する身になっていると知り愕然とする。「だが心配いりませえ、僕の弟子たちに優秀な外科医がいますから頼んでおきますよ」と島田先生。そのあとすぐに斎藤と名乗る医師から電話が入り、「今入院しておられる病院の主治医の先生と連絡を取って手配させてもらいます」と明朗なコメント。すこし気が楽になった。

☆人生最悪の長い長い5日間が過ぎ、ようやく検査に回された。まずは胃カメラだ。地元のT先生にはわたしがしていると同じ経鼻内視鏡をしてもらって楽だったが、センターではその何倍も太いカメラを入れるという。さらには状況如何で、先端にエコーの付いたカメラをいれさせてもらいます、と。相当痛いと思うので麻酔で眠っていただいてしますね、とN先生。腰が引け、できることならやめて欲しいと思ったが、それが最後の検査になります、後者はその道のエキスパートで日本でも指折りの近畿大学の先生がたまたまたこられるのでぜ受けてください、先のカメラで全然食道から胃に入っていかないならやめることになると思いますが云々。こうなったらもう俎板の鯉だと観念した。

☆案ずるより産むがやすし、検査は二回とも知らぬ間に終わった。カメラは通過、エコーでの撮影もできたという。

 その結果は、やはり 腫瘍部分を占めているのは嚢胞で、多分内容は水か血液であろう、診断としてはやはり「リンパ管腫であろう」と

 不思議なことに、その直後から嘔吐発作が失せ、重湯を食べられるようになったのだ。カメラがブジールング(拡張)の役目を果たしてくれたのだろうか。いずれにしてもオペにはなるだろうと思い、予定通り大学病院に転院したのが一月7日だったか。移ってからも嘔吐はなく、三分がゆをいただけ点滴からも解放された。

 そして9日、島田先生の後継者とみなされる森根先生から、「この手の病気に造詣の深い小児外科のドクターの診断もリンパ管腫で、モノはおおきいのでぜんぶとろうとおもったら胃と脾臓それに膵臓の一部もとることになりかねないが、 悪性ないざ知らず、良性のようなのでこのままなにもせずようすをみたら、とのけつろんにいたりました、とのご託宣。その日の午後、連れ合いに迎えに来てもらった。

 三日たったが、依然として嘔吐はなく、全粥、パン食べれている。

ご心配いただいた諸兄姉に、 厚く厚く御礼申し上げます。

 

その631

☆希望に満ちた新年をとの思いは虚しくついえ去った。師走21日、その日は日曜日で朝から市の卓球大会が催されるので、8時半に家を出て試合会場に向かった。

異変が起きたのは昼食時だった。弁当のヒレカツを一口入れてかみ下した時、胸骨の真裏あたりに締め付けられるような痛みを憶えた。家での朝食時には何ともなかったのに。首をかしげながらさらにもう一口二口口にして飲み込んだが、まったく同様の痛みを覚え食事を中止した。

 食道が狭くなっている、と感じた。咄嗟に閃いたのは食道癌だ。自分でこれを調べる手立てはない。隣町のT先生に電話を入れた。すぐにいらしてくださいとの返事。車で20分。連れ合いの運転でT医院に向かいながら、(いよいよ年貢の納め時か?)との思いが脳裏に去来した。  

 その約2か月前、東京で開かれた高校の同期会に出席したが、再会を楽しみにしていた二人がドタキャンで欠席だという。どうしたのかと電話を入れると、家人が涙声で、夫に肺がんが見つかりまして、と一人が、もうひと方は、胸に急に水が溜まって呼吸困難で急遽入院になりまして、と、思いもかけない返事に一興。ついこの前まで手紙やメールで元気にやり取りしていたからだ。そんなふたりの青天の霹靂に自分も見舞われようとは、夢にも思わないことだった。

☆しかし、食道も胃も無事だった。但し、食道から胃にカメラを挿入するとき、何かの抵抗を感じました、多分外からの圧排ではないかと思います、とT先生。

 幸いにも淡路医療センターから例年のごとく研修医が来てくれており、彼に代診を頼み、点滴もしてもらってその日は帰った。

 地獄の苦しみを味わったのは翌々日だった。夕食も途中で胸の痛みを覚えて早々に投げ出し、夜10時に床に就いたが、その前から始まっていた嘔吐発作に数分おきに悩まされ、眠るどころではなかった。吐物に胃液らしきは混じっていない。食道の粘液と思われる無色の液体と唾液だ。5,6時間の間に100回は吐いただろう。まんじりともせぬ一夜が明け、這う這うの体で何とか診療所に赴くと、研修医のI君に淡路医療センターの消化器部長N先生に診察の予約を取ってくれるよう頼んだ。長年の知り合いで当院の患者さんも時折お世話になっている。快く午後3時の予約を取ってくれた。

 一通り話を聞いてくれた後、念のためCTをと言われた。1時間後結果を聞きに診察室に赴くとN先生の顔が曇っている。嫌な予感がした。画像に異変が見られた。胃と肝臓の間に径8センチの腫瘤が映し出されていた。帰るつもりが急きょ入院をと言われた。何も口にできないでしょうし、そのままでは弱る一方です、IVH(高カロリー輸液)をしましょう、と。頷くしかなかった。画像の異物が何であるかは分からないという。うちも明日からはお休みで、何も検査はできないので、ただ栄養を補って休んでいてもらうだけで申し訳ないのですが。(この稿続く)

 

 

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