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エジソン少年は「1+1=1」と言っている。

ベートーヴェンは耳が聞こえなくなってから、あの有名な曲を作曲して、ラフマニノフは『ピアノ協奏曲』が批判され、精神を病んでから作曲した『ピアノ協奏曲2番』が絶賛されている。

チャイコフスキーは愛人(男性)が死んでピアノ協奏曲を作曲している。

そしてルノアールもセザンヌも批判されて、絵が売れない極貧の状態で、あの有名な絵を描いている。

 

天才は負の環境から生まれている。

 

彼らを理解できるためには、いくつかの限界を超えていかなければ行けない。

 

「常人]で検索すると。

 

特に変わったところのない、普通のひと。

00001. 

常人でも、そんな天才達のプロファイリングはできるのかも知れない。

 

プロファイラーも犯行現場を見て「犯人は白人で、年齢は30代で、教養がある。」とか、どうしてそんなことが分かるんだ?

 

プロファイラーはビックデータから予測している。

 

天才も犯罪者も常識では理解できない。

 

変な行為や変な思考は、常識で、ものを考える人間には理解できなくても、AIには、その常識という枠もルールもない。

 

やはり!

才能もプロファイリングできるかどうかが、決め手になっている。

 

犯罪者のプロファイリングとは違って、必要な知識は比較的に簡単に閲覧できる。

 

後は、それにリアリティーを感じるかどうか、そして何処にピントが合うのか。

やはり!

[負の環境]にピントが合ってしまうのは、自分も、そうで、批判されて、正当化しようとして自己弁護をしているのかも知れない。

 

野球でも王貞治や星野伸之は成功例で変なことをしている。

 

変な行為は才能でも能力でもなく、なんの価値もないけど・・・。考えたこともないものが偶然生まれている。

 

変な行為にピントが合うかどうかが決め手になっている。

 

やはり!

変な行為を正当化しようとしたり、無理矢理にでも価値あるものと解釈するのは自己弁護でしかなく。

そのためにも「そんな子がクラスに、一人くらい、いても良いんじゃないの。」

 

AIには常識という概念はないし「成功例で変なことをしている。」と言っても、何が正常で、何が異常か区別できない。

 

東大には模範解答を速答する生徒しかいなくて、変な思考を無理矢理に正当化する、常識外れな生徒はいないのでイノベーションが生まれなくなってしまった。

 

東大生は、変な思考をスルーしている。

 

江川卓は少し投げ上げるフォームが原因で、フォークボールを投げてもカーブになってしまう。

変化球は、何を投げてもカーブになってしまう。

速球を投げると高めに浮いてしまう。

むしろ!

「高めの速球は打てない。」と常識を、ひっくり返して、そんな先入観で見ると、才能に見えてくる。

 

常識を、ひっくり返すと才能が見えてくる。

 

江川卓から、そんなプロファイリングの仕方が生まれている。

 

「そんな常識の枠を飛び出していくプロファイリングは誰にでもできるのが人の優れたところじゃないの。」

 

AIには、そもそも常識という概念がない。

 

どうやってAIに常識という概念を理解させるか?

 

生成AIが進化すると、人の知能の優れた点を再認識することになって。

そして「模範解答を速答するのが、そんなに優れたことなの?」と思うようになるのかも知れない。

 

エジソン少年は「1+1=1」と言っている。

ベートーヴェンは耳が聞こえなくなってから、あの有名な曲を作曲して、ラフマニノフは『ピアノ協奏曲』が批判され、精神を病んでから作曲した『ピアノ協奏曲2番』が絶賛されている。

チャイコフスキーは愛人(男性)が死んでピアノ協奏曲を作曲している。

そしてルノアールもセザンヌも批判されて、絵が売れない極貧の状態で、あの有名な絵を描いている。

 

天才は負の環境から生まれている。

 

そんな因果関係は常識では理解できない。

 

というか!

才能は敗者からの復活というプロファイリングも必要なのかも知れない。

 

そんな視点は日本の教育にはなく、日本の教育は「教科書は正しい。」とだけ教えて、天才達を敗者として見る視点が欠けている。

 

ラフマニノフもチャイコフスキーの評価をされる立ち位置にいても、チャイコフスキーは同性愛者として否定され勝者にはなれない。

 

もしも彼らが100%評価される、そして勝者であれば、気持ちは満たされて、空想は常識をブレイクスルーしていくこともなく。

良くも悪くも、彼らは常識人だったのかも知れない。

 

圧倒的な[負の環境]だからこそ、それがイヤで、そこからブレイクスルーしていく。

病気になったり、批判されたり。

 

[負の環境]と才能には因果関係があるのかも知れない。

 

しかし!

天才達は敗者復活している。

 

それは本人が変わったのではなく世の中が変わっている。

 

欧米人は周囲を出し抜こうとしている。

 

欧米人は周囲と同じ連想ゲームをしながら、周囲と同じものを積み重ねていく思考に弱点がある。

 

「あの投手は球持ちが良い。」と誰かが言うと。

日本人は自分だけ置いていかれるのが怖くて、周囲と歩調を合わせて、それが考える共通の基盤になっていく。

ヒントは、誰かが気付けば良い。

そんな他力本願な思考が可能で、皆で同じ意見を積み重ねながら、順序立てて物事を考えている。

 

群れる動物にとって仲間外れにされると生きてはいけず、仲間外れを最も怖がっている。

 

誰かが「このピッチャーは球持ちが良い。」と言うと、それがどうして打てないのか、どうすれば、そんな投げ方ができるのかという解に繫がっていく。

 

誰かが気付けば良い。

 

順序立てて考えれば、比較的簡単に理解できる。

 

日本人は、そんな他力本願な思考で考えている。

 

群れる動物をイメージしてプロファイリングすると、日本人の思考力の源泉が見えてくる。

 

というか!

才能は敗者からの復活というプロファイリングも必要なのかも知れない。

 

小学校ではグループ学習を取り入れている。テストで生徒に格差をつけるとグループ学習が難しくなってしまう。

むしろ!

多様化でグループ学習は機能してくる。

そして!

天才達は敗者復活している。

それは本人が変わったのではなく世の中が変わっている。

いまだに日本の教育に欠けているのが敗者復活かも知れない

エジソン少年は「1+1=1」と言っている。

ベートーヴェンは耳が聞こえなくなってから、あの有名な曲を作曲して、ラフマニノフは『ピアノ協奏曲』が批判され、精神を病んでから作曲した『ピアノ協奏曲2番』が絶賛されている。

チャイコフスキーは愛人(男性)が死んでピアノ協奏曲を作曲している。

そしてルノアールもセザンヌも批判されて、絵が売れない極貧の状態で、あの有名な絵を描いている。

 

天才は負の環境から生まれている。

 

そんな因果関係は常識では理解できない。

 

やはり!

プロファイリングしかなく。

プロファイリングが、できるかどうかが決め手になっている。

 

圧倒的な[負の環境]だからこそ、それがイヤで、そこからブレイクスルーしていく。

病気になったり、批判されたり。

それでも!

彼らは結果的に高い評価をされている。

枠から飛び出していくラフマニノフの病的なまでの空想力は魅力的で、批判されて、精神を病んだラフマニノフのプロファイリングは可能なのかもしれない。

 

[負の環境]は本人の責任ではない。

 

ラフマニノフは、そんな鬱状態から逃げ出したくて・・・。空想している。

 

もしかして!

天才達の精神や脳は悪化しても、壊れてはいなくて、我々にもプロファイリングは可能で。

精神や脳の壊れた犯罪者のプロファイリングよりは簡単に考えても良いのかも知れない。

 

天才達は辛い現実から逃げ出したくて・・・。空想している。

そんな気持ちに背中を押されている。

 

誰しも空想にふける、現実逃避している、そんな心理状態になることはあって。

 

「空想」で検索すると。

 

空想には、次のような特徴があります。

・非現実的、創造的、独自的である。

論理や時間的・空間的、因果関係の法則に囚われない

・主観や客観といった区別を無視して変換や拡大できる。

 

我々にも、そんな心理状態になることはあってプロファイリングは納得できるのかも知れない。

 

しかし!

偏差値型の優等生は模範解答を答えて高得点をもらうことで優越感は満たされている。

満たされた心理は現状維持を願うだけで、そこから逃げ出したいとは思いもしない。

 

偏差値型の優等生には、常識や科学をブレイクスルーしていく心理にピントが合わない。

 

空想は非常識や非科学的で、現実から遠く離れることで癒やされていることに意味も価値も感じない。

 

癒やされたいという心理が理解できない。

 

東大生のリアリティーを感じない話し方が気になる。

 

どうしても!

常識や科学から逃げ出していく心理にピントが合わなくて、東大生は、そんなプロファイリングはしない。

 

というか!

非常識で非科学的なことを考える生徒は振り落されて、そこには、いないので、そもそも常識や科学をブレイクスルーしていく様子を見たことがなく、プロファイリングができない。

 

「これが模範解答だな。」と模範解答として見ている生徒と、空想している学者は、まったく別の世界を見ている。

ピントが合わなくなってしまった。

 

しかし!

救いを求める心理は理解できるはず。

やっと!

自分を正当化してくれる。

救われる思いは理解できるはず。

 

そして!

現実がイヤで、逃げ出す心理に共感して、ブレイクスルーしていく発想を難しくは考えなくなるのかも知れない。

 

常識や科学をブレイクスルーして、現実から遠く離れることで癒やされている様子を想像すると「なんだ!我々と一緒じゃないか。」と難しくは感じなくなる。

学者の挫折した立ち位置にいる様子を想像しながら、読んだり聞いたりする。

偏差値型の優等生とは正反対な方向を向いている。

彼らは現実を否定している。

そんなプロファイリングも、一つの学び方かも知れない。