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エイジのブログ

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エジソン少年は「1+1=1」と言っている。

ベートーヴェンは耳が聞こえなくなってから、あの有名な曲を作曲して、ラフマニノフは『ピアノ協奏曲』が批判され、精神を病んでから作曲した『ピアノ協奏曲2番』が絶賛されている。

チャイコフスキーは愛人(男性)が死んでピアノ協奏曲を作曲している。

そしてルノアールもセザンヌも批判されて、絵が売れない極貧の状態で、あの有名な絵を描いている。

 

天才は負の環境から生まれている。

 

天才は常識では理解できない。

 

やはり!

プロファイリングできるかどうかが、決め手になっている。

 

天才は負の環境から逃げ出したい一心で、ブレイクスルーしていく。

 

「一心」で検索すると。

 

一語ももらすまいと一心に聞き入る. 夫婦は一心同体である. 聴衆は彼の話を一言半句も聞き漏らすまいと一心に傾聴した

 

[一心」という言葉は肯定的なイメージの言葉で[負の環境]のようにマイナスイメージで使うのは間違った使い方かも知れない。

 

圧倒的な[負の環境]だから。

それがイヤで、そこからブレイクスルーしていく。

 

天才達のプロファイリングは、脳の壊れた犯罪者とは違って、我々にも理解できるのかも知れない。

 

偏差値型の優等生は模範解答を答えて高得点をもらうことで優越感は満たされている。

満たされた心理は現状維持を願うだけで、そこから逃げ出したいとは思いもしない。

 

模範解答にしか価値のない偏差値型の優等生には、常識や科学をブレイクスルーしていく心理に共感できない。

 

どうしても!

学者は常識や科学を否定している。

そこにピントがあって、常識や科学を否定していることに、どうしても!価値を感じることができない。

 

しかし!

同じ様な体験があれば、むしろ!そこに救いを求める。

やっと!

自分の欠点を正当化してくれる。

救われる思いがするのかも知れない。

 

どうしても!

常識や科学から逃げ出して、ブレイクスルーしていく心理にピントが合わなくて、プロファイリングは東大生には、できないのかも知れない。

 

しかし!

そこがイヤで、逃げ出す心理に共感できれば、ブレイクスルーしていく発想を難しく考えても仕方ないと考えるのかも知れない。

 

今日では教室に、タブレット端末があって、学者の個人的な事情を知れば、学者の非科学的な発想は悩むところじゃなく、学者の空想は、理解ではなく、ディズニーランドのような体験すれば良いだけで。

空想は科学ではなく。

ブレイクスルーしていくのは[負の心理]と感じると。

学者の空想や発想を難しく考えても仕方ないと考えるようになるのかも知れない。

 

欧米人には周囲と同じ連想ゲームをしながら、同じものを積み重ねていく思考に弱点がある。

しかし!

日本人は周囲を出し抜く能力には欠けるけど、使った言葉から、内なる感情を感じ取ったり、考える共通の基盤があって、ヒントも共有できて、皆で同じ意見を積み重ねながら、順序立てて物事を考えている。

 

順序立てて考えれば、比較的簡単に理解できるのかも知れない。

 

空気を読む。

シンクロさせる日本人には、学者の空想や[負の心理]にピントを合わせることは、なにも異常な体験をしなくても比較的に簡単に疑似体験できて。

 

天才は負の環境から生まれている。

 

天才は常識では理解できない。

 

やはり!

プロファイリングできるかどうかが、決め手になっている。

 

そんなプロファイリングは、難しく考えるよりも、簡単に済ませた方が良いのかも知れない。

 

どうしても!

学者の空想や発想を[正の思考力]と感じると難しく考えてしまう。

 

学者の空想や発想は[負の思考力]と考えて、もっと簡単に通過して。

 

学者の空想や発想は、そこは悩むところではないのかも知れない。

 

 

NHKラジオで過労死の話題を放送している。

 

まだ若い娘を失った母親の気力を失くした話し方を聞きながら・・・。

 

生成AIには未来がないと言われている。

 

生成AIには過去しかない。

 

そもそも未来は存在しない。

 

ただ!

今でも、一本足打法という、古い知識からも、新しい気付きを得ている。

 

人の[ひらめき]は過去を見て、未来をイメージしているのかも知れない。

 

田淵幸一は「インサイドアウト」だと言う。

どこから、その言葉が降りてきたんだろう?

 

しかし本人は、どうしたら良いのか、その方法までは思い付かない。

 

それが不思議で、どうして、そんな言葉だけを思い付いたんだろう?

 

人は、一本足打法という、古い知識からも、新しい気付きを得ている。

人の[ひらめき]は過去を見て、存在しない未来をイメージしている。

 

[プランA]という今を見て、[プランB]という未来をイメージしている。

 

というか!

希望なのかもしれない。

希望で良いのかも知れない。

 

NHKラジオで過労死の話題を放送している。

 

母親の気力を失くした話し方を聞きながら・・・。

 

人は脳の中にある[希望]という変換キーを押している。

 

[希望]とか[成功]という変換キーを押せば良いだけかも知れない。

 

難しく考えても、仕方ないのかも知れない。

 

ユダヤ人は現状維持がイヤで[希望]とか[成功]というキーを押し続けている。

 

AIには、そんな未来に、つながっていく変換キーは難しくても、人には可能で、田淵幸一の「インサイドアウト」というキー押していると、王貞治の日本刀が、そのヒントをくれる。

 

生成AIが進化すると、ますます人の優れた知能が、浮き上がってくる。

 

どこが優れているのか、ハッキリと見えてくる。

 

それは空想や仮説そして未来のように、まだ答えのないもので。

そして正解は過去で。

過去を正しいとするテストは現状維持でしかなく、過去の資料はプロファイリングが効果的なのかも知れない。

 

女性の写真を見せると、ある男は「これは誘っている。」と言い張る。その男はプレイボーイで、写真の女性は自分を誘っているように見えるらしい。

 

自分には怒っているように見える。

 

女性の写真から何が刷り込まれているかが想像できる。

 

ニホンザルの序列は、喧嘩が強いというよりも家柄だという。

序列感覚は家柄から刷り込まれていくらしい・

 

ついつい気後れするのは、親から否定的な目で見られていると、人と目が合った時、見下されたように感じてしまう。

 

社交性や政治力は、何が刷り込まれているか、どんな序列感覚が刷り込まれているかが決め手になっている。

 

群れる動物は序列感覚によって支配され、秩序が保たれている。

 

人は軽蔑されている人を軽蔑して、評価されている人を評価している。

他人の価値観に影響されてしまう。

「周囲の評判が重要で、自分の判断力は二番目なのか?」

組織内の序列感覚に囚われて、序列感覚に支配されている。

 

昭和初期の役者は『東京物語』の笠智衆さんのような一本調子な話し方をしている。

 

一本調子な話し方を聞いてると、敬意は感じるけど、否定はできないし、反論もできなくて、ただ従うしかない。

 

当時の教室でも、教師は絶対で、殴られたこともあったし、教師の教えも絶対で否定や疑問は有り得なかった。

 

「教科書は正しい」という時代だった。

教科書の書き換えなど考えたこともない。

一本調子は話し方を聞きながら、昭和は、そんな時代だったなぁ~。」と思い出す。

 

昭和は、まだまだ権威主義的で、生徒の意見は重要視されていなかったし、一本調子な話し方では意思疎通に限界があって。

人との会話は、話し相手が次の瞬間、何を言うか予測できて、予測できることで会話は説得力を増していく。

しかし!

一本調子な演技では予測できない。

これではドラマはリズミカルに展開していかない。

 

日本では自分の意見は二番目で、重要視されない。そのうえ! 一本調子な話し方は無表情で、連想も働かないではプロファイリングは難しくなってしまう。

 

しかし!

日本人は場の空気を読んで歩調を合わせようとする。

気持ちを一つにしているので、感化されやすく、影響されやすい。

 

最近の日本語は、ますます感傷的になって、歌手の歌を聞いても「あぁ~いいなぁ。」と感じることが多い。

 

影響されやすい日本人は感化され、「いいなぁ~。」と感じると、自分のものにして「あぁ~いいなぁ。」を積み重ねていく。

むしろ欧米人の歌唱を無機質に感じてしまう。

 

むしろ自己主張をする、自分の意見を主張する欧米人に限界を感じる。

才能は個人技だけど。

たった一人では、やはり自力だけでは限界があるのかも知れない。

 

日本人は誰かが気付けば良い。

 

[ひらめき]という一瞬の変化を見逃さない。

 

そんな他力本願な日本人は個人の限界を超えていく。

 

最近の日本語は、ますます感傷的になって、歌手の歌を聞いても「あぁ~いいなぁ。」と感じることが多い。

 

影響されやすい日本人は感化され、ますます「あぁ~いいなぁ。」を積み重ねていく。

 

「ガザ」を見てると、ユダヤ人は何をもって勝利と言うんだろう。

結果的に、ユダヤ人との歴史は何だろう?

ホロコーストか?

それを思うと!

ユダヤ人は近い距離感が怖いのかも知れない。

 

ユダヤ人はブレイクスルーしていく。

 

才能は個人技で、周囲との差異のことで、もしも多数が100mを9秒で走ると、それを才能とは言わない。

 

日本人は個人差がないことで、シンクロして「あぁ~いいなぁ。」を積み重ねていく。

 

能力の成長は、近づいたり離れたりする[距離感]でプロファイリングしても、おもしろいのかも知れない。