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経済の番組でAIに求められる能力は[学習]と[推論]だと言ってる。

 

犯罪者を特定するプロファイリングという[推論]は、対象が犯罪という非常識なもので、科学でもない。

 

そんな非常識で科学ですらないものの分析はプロファイリングしかないのかも知れない。

 

人のイノベーション能力も空想や仮説から始まっている。

思考の入口も科学ではない。

 

空想や仮説を立てる能力は、プロファイリングが必要でテストでは無理で。

 

それならAIにもできるのかも知れない。

 

AIの学習は正確さを極めていく。

正確さを極めていくのなら、AIの方が優秀で簡単に人を凌駕している。

 

やがて!

[推論]という変換キーを押せば簡単にできるようになっていくのかも知れない。

 

言語学者並に語彙の豊富なコンピューターなら[推論]でも人を凌駕して。やがて!

[推論]にはAIが必需品になっていくのかも知れない。

 

経済の番組でAIに求められる能力は[学習]と[推論]だと言ってる。

 

犯罪者の異常心理を推論するプロファイリングは科学ではないように。

イノベーションという常識を書き換える能力も科学ではなく。

そもそも!

[推論]は科学ではないのなら、AIにもできるのかも知れない。

 

というか!

そもそも犯罪は科学ではなく、異常心理はプロファイリングするしかなく。

やがて、そんなプロファイリングから科学に進化していくのかも知れない。

 

エジソン少年は「1+1=1」と言っている。

 

ベートーヴェンは耳が聞こえなくなってから、あの有名な曲を作曲して、ラフマニノフは『ピアノ協奏曲』が批判され、精神を病んでから作曲した『ピアノ協奏曲2番』が絶賛されている。

チャイコフスキーは愛人(男性)が死んでピアノ協奏曲を作曲している。

そしてルノアールもセザンヌも批判されて、絵が売れない極貧の状態で、あの有名な絵を描いている。

 

天才は負の環境から生まれている。

 

天才は常識では理解できない。

 

やはり!

プロファイリングできるかどうかが、決め手になっている。

 

なによりも!

犯罪者とは違って、天才達のプロファイリングは常識的な考え方で、説明できるのかも知れない。

 

ただ!

天才達のプロファイリングには、学問とは無関係な個人的な事情や、むしろマイナスでしかない致命的な[負の環境]から生まれている。

 

経済の番組でAIに求められる能力は[学習]と[推論]だと言ってる。

 

[推論]は連想ゲームで、情報量の豊富なAIが役に立っている。

 

そして!

生成AIが進化すると[推論]という変換キーが表れてくるのかも知れない。

 

ただ!

AIの学習は正確さを極めていく。

 

しかし!

[ひらめき]は突然の変化で[ひらめき]という変換キーが必要になってくるのかも知れない。

 

 

経済の番組でAIに求められる能力は[学習]と[推論]だと言ってる。

 

たしかに!

進化することは変化することだけどAIの[学習]は正常進化で[プランA]のままで。

しかし!

[推論]は連想ゲームで、記憶が微妙に変化することで知識と知識は結合して『プランB]に大きく変化していく。

AIには限界があって。

[学習]は精度を上げていくことで、正解はあるけど・・・。[推論]のように記憶したことが変化すればコンピューターは故障している。

 

学習と推論は矛盾している。

 

推論はAIが最も苦手な思考かも知れない。

 

正常進化していくAIには[ひらめき]という突然の変化は無理なのかも知れない。

 

[ひらめき]も[気付き]も能力というよりも、むしろ心に「?」という空欄があって[  ]空欄を言葉で埋めているだけかも知れない。

 

[  ]空欄を埋めるのなら[  ]空欄というキーを押せば、AIが、それを埋めてくれるようになるのかも知れない。

 

[ひらめき]は、そんな「・・・?」「なんだ?」という、心の「  」空欄に、すっぽりとハマる言葉かも知れない。

 

人は、ひらめいて「そうか!」「なるほど!」という達成感を感じている。

達成感という余韻を伴っている。

 

コンピューターには、そんな感情はないけど[推論]というキーを押せばできるようになって。

人の[ひらめき]や[推論]は、いったい、なんなのかというプロファイリングが進化すると。

将来は[ひらめき]や[推論]でも、人を凌駕していくのかも知れない。

 

むしろ!

[ひらめき]や[気付き]は正常進化でもなければ、都合よく解釈を変えただけかも知れない。

 

案外!

[ひらめき]や[気付き]は負の感情に囚われていて、事実を書き換える必要性があって、事実を書き換えることで気持ちは癒されている。

 

もしかして!

[ひらめき]は癒やしで、そして治癒力と考えた方が良いのかも知れない。

 

日本では生徒をテスト漬けにして、唯一の正解しか認めないので[ひらめき]という、心の「  」空欄を埋めてくれる言葉や嫌な現実を書き換える空想は評価の対象にすらならず!

模範解答のみを答える偏差値大学の生徒からはイノベーションが生まれてこない。

 

やはり!

[ひらめき]は負の思考力で、そもそも評価の対象には、ならないものかも知れない。

 

そして!

学者の発想は、他人には知られたくない。そんな個人的な事情を知ると、学者の感情にピントが合って、現実から逃げ出そうとしている様子が想像できて、どうして常識さえもブレイクスルーしていくのか、分かりやすく。

それらは学問とは無関係で、そんな、どうでもいい知識が理解には効果的というプロファイリングから、記載されていくのかも知れない。

 

将来は[  ]空欄とか[推論]というキーを押せば。AIが最適な回答をしてくれるようになるのかも知れない。

 

AIには、人のような負の感情はないけど、人の思考力を補っていく方向で進化して、ますます人の思考には、必需品になっていくのかも知れない。

 

ますます!

AIにはできなかったことが可能になると、AIに丸投げすることで、大学入試は変化して。

AIの進化で、やっと日本からイノベーション能力のある生徒が育っていくのかも知れない。

 

NHKBSで『ゴジラ』を見てると、昭和は、まだまだ封建的で、政府から家庭まで権威主義的で、目上の人には従うしかなかった時代背景を思い出す。

 

「他人行儀」で検索すると。

 

他人に接する時のように、よそよそしくふるまうさま。

 

昭和初期の役者は『東京物語』の笠智衆さんのような一本調子な話し方で、目上の人への話し方は他人行儀に思える。

 

上司との距離感があって、まだまだ権威主義が残っている。

 

一本調子な話し方を聞いてると、敬意は感じるけど、否定はできないし、反論もできなくて、ただ従うしかない。

 

当時の教室でも、教師は絶対で、殴られたこともあったし、教師の教えも絶対で否定や疑問は有り得なかった。

 

「教科書は正しい」という時代だった。

教科書の書き換えなど考えたこともない。

一本調子は話し方を聞きながら、昭和は、そんな時代だったなぁ~。」と思い出す。

 

教科書を書き換える子を育てるという考え方は、先進国にしか有り得ない考え方で。

 

ハイテクは10年経つと時代遅れで、最新のものにしか価値がなく、未来を指向している先進国でしか「教科書を新しく更新する」という発想は生まれてこない。

 

映画『ゴジラ』を見ながら、昭和は、まだまだ[追いつけ追い越せ]という時代で、教科書は聖書のように従うべきものだった。

 

『ゴジラ』にでてくる教授は、当時の海外の学説こそが正しい答えで、目指すべき未来で、海外に追随することのみが正しかったのかも知れない。

 

日本の大学はイノベーションで敗北しているという危機感は、日本が先進国になったからで。

 

義務教育は基礎学力の習得で、もう覚えるしかない。

漢字の読み書きや九九を否定しても意味がない。

 

教科書が正しいのは、義務教育の段階で。

 

大学では、むしろ教科書を書き換える生徒を育てなければいけない。

そして!

そんなイノベーション能力がプロファイリングできれば、いよいよ日本も先進国と言えるのかも知れない。

 

テストは[追いつけ追い越せ]という発展途上国の考え方で、発展途上国には先進国という、目指すべき未来が存在するけど、最先端にいる先進国には、その先の未来は存在せず、空想し仮説を立てて、自分で作るしかない。

 

最先端にいて、答えのない先進国にはテストは有り得ず、プロファイリングしかない。

 

そんな時!

昭和の日本人は笠智衆さんのような一本調子な話し方をして、感受性や空想力を感じ取ることは困難でプロファイリングも難しい。

しかし!

今日の日本人は、楽器を演奏したり、歌を歌うと、感情表現が豊で感じ取ることは難しくなく。

生徒にプレゼンテーションさせても良いし、それが苦手な子には文章を書かせても良いし、生徒の[ひらめき]や理解力も分かりやすく、今日の日本人の豊かな表現力ならプロファイリングも可能かも知れない。

 

NHKBSで『ゴジラ』を見てると、昭和は、まだまだ封建的で、政府から家庭まで権威主義的で、目上の人には従うしかなかった時代背景を思い出す。

 

あの笠智衆さんのような、一本調子な話し方は無表情でしかなく、感情表現が下手で、あの無表情な話し方ではプロファイリングはできない。

 

一本調子は話し方を聞きながら、昭和は、そんな時代だったなぁ~。」と思い出す。

 

やはり昭和は総合力で劣っていたのかも知れない。

 

たしかに!

イノベーションでアメリカに敗北したけど、入試も進化して、これからは期待できるのかも知れない。