エイジのブログ -7ページ目

エイジのブログ

ブログの説明を入力します。

『ローマの休日』を書いた脚本家トランボは赤狩りで祖国から追放されて『パピオン』のような救いのない絶望的な物語を書いている。

トランボは存在を否定されて、どうしてこんなことになるのか[答え]が必要だったのかも知れない。

今・この瞬間!自分の身に起こっていることに呆然としている。しかし怒りや恐怖という現実感に気持ちは大きく揺さぶられる。そんな心境だったのかもしれない。

 

トランボは[答え]が必要で・・・。

 

そんな気持ちに背中を押されながら脚本を書いている。

 

そして!

「そんな答えを探していたのか。」

 

「そんな答えが必要だったのか。」

 

文章を書いてると、たまたま思い浮かんだ言葉は、自分の内なる感情が引き出されてくる。

そして連想ゲームになっていく。

 

AIに必要な能力は[学習]と[推論]とTVで言ってたけど。

 

誰しも[答え]が必要な時があって。

 

人が、ものを考えるのは言い訳だったり、言い逃れだったりする。

そんな時!

自分を守ってくれる、自分を正当化してくれる[答え]が必要で、意外と自分は、どんな答えを必要としてるのか、分からない、気付かないことが多くて。

たまたま使った言葉の持つ意味から気付かされることが多い。

 

もしかして!

それは学者も同じかも知れない。

 

思考の初期の段階は、空想のような科学ではなく、学者の個人的な事情を知ることで。

学者は「そんな答えを探していたのか!」と答えに、生々しいリアリティーを感じることができる。

 

個人的な事情を知ると、学者の連想ゲームとして読めて、気付きも体験できるのかも知れない。

 

me too」や「Biack Lives Matter」の様に、考える共通の基盤があると。他人の体験や他人の言葉を共有しながら・・・。

疑似体験しながら・・・。

同じ様に気付きや意見を積み重ねながら考えることができる。

 

まるで自分で考えたように、完成度の高い理論が共有できている。

 

学者は他人の仮説や空想に、自分の考えを積み重ねながら考えている。

 

学者の優れた理解力は、他人の疑問や、フッと気付くヒントにリアリティーを感じている。

そんな疑似体験ができる。

 

それは他人の仮説や空想という完成度の低いものや、常識をブレイクスルーしていく仮説も、自己流に消化できている。

 

犬や馬は訓練すると指示通り行動するようになって、自分で判断する能力を失っている。

 

日本人も同じ様に自分で判断する主体性に欠けている。

 

しかし!

誰かが気付けば良い。

誰かが、ひらめけば良い。

 

判断力や主体性のなさは、他力本願な思考力につながり、それは!他人の仮説や空想という完成度の低いものや、常識をブレイクスルーしていく仮説にも、とりあえず、ついていくと、そのうち分かる。

結果的に、学者のような理解ができている。

 

自分で考えないという欠点の、その先で、学者のような理解力をみせている。

 

[自分で判断できない]という欠点を突き抜けた、その向こう側で学習能力になっている。

 

これらはテストではなくプロファイリングするしかないのかも知れない。

 

想像した時と、プロファイリングした時とでは、結論は違っている。

 

学者は[答え]を必要としている。

 

「そんな答えを探していたのか。」

 

「そんな答えが必要だったのか。」

そう感じている時は!

学者と同じ様に、答えから考えている。

 

学者と同じ様に、連想ゲームをしながら考えている。

 

学者のような「そうか!」と感じる感情を伴っているので、リアリティーを伴っている。

 

日本人には、皆で考える不思議な超能力があるんじゃないの。

 

誰かが気付く。

誰かが[ひらめく]。

そのためにも、均一で能力差のない大勢の日本人で考える方が良い。

 

テストを繰り返して生徒を振り落として数を減らしたり、能力差の無い日本人に偏差値で序列化することに何の意味があるんだ?

 

ボニーとクライドはルイジアナ州で警察隊によって射殺されている。一体何が、二人を、そうさせるのか分からない。

車を使って逃走して犯行現場から離れていく。

 

そんな二人の、社会との距離感が異常だ

 

社会に近づいては犯罪をして、急いで現場から離れていく。

 

多くの犯罪者は、親から虐待される環境で育っているらしい。

 

犯罪者には被害者に対する同情心が欠けている。

 

ルイス・キャロルはナンセンスな物語で癒やされている。

 

現実が辛い。

 

現実を忘れることができて。

常識からも科学からも遠く離れていく。そんな距離感が、癒しには必要なのかも知れない。

 

「常人」で検索すると。

 

特に変わったところのない、普通の人。

 

常人には『不思議の国』はナンセンスでしかないのに。

「科学的な思考をする数学者が、なぜ?」

「どうして?」

やはり!

理解ではなくプロファイリングが必要なのかも知れない。

 

そして!

非常識な物語は楽しさが伝わってくる。

 

数学者には科学的な思考にのみ意味があって、非科学的な空想には何の価値もないはずなのに。

むしろ!

非常識な物語が楽しいのは異常で、現実から遠く離れているのも、よくよくの事情があって、やはり!彼は小児性愛者なのかも知れない。

 

常識に囚われない発想は、やはり!異常で、個人的な事情があるはず。

そして!

学者の、そんな常識に囚われない空想は楽しくて、ちっとも違和感は感じないのかも知れない。

 

学者の常識外れな空想は、個人的な事情を知ると。

むしろ!

分かりやすくて。

学者の非科学的な空想という入口から入って、科学的な出口までは、理解ではなく、ディズニーランドのように体験すれば良いのかも知れない。

 

1+1=2」は二次元・三次元の世界で、そして「1+1=1」は四次元の世界で、学者の空想は五次元の世界・・・。

というよりは。

そんな五次元まで、現実から遠ざかっていく距離感は、科学な思考ではなく、他人に知られたくない秘密があるのかも知れない。

 

学者の空想は、科学で説明するのではなく、感情で説明すれば良いのかも知れない。

 

ボニーとクライドは犯罪者で、論理的な思考をしていないので、プロファイリングしかないのかも知れないけど、学者の異常心理は、ちゃんと説明できるのかも知れない。

 

彼らは論理的に説明をしているので、個人的な事情を記載すれば良いだけで、そんなに難しく考える必要性はないのかも知れない。

 

 

   

ボニーとクライドはルイジアナ州で警察隊によって射殺されている。一体何が、二人を、そうさせるのか分からない。

車を使って逃走するのも、犯行現場から離れていく。

 

そんな二人の、社会との距離感が異常だ

 

社会に近づいては犯罪を犯して、急いで現場から離れていく。

 

犯罪者には社会との距離感が必要なのか?

 

[距離感]でプロファイリングしても、おもしろいのかも知れない。

 

「持論」で検索すると。

 

時論とは、NHKの『時論公論』のように、ある時代において一般的な議論や世論を指します。

 

共通の課題がある時は議論は噛み合うけど、共通の課題ではないと、他人の意見には距離感があって、リアリティーを感じられない。

 

偏差値大学からイノベーションが生まれてこない一つの原因は、答えから考えていない。

答えから自論を組み立てていない。

その原因は!

日本では、生徒は出題者が指定した[正解]を探している。

正解は、そもそも生徒には必要性がないからで。

たとえ!

それが有名な学者の意見でも、生徒にとっては答えは必要性はなく、求めている結論ではないので、正解を見ても「なるほど!」「そうか!」とは感じられない。

いくら優れた意見でも、他人事でしかない。

しかし!

日本人の優れた学習能力は!

周囲を出し抜く主体的な発想ではなく、離れていくことではなく。

距離感の近さから感化されて「なるほど!」と自論化していくのが日本人の優れた点かも知れない。

 

学者にとっては、それは探している答えで、求めている答えで。

 

日本人は皆と違う思考ができない。

仲間外れが怖くてできない。

そして!

空気を読んでいるので、誰かが気付くと、そんな一瞬を見逃さない。

 

強い集団志向性を持っている。

 

自閉症児の中に理数系で才能を発揮する人がいるという。

 

欠点・欠陥からも才能は生まれている。

 

破壊があって創造があるように。

 

才能は二次的・二番目に表れてくる。

 

ラフマニノフは、すでに高い評価をされている音楽家だけど、彼の作曲したピアノ協奏曲は批判されて、精神が、おかしくなってしまった。

そんな精神状態から作曲した二番は絶賛されている。

ルノアールも批判され、まったく絵が売れない状態で描いた絵は、今日では最高の評価をされている。

 

極端な批判の中で、彼らは作曲したり、絵を描いている。

 

彼らは、そんな現実がイヤでブレイクスルーしていく。

 

才能は二次的・二番目に表れている。

 

才能には意外性があって、理解ではなく、体験すれば良いのかも知れない。

 

日本人は群れて飛ぶ鳥のように、周囲を出し抜く能力はないけど、変化には、一瞬で反応する。

 

[負の感情]でプロファイリングしても面白いのかも知れない。

 

暗号やインターネット、そしてベートーヴェンやユダヤ人のように、病気やホロコーストがあって、才能は[負の感情]の二次的・二番目に表れてくる。

 

そんな反対方向に振れる様子を教えると、日本人の群れるDNAが反応する。

 

とりあえず、ついていくと、そのうち分かる。

 

才能のように理解も説明もできないものはプロファイリングをすれば良い。

 

とりあえず、ついていくと・・・。

 

シンクロしてしまう日本人には容易なことかも知れない。