エジソン少年は「1+1=1」と言っているし。
どうしてベートーヴェンは耳が聞こえなくなってから作曲ができたんだろう?
ラフマニノフは『ピアノ協奏曲』が批判され、精神を病んでから作曲した『ピアノ協奏曲2番』が絶賛されている。
チャイコフスキーは愛人(男性)が死んでピアノ協奏曲を作曲している。
そしてルノアールもセザンヌも批判されて、絵が売れない極貧の状態で、あの有名な絵を描いている。
天才は負の環境から生まれている。
才能と負の環境には因果関係があって。
[ひらめき]というよりも現実から逃げ出している。
彼らは挫折している。
挫折は才能へと・・・。
挫折と才能には因果関係があるのかも知れない。
彼らは、いくつかの限界を超えていかなければいけない。
あるプロ野球のコーチが「母親から頼りにされて育った子は精神的に安定している。」と言ってたけど。
母親から肯定的に育てられた子には、優等生的な模範解答という選択肢があって、優等生としての物言いが、何の抵抗感もなくできるけど。
「情けない子だ。」と母親の、がっかりと失望した表情を見て育った子には、優等生的な物言いができなくなってしまう。
そんな子は自信を失くして、そして低い序列感覚を刷り込まれているので、優等生的な発言は選択肢から、なくなってしまう。
残った劣等生的な物言いしかできなくなってしまう。
「貧すれば鈍する」というけど。
思考停止というよりも選択肢がなくなっていく。
犯人は追い詰められて、常識的に選ぶべき選択肢が選べなくなってしまう。
犯人は頭が悪いというよりも、それしか選択肢がなく、常識で考えても理解できず、もうプロファイリングするしかない。
そして親から期待されることもなく育った子は、上手にできるイメージが持てず「情けない子だ。」というイメージが刷り込まれて、情けない自分のイメージしか持てず、すぐに投げ出してしまう。
努力しない。
努力できない子になってしまう。
すでに天才達は才能を認められて高い評価を得ている。
そんな高い評価からの転落は、より一層の失意を伴うのかも知れない。
高いところから落下していくボールは、より高く跳ね返っていく。
天才達の[ひらめき]は[負のエネルギー]に満ちて、ブレイクスルーしていく。
もしも!
彼らは優等生だったら常識人だったのかもしれない。
才能と負の環境には因果関係があって。
彼らは限界を超えている。
彼らは挫折している。
ベートーヴェンは聴力を失って、もう社会的な地位に価値も意味も感じなくなっている。
もう人目を気にすることもなく、自分の美意識を見つめている。
ベートーヴェンは、その時代の美意識からブレイクスルーしていく。
挫折と才能には因果関係があるのかも知れない。