エイジのブログ -3ページ目

エイジのブログ

ブログの説明を入力します。

エジソン少年は「1+1=1」と言っているし。

どうしてベートーヴェンは耳が聞こえなくなってから作曲ができたんだろう?

ラフマニノフは『ピアノ協奏曲』が批判され、精神を病んでから作曲した『ピアノ協奏曲2番』が絶賛されている。

チャイコフスキーは愛人(男性)が死んでピアノ協奏曲を作曲している。

そしてルノアールもセザンヌも批判されて、絵が売れない極貧の状態で、あの有名な絵を描いている。

 

天才は負の環境から生まれている。

 

才能と負の環境には因果関係があって。

 

[ひらめき]というよりも現実から逃げ出している。

彼らは挫折している。

 

挫折は才能へと・・・。

挫折と才能には因果関係があるのかも知れない。

 

彼らは、いくつかの限界を超えていかなければいけない。

 

あるプロ野球のコーチが「母親から頼りにされて育った子は精神的に安定している。」と言ってたけど。

 

母親から肯定的に育てられた子には、優等生的な模範解答という選択肢があって、優等生としての物言いが、何の抵抗感もなくできるけど。

 

「情けない子だ。」と母親の、がっかりと失望した表情を見て育った子には、優等生的な物言いができなくなってしまう。

 

そんな子は自信を失くして、そして低い序列感覚を刷り込まれているので、優等生的な発言は選択肢から、なくなってしまう。

残った劣等生的な物言いしかできなくなってしまう。

 

「貧すれば鈍する」というけど。

思考停止というよりも選択肢がなくなっていく。

 

犯人は追い詰められて、常識的に選ぶべき選択肢が選べなくなってしまう。

犯人は頭が悪いというよりも、それしか選択肢がなく、常識で考えても理解できず、もうプロファイリングするしかない。

 

そして親から期待されることもなく育った子は、上手にできるイメージが持てず「情けない子だ。」というイメージが刷り込まれて、情けない自分のイメージしか持てず、すぐに投げ出してしまう。

努力しない。

努力できない子になってしまう。

 

すでに天才達は才能を認められて高い評価を得ている。

 

そんな高い評価からの転落は、より一層の失意を伴うのかも知れない。

 

高いところから落下していくボールは、より高く跳ね返っていく。

天才達の[ひらめき]は[負のエネルギー]に満ちて、ブレイクスルーしていく。

 

もしも!

彼らは優等生だったら常識人だったのかもしれない。

 

才能と負の環境には因果関係があって。

 

彼らは限界を超えている。

 

彼らは挫折している。

 

ベートーヴェンは聴力を失って、もう社会的な地位に価値も意味も感じなくなっている。

もう人目を気にすることもなく、自分の美意識を見つめている。

ベートーヴェンは、その時代の美意識からブレイクスルーしていく。

 

挫折と才能には因果関係があるのかも知れない。

 

10で神童15で才子20過ぎればただの人」で検索すると。

 

子供の頃は神童といわれた者も、多くは、長ずるにしたがって並の才能となり、大人になる頃には凡庸な人間になっている。

 

幼いころから難しい本を読解して神童といわれる子は、たしかに優秀な子かも知れないけど。

もしかして!

成長が早いだけかも知れない。

常識に忠実な常識人で、常識を超えていく思考はしないのかも知れない。

 

進学校では高3で学習する内容を前倒しで高2で学習していたりするけど、教科書は要点だけが書いてある“あらすじ”のようなもので、理解が浅いので、それは可能なのかも知れない。

 

早いのは理解が浅いからかも知れない。

 

エジソン少年は「1+1=1」と言って小学校を三か月でやめている。

すでに「1+1」で挫折している。

 

他の子よりも、もう少し深く考えて、挫折している。

 

アランチューリングも優秀な子供だったらしい。

それは!

彼は他の子よりも成長が早かっただけかも知れない。

ただ違っていたのは!

彼は同性愛者で、いじめられ、大人になってもイギリスでは社会から受け入れてもらえない。

彼は優秀な子だったらしい。

もしかして!成長が早いだけで、20過ぎれば只の人だったのかも知れない。常識人だったかも知れない。

しかし!

彼は優秀な子でも、社会からは受け入れてもらえない。

そんな個人的な事情があって。

次の段階!

現実が辛くて、常識や既存の科学をブレイクスルーしていく。

 

10で神童・・・20過ぎれば只の人」のように、それは成長が早いだけで、それだけでは才能になり得ないのかも知れない。

そこからブレイクスルーしていくのは個人的な事情があって、次の段階で、才能に成長していくのかも知れない。

 

彼は個人的な事情があって、既存の常識を超えていった。

 

同性愛は才能ではなく、もちろん欠陥でもない。

ただ!

社会からは受け入れてもらえない。

そんな彼の発想にはリアリティーがあって。

そんな個人的な事情を知って読むと「そういうことか!」と分かりやすいのかも知れない。

 

『不思議の国のアリス』は、ナンセンスな物語なのに、子供達はリアリティーを感じている。

 

アリスに不思議な魅力を感じるのは、ルイス・キャロルは小児性愛者で幼い女の子が好きだったからかも知れない。

 

彼は小児性愛という社会から受け入れてもらえない性癖で、ディズニーランドのような空想の世界へ逃げ出していく。

もしも!

彼が小児性愛者でなかったら、現実から遠く離れた不思議の国を空想することはなかったのかも知れない。

 

「もしも!彼が小児性愛者でなかったら・・・どんな数学者だったんだろう?」常識人だったかも知れない。

 

「ロマンチスト」で検索すると。

 

夢や空想も愛や甘美なものを好む。という記述がある。

 

江戸時代には日本にも欧米に負けない数学があったという。

 

江戸時代にはテストなどなく、夢や空想という甘美な数学だったのかも知れない。

 

『不思議の国』の作者は数学者で、数学的な思考も、ディズニーランドのように、彼の夢や空想として体験すれば良いのかも知れない。

 

日本人は「あいまい」で、揺れ幅があって、いつまでも揺れている。

 

日本人は感傷的で揺れ動いている。

 

イチローは子供のころバッティングセンターで練習をしていたという記憶を思い出すと、あの腕のあるピッチングマシーンと振り子打法が重なって、フッと気付くことができる。

 

科学ではなくロマンチストとして見れば、また一つ、どうでも良い知識が[宝島の地図]に見えてくる。

 

そして、それは誰かが気付けば良い。

 

日本人は空気を読んで、誰かがフッと気付く瞬間を見逃さない。

 

コンピューターのある時代。

すぐに知識が結晶化する偏差値型の優等生ではなく。

早さではなく。

むしろ!

黎明期や創世期のように知識が流動化する夢想家のようなロマンチストが宝探しに向いているのかも知れない。

 

エジソン少年は「1+1=1」と言っているし。

どうしてベートーヴェンは耳が聞こえなくなってから作曲ができたんだろう?

ラフマニノフは『ピアノ協奏曲』が批判され、精神を病んでから作曲した『ピアノ協奏曲2番』が絶賛されている。

チャイコフスキーは愛人(男性)が死んでピアノ協奏曲を作曲している。

そしてルノアールもセザンヌも批判されて、絵が売れない極貧の状態で、あの有名な絵を描いている。

 

天才は負の環境から生まれている。

 

才能と負の環境には因果関係があって。

 

[ひらめき]というよりも現実から逃げ出している。

彼らは挫折している。

 

挫折は才能へと・・・。

挫折と才能には因果関係があるのかも知れない。

 

彼らを理解できるためには、いくつかの限界を超えていかなければいけない。

 

ベートーヴェンは耳が聞こえなくなって、美意識は楽器の音色を超えている。

限界を超えている。

 

ラフマニノフは批判されて既存の美意識に意味も価値も感じられなくなってしまった。

ミュージシャンに、ありがちな他人の“ものまね”に意味も価値も感じられなくなってしまった。

影響されることもなく。

彼は、既存の美意識を超えている。

もう!

誰の“ものまね”でもない。

鬱になってしまう程の批判から逃げ出して・・・。

[ひらめき]というよりも逃げ出している。

彼のオリジナリティは、何かからインスピレーションを得ている。

彼は逃げ出している。

彼の居場所は美意識を満たしてくれる場所で・・・。

彼は、いくつもの限界を超えている。

鬱になってしまう程の批判の中にいて、美意識を満たしてくれる居場所を求めている。

彼は自身の美意識に救われている。

自身の才能に救われている。

 

チャイコフスキーは愛人(男性)を失って、ピアノ協奏曲に感情を、ぶつけている。あの有名なピアノ協奏曲が批判されたのも、チャイコフスキーの混乱が気になったのかも知れない。

 

ルノアールもセザンヌも批判されて、絵が売れない極貧の状態で、あの有名な絵を描いている。

あの美しい絵も近づいてみると、少し気持ち悪い、写実的な表現力を求める時代に、あの絵は受け入れられない。

やはり既存の美意識を超えてしまうと評価は得られないのかも知れない。

理解されない。

 

天才は創世期や黎明期にいて、限界を超えているけど、完成形は、どんなものなんだろう?

 

天才達は[負の環境]にいて、未だに未完成で超えることのできない壁があって。

 

成功者は王貞治ではなく、そこからヒントを見つけ出した人間で、我々にも、まだ成功の余地は残っている。

 

未完成だから、果実を得るのは我々かも知れない。