エジソン少年は「1+1=1」と言っているし。
どうしてベートーヴェンは耳が聞こえなくなってから作曲ができたんだろう?
ラフマニノフは『ピアノ協奏曲』が批判され、精神を病んでから作曲した『ピアノ協奏曲2番』が絶賛されている。
チャイコフスキーは愛人(男性)が死んでピアノ協奏曲を作曲している。
そしてルノアールもセザンヌも批判されて、絵が売れない極貧の状態で、あの有名な絵を描いている。
天才は負の環境から生まれている。
才能と負の環境には因果関係があって。
[ひらめき]というよりも現実から逃げ出している。
彼らは挫折している。
挫折は才能へと・・・。
挫折と才能には因果関係があるのかも知れない。
彼らを理解できるためには、いくつかの限界を超えていかなければいけない。
ベートーヴェンは耳が聞こえなくなって、美意識は楽器の音色を超えている。
限界を超えている。
ラフマニノフは批判されて既存の美意識に意味も価値も感じられなくなってしまった。
ミュージシャンに、ありがちな他人の“ものまね”に意味も価値も感じられなくなってしまった。
影響されることもなく。
彼は、既存の美意識を超えている。
もう!
誰の“ものまね”でもない。
鬱になってしまう程の批判から逃げ出して・・・。
[ひらめき]というよりも逃げ出している。
彼のオリジナリティは、何かからインスピレーションを得ている。
彼は逃げ出している。
彼の居場所は美意識を満たしてくれる場所で・・・。
彼は、いくつもの限界を超えている。
鬱になってしまう程の批判の中にいて、美意識を満たしてくれる居場所を求めている。
彼は自身の美意識に救われている。
自身の才能に救われている。
チャイコフスキーは愛人(男性)を失って、ピアノ協奏曲に感情を、ぶつけている。あの有名なピアノ協奏曲が批判されたのも、チャイコフスキーの混乱が気になったのかも知れない。
ルノアールもセザンヌも批判されて、絵が売れない極貧の状態で、あの有名な絵を描いている。
あの美しい絵も近づいてみると、少し気持ち悪い、写実的な表現力を求める時代に、あの絵は受け入れられない。
やはり既存の美意識を超えてしまうと評価は得られないのかも知れない。
理解されない。
天才は創世期や黎明期にいて、限界を超えているけど、完成形は、どんなものなんだろう?
天才達は[負の環境]にいて、未だに未完成で超えることのできない壁があって。
成功者は王貞治ではなく、そこからヒントを見つけ出した人間で、我々にも、まだ成功の余地は残っている。
未完成だから、果実を得るのは我々かも知れない。