「10で神童15で才子20過ぎればただの人」で検索すると。
子供の頃は神童といわれた者も、多くは、長ずるにしたがって並の才能となり、大人になる頃には凡庸な人間になっている。
幼いころから難しい本を読解して神童といわれる子は、たしかに優秀な子かも知れないけど。
もしかして!
成長が早いだけかも知れない。
常識に忠実な常識人で、常識を超えていく思考はしないのかも知れない。
進学校では高3で学習する内容を前倒しで高2で学習していたりするけど、教科書は要点だけが書いてある“あらすじ”のようなもので、理解が浅いので、それは可能なのかも知れない。
早いのは理解が浅いからかも知れない。
エジソン少年は「1+1=1」と言って小学校を三か月でやめている。
すでに「1+1」で挫折している。
他の子よりも、もう少し深く考えて、挫折している。
アランチューリングも優秀な子供だったらしい。
それは!
彼は他の子よりも成長が早かっただけかも知れない。
ただ違っていたのは!
彼は同性愛者で、いじめられ、大人になってもイギリスでは社会から受け入れてもらえない。
彼は優秀な子だったらしい。
もしかして!成長が早いだけで、20過ぎれば只の人だったのかも知れない。常識人だったかも知れない。
しかし!
彼は優秀な子でも、社会からは受け入れてもらえない。
そんな個人的な事情があって。
次の段階!
現実が辛くて、常識や既存の科学をブレイクスルーしていく。
「10で神童・・・20過ぎれば只の人」のように、それは成長が早いだけで、それだけでは才能になり得ないのかも知れない。
そこからブレイクスルーしていくのは個人的な事情があって、次の段階で、才能に成長していくのかも知れない。
彼は個人的な事情があって、既存の常識を超えていった。
同性愛は才能ではなく、もちろん欠陥でもない。
ただ!
社会からは受け入れてもらえない。
そんな彼の発想にはリアリティーがあって。
そんな個人的な事情を知って読むと「そういうことか!」と分かりやすいのかも知れない。
『不思議の国のアリス』は、ナンセンスな物語なのに、子供達はリアリティーを感じている。
アリスに不思議な魅力を感じるのは、ルイス・キャロルは小児性愛者で幼い女の子が好きだったからかも知れない。
彼は小児性愛という社会から受け入れてもらえない性癖で、ディズニーランドのような空想の世界へ逃げ出していく。
もしも!
彼が小児性愛者でなかったら、現実から遠く離れた不思議の国を空想することはなかったのかも知れない。
「もしも!彼が小児性愛者でなかったら・・・どんな数学者だったんだろう?」常識人だったかも知れない。
「ロマンチスト」で検索すると。
夢や空想も愛や甘美なものを好む。という記述がある。
江戸時代には日本にも欧米に負けない数学があったという。
江戸時代にはテストなどなく、夢や空想という甘美な数学だったのかも知れない。
『不思議の国』の作者は数学者で、数学的な思考も、ディズニーランドのように、彼の夢や空想として体験すれば良いのかも知れない。
日本人は「あいまい」で、揺れ幅があって、いつまでも揺れている。
日本人は感傷的で揺れ動いている。
イチローは子供のころバッティングセンターで練習をしていたという記憶を思い出すと、あの腕のあるピッチングマシーンと振り子打法が重なって、フッと気付くことができる。
科学ではなくロマンチストとして見れば、また一つ、どうでも良い知識が[宝島の地図]に見えてくる。
そして、それは誰かが気付けば良い。
日本人は空気を読んで、誰かがフッと気付く瞬間を見逃さない。
コンピューターのある時代。
すぐに知識が結晶化する偏差値型の優等生ではなく。
早さではなく。
むしろ!
黎明期や創世期のように知識が流動化する夢想家のようなロマンチストが宝探しに向いているのかも知れない。