エジソン少年は「1+1=1」と言っている。
ベートーヴェンは耳が聞こえなくなってから、あの有名な曲を作曲して、ラフマニノフは『ピアノ協奏曲』が批判され、精神を病んでから作曲した『ピアノ協奏曲2番』が絶賛されている。
チャイコフスキーは愛人(男性)が死んでピアノ協奏曲を作曲している。
そしてルノアールもセザンヌも批判されて、絵が売れない極貧の状態で、あの有名な絵を描いている。
天才は負の環境から生まれている。
そんな因果関係は常識では理解できない。
やはり!
プロファイリングしかなく。
プロファイリングが、できるかどうかが決め手になっている。
圧倒的な[負の環境]だからこそ、それがイヤで、そこからブレイクスルーしていく。
病気になったり、批判されたり。
それでも!
彼らは結果的に高い評価をされている。
枠から飛び出していくラフマニノフの病的なまでの空想力は魅力的で、批判されて、精神を病んだラフマニノフのプロファイリングは可能なのかもしれない。
[負の環境]は本人の責任ではない。
ラフマニノフは、そんな鬱状態から逃げ出したくて・・・。空想している。
もしかして!
天才達の精神や脳は悪化しても、壊れてはいなくて、我々にもプロファイリングは可能で。
精神や脳の壊れた犯罪者のプロファイリングよりは簡単に考えても良いのかも知れない。
天才達は辛い現実から逃げ出したくて・・・。空想している。
そんな気持ちに背中を押されている。
誰しも空想にふける、現実逃避している、そんな心理状態になることはあって。
「空想」で検索すると。
空想には、次のような特徴があります。
・非現実的、創造的、独自的である。
論理や時間的・空間的、因果関係の法則に囚われない
・主観や客観といった区別を無視して変換や拡大できる。
我々にも、そんな心理状態になることはあってプロファイリングは納得できるのかも知れない。
しかし!
偏差値型の優等生は模範解答を答えて高得点をもらうことで優越感は満たされている。
満たされた心理は現状維持を願うだけで、そこから逃げ出したいとは思いもしない。
偏差値型の優等生には、常識や科学をブレイクスルーしていく心理にピントが合わない。
空想は非常識や非科学的で、現実から遠く離れることで癒やされていることに意味も価値も感じない。
癒やされたいという心理が理解できない。
東大生のリアリティーを感じない話し方が気になる。
どうしても!
常識や科学から逃げ出していく心理にピントが合わなくて、東大生は、そんなプロファイリングはしない。
というか!
非常識で非科学的なことを考える生徒は振り落されて、そこには、いないので、そもそも常識や科学をブレイクスルーしていく様子を見たことがなく、プロファイリングができない。
「これが模範解答だな。」と模範解答として見ている生徒と、空想している学者は、まったく別の世界を見ている。
ピントが合わなくなってしまった。
しかし!
救いを求める心理は理解できるはず。
やっと!
自分を正当化してくれる。
救われる思いは理解できるはず。
そして!
現実がイヤで、逃げ出す心理に共感して、ブレイクスルーしていく発想を難しくは考えなくなるのかも知れない。
常識や科学をブレイクスルーして、現実から遠く離れることで癒やされている様子を想像すると「なんだ!我々と一緒じゃないか。」と難しくは感じなくなる。
学者の挫折した立ち位置にいる様子を想像しながら、読んだり聞いたりする。
偏差値型の優等生とは正反対な方向を向いている。
彼らは現実を否定している。
そんなプロファイリングも、一つの学び方かも知れない。