※2019,11,16記事の再掲です
前回までの記事(オタク母的時間の作り方シリーズ)
【オタク母的時間の作り方①】~家族の行動時間を推して量るべし~
【オタク母的時間の作り方②】~上手いこと便利品を使ってやらなければならないことはやる~
【オタク母的時間の作り方③】~”しなければならない”は一番の敵なので完璧は目指さない~
【オタク母的時間の作り方④】~周りにいい顔はせず、自分の意思を貫き通す~
これが極意と言っても過言ではないかもしれません。
いや、奥義?
秘技?
まぁ名称はどうでもいいとして(笑)
自分の時間を作るために色々試行錯誤をしたむつきでありますが、どうやってもどうにもならない時があります。
悲しいことに、本当に手を尽くしても自分の時間を作ることができずに
「一日が終わってしまった……」
と、布団の中で呆然としてしまうことが、残念ながらしばしば起こります。
「本当だったらブログ更新したかったのに」
「今日はイラストの下書きができると思ってたのに」
「せめて頭の中に放置したままのプロットをノートにまとめたかったのに」
「スケジュール帳をマスキングテープでデコりたかった」
「マイノート書きたかった」
「本を読みたかった」
「漫画を読みたかった」
「録画しているアニメ観たかった」etc.
朝に一応自分の時間を設けておりますが、上記のことやるためにはあまりにも時間が足りなすぎる!
特に私はオタクなので、
「ヒマ? なにそれ食えんの?
」
とばかりに『ヒマ』という言葉自体存在しません。
常にやりたいことがたくさんです。
あふれています。
が、しかし。
短時間でも合間をみて作業しても、次から次へとさらにやりたいことが出てきて一向に満足することができない。
そうなってくるとひねくれむつきは、やることが出来ないとどんどんやさぐれていくわけです。
「あぁ……私は好きなことを満足にできない人生を送らなければいけないのか……」
めんどくさい。
自分でも思います。
非常にこの時の私、めんどくさいな!(笑)![]()
![]()
昔、某創作系サイトの時みたいに他者からのなにかしらのアクションを起こされいるわけでは決してないんですけどね。
しいていえば子どもが私によく介入してきますが、それはまぁ子どもですから。
まだまだお母さんからの愛情が欲しい時期であることは十分理解しています。
が、しかし(2度目)
しかしですよ?(しつこい!(笑))
お母さんも人間なわけでして、いくら可愛い我が子でも、365日24時間、自分のことが出来ないのはもはや『自分』という『個』を喪失してしまうことになります。
そうなってくると自分の存在意義を見失うんですね。
「私は一体なんのために生まれてきたのだろう……」
まぁこれは極端ではありますが![]()
でも、やりたいことの前にやらなければならないことがたくさんある。
私の場合、買い物はネットスーパーで。
食器の片付けは食洗機をフル活用しており、以前と比べると多少はゆとりができましたが、家事の恐ろしいところはやってもやっても終わりが見えないところ。
「押し入れの中にあるダンボールの中身をチェックしとかなきゃ」
「子どものおもちゃが入れてあった箱、崩して資源ゴミに出しておかなきゃ」
「あ、アイロンかけなきゃ」
「子どもの壊れたおもちゃをゴミ袋にまとめておかなきゃ」
「旦那がここ数年着ていない服を出しておいて精査してもらわなきゃ」
「着なくなった自分の服をゴミ袋に入れておかなきゃ」
「せっかく貰ったので使ってみたはいいものの、なんか気に入らなくてもう使う気がない食器たちを分別しとかなきゃ」
「災害対策の備蓄を考えておかなきゃ」etc.
趣味(やりたいこと)と一緒ですわ。
キリがない!![]()
本当にあれもこれも次から次へとやらなければならないことが出てきて、キリがなさ過ぎる![]()
でも時間は有限だし、体も一つしかない現状。
……これはね、もう諦めるしかないんですよ(笑)
そもそもこれら全てをやりたい! なんてことは結局『完璧を目指している』ことに他なりません。
完璧を目指すことは自分自身は満足に浸れるかもしれませんが、その反面、完璧にできなかったことにより自分を責める格好の材料にも成り果てるわけです。
それはしんどい!
たった一度きりの人生、そんなことで思考を埋め尽くされ、余暇を楽しみ時間も持てないでいるのはもったいなさ過ぎる![]()
だから
「いずれできればいっかー
」
という『まぁいっか』精神でいるのが推奨されているわけですね。
一昔前までは『がんばれ』精神でしたけど、今はがんばりすぎた反動なのか色々こじれてしまった人や、それこそ認知の歪みが生じてしまい、社会問題となっているケースもちらほら見られていますよね。
そもそも『がんばらなきゃいけない』『ちゃんとしなければならない』『完璧を目指せ』を私生活で強いてくるのは、それを餌に自分たちは楽する人間の誘導であると前の記事で書いたかと思います。
他人に踊らされている人生なんてまっぴらごめんだわ![]()
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自分の人生なのですから、他人に指図されたくありません(笑)
今回の記事で書いた流れは私個人のものでは決してなく、日本に起き出した一連のプロセスの過程により起きたことです。
言うなれば『必然』。
なるべくしてなった、ということだと思います。
じゃあその流れに乗ろうじゃないか!
このビッグウェーブに!
……と、思わず最近読んだ『小説家になろう』の某ギロチンから始まったお姫様のノリで書きましたが(笑)
もちろん、『ちゃんとやりたい』『完璧にやりたい』人はそのままでもよろしいかと。
それが自分の選んだことであるならば、達成できれば満足を得られますし、未達成でも自分もさらに高められる要因になりますので。
ただ一つ注意が必要なのが、諦める場合でもがんばる場合でも『それが本当に自分でやりたいと思って決めたこと』なのかどうかの見極めですね。
私の場合もまだまだ自分と向き合えていない部分が多々ありまして、『思い込んで』それをやっていて、その割には『辛い』と感じていることがあります。
これは『自分の本音』をよくよく知らなかったから起きた摩擦から生じたもの。
本音は「○○したい」だったのが自分のことなのに読み間違えて「●●したい」だったとかね!
同じ丸でも白と黒と色が違っていたらそれは別物なんですね。
これは自己啓発や引き寄せ、スピ、心理学であるあるな話らしいので、だからこそノートや何かしらに自分の気持ちをどんどん書き出して、本音を掘り起こす作業が必要になってくるみたいなんです。
そうなってくると私がこうやって創作せずにブログを書いているのも、まだまだ取り違えている自分の本音を暴き出そうと無意識にしているのかもしれません(笑)