鄧麗君 (テレサ・テン) / 淡淡幽情 | 音楽日記 & バンコク日記

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鄧麗君 (テレサ・テン)の最高傑作と言われる1983年に発売された 「淡淡幽情」

まだ

「つぐない」(84),「愛人」(85),「時の流れに身をまかせ」(86),「別れの予感」(87)をリリースする前の作品で

最高傑作、最高潮の状態で中華圏での活動を中断し日本での活動にフォーカスをしたのも

テレサの人気が今でも中華圏で根強い理由の一つ

  (バンコクの中華街歩いてても必ず彼女の曲は流れてるし

   店の前で曲に合わせて口づさむと音量あげてくれる。ありがとうおじさん!)

 

1980年代に大陸中国始まった改革開放で、台湾の大陸向けラジオ放送から流れるテレサ・テンの歌声に、革命歌に聞き飽きていた大陸の人々は耳を傾ける。その状況をみた中国政府はテレサ・テンの歌声を「靡靡之音(退廃的な歌)」と呼び、取り締まりの対象にする。

(これには79年の日本入国時に公式のインドネシアパスポート(偽装旅券ではない)を使ったパスポート事件後、

 彼女が台湾に帰国せず香港へ逃げた際に台湾政府との仲介で台湾軍慰問を行ったのが大陸政府を触発したともいわれている)

大陸中国で自分の歌が「靡靡之音(退廃的な歌)」と批判され、聴くだけでも取り締まり対象中、テレサが作ったアルバムがこの「淡淡幽情」。

大陸だろうとどこに住んでいようと全世界の中華系にとって共通認識である中国文学史の上で重要な地位を占めている唐時代(618年 - 907年)の唐詩や 宋時代(960年 - 1279年)の宋詩に 台湾や香港の作曲家たちが普遍的な音楽を付け、ポップスアルバムに仕上げている。

 

このアルバムは1981年にテレサに構想が伝えられ、古典詩に興味のテレサはすぐ賛同したという。

また 古典詩作品を尊重する形でテレサの意見で曲名には詩の名前は使われず、古典詩の中からテレサの解釈でタイトルを決めている。

 

皮肉なことだが

このアルバムの製作時期にテレサはシンガポールのPホテル御曹司と大恋愛をして婚約している。1982年1月8-11日 香港のクイーンエリザベススタジアムでコンサート「鄧麗君1982香港伊利沙伯體育館演唱會」を行い、3月の結婚に向け歌手活動に区切りをつけようとしている。

しかし、この婚約は最終的には破談。それには婚約者の祖母が歌手を水商売と見做しテレサに引退を迫ったが、幼いころから歌手活動をしていたテレサは仕事を減らすことで打診をするが、家族からの反対があって破断といわれている。(おそらく政治的判断もあったのだと思う)

 

12曲40分の短いアルバムだけど、壮大な世界観で大中華の世界へいざなう

僕が一番好きなのは アルバム1曲目の「獨上西樓」。 香港で2002年に大ヒットした映画「無間道(Infernal Affairs、インファナル・アフェア)でトニー・レオン扮するヤンがオーディオショップで聴き惚れている曲でもある。出だしで一気にテレサの世界へ引き込まれるこのイントロが好き。

 

このアルバムを1983年1月末に台湾、2月に香港で発売した後、2月19-20日にはラスベガス公演、5月には広東語アルバム「漫歩人生路」、12月香港コロシアムをスタートにデビュー15周年の十五週年巡迴演唱會でシンガポール、マレーシア、タイ、台湾、インドネシア、フィリピンを回り、その最中の1984年1月に日本で「つぐない」をリリースして、我々の知ってる日本での80年代の快進撃が始まっている。

 

このアルバムは香港RTHKの 1983年度十大中文金曲得獎にて Best record producer award鄧錫泉を受賞している C-Pop 中華圏ポップス史史上外すことのできないアルバムだと思う。

淡淡幽情(紙ジャケット仕様)


鄧麗君 (テレサ・テン) / 浪漫主義

 

 

 

鄧麗君 テレサテン2013-01-13 13:11:32