「白鯨」日記 -5ページ目

7月18日 「女好きで何が悪い」と開き直るスヴェドリガイロフ

 とにかく「罪と罰」の登場人物はよく喋り、よく書く。
 いずれも長い。
 「おせん泣かすな、馬肥やせ」をよしとし、木と紙で出来た家に住み、味噌汁と漬け物と米を食べて生きて来た日本人には理解できない長さがある。

 くどい。しつこい。耐え難い。
 ドストエフスキーの小説を近寄り難くしている要因は、内容の難しさよりこの語りと手紙の長さではないだろうか。
 この長さが心地よくなってきたりしたら、もうあなたはドフ好きだ。
 今回も、主人公ラスコーリニコフの妹ドーニャをたぶらかそうとしたスヴェドリガイロフが喋り倒します。

 復習すると、スヴェドリガイロフは家政婦として雇ったドーニャに恋心を抱き、盛んにアプローチしていたことを妻に見つかる。
 妻はドーニャが誘ったと勘違いし、あることないこと近所に触れ回る。
 ドーニャは街にいられなくなるのだが、事実を知ったスヴェドリガイロフの妻が逆にドーニャの無実を喧伝してくれた。 
 そこへ助けに入ったのが許嫁となったルージンだった(後に決別)。

 妻が謎の死を遂げた後、性懲りもなくスヴェドリガイロフはドーニャの後を追いかけて来る。
 そして、妻の遺言で財産の一部をドーニャに譲りたいと言い出す。
 信じないラスコーリニコフ。そんなとき、スヴェドリガイロフはラスコーリニコフの老婆殺しの事実を嗅ぎ付けてしまう――。

 と、まあロシアにうじゃうじゃいたんだろうなと思わせる、妖怪爺である。
 ラスコーリニコフはあえてスヴェドリガイロフに会いに行く。
 対決のためである。
 事実を本当に知っているのか突き止めるため(放っておけばいいんだが、どうもラスコーリニコフ、徒に真実を追究したがる癖がある)。そして、ドーニャを罠にかけさせないよう釘を刺すためだ。

 スヴェドリガイロフも、ラスコーリニコフに自首を薦めた予審判事ポリフィーリーのように、のらりくらりと饒舌に喋る。
 途中で何を読んでいるのかわからなくなるくらい長くてくどい。ドス好きにはたまりません。

 ラスコーリニコフ(以下、ラス)を暖かく迎えるスヴェドリガイロフ(以下、スベ)。
 ラスはスベに偶然会ったように装うが、そりゃ百戦錬磨のスベ。そんな嘘にひかかるわけがない。
 嘘を見抜いてラスをからかっていると、ポリフィーリーにしてもルービンにしても、からかわれるのが何より嫌いなラス。
 「あなたとまだ付き合わなければいけないのか」と迫る。
 要は、早く遠ざかってくれって言ってるわけです。
 「あなたが何を考えているか分からない。ただし、妹に何かちょっかいを出すようなことがあれば、ただではおかない。とにかく私は急いでいるのだ」と言うと、そ知らぬ顔をしてスベはラスに「何を急いでるんです?」なんぞと尋ねる。

 「人には人の事情がある」
 「おやおや、ざっくばらんに話そうと言い出しておきながら、ご自分のことになると心を閉ざす」とスベ、真理をつく。ラス、俺もそう思うよ。

 とにかくスベ、あんたは奥さんが亡くなったばかりで妹にちょっかいを出す気か。淫蕩者か。
 淫蕩とはおだやかじゃない。私も男。女性に興味はある。そりゃ自然なものでしょ。
 病気だ。
 飛躍しますな。病気かもしれない。しかしこれも自然なもの。どうしようもない。

 などという、ばかし合いのような会話を交わす。
 で、実にくどくどと遠回しな前置き(略)を置いて、要はラスの妹ドーニャに惚れ込んで惚れ込んで、そのために人生を費やしているようなことを言う。
 どす黒くて歪んで卑屈で賎しそうに描かれるスベ。実は恋には純である。
 このへんで、スベが愛しく思えて来たりしたら、「罪と罰」に泥沼である。

 スベ、ラスに対して小間使いを殺したとか、妻を毒殺して今でも幽霊を見るといった噂(結構、不気味です)や、既に婚約している頭の弱い純粋な女(ドストエフスキー、どうやらこういう女性が好きらしい)をこれまた延々10ページ以上に渡って言い訳する。
 くどい。
 このへんで飛ばしてしまう人も多かろう。それも一興。

 そして、ラスをソーニャの部屋に案内する。
 ラス、恋の前ではいきなり愚かになる。
 スベ、その足でやはり目指すはドーニャの部屋だった。
 愚かなりラスコーリニコフ。岩波文庫版第6部277ページ。

 次回、ドーニャに絶体絶命の危機が!
 
 

7月12日 まるで「刑事コロンボ」そして感動

 哲学や理想と言葉ばかりが先走り、行動はうかつでずさん。

 青臭さ一杯の「罪と罰」主人公ラスコーリニコフは、「世の中にとって価値のない婆を一人殺して、その金を奪っても、可能性のある若者100人の役に立てばそれは善だ。犯罪がばれるのは計画が甘く、行動が計算されていないからだ」と口ばかり達者で、犯行当日、凶器とするはずの斧はあるはずの場所にない、殺しの現場にいるはずのないリザヴェータが来てしまい、殺さなくてもいい人を殺さざるを得なくなる。

 老婆に金を借りに来た男達がやって来て騒ぎ出したため、身動きが取れなくなると、何一ついいところなしだったわけです。
 しかも、予審判事の前でうろたえたり挑発してしまったり、よせばいいのに、の大連続。
 まともな推理小説なら、とっくに物語は終わってしまっているところですが、そこはお喋り付きで冗長でご都合主義を適度にまぶしている、ある意味娯楽作家のドストエフスキー。
 ラスコーリニコフになんとか急場をしのがせるのです。しのぎ過ぎですが。

 しかし、ただ一人愛した女性ソーニャに犯行の事実を打ち明けた際、うかつにも壁の外からスヴェドリガイロフに聴かれてしまうわけです。
 うかつにもほどがあるし、スヴェドリガイロフ、タイミングよ過ぎ。

 そのせいもあって、不安におののく毎日を送るラスコーリニコフ。
 行動も精神もおかしくなる。

 当然ですね。
 「罪と罰」上、最もおせっかいなラズミーヒンから、予審判事ポリフィーリーを通して、老婆殺人事件の真犯人が判明したことを伝えられます。

 ラスコーリニコフ、ポリフィーリーの罠にはまる。
 たぶん、ポリフィーリーは、ラズミーヒンに喋れば、ラスコーリニコフに伝わることを知ってるんですね。術にはまったラスコーリニコフ、よせばいいのにポリフィーリーを訪ねるのです。

 「まったくこのたばこというやつは」
 訪れたラスコーリニコフに、ポリフィーリーはこう話しかけます。
 咳は出るし喉はむずむずするし、ろくなことはない。それでもやめられませんな。この前ね、医者に診てもらったんですが、30分もかけてみてくれたんですが、タバコがよくない、肺が拡張している、タバコをやめろと言う。やめられるもんですか。どうしろって言うんです?

 などと、どうでもいいことを延々喋り続けるんです。

 先日は失礼しました。いやあ、お互い膝ががくがくでしたね。あなたも取り乱してたし、私も同じだった。ミコライが自白するとは予想外だったもので。でもね、私、信じていない。真犯人はほかにいる。予審判事なんて仕事してますとね、疑り深くなる。いやあ、ザメートフはいけませんな。彼は単純過ぎる。すぐ信じ込む。あなたは怒りっぽいですな。わかります、わかります——。

 などと10ページ以上喋り続ける。
 そう、「刑事コロンボ」みたいでしょ。

 明らかに犯人と目星を付けている容疑者の前で「うちのかみさんがね、あなたの小説の大ファンでしてねえ。参ったなあ、サインいただいてよろしいですか。ありがとう。今晩、かみさんが喜びますよ」などと戯れ言を延々喋ってるうちに核心に迫る。
 あの姿とそっくりです。
 100年以上前の犯罪小説にも、コロンボはいたわけで。

 なんでも自白したミコライの親戚にベグーン教徒がいるっていうんですね。
 この新興宗教では、人の罪を被ることが善なんだそうです。

 ぶるぶる震えるラスコーリニコフ。
 ちっとは落ち着けと思うんですが。そのへん、「デスノート」の夜神月とはえらい違いだ。あっちは不自然なくらい冷静だもの。

 そして尋ねます。
 「では…いったい…誰が殺したんですか?」
 ポリフィーリーは答えます。
 「そりゃあなたが殺したんですよ、ロジオン・ロマーヌイチ。殺したのはあなたです」

 震えました。

 ポリフィーリーは打ち明けます。実は証拠はない。あくまで推論でしかない。しかし、あなたが殺したと確信している。からかってるんじゃない。私はあなたが心底好きでしてね。だから言ってるんだ。逮捕なんかしない。悪いことは言わない。自首しなさい。そして減刑されなさい。婆さん一人で良かった。もしかしたらあなたは、数倍悪いことをしていたかもしれない。神はあなたを守ってくださったのかもしれない。これだけで済んだんだ。あなた人生の何を知ってます?人生を味わいましたか?理論を訴え、それに挫折したからって、人生を捨てちゃいけない。あなたは卑劣感じゃない。だから神か何かを見つけなさい。そして生きなさい。正義の要求を実行なさい。信じてないでしょうな。しかし、いつか生がもたらしてくれますよ。自分から正義を好きになります。まずは空気ですよ。空気を吸いなさい——。

 不覚にも心打たれました。
 ドストエフスキーが最も訴えたかったのは、きっとここにあったのでしょう。

 とにかく生きろ。
 そうすれば何かが見つかる。

 楽観的に過ぎるかもしれない。
 しかし、生きている以上、最も賢い思いではないか。そう思います。
 暗くない。実はドストエフスキー、暗くない。
 ただ、長くて、冗長で、時系列通りに物語が進む演劇みたいですが。

 とうことで、第六部突入。岩波文庫版下巻225ページ。ポリフィーリーの挑戦に、慰めに励ましに、どう答えられるのか。スヴェドリガイロフの悪意はどう出る?ソーニャとの愛は?菊池寛並みのメロドラマ風に展開してきました。
 

7月6日 (続く)にワクワク、ドキドキ

 「続く」にときめいた記憶をお持ちだろう。

 ガッツ星人に捕らえられたウルトラセブンがはりつけにあった場面を見た後の「続く」。
 3番目のボタンをはずすと爆発するビジンダーが二番目のボタンを開けた後の「続く」。
 あの「ドキドキ」「ワクワク」感は、面白さの重要なポイントだろう。

 「罪と罰」にもある。堅苦しくて難しくてややこしくて名前が覚えられない印象ばかり強いロシア文学の代表作にも、「続く」があるのだ。

 第五部後半。ラスコーリニコフが葬式費用を負担したマラメードフの葬式で、「ラスコーリニコフが金を出してやったのはいやしい娼婦だ」と位置づけることで彼を陥れようとしたスヴェドリガイロフが、マラメードフの娘ソーニャに泥棒の濡れ衣を着せようとする。
 たまたま真実を見抜いたスヴェドリガイロフの同居人レベジャートニコフによって事なきを得たのだが、娘を公然と泥棒扱いされたマラメードフの妻カチェリーナは狂気に追いやられる。
 「罪と罰」。狂いかけているラスコーリニコフといい、泥酔して延々と不満を述べ続ける生前のマラメードフといい、狂気の影がつきまとう。

 フライパンを叩いて幼いこどもたちに物乞いさせるカチェリーナは、肺結核が悪化。
 夫と同様、命尽きるのだが、そこでばーん!またもや登場したスヴェドリガイロフ。
 懲りずに残された子ども達のために金を出す、と提案する。

 なぜ。疑問はつきない。
 しかし、邪心はないと言うし、とにかく無一文の子ども達に寄付金が出るなら断る理由はない。
 胸にわだかまりを持ちつつ、ソーニャを始めとしたカチェリーナの子ども達は寄付金を受け取ることになる。めでたし、めでたし。

 しかし、第五部のラスト、スヴェドリガイロフは不気味な台詞を残す。
 ラスコーリニコフに向かって、
 「私はすっかりあなたに興味を持ってしまった。仲良くやっていけると思っていたし、現実に仲良くなった。私がどれくらい人当たりがいいか、いずれわかりますよ。まあ、見ていなさい」。

 仲良くしようとしているのか、怖がらせようとしているのかよくわからん台詞で、岩波文庫版下巻171ページで第五部は終わる。

 えっ、なに?スヴェドリガイロフ、どうするつもりよ、何があるわけ?(続く)。