「白鯨」日記 -4ページ目

8月9日 ついに読了! 小沢健二じゃないけれど、愛し愛されて行きていこう

 「愛がなくちゃね」と言ったのは矢野顕子だっけ。つまり、「罪と罰」の結論です。愛されていれば、愛する人がいれば、生きる意味はある、価値はある。すっげえ、退屈な結論だが、いや、ジョン・レノンじゃないけど、「愛さえあれば何でもできる」ってことで。
 最終章。ラスコーリニコフはだらだらと愛する女性3人に会う。母、妹、そして愛する人ソーニャ。
 「そうさ、僕は卑劣漢だよ、愚か者さ」と自嘲するラスコーリニコフを、3人が3人とも優しく受け止める。ドーニャの部屋では、ラスコーリニコフが一度、結婚を約束した器量なしの娘の肖像画(この小説で特筆すべき唐突で謎に包まれた存在です)を見つけ、「この人とだけは、あのことについても話し合ったんだ」と打ち明ける。ソーニャは十字架を渡し、自首してアラスカの監獄へ向かおうとするラスコーリニコフに着いていこうとさえする。
 妹のドーニャと別れたとき、ラスコーリニコフはこうひとりごちる。

 「しかし、おれにそれだけの値打ちがないのだとしたら、どうして彼らはおれをこんなに愛するのだろう。ああ、もしおれがひとりぼっちで、だれからも愛されることがなあったら、おれだってけっしてだれも愛しはしなかったろうに」

 エピローグで、監獄から出て来るラスコーリニコフを、ソーニャが迎える。ドストエフスキーは、これは更正の物語だと結論付ける。

 「ひとりの人間が徐々に更生していく物語。彼が徐々に生まれ変わり、一つの世界から他の世界へと徐々に移っていき、これまでまったく知ることのなかった新しい現実を知るようになる物語である」

 愛し愛されて生きることが、世の中を良くしていくという、まあ退屈な結論に達する。が、幻想のようだが、実は真実だと思う。

 秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大容疑者も、確か「彼女がいたら」といったようなことを言っていたような記憶も。家族とも反目し合い、ウェブでも無視されたとか。

 もし彼が誰かにしっかりと愛されていたら…。
 うさんくさい言葉ではありますが、誰かを愛し、愛されて生きていきましょう。

 

 

7月27日 矢吹丈のように駄目な奴が物語を紡ぐ

 どうしようもない駄目な奴。
 それを描いてこそ、物語は生きると思う。

 矢吹丈なんて、KCコミックス版5~6巻くらいまで、文字通り、性格も悪くてひねくれて、人をだましてばかりいるどうしようもない奴だった。

 映画『ゴッドファーザー』で忘れ難いのは、冷静で計算高いマイケルより、怒りっぽいソニーだし、父親さえ守れず兄弟を裏切りさえしてしまう次男のフレドだろう。

 「罪と罰」の登場人物は女性以外、駄目な奴ばっかだ。
 家族の食事代さえ飲み干してしまうマラメードフは早々に馬車に轢かれて死ぬ。
 ルージンは悪賢くて金さえあれば何でもできると思って、人を見下しがち。
 なにせ主人公ラスコーリニコフにして、口ばかり達者なくせして、斧で殺人まで起こしておきながらロクに金も盗めず、早々に容疑者になってしまう粗忽者である。

 スヴェドリガイロフの駄目さは、抜きん出てはいないが、印象に残る。
 ラスコーリニコフの妹アヴドーチャ・ロマーノブナ(ドーニャ、ドーニャチカは愛称、とややこしい)を家政婦として雇いながら、惚れ込んでしまってたぶらかそうとして失敗。
 妻の死後、おめおめとドーニャの後を追いかけ、妻の遺言やら遺産やらを総動員でドーニャに接近。
 最後は自室で強姦しかけるという、最低にも程がある男である。

 しかし、だからこそ、僕はこの男を愛してしまった。
 抱きかかえたドーニャに「放してくれ」と言われ、「どうしても俺を愛せないのか」と詰問。
 「どうしても、いつまでも愛せない」と突き放された時の哀しみが、ページをめくる指先からしんしんと伝わってくるような気がした。

 そしてスヴェドリガイロフは、ありったけの金をラスコーリニコフの愛する人、ソーニャに渡す。
 ラスコーリニコフがいずれ自首し、ソーニャが付き添っていくことを既に悟り、二人のために役立ててほしいという思いがある。

 宿で眠りにつこうとするスヴェドリガイロフに、次々と幻覚が襲いかかる。
 陵辱されて川に身を投げた14歳の少女の亡がら。
 公園でびしょ濡れになって怯えている5歳の幼女からの誘惑。ロリコンなのか?

 我に返ったスヴェドリガイロフは、公園に出かけ、話しかけた男に「アメリカへ行くんだ」と言って、自らに銃を向ける。

 スヴェドリガイロフ、ラスコーリニコフにも米国行きを勧めたり、どうやら米国への憧れがあったようだ。
 亡き妻の幻影に追われ、少女の厳格に悩まされ、愛した女ドーニャには獣のように扱われ、人生いいことなしだったスヴェドリガイロフ。
 その死が、ひどく哀しく思える展開。
 しかし、ラスコーリニコフの肩の荷は降りたはずだ。

 さて、329ページまで来たぞ。いよいよ「罪と罰」終盤へ。

7月20日 まるでハリウッド映画 ドーニャの絶体絶命

 薄々気付いていたが、ドストエフスキー、意外にエンターテイナーである。

 確かにテンポは悪い(なんて、世界的名作に言っていいのか)。
 理屈っぽい。主人公はすぐ怒ったり憂鬱になったりして、全編暗い。
 
 しかし、犯罪者がその罪に気付いている予審判事と対決する「デスノート」のようなスリル。
 饒舌な予審判事のユーモラスと思えなくもない言葉が、次第に犯罪者の罪を暴き、その心をえぐる「刑事コロンボ」のようなカタルシス。
 主要人物の愛する人を得意顔で陥れようとする悪役の罠を、大勢の登場人物が見ている前で暴き立てる「池中玄太80キロ」のエピソードのような爽快感があったりする。

 実は「暗くて重くて退屈なドストエフスキー…」というイメージに隠された娯楽性があるように思う。

 今回はハリウッド映画である。

 スヴェドリガイロフは自分の罪を暴くつもりなのか、と怯えていたというかいきり立っていたというか、19世紀の逆ギレ男ラスコーリニコフは、スヴェドリガイロフ程度の小物が俺様のような大悪党と闘う玉ではなかった、などと自惚れたうかつな結論に達し、あろうことか何も解決したとは思えないまま別れてしまう。
 
 別れ際、いつものように物思いに耽ってしまったラスコーリニコフ、実は最愛の妹ドーニャが近くにいることにすら気付かない。
 まさにうかつ。全編うかつ。
 そうか、「罪と罰」って思想と哲学を抱えたラスコーリニコフのうかつさが作ったドラマかも。

 ともあれ、話しかけようか迷ったドーニャ。
 話しかけない。兄とすれ違う。すれ違いはドラマを生むよね。

 そんなドーニャを見つけたスヴェドリガイロフ。
 「お兄さんの秘密を教えてあげるから、うちにおいで」と芸のない誘拐犯のようなことを言う。
 あろうことかドーニャ、ついて行く。普通、行くか?

 スヴェドリガイロフの部屋は、ラスコーリニコフが愛するソーニャの部屋に隣接する。その壁越しにラスコーリニコフの告白を耳にしたことをスヴェドリガイロフはドーニャに説明する。
 そして、「あなたのお兄さんは盗みのために人を殺した」と暴露します。

 信じないドーニャ。兄はそんなことをする人じゃない。
 解説するスヴェドリガイロフ。お兄さんは道徳を超える理論を持っていた。ナポレオンのようにいくつかの悪を乗り越えていった事実に魅了された。しかし、残念ながら天才ではなかった。現代のロシア人には国土のように広漠として、空想的な、無秩序なものに憧れる人がいる。残念ながら優れた才能もないのに広漠としてしまう人がいる。あなたのお兄さんはまさにそれだ。

 兄に会いたい。ここを出して。訴えるドーニャ。
 お兄さんもあなたも救ってあげる。金も出す、パスポートも準備して国外脱出の手助けをする。だから愛してくれ。無茶を言うスヴェドリガイロフ。

 あたしを暴行する気?今更気付くドーニャ。
 鍵がかかっていてここからは出られない。脅かすスヴェドリガイロフ。

 卑劣感!叫ぶドーニャ。
 あくまで提案です。のるかそるかはあなた次第。暴行は醜悪です。できれば両親の呵責に耐えられないような事態は避けたい。お兄さんとお母さんを救うかは、あなたの返事次第ですよ。遠回しに強迫するスヴェドリガイロフ。

 二人の距離が短くなる。絶体絶命。どうするドーニャ?!
 
 「突然、彼女はポケットの中から拳銃を取り出した」

 「なるほどそういうことですか」ってスヴェドリガイロフ、納得するか?

 なぜ貧しい女性が拳銃を?いつ持ってたの?唐突じゃない?
 いや理屈はどうでもいい。
 B級ギャング映画のような展開に、むしろここでは快感を覚えたい。
 ドストエフスキーである。ロシア文学の最高峰である。
 しかも「罪と罰」である。感動したとか、深いとか、面白くなかったということさえ憚られるような巨作である。
 その一場面に、陳腐な米国映画のような場面があったとは。
 むしろ微笑ましいを通り越して、ささやかな感動さえ覚えないか。
 ドストエフスキー、実は読者をハラハラドキドキさせようとしているのである。

 一発目、打ち損なう。なんだ、こりゃ。
 二発目、装填する。また不発。距離縮まる。露文の名作でレイプ場面か?
 そして、三発目。
 ドーニャは拳銃を捨てる。
 「捨てた」と本当にスヴェドリガイロフは叫ぶ。ドーニャの腰に手を回すスヴェドリガイロフ。敬語を捨て「私を帰して」と怒鳴るドーニャ。「じゃ、愛していないんだね」今ごろ気付くスヴェドリガイロフ。
 
 「それで…愛せない?…いつまでも…」
 「いつまでも」

 卑劣で下品で醜悪なスヴェドリガイロフ。
 理由はわからないけれども、妻を失ってまでも恋するドーニャを求めてペテルブルグの街にやって来たのに。
 なぜかここで胸が詰まりました。愚かな、駄目なヤツがいてこそドラマはある。

 ドーニャを逃がし、3分以上も部屋に立ち尽くしたスヴェドリガイロフ。彼は拳銃を手に取り、街へと出て行くのでした。

 岩波文庫版301ページ。残すはあと103ページ。どうなるスヴェドリガイロフ。そしてラスコーリニコフ。