第1章 藍の向こうの碧い海へ宣侯 (2-1)
7月11日、まだ夜が明け切れていない、しじまの中へ、鬼平Ⅱは静かに岸壁を離れて、600海里約、1100キロメートル、小笠原父島への大航海へと船出した。われわれの相棒、鬼平Ⅱは47フィートで、船の大きさとしては申し分なく、長い船旅に十分耐えられるサイズの船である、但し船齢20年とかなり老齢で、人間と同様いたるところに傷みが出ており、この長旅に耐えられるか、おおいに心配するところである。
スキッパー尾鷲光由「ヨット歴10年、ビギナー級」
「ナビゲーター兼コック長兼総務兼経理」早い話なんでもやの青山藤次郎氏「ヨット歴3年」
二人とも、今までロングクルージング経験は殆んど無し。年の割には活動的なロマンチスト、本当のところは無鉄砲な怖いもの知らずである。ともかく我々にとって今回の大航海が生まれて始めての大冒険である。
後で話を聞いたところによると、藤次郎氏は今回の航海に際して、奥様にそれとなく、もしものことが有った場合はどのようにするか、事細かにメモを残してきたそうである。特に念入りにメモしたのが「葬儀の手順」であったとの話を聞いて、「さすが藤次郎氏」と変に感心したり、唖然としたものである。そういう私も、秘かに仏壇に航海の安全を期して、線香と手を合わせてきた、人のことはとやかく言えない恐れを知らない年寄り二人なのである。
この話には続きがあり、藤次郎氏が奥様に「大事な話がある」と言って、もしものことがあった場合の心構えなどを説いていても、奥様は本気で聞いているようなそぶりが見えない「なぜだと思う」と私に聞かれてもなんとも答えられない。そのような私を見て「どうも彼女は小笠原がどこに有るのか知らないようなんだ」「だからあんな態度が取れるんだ、呑気なもんだよ」とぼやくことしきりであった。
下田港沖より一路式根島と神津島の中間点に進路を取る、風は北東の風10ノットやや弱いがフルセールで順調なスタートを切る。5時30分神子元島沖を通過、8時33分式根島と神津島の中間地点を経て三宅島阿古港沖に到達するようなコースを取る。
5月の連休、新島と式根島の中間点を通過して三宅島を狙ったとき、潮流が激しく、大いにてこずった経験から、今回は多少距離は長くなるが、そのようなコースをとることにした。どこを通っても島と島の間は潮流が激しい、激しい向かいの潮流を受けながら何とか乗り切る。下田港を出てから4時間経過、予定より多少はやめの通過である。式根島を背に受けて、しばらくした時点でようやく、二人に笑顔が出てきた。朝から藤次郎氏は東京での不摂生な生活の反動と今回の長旅への緊張感からか「気分が優れない」の連発であったが、ここに来て、やっと本調子が出てきたようである。
下田港を出て初めての食事を取る。9時36分、朝食である。快晴、ソーセージの缶詰と牛乳、出来るだけ簡単なメニュウとする。今回の航海では藤次郎氏が全て料理を仕切るとのこと、私はあまり口出しできない状態にある。何でも出されたものを「美味しい美味しい」と食べるのみである。
10時36分三宅島がだいぶ近くに見えてきた。5月の経験では阿古港を狙ったコースを取っていても潮流で島の東よりに流されたので、今回は西よりぎりぎりのコースを取りながら、三宅島に近づくことにした。三宅島の噴火はまだ続いており、不気味な噴煙を空高く吹き上げている、風向きしだいでは有毒ガスが海面すれすれまで降りてくるとのこと、油断は出来ない。


