新型コロナの感染拡大で渡航が制限されていたが、昨年9月に久しぶりに韓国に行くことができた。
孔徳のあたりを拠点にしようと思って宿泊施設を調べていたら、3月に新しいホテルがオープンしていた。日系のホテルで、ダイワハウスグループの「ロイネットホテル(로이넷 호텔)」。コロナ前から、ソウル市内でも日系のホテルが結構目につくようになっていたが、長らく日系ホテルのないソウルに馴染んでいた私には、日系ホテルが増えてきたというのがちょっとした驚きだった。
ここでは、ソウルにおける日系ホテルの歴史を振り返ってみたい。
最初の日系ホテル「東急ホテル」
1965年の日韓国交正常化の6年後、1971年10月にオープンした「東急ホテル」がソウル初の日系ホテルだった。当初、国際火災保険会社の子会社の二和振興が、アメリカ資本のエンパイアホテルの入居・営業を前提に、1968年6月にビル建設を始めた。しかし、途中でこの入居契約が白紙化され、1970年になって東急ホテルがホテル経営に参入することになった。当時、東急の社長五島昇は「汎太平洋ホテルチェーン構想」で、前年11月にグアム東急ホテルをオープンさせたばかりで、1970年6月に自ら韓国に出向いて契約をまとめた。
ソウル東急ホテルは、ビルの15階以上を賃借りして、210室規模のホテルとして1971年10月にオープンした。
開業直後のソウル東急ホテル(東急100年史より)
しかし、まだ植民地支配が終わって26年、国交ができてから6年ということで、初めての日系ホテルへの風当たりは強かった。
国宝1号(南大門)の横に溢れる「倭色」
日本の鉄道財閥東急が旧朝鮮神宮の入り口に上陸
名前まで東急(トウキュウ)というのはあんまりだと大きな非難
場所は、南大門の横から南山循環道路に上がっていく道路の右手。上の記事にもあるように、日本統治時代には朝鮮神宮に向かう参道沿いだった場所である。ビル自体は、今も南大門のすぐ横に立っているが、2018年に全面改装されてモダンな外観のビルに変身している。
建築家金重業が設計したビルで、現在はトナム・ビルというオフィスビルになっている。
宿泊客のターゲットは日本からの観光客だったが、オープンした1971年頃は、韓国旅行といえば「キーセン観光」という時代。いろいろな意味で目をつけられていた東急ホテルは、開業10日目にして、日本人総支配人が買春に加担したとして立件されたりもした。
1973年12月に韓国や日本で、「キーセン観光」に対して反対行動が起きた。
ソウルの東急ホテルを含むホテル6社(朝鮮・コリアナ・ロイヤル・世宗・プレジデント)は、「キーセン同宿お断り」の決議を出した。そうせざるを得ないほど目にあまるものだった。
とはいっても、この時期の韓国ツアーは「キーセン観光」なしには成り立たないのが実情だった。ムクゲ5つの特急ホテルですら、ホテルとしての格式と客や旅行社からの無体な要求との板挟みで苦慮していた。
1974年8月15日、在日韓国人文世光が大阪府警の派出所から盗み出した拳銃で光復節のセレモニーで演説する朴正煕大統領を銃撃する事件が起こり、壇上の大統領夫人陸英修女史が死亡した(文世光事件)。
この事件の発生直後、ソウルに滞在していた日本人は出国停止となり24時間以上足止めされた。その後も、事件の責任問題と収拾策をめぐって日韓関係は極度に悪化し、「キーセン観光」が目的だったツアー客が激減した。日本人宿泊客がメインだった東急ホテルは経営難に陥り、一時は大韓航空の韓進グループに身売りするのでは…という話まで報じられた。
しかし、その後も東急ホテルとして営業を続けていたのだが、ついに1982年8月31日を最後に営業を停止することになった。
朴前大統領夫人の暗殺など一連の事件で宿泊客が減少したうえ、新設の大型ホテルが相次いで競合が激しくなったのが主な要因。加えて、二度にわたるオイルショックでエネルギーコストが急上昇したにもかかわらず、建物が古いため有効な手が打てないこともはっきりした。「これ以上営業を続けるのは営業上無理」と判断したという。
…
韓国への観光客は基調としては上向きながら大きな政治的な事件が起きる度に減少するというパターンをたどっているが、同ホテルの客足も「朴大統領夫人の暗殺、朴大統領暗殺、光州事件と大きな事件があった年は激減、なかなか客足が回復しなかった」という。加えて、ここ数年、ソウルではホテルロッテ、ホテル新羅、ハイアットなど大型ホテルが続々と誕生。客室数二百十室のソウル東急ホテルでは規模が小さく、集客に有効な手が打てなかったことも大きい。
『日経産業新聞』1982/08/27
「東急ホテル」の閉館とともに、ソウルから日系のホテルはなくなった。
日系ホテルではないが…ロッテと新羅
・ロッテホテル
1970年に、朴正煕大統領がロッテの辛格浩(重光武雄)を呼んで、半島ホテルと国立中央図書館を払い下げるから国際級のホテルを建てるように命じたとされる。具体的な建設についての動きが報じられたのは1974年から。辛格浩は、日本の帝国ホテルをモデルにした構想を練った時期もあったが、結局、実際に完成したロッテホテルのイメージは京王プラザホテルに倣ったものになった。
1978年12月22日に一部開館、翌年3月10日に1020室のロッテホテルが全館開館した。
ロッテの経営陣は、常務理事井坂敏次を総支配人としてホテル運営の責任者とし、現場にも日本人支配人を配置した。日系ホテルではないのだが、日本人宿泊客にとっては日本のホテルと同様の接客が期待できるホテルとして受け止められていた。
・ホテル新羅
ホテル新羅が建てられている場所は、日本統治時代に伊藤博文を祀った博文寺があったところである。解放後、ここには韓国政府の迎賓館が建てられていたのだが、1973年7月に三星グループがホテル建設を進めていることが報じられた。
迎賓館をホテルに
三星グループが迎賓館の場所に建てる予定の「ホテルインペリアル」の建設規模が明らかとなった。
総資本金規模は48億ウォン、東邦生命の22億をはじめ三星系で24億、日本の大成建設など5財閥が24億を出資する。
迎賓館はホテルの一部となり、博文寺の建設時に移設された慶煕宮の興化門がそのまま正門として使用された(興化門はその後慶煕宮に戻され、現在の新羅ホテルの門はレプリカ)。新羅ホテルの開業はロッテホテルの全館開業と同じ1979年3月だったが、ロッテホテルよりも2日早い3月8日にオープンした。
ホテル新羅は、運営面ではホテルオークラと提携しており、オークラから副総支配人と料理長が出向しており、ロッテホテルと同様、日本のホテル運営のノウハウが生かされたホテルであった。1983年に日本の総理大臣としては初めて韓国を公式訪問した中曽根康弘はこの新羅ホテルに宿泊した。その後も、国賓や多くの外国の要人・賓客がこのホテルを利用し、最も格式の高いホテルの一つとされている。
再び登場した日系ホテル
「東急ホテル」の撤退後、韓国には長く日系ホテルが進出することがなかった。
2008年4月、釜山の中央洞に「東横INN」がオープンした。続いて12月に釜山駅店がオープン。再び韓国に日系ホテルができたとかなりの話題になった。
ソウルでは、2009年8月に東大門に「東横INN」がオープンした。韓国では手薄だったビジネスホテルの需要を見込んでの進出だった。現在「東横INN」は、ソウルでは江南・永登浦・東大門2号店を展開している。
2013年5月、共立メンテナンスが運営する「ドーミーイン・ホテル(도미인 호텔)」が江南にオープンした。
2015年1月、地下鉄4号線の明洞駅5・6番出入口に直結している旧ミリオレに日本ソラレホテルグループの「ロワジールホテル 明洞(르와지르 호텔)」がオープンした。ただ、2020年1月末でソラレホテルグループから離脱し、今は「ミリオレホテル」になっている。
この年9月には、西鉄グループが運営する「ソラリア西鉄ホテル(솔라리아 니시테츠 호텔)」が明洞にオープンした。
2018年になると、2月に相鉄グループが運営する「ザ・スプラジール・ソウル明洞ホテル(더 스프라지르 서울명동)」が韓国銀行の裏手にオープンした。このホテルは、フランス系のゴールデン・チューリップ・M・ソウルホテルの経営を引き継いだものだったが、相鉄はその後、「相鉄フレッサイン ソウル明洞」「ザ・スプラジール ソウル東大門」を相次いでオープンさせた。
この年5月には、くれたけホテルチェーンの「呉竹荘ホテル(쿠레타케소 호텔)」が仁寺洞で営業を開始した。「日本のサービスを韓国でも」というのが開店チラシのキャッチフレーズだった。
呉竹荘ホテルの開店チラシ
この年には藤田観光が運営する「ホテル・グレイスリー(호텔 그레이스리)」も南大門そばにオープンした。
さらに、新型コロナで観光客が激減した最中の2021年8月、明洞に「変なホテル(헨나호텔)」が明洞にオープンして、ロボット接客で話題になった。
そして、2022年3月に孔徳駅そばにオープンしたのが、大和グループの「ロイネットホテル」である。
東急ホテルが日系ホテルとして初めてソウルにオープンした1970年代から50年以上が経った。2008年の「東急INN」の進出以降、日系ホテルが徐々に増えていったが、それらがいつオープンしたのか、新聞検索で調べてもなかなか記事がヒットしない。1970年前後とは大きく様変わりして、日系ホテルのオープンがほとんど話題にならない時代になったということだろう。
それも現代史における日韓関係の変化を示すもの。2023年初旬の段階での記録として、このブログに残しておこう。

































