一松書院のブログ -13ページ目

一松書院のブログ

ネット上の資料を活用し、出来るだけその資料を提示しながらブログを書いていきます。

2024年      
12月3日 22:23 尹錫悦ユンソギョル大統領 午後11時からの非常戒厳の実施を宣言 SBS動画
  23:00 朴安洙パクアンス戒厳司令官が布告令を発令 布告令
    国会に戒厳軍が侵入 PD수첩 12월 5일 방송
12月4日 0:48 国会開会  
  1時過ぎ 非常戒厳解除要求決議案を可決(190人出席 賛成190票) YTN
    戒厳軍、撤収を開始  
  4:27 尹錫悦大統領、非常戒厳解除を宣言 채널A
    野党6党、尹錫悦大統領の弾劾訴追案を国会に提出  
12月7日   弾劾訴追案採決、与党「国民の力」が3人を除いて退席して投票定足数に達せず不成立・廃案  
12月8日   金龍顕キムヨンヒョン国防相を身柄拘束  
12月11日   警察庁長官とソウル警察トップを拘束  
12月12日   野党が尹錫悦大統領の弾劾訴追案を国会に再提出  
    尹錫悦大統領、緊急声明 MBC
12月14日   国会で弾劾訴追案を可決(賛成204票、反対85票)  
    尹大統領「国民への談話」  
    韓悳洙ハンドクス首相が大統領職務代行  
12月18日   尹大統領、高位公職者犯罪捜査処の出頭要請に応じず  
12月25日   同上  
12月27日   国会で韓悳洙首相の弾劾訴追案を可決  
    崔相穆(チェ・サンモク)経済副首相兼企画財政相が大統領権限代行  
12月29日   尹大統領、高位公職者犯罪捜査処の出頭要請に応じず  
12月31日   ソウル西部地方裁判所、内乱容疑で尹錫悦大統領の逮捕令状を発付  
2025年      
1月3日   高位公職者犯罪捜査処が漢南洞大統領官邸で身柄拘束を試みるも失敗  
    漢南洞大統領官邸に立てこもる  
1月15日   身柄を拘束(逮捕令状を執行)果川の高位公職者犯罪捜査処に連行  
    ソウル拘置所に収監  
1月19日 未明 ソウル西部地方裁判所、尹大統領の身柄拘束を延長(拘束令状)  
    ソウル西部地方裁判所襲撃される  
1月21日   尹大統領、憲法裁判所に出廷  
    終了後、国軍ソウル地区病院に立ち寄り安養のソウル拘置所へ  
1月22日   尹大統領、憲法裁判所に出廷  
1月23日   尹大統領、憲法裁判所に出廷  
    高位公職者犯罪捜査処が尹大統領を検察に送致  
1月26日   検察非常戒厳特別捜査本部が尹大統領を内乱罪で起訴  
2月4日   憲法裁判所5次弁論  
2月6日   憲法裁判所6次弁論  
2月11日   憲法裁判所7次弁論  
2月13日   憲法裁判所8次弁論  
2月18日   憲法裁判所9次弁論  
2月20日   憲法裁判所10次弁論  
2月25日   憲法裁判所最終弁論  
3月7日   ソウル中央地方裁判所、尹大統領拘束の取り消しを決定、検察は即時抗告せず  
3月8日 午後5時40分頃 尹大統領、拘置所を出て、漢南洞の官邸に戻る 채널A
4月1日   4月4日午前11時に大統領尹錫悦弾劾事件に対する宣告を行うと通知  
4月4日 午前11時 大統領尹錫悦弾劾事件に対する宣告
午前11時22分 大統領罷免を宣告
主文宣告

 

 

 

 尹錫悦ユンソギョル大統領の逮捕をめぐり、大統領警護処キョンホチョが注目されている。

 

 警護処の前身は、朴正煕パクチョンヒ時代の1963年に置かれた警護室キョンホシル。警護室長は長官級(大臣相当)で、大統領の信頼する側近として、身を挺して大統領の警護にあたるだけでなく強い政治的な影響力をも持っていた。

 

 1974年8月15日、奨忠洞チャンチュンドンの国立劇場で行なわれた光復節クァンボクチョル記念式典で、文世光ムンセグァンが壇上の朴正煕大統領に発砲した際には、朴鐘圭パクチョンギュ警護室長が大統領後方から拳銃を抜きながら飛び出している。

 

 

 この事件で、大統領夫人の陸英修ユギョンスが頭に銃弾を受けて死去。責任をとって辞職した朴鐘圭に変わって警護室長になったのが車智澈チャジチョル。朴鐘圭も車智澈も、5・16軍事クーデターの時、すでに朴正煕の側近だった。

 

 

 1979年10月26日に中央情報部長の金載圭キムジェギュが、大統領朴正煕と警護室長車智澈を宴席で射殺した。

 

 その事件の捜査にあたった陸軍保安司令部司令官の全斗煥チョンドゥファンが、12月12日に粛軍クーデターを起こして実権を握った。その後、大統領に就任した全斗煥は、張世東チャンセドンを警護室長にした。張世東は12・12クーデター当時、首都警備司令部の30警備団の団長で、上官の張泰玩チャンテワァン司令官の命令を無視してクーデター勢力側に加担した。

 

 しかし、「民主化宣言」後の盧泰愚ノテウ政権以降、特に文民政権時代になると、警護室長は独裁政権時代のような大統領の政策的な側近という色彩は薄れ、大統領の警護業務に重点が移った。

 

 李明博イミョンバクが大統領に就任した2008年、政府機関を「13部2処」に縮小改編したが、同時に大統領府も、警護室を大統領秘書室の下に警護処とした。「室」から「処」に格下げになり、警護処のトップの処長も次官級となった。

 

 

 ところが、朴槿恵パククネ政権の時に再び警護処を警護室に戻して、秘書室と国家安保室、警護室の3室体制にし、警護の責任者も次官級から長官級に戻した。権威主義時代への逆行だとの批判も噴出した。

 

 朴槿恵罷免後に大統領に当選した文在寅ムンジェインは、大統領警護を、警護室から警察庁警護局に移管するとの公約を実現しようとしたが、大統領府から切り離すのは困難ということで、警護室を警護処として秘書室の下に置くにとどまった。

 

 2022年の尹錫悦就任後も、警護処の制度はそのまま引き継がれたが、最初の警護処長に任命したのは中将で軍を退役した金龍顕キムヨンヒョンであった。退役中将が次官級のポストに就くのは異例だった。金龍顕処長のもとで、この年11月には、警護処長が警護業務を支援する軍と警察を直接指揮できるように大統領警護法施行令を改訂しようとした。

 

大統領警護法施行令改定案

処長は、警護業務を効率的に遂行するため、必要な場合に警護区域において警護活動を遂行する軍・警察等関係機関の公務員に対する指揮・監督権を行使する

 この結果、警護処長は、警護処の700名の人員に加え、

警察

 22警察警護隊

 101警備団

 202警備団など 1,300名

 55警備団

 33軍事警察警護隊 など 1,000名

に対する指揮・監督権を行使できることになる。

MBC 2022年11月15日報道

 

 1974年、車智澈が警護室長となった時、首都警備司令部隷下の部隊の一部(30警備団)を警護室長の指揮系統に組み込んだ。この金龍顕処長のもとでの改訂はその再来だとの批判が強まった。野党や在野の強い反対に、大統領側は、「指揮・監督」のフレーズを「関係機関の長と協議」に変更することで翌年5月にこの施行令の改訂を通した。

 

 そして、2023年8月、金龍顕を国防部長官の候補者に指名した。その後任の警護処長には、9月9日付で朴鍾俊パクジョンジュンが任命された。

朴元次長は、忠南公州コンジュ出身で警察大学行政学科(2期)を卒業し、第29回行政試験に最年少で合格。ソウル地方警察庁捜査部長、忠南地方警察庁長、警察庁企画調整官、警察庁次長を経て、朴槿恵政権下の2013年に大統領府警護室次長に任命された。朴元次長は2012年と2016年の総選挙にセヌリ党候補として出馬したことがある。

 警察官僚出身だが、保守派政治色の強い人物だとされる。

 


 

 ちなみに、「〜処」は、韓国の役所の一つで、特定の機能や業務を担当する独立した部署を指し、主に中央行政機関の名称に使われる。高位公職者犯罪捜査処(公捜処コンスチョ)もその一つ。「部」「室」の下位に位置する。

 日本の官制には該当する役所名がないので、日本語の報道などでは「〜省」(大臣)よりも1ランク下ということで「〜庁」と“置き換え”て表記するケースと、「〜処」をそのまま漢字表記するケースとがみられる。ここでは、そのまま「〜処」と表記した。

 現在の漢南洞ハンナムドンの大統領官邸は、2022年に外交部長官公邸を改修したもの。
 

 もともとの外交部長官公邸は、1968年に檀国大学の北側に建設された。当時の長官は崔圭夏チェギュハ。「ソウルの春」の時の大統領である。この公邸周辺には、その後国防部長官や参謀総長の公邸などが建てられた。大法院院長や国会議長の公邸もここにある。
 

 写真は1981年の檀国タングク大学全景。大学院・学生会館の向こう側がこの公邸地区になっている。

 

 

 1960年代末から1970年代にかけて、この漢南洞一帯には外国人向けの住宅が建設された。公邸の向かい側には漢南外人ハンナムウェイン住宅、漢江側にはUNビレッジとヒルトップ外人APT、南山中腹には南山外人APTが建てられた。

 

 

 さらに、1968年1月の北の武装工作員のソウル侵入が契機になって、南山のトンネル建設が計画され、1969年3月に着工、1970年8月に1号トンネルが開通した。また、1969年には第3漢江橋、現在の漢南大橋が開通した。この橋は京釜キョンブ高速道路の取り付け道路とつながっていて、漢南洞はソウルから南に下る交通の要衝ともなった。ただ、公邸街は漢南洞のメインストリートから一歩裏手にあり、入り口のゲートも漢南小学校の横にひっそりとあって、日頃はほとんど目立たない、そんなエリアだった。

 

 1979年12月12日に、全斗煥チョンドゥファン保安司令官が陸軍参謀総長鄭昇和チョンスンファを逮捕するため保安司令部の憲兵隊を向かわせ、公邸警備の海兵隊部隊との間で最初の銃撃戦が起きたのがこのエリアである。映画「ソウルの春」では、銃声を聞きつけた国防部長官が大通りに出てタクシーを捕まえて逃げ出す場面がある。国防部長官がタクシーに乗り込むのは漢南路のこのゲート前という設定である。

 

 

 

 ちなみに、 檀国大は1990年末に龍仁ヨンインに移転し、現在その跡地は漢南ザ・ヒルAPTになっている。南山外人アパートは1994年に2棟とも爆破撤去され、漢南外人住宅は民間に払い下げられてナインワン漢南APTになった。UNビレッジやヒルトップAPTも韓国人の富裕層の住宅になった。周辺の環境は大きく変わったが、公邸エリアはそのままだった。

 

 2022年に大統領に当選した尹錫悦ユンソギョルは、5月の就任に先立って3月に大統領執務室を、青瓦台チョンアデから三角地サムガクチの国防部のビルに移すと表明した。

 

 大統領官邸も、青瓦台から漢南洞の公邸エリアに移されることとなり、当初は陸軍参謀総長の公邸を大統領官邸に改修して使用することになっていた。しかし、就任1ヶ月前になって、急遽外務部長官公邸を大統領官邸に改修することが決定された。漢南洞の公邸エリアを事前視察した金建希キムゴニ夫人が、外務部長官公邸をみて「こっちがいい」と言ったので…という説もささやかれた。

『聯合ニュース』2022.04.24


 結局、尹錫悦大統領は、漢南洞官邸の改修工事が完了するまで約1ヶ月間、瑞草洞ソチョドンの私邸から三角地の大統領執務室に通勤した。

 

 2024年12月3日夜、尹錫悦大統領は突如非常戒厳令を宣布した。しかし、深夜の国会での解除要求決議案の可決を受けて翌日午前5時に非常戒厳令を解除した。その後、国会では尹錫悦大統領の弾劾訴追決議案が可決された。さらに、高位公職者犯罪捜査処(公捜処コンスチョ)の任意の事情聴取の求めに応じなかったとして、現職の大統領として初めての逮捕状が出された。その逮捕状の執行をめぐって、2024年から25年の年末年始、漢南洞公邸エリアの外郭警備にあたるソウル市警は、公邸エリアへのゲートを中心に厳戒態勢をとった。

 

 

 1月3日午前中に、公捜処コンスチョの検事と支援の警察部隊が公邸エリアに入り、大統領官邸で逮捕状を執行しようとしたが、大統領警護処とエリア内の警備を担当する首都防衛司令部55警備団が阻止線を引いて、結局午後1時30分に逮捕状執行を断念して公捜処コンスチョと警察部隊は公邸エリア外に出た。

 

 映画「ソウルの春」のような発砲を伴うような衝突が、また再び漢南洞で繰り返される…そんなことはないと思いつつも、やっぱりあの場面が思い起こされて…という人は少なくないと思う。あの映画が、大統領の身柄拘束をめぐってある種のブレーキの役割を果たしているのだろうと思う。

 

 

 このブログを書いている1月7日午後8時現在では、そのまま膠着状態が続いている。

 

 漢南洞の公邸ゲート前の状況は、ソウル市の交通情報用のCCTVからリアルタイムで見ることができる。ゲートの内側の状況はわからないが、現場の雰囲気をある程度は把握できる。