韓国映画の中の北朝鮮 | 一松書院のブログ

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 映画「シュリ(쉬리)」の デジタル・リマスター版が、初公開の1999年から25年経った2024年に日本でも公開された。

 

 懐かしくなって、昔の古いDVDを引っ張り出して観なおしてみた。

 

 そこで改めて気づいた。この映画では、チェ・ミンシクやキム・ユンジンが北朝鮮工作員を演じているが、彼ら同士の会話でも北朝鮮風の話し方をしない。工作員だから“工作”している間は仲間うちでもソウル風のしゃべりをするという設定かもしれないが、その後韓国で制作された北朝鮮がらみの映画では、いかにも“北朝鮮!”という台詞回しが随所に出てくる。ところが、「シュリ」では、冒頭の工作員の訓練の場面で北朝鮮風の活字の入った赤い垂れ幕がある程度。

 

「シュリ」で北朝鮮を感じさせる場面

 

 「シュリ」は1999年2月韓国公開だが、その年の5月にやはり北朝鮮工作員ものでコメディ映画「スパイ リ・チョルジン(간첩 리철진)」が公開されている。この映画には、北朝鮮での工作員訓練の回想場面があり、北朝鮮の国旗と肖像画が映し出される。ただ、台詞の方は[イ・チョルジン]を[リ・チョルジン]と発音している程度で、北朝鮮らしい台詞回しは出てこない。韓国のソウル標準語では、語頭のr音が脱落したりnに変わるが、平壌標準語ではそのまま語頭のr音を発音する。冷麺は、南ではネンミョンだが、北ではレンミョンになる。この南北の違いは、韓国でも早くから知られていた。
 

 

映画「JSA」と南北首脳会談 

 北朝鮮風の台詞回しということで言えば、その転機になったのは、翌2000年9月に公開された映画「共同警備区域 JSA」であろう。北朝鮮の人民軍の将兵を演じるソン・ガンホ、シン・ハギュンなどは、北朝鮮らしい語り口調でないと不自然だ。とはいえ、北朝鮮の兵士を韓国兵士と“友情を結ぶ” “普通の人間”として描けば、北朝鮮への「賞賛」「鼓舞」とみなされ、国家保安法違反で摘発されかねない。国家保安法違反は最高が死刑の重罪である。パク・チャヌク監督以下の製作陣は、相当な覚悟で映画作成にあたったという。

 

 ところが、映画公開の3ヶ月前の2000年6月、金大中キムデジュン大統領が平壌ピョンヤンを訪問して初の南北首脳会談が実現した。その模様は、平壌に先乗りした韓国のテレビ局が同時生中継し、金正日キムジョンイル国防委員長の肉声が韓国中に流れた。6月15日の午餐会の中継では、ワイングラスを片手に軽口を叩く金正日の姿を、ソウルのスタジオでアナウンサーと放送記者が解説を加えながら伝えた。

 

 

 それまでの金正日については、肉声がほとんど公表されない「不可解な指導者」とされていた。唯一知られていた肉声は、1992年4月25日の人民軍創建記念日に発せられた「英雄的朝鮮人民軍将兵に栄光あれ(영웅적조선인민군 장병들에게 영광이 있으라)」だけだった。

 

 

 そのギャップの大きさもあって、この2000年6月の金正日の平壌からの生映像は、多くの韓国人に衝撃を与え、北朝鮮に対するイメージが多様化するきっかけとなった。

 

 映画「共同警備区域 JSA」は、そうした中で公開されたことも、大きな反響を呼ぶことになった要因の一つだろう。北朝鮮風の台詞回しが国家保安法に引っかかることもなく、封切りから9週連続1位、観客数589万人を記録した。

 

 

韓国での北朝鮮イメージ 

 韓国では、国家保安法を根拠として、北朝鮮に関するあらゆる情報から一般の国民を切り離していた。情報機関や研究機関でさえも、北朝鮮に関する情報や資料へのアクセスは厳しい管理下に置かれていたし、民衆が北朝鮮の生身の人間をイメージすることもほとんどできないままだった。

 

 そんな中で1980年代に北朝鮮人の生の声が韓国のテレビで流れたことがあった。1985年の9月にオンエアされたMBCの平壌でのインタビュー映像である。前年、ソウルの漢江ハンガンが氾濫して水害が起きた。この時、北朝鮮から支援の申し出があり、意外にも全斗煥チョンドゥファン政権がこれを受け入れた。この想定外の出来事が発端となって、南北の離散家族再会と芸術団の南北交流が実現した。この時に、平壌に同行した韓国MBCの金敏浩キムミンホ記者がアポなしでインタビュー取材を敢行した。

 

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MBC:南朝鮮では子供達がこんなように学んでいると思わないかな?

南朝鮮ではアメリカのやつらのせいで子供たちは空き缶をぶら下げて食べ物をもらうためさまよっています。だから子供たちは私たちのような生活はできません。

MBC:ソウルにはビルもないですか?大きな建物。

ありません。

MBC:なんでないのかな?

アメリカのやつらが罰を与えているので、ありません。

MBC:南韓の子供たちはどんなだと思いますか?こんなふうに幸せに学校に通っていますか?

南韓って何ですか?

MBC:南朝鮮

南朝鮮の子供たちはお金がなくて学校に通えません。

MBC:教会に通わないですか?

見物ですか?

MBC:教会に通わないんですか?

 

 明洞をはじめソウル市内に物乞いがいたのは事実だが、このインタビューを目にした韓国人は北朝鮮の子供達の描写に大きなショックを受けた。「そんなに北朝鮮の人々は我々韓国の実情を知らされてないのか…」と。ただ、韓国における北朝鮮認識も、北朝鮮の韓国イメージと同じように実情とはズレたものだった。さすがに韓国の子供も「北朝鮮人にはツノが生えている」とは言わなくなっていたが…

 

 その後、1990年代に入っても韓国の一般庶民が北朝鮮について得られる情報は、統治者によるフィルターを通したものだけだった。ただ、韓国の関係当局に蓄積される北朝鮮情報は飛躍的に増えつつあった。その情報源の一つは、1980年代末から韓国渡航が急増していた中国の朝鮮族である。彼らは北朝鮮内部の状況を熟知していた。朝鮮族の場合、北朝鮮国内での移動に制限がなかったため、平壌以外の地方の状況にも詳しかった。二つ目は、1990年代に入ってから急激に増加した北朝鮮からの「脱北者」である。「脱北者」は、1990年代以前には「北朝鮮を思想的に見限って韓国になびいた人」ということで「帰順者」と呼ばれていたが、1990年代半ばからは、「韓国よりも貧しい北朝鮮を見捨てた人」ということで「脱北者」と呼ばれるようになった。「脱北者」は、韓国の情報機関から厳しい取り調べを受け、かなりの期間を監視下に置かれて暮らすことになるが、それらの聴取の過程で北朝鮮の統治体制や社会構成、それに言語の使い方やイントネーション、それに新造語などの情報も韓国側で把握するようになった。

 

 映画「工作 黒金星と呼ばれた男」(2018-08)は、1990年代の中国を足がかりにした南・北間の諜報活動を題材にしているが、この頃には、韓国の関係部署では南北の語彙や言葉遣い、イントネーションの違いなどを把握していた。

 そして、上述の2000年6月の南北首脳会談時の平壌からのライブ放送で、一般の韓国人にも北朝鮮への新たな関心が生まれた。そんな中で封切られた「共同警備区域 JSA」を観た人々は、北朝鮮風の言葉を使うソン・ガンホやシン・ハギュンの人民軍の軍服姿から、それぞれの北朝鮮イメージを持つようになったものと思われる。

 

北朝鮮女性応援団 

 2002年9月から10月に釜山プサンで開かれたアジア大会に北朝鮮が韓国との統一チームとして参加した。この時には、北朝鮮から280人余りの女性応援団が万景峰マンギョンボン号で釜山港にやってきた。また、2003年8月に大邱テグで開かれた夏季ユニバーシアードにも、北朝鮮の女性応援団300人が金海キメ空港から韓国に入った。さらに2005年9月の仁川インチョンアジア陸上選手権にも北朝鮮から女性応援団が派遣されてきた。

 

 

 大邱ユニバーシアードの時には、韓国内を移動中の北朝鮮応援団が、雨に濡れている金正日国防委員長の顔写真の入った横断幕を見つけ、バスを止めて横断幕を回収する騒ぎがあり、韓国のニュースでも大きく報じられた。

 

 

 このような南北交流の中で、韓国社会は北朝鮮らしい言葉遣いや行動パターンに慣れていった。

 

北朝鮮を扱う映画 

 こうした中で、2005年から2006年にかけて、北朝鮮風の台詞回しで韓国人が北朝鮮人を装う設定のコメディー映画や韓国人俳優が脱北者を演じる映画が立て続けに公開された。

 

 一つは、2005年6月公開の「肝っ玉家族(간큰 가족)」。余命宣告をされた北朝鮮出身の老人の遺産を手に入れるために家族全員で南北が統一されたという嘘をつくというストーリー。当然、セリフは韓国風と北朝鮮風を使い分ける。

 この映画のプロモーションでは、「主演の二人、カム・ウソンとキム・スロが国家保安法違反で緊急逮捕された」というニュース仕立てのパロディ動画を公開している。

 

ニュース速報です。 今日夕方7時頃、映画俳優カム·ウソン、キム·スロ氏が国家保安法違反の疑いで検察に緊急逮捕されました。 国家情報院の特別調査チームによると、カム氏とキム氏は2004年12月から2005年3月現在まで統一新聞製作の反国家団体に対する国民扇動など、国家保安法に違反した疑いがあり、緊急召喚調査を行うことになったとのことです。
Q:なぜこのようなことになったと思いますか?
Q:カム·ウソンさん、国家保安法違反を認めますか?
A:公人として物議を醸し、国民の皆様に心よりお詫び申し上げます。
Q:キム·スロさんも何か一言。
A:お騒がせして本当に申し訳ありません。 法廷ですべてお話します。
Q:今回のことがなぜ起きたと思いますか?
A:すみません。
今回の事件は、映画俳優が初めて国家保安法違反の疑いで検察に起訴されたという点で、映画界はもちろん国民にも大きな衝撃を与えています。 以上、YBNニュース速報でした。

 

 もう一本は2006年6月公開の「絹の靴(비단 구두)」。闇金融に借金ができた映画監督が、借金を帳消しにしてもらう代わりに金融業者の父親を北朝鮮の故郷に帰れたかのように芝居をして騙そうとする。ここでも北朝鮮の台詞回しで演じられ、北朝鮮の国旗はもとより様々な北朝鮮を模したセットが登場する。この映画でも「人民共和国旗インゴンギが国家保安法に抵触するのを知らんのか!」といったセリフが出てくる。

 

 

 ほぼ同じ時期に公開された「国境の南側(국경의 남쪽)」(2006-05)では、恋人を北朝鮮に残して脱北した北朝鮮の青年の葛藤と愛が描かれる。

 

 

 この映画では、実際に脱北してきたキム・チョルヨンが演出部の一員として演技指導をし、中・朝の国境を越える際の案内人役で映画にも出演している。

<국경의 남쪽>의 연출부 스탭 맡은 새터민 김철용

 

 この2005年〜06年あたりで、映画制作側でも北朝鮮らしい台詞回しが遠慮なくできるようになり、セットや大道具・小道具なども実際のものに近いものが使われ、それを観る観客の側もそれを北朝鮮のものとして受け止めるようになった。ここが、一つの転機であろう。

 

 ちなみに、イ・ヒョリが北朝鮮のチョ・ミョンエと共演したサムソンのAnycallエニコルのコマーシャル映像が出たのも2005年のことだった。撮影は4月上旬に上海で行われ6月から韓国のテレビでオンエアーされた。

 

 



 ここ数年、日本でも公開された「工作 黒金星と呼ばれた男」(2018-08 日本公開2019-07)、「モガディシュ 脱出までの14日間」(2021-07 日本公開2022-07)では、いかにも北朝鮮人らしい登場人物が北朝鮮らしい台詞回しで話すのが当たり前になっている。

 

 また、2019年12月から2020年2月まで韓国tvNでオンエアされ、日本でもNetflixで配信されて評判になったドラマ「愛の不時着(사랑의 불시착)」でも、ヒョンビンをはじめ北朝鮮側を演じる俳優たちが、毎回北朝鮮風の台詞回しで演じている。

 

 北朝鮮とは関係のない「パラサイト 半地下の家族」(2019-05 日本公開2020-01)にもこんな場面が出てくる。

 

 

 映画「シュリ」が制作された1999年から25年。この間、朝鮮半島の南北関係には紆余曲折があったが、こうして振り返ってみると、韓国における北朝鮮認識、それに映像での北朝鮮の描き方にも大きな変化があったのだと感慨深いものがある。