板門店ツアー史(3/3)1990年代以降の板門店 | 一松書院のブログ

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1990年代 休戦委員会の停止 

 1990年代に入ると板門店の状況が大きく変わった。

 それまで休戦委員会の国連軍首席代表は、1953年に休戦協定に署名したアメリカ軍の将校が務めてきた。1991年3月、国連軍司令部は、主席代表に初めて韓国軍の少将を任命することとし、これを北朝鮮側に通告した。北朝鮮側は、韓国は休戦協定の署名国ではないとしてこの人事を認めなかった。ここから休戦委員会の開催に応じなくなった。

 

 さらに、この時期には、板門店の休戦体制にも波及を及ぼす世界情勢の大きな変動が立て続けに起きた。1991年9月、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国とが同時に国際連合の加盟国になった。そして1992年8月、朝鮮戦争で交戦した大韓民国と中華人民共和国とが外交関係を樹立した。さらに、東ヨーロッパの脱社会主義が進み、北朝鮮側に駐留していた中立国監視委員会のポーランドとチェコスロバキアが監視団から離脱した。

 

 1994年に、韓・米両国政府の合意に基づき、平時の作戦統制権が在韓米軍から韓国軍に移管された。これをきっかけに、板門店の南側共同警備区域の警備がアメリカ軍から韓国軍に移管されることになった。当然北朝鮮側はこれを認めない。北朝鮮は、休戦委員会からの撤収を通告した。これによって、休戦委員会は全く有名無実化した。その後、共同警備区域は、実質的に韓国軍と北朝鮮人民軍との共同警備区域になった。

 

 2000年9月に韓国で封切られた映画「共同警備区域 JSA」は、北朝鮮の人民軍兵士と韓国軍兵士が板門店の共同警備区域で対峙し、友情が芽生え、事件が起きる筋書きなのだが、このストーリーが描ける状況になったのは1994年以降のことである。

映画「JSA」ポスターより

 この板門店の警備の韓国軍移管と時を同じくして、漢江の北側の江辺道路から臨津江の川沿いを走る「自由路」が全線開通した。これによって、ソウルの都心から臨津閣・板門店方面への移動時間が短縮され、板門店ツアーやDMZツアーもこの「自由路」経由に変わった。

 1996年の板門店ツアーの動画が残っている。この時は、なぜか共同警備区域での動画撮影があまり規制されなかった。キャンプ・ボニファースを出るところから、休戦会談場内、外の八角亭「自由の家」からの会議場と板門閣、第3哨所から帰らざる橋方面が撮れている。南側の警備兵は、韓国軍兵士に置き換わっており、2000年公開の映画「JSA」に出てくるイ・ビョンホンと同じ軍服を着て半分建物に隠した姿勢で警備に当たっていた。


1996年9月板門店ツアー抜粋版

 

 共同警備区域の主体が韓国側に移譲されると、それまで国連軍司令部が大韓旅行社に限定して認めてきた板門店の見学ツアーに中央高速観光、板門店トラベルセンター、国際文化サービスクラブなどの参入を認めた。中央高速観光は元々軍との関係が密接な旅行社だった。

 1998年には、それまで国連軍の「自由の家」が建っていた跡地に韓国側が4階建ての新しい「自由の家」を完成させた。

 さらに、1998年には従来の臨津閣の横にあった「自由の橋」の上流側に新たな「統一大橋トンイルテギョ」を建設して「自由路」と連結した。この年の6月16日に、現代ヒョンデ財閥の鄭周永チョンジュヨンが北朝鮮に牛501頭を寄贈するため板門店を通過して北側にトラックで牛を運搬したが、その運搬のために現代建設が無償で新しい橋を建設したのである。この橋の開通によって、板門店ツアーもこの「統一大橋」経由にルートが変更された。

 ただ、車止めのバリケードが置かれて蛇行しないと通り抜けることができないとはいえ、片側2車線上下4車線の舗装された橋では、それまでの鉄道橋に板を敷いて上下交互通行をする片側1車線の橋を渡る緊張感がなくなったことも事実である。


 

2000年代 南北関係 

 2000年6月に、平壌ピョンヤン金大中キムデジュン大統領と金正日キムジョンイル国防委員長の南北首脳会談が実現した。

 その後、開城工業団地の建設や、南北の鉄道連結・道路の連結、それに金剛山への観光ツアーが始まるなどして、南北関係は融和が進んで行った。しかし、その一方で、板門店ツアーでは、南北の融和が進んだという雰囲気はほとんど感じられなかった。

 

 その中で、板門店とその関連施設の「韓国化」は着々と進められた。2002年までツアー客が食事をしていたキャンプ・ボニファスのアメリカ軍将校クラブは2003年に閉鎖になり、その横のブリーフィングルームもなくなった。2003年からは、旧ヘリポートの北側の駐車場横に韓国側が建てた売店とブリーフィング用の建物が使われるようになった。

2002年まで使われていたアメリカ軍将校クラブとブリーフィングルーム

2003年にバス駐車場横に新築された売店兼ブリーフィング用建物

 将校クラブでの食事提供がなくなったため、各旅行社は統一大橋の手前の集落に団体用の食堂を準備して、そこでプルコギの昼食を提供することになった。当初は、大人数の食事提供に慣れていないため食堂は混乱した。

 

 こうした板門店の韓国化にともなって、ツアー参加者への様々な規制が一段と厳しくなった。服装についての規制(ジーンズ・ノースリーブ・ミニスカート・サンダル・スニーカーなどはNG)はそれまでもあったのだが、チェックを担当する韓国兵によるダメ出しが多くなった。基準が明らかでなく理由の説明もない。ツアーを主催する旅行社のガイドや同行する写真屋のカメラマンが、予備の服や靴を準備してくれているので何とか切り抜けるのだが、軍人の判断は不合理であろうと矛盾していようと絶対なのだと何度も思い知らされた。

 

 また、写真や動画撮影の制限も厳しくなり、宣誓書の提出も厳格になった。保安上の必要性からというよりも、以前に比べて緩みがちな訪問者の緊張感を高めるためのように思われた。

 時には、エスコートの韓国兵がツアー客の前で実弾の装填をするとか、バスの前後に装甲車がつくとか、ツアー参加者の緊張感を高めるための演出もあった。

 

 他方、ツアーガイドは、休戦委員会が1991年からこの休戦会談場では開かれていないことには触れない。また、韓国が休戦協定に署名しなかったことや、韓国軍が共同警備区域での警備の前面に出たのが1994年以降ということにも全く言及しない。朝鮮戦争休戦以降、ここが韓国軍が北朝鮮の軍と対峙してきた場所だという印象を与える説明がなされた。

 

 2007年10月2日、盧武鉉ノムヒョン大統領が板門店の軍事境界線を越えて北朝鮮に行った。大統領として初の陸路からの北朝鮮訪問だった。

 この時も、板門店のツアー自体には大きな変化はなかった。ただ、2010年代に入って、服装の規制が徐々に緩和され、スニーカーやジーンズ生地の服でも問題なく入れる事例が増えた。その一方で、見学できる場所が少なくなり、一ヶ所の滞在時間も短くなり、共同警備区域内に滞在できる時間は年々短くなっていった。実際に緊張感のある時期に比べて訪問者が相当に増えて対応が難しくなってきたことも一因かもしれない。

 

 

文在寅/トランプと金正恩 

 2017年5月に、弾劾された大統領朴槿恵パククネの後任に文在寅が就任した。文在寅は、金大中・盧武鉉の対北政策を踏襲して、融和的な政策を打ち出した。

 

 そうした中で、2017年11月13日、北朝鮮軍兵士が休戦ラインを越えて韓国側の警備区域に入り、北側からの銃撃を受けて負傷した。韓国側からは動けなくなった北朝鮮兵を南側の安全領域まで移動させるために部隊(多分武装した「打撃隊」 映像の白黒反転は装備をカモフラージュするためだろう)が出動した。

 

 2018年4月27日、板門店で文在寅と金正恩が顔を合わせた。両首脳は、手をつないで軍事境界線を南から北へ、北から南へと越えてみせた。

 さらに、2019年6月30日には、トランプと金正恩が板門店で再会した。両者は、前年2018年の6月にシンガポールで初めて会談し、2019年2月にハノイでも会っていた。板門店では、軍事境界線をまたいで南北を行き来した。

 朝鮮半島情勢は、大きな転機を迎えたかに思われた。北朝鮮とアメリカの間での平和条約締結で、休戦状態のままだった朝鮮戦争が戦争の終結を迎えることになるとの期待が高まった。

 板門店では、北の人民軍兵士と南の韓国軍兵士が、それまで携帯していた拳銃の所持もやめて完全非武装で警備に当たることになった。また、板門店ツアーの見学コースにも、新たに南北首脳が面談した場所などが加えられた。

 2019年9月29日のMBCニュースデスクは、当時の板門店の様子と、その後の板門店観光の展望について、このように伝えている。

要約すると、このような内容だ。

 板門店は南北首脳会談、北米首脳会談を経て大きく雰囲気が変わったが、依然として韓国の一般市民が簡単に訪れることはできない。
 板門店を訪問する人の半数以上は国連軍司令部経由の外国人で、韓国人は国家情報院と統一部、国防部を通じてのみ行くことができる。それも先着順で、30〜40人規模の団体見学だけが許可される。身元照会のため申請後2ヶ月以上待たされるが、外国人観光客は2〜3日前にパスポート番号と名前、国籍を届けるだけで予約できる。
 政府は現在、DMZ開発計画の一環として、「安保見学」ではなく「平和体験」の場所として板門店の個人観光を推進しようとしているという。7週間以上かかっていた身元照会を1週間程度に短縮し、さらに板門店内で南北の観光客の自由往来も検討されている。

 ところが、ここで全世界的に新型コロナの感染が広がった。移動が制限され、板門店の観光ツアーも完全に休止された。また、北朝鮮は、板門店からのコロナウイルス流入を警戒して、板門店の警備兵も後方に退去させた。

 コロナの蔓延がピークを越えた2022年8月の休戦会談場では、北側が完全に放置状態になっていて雑草が生えている状況だった。

 アメリカ大統領トランプは、米・朝間の平和条約を結ぶことなく2021年1月に退任した。韓国大統領文在寅は2022年5月に退任し、尹錫悦が大統領に就任した。

 コロナで中断していた板門店ツアーは、2022年7月に再開され、週4回、1日に6回のペースで外国人観光客と韓国国内の見学者が板門店を訪問していた。

 1923年7月18日、この板門店ツアーに参加していた在韓米軍のトラヴィス・キング2等兵が北朝鮮側に越境してそのまま北朝鮮に入るという事態が発生した。板門店ツアーは全面的に停止された。

中央左寄りの黒い服の人物がトラヴィス・キング2等兵

 その後、北朝鮮はトラヴィス・キングを国外追放処分とし、9月27日に中国の丹東でアメリカ側に身柄を引き渡した。

 

 だが、その後も板門店の休戦会談場に入るツアーは中止されたままになっている(2024年10月現在)

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