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ワンライフプロジェクトのブログ

平成18年(2006年)に 福岡県筑後市で 『ワンライフプロジェクト』 という活動を立ち上げました。
『たったひとつの命だから』この一行の言葉にあなたは何とつなげますか?
 

たった一つの命だから マイペースで生きる

 

私達は、戦後の貧しい日本を見てきました。

みんなが がむしゃらでした。

貧しくても助け合い

けんかなんてありませんでした。

物はなかったけれど、その分自然と仲良しでした。

男の人と口もきけない時代だったけれど、傷付け合う言葉もありませんでした。

 

 

ずいぶん成長した日本だけれど、

本当にこれでいいのか疑問だけが残ります。

 

政治家も組織の幹部も信用できないような国になって、こんな国にしてしまって子供たちにたくしていく 本当に心が痛いです。

 

   頑張りすぎたのかもしれないですね。

 

   頑張りすぎて、見えなくなっていた。  

 

ごめんなさいね。

あなたたちは、急がずマイペースでいきなさいね。

 

もうこの星にいる時間もながくない おばあちゃんからの最後のメッセージです。

 

 

            しょうちゃんと大ちゃんの おばあちゃんより

 

 

~第1巻より~

 

 

11年前に、久留米のラジオ番組に出演させていただいて

一番最初に届いたメッセージです。

 

ここから、久留米の奇跡は始まりました。

 

何度 朗読させていただいたか分かりません。

 

これからも、このおばあちゃんの気持ちを

大切にお伝えしていきます。

 

 

小林麻央さんが亡くなって
いろいろな事を想います。

 

 

私は14才、中学3年の10月
『この心臓、あと3年もつかな』
と言われた時
あの時、心は何もかもを失った。

 

学校に行かなくてもいい
勉強をする必要はなくなったと
自分から全部を忘れることにした。

 

ところが
3年後にやってきたのは、死ではなく復活だった。

 

高校3年生、17才だった。
二度の交通事故の後、『死なない』と決めた
私が、私として生きることを決めた日だった。

 

 

時を経て 27才の私・・・
再び心臓が悪化。
大学病院に入院して手術を受けるようにと言われたけれど
私は、見えない世界からの声に従った。

 

『薬も機械も、たかだか人間が作り出したものじゃないか
お前は誰を信じるのか?
お前は 役目を果たすまで
魂が、この体とこの心を手放すまで
自分の未知なる世界だけを見ろ』

そう言われて
1才と2才の息子を連れて実家でひたすら音楽を聴いて布団の上で眠った。
心臓の四つの部屋が、部屋の壁が
きちんと作られることだけをイメージして
ひたすら眠った。

 

私には、私を守ってくれる自分自身がいつも共にいる。
その存在を感じることが出来る2カ月間だった。

 

 

何が感謝か・・・・

ああ、目を閉じて
すぐそこに私と共にいてくれる魂に感謝です。

 

今の現代医学を否定する事はないけれど、
それだけでもない・・事を

 

 

17の優子も 27の優子も
その後も、いろんな時々で
『そうじゃないだろ!』と叱ってくれるもうひとりの私に
感謝です。

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八女市へお邪魔してきました

今日、紹介させてもらったメッセージは16編。

北海道・石川・神戸・京都と
全国から寄せられたものを幅広く紹介させてもらいました。

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リハーサルから、力が入ります!
今日の会場・おりなす八女のホールのスタッフさんと機材、両方が素晴らしいこと。

こうなると、読み手も俄然張り切るのです。

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今日は、会場からのすすり泣きが大きくて
涙を我慢するのが大変でした。


この世は
見える世界と見えない世界で出来ていると私は思います。

最後に、母へのメッセージを朗読していて
亡くなった母が
最前列でハンカチで目頭を抑え
うんうん、と頷きながら聴いているのを
見つけてしまいました。

うわっ、母が来てる!!

原稿に目をやりながら
母を見る

母を見ながら原稿の文字を追う‥
大変でした


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朗読が終わると
立ち上がって私の隣に座っているスタッフに
深く深く一礼して消えていきました。

私が言えなかったこと
『ありがとう』が
やっと言えました。

久しぶりに見る母は
元気な40代くらいの母でした。

泣いたら叱られる!
と、ドキドキしました。

ああ、そうそう、これこれ!
母の目って本当に怖かった。

ここ30年くらいは、優しいまなざししか記憶にないけれど、昔は厳しかった。
そして、その厳しい母の瞳が好きだった。
会いたかったのは、この厳しいまなざしだったんだ。

私達を、母の理想の娘に育てたかったんだな‥

今日は、私にとって
またひとつ、階段を上る朗読会になりました。

600回を超す朗読会となりましたが
まだまだ教わる事ばかりです。


次回は、北筑後教育事務所主催の朗読会です
また、スタッフのみんなと
優しい風となって
お邪魔させていただきたいと思っています♡
よろしくお願いいたします。


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八女市の皆さん
大変お世話になりました。
ありがとうございました

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なんともひっそりと厳かな地場に
佇まれておられます。

去年の7月にこの神社の存在を知り
10ヵ月後にお参りさせていただく事が出来ました。

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ここは、出雲大社・伊勢神宮と同じように、式年遷宮が行われる格式高い神社です。

天照大神が男性神であられた事は、真実は、私には分かりませんが‥
ここは、天照大神と瀬織津姫がご夫婦として過ごされた場所だという伝説に
ただただ
涙が流れる想いでした。

何故、泣いてしまうのか
そんな事は私にはどうでもいいのです。

この空間に立っていられる事
この空気を吸えた事

古・・・
過ぎた時

遺された形からは見えないものが
沢山あるだろうし
そこにあれこれ想いを馳せる時間が好き


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この池が生活の基盤だったのかなぁ
神様が
笑って過ごされていた様子を
優しい気持ちで想像してみると
笑顔になれた。


瀬織津姫さま

前日、名古屋の熱田神宮へ伺い
伊雑宮へ行かせていただきますからと
事前報告を

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そして、鳴海八幡宮の瀬織津姫さまにも

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私は、お城巡りが大好きで
若い時から旅行はお城ばかりでした。

しかし、50歳の誕生日から、私の旅は神社巡りに変わりました。

静岡県の興津宗像神社に導かれたことを契機に。

人生って不思議なものです。

私の頭では思いもつかない事がおき
風や山や湖や木が、あるいは鳥や蛇が
ちゃんと
こっちだよって教えてくれる。

      人間と自然はひとつ
      人間の想いと天の願いもひとつ


本来の労わりあう人と人の関わり方を
見えない世界が誘導してくれるのかな


今年は、冬に広島の厳島神社へ
そこで締めくくります。

私は女神を追いかける旅を
どこまで続けるのだろう。


では、地元の瀬織津姫さまを

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八女市南田形と北田形の釜屋神社

そして

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八女津媛神社です
お母さんへ

あなたが天国へいって
あっという間に1ヶ月が過ぎました。

お母さんがいつも座っていたソファーを見ても
お母さんの部屋に行っても
どこにも姿はありません。

一年前のちょうど今頃、大きな病院で検査を受けましたね。
病院が嫌いなお母さんが、検査を受けるということは、相当辛いんだなと思いました。

病院としては、打つ手はないと言われて
その言葉がどういう意味を持つのか分かりませんでした。

ドクターは、残された時間があとどのくらいかなんて教えてくれませんでした。

今から思うと、あれから10ヶ月でお別れの日はやってきたのです。

もっと側にいて
いろんな話をすればよかったと
後悔が今頃やってきています。


チャンポンが大好物で
外食といえば決まってこれ。

ソフトバンク・ホークスが大好きで
テレビの前で一生懸命手をたたいたり、声を出したりしながら応援をしていましたね。

口数は少ないだけに、お母さんの言葉は、いつも鋭さがありました。
幼い頃は、お母さんの目の動きで、機嫌がいいのか悪いのかを伺っていました。

家での私の役割は、お客様へのお茶出しと洗濯物をたたむこと。

褒められたくて、がんばっていたように思います。


ああ
思い出は次々湧き出てきます。


昨年の秋からどんどん体重が落ち始め
小さくなっていくお母さんを見て
息子達とお別れの日が近いのかもしれないと話すようになりました。

人はいつか最期の日を迎えます。
お母さんにその日が来たら
『ありがとう』と言おうと決めていました。

決めていたけれど
決めていたけれど
言えませんでした。

目を開ける事はないのだと、頭で理解していても、心が追いつきません。
ありがとうって言ったら、二度と会えない気がして言えませんでした。


お母さん
お父さんより先にいっちゃダメだよ。

見ちゃおれないよ。

お母さんの写真に向かって
『おーい、どこおるとかい』って言ってるお父さんを見ちゃおれないよ。


お母さん、天国で、素敵なおうちを建ててみんなを待っててくださいね。
私は、ずっとお母さんの娘だし
私の息子達は、ずっとお母さんの孫。

沢山、沢山、家族が増えても一緒にいれるように
大きな大きなおうちを建てておいてね。


今、私は思います。

お母さんからもらった命はひとつだけれど、決して命はひとつなんかじゃないという事を。

お母さんからもらった命から
みっつの命が生まれました。
このみっつの命から、更に、沢山の命が生まれると思います。

ずっと続くね、命は続くね。

こうやって続いてきたんだもんね。

お母さん、ありがとう。
53年間、育ててくれてありがとう。

私、お母さんにもらった命を
ちゃんと受け取ったからね。
そしてまた、そのバトンを渡して
お母さんのところへ帰るからね。

命って終わらないんだね。

終わらないってわかったから
安心して生き抜きますから。

大切にしますから、お母さん。

  ありがとう。


冨田優子

今日はワンライフプロジェクト11歳のお誕生日でした

あちこちから
『おめでとう』と言ってもらいました


そんな日に
佐賀の友達が話があると‥

7月に鹿島市で朗読会をする!
と動いていた友達が

この活動をやってくれることに

まぁ


なんて嬉しい〜〜

12年目に突入しました

今年は恋人のメッセージがもっと来るといいなぁ

あったかい愛のメッセージを
沢山朗読したいです❤️


次の命が
愛の元に生まれ
愛たっぷりの中で育まれ
生まれてきてよかった
感じて
人生の海を逞しく乗り切ってくれますように

えへっ
スタッフあやかが、来年ママになるのです


孫がまた増えます〜いいこっちゃー



いつも応援してくださる皆様
ありがとうございます


11歳のワンライフもどうぞよろしくお願いいたします。
たったひとつの命だから


30年ぶりに田舎に帰ってきました。
大きなバイパスが通って、大型ショッピングモール・レジャー施設、少し離れたところに整備された公園も建設されていました。

何にもなかった所に、これだけの物が立ち並んでいました。

私の記憶にある風景が消えていました。

これが人間が豊かさを求めた結果なのでしょうが、私の心はどこか寂しさを覚えました。

私の帰郷に合わせて、幼なじみ達が集まってくれました。

60過ぎたオジサン・オバサン達が、
会った瞬間に童心に返してくれました。

面影ある顔が並び、再会に乾杯です。

神社の社の下に潜り込んで遊んでいた事、
竹林の中に秘密基地を作った事、
手作り弓矢で的打ちをした事、
川に潜って魚を捕まえた事、
怪我をしたうさぎを助けて段ボールでみんなで世話をした事、
出てくる出てくる‥
6人もいれば、いろいろな事が思い出されるものです。

『事件』もありました。

自転車で朝早く出かけ、片道50キロはある西海橋に行き、写真を撮って、オニギリを食べて、さあ、帰ろうとしたら一人の自転車がパンクをし、どこにあるかも分からない自転車屋さんを目指してダラダラと山道を下りて行きました。

なんとか修理をしてもらって、帰り着いたのは午後10時過ぎ。
心配した親達が集まって、警察に相談へ行った直後で、こっぴどく叱られた。
今のように携帯電話がある時代ではなく、ナビもなく、地図を片手に、必死で帰ったのですが、帰ると親の落雷に遭いました。

携帯電話もナビもなかったからこそ
『冒険』が出来ました。


見えない事・分からない事を追いかける事が出来ました。

今は便利すぎて、学ぼうとする心が育たない気がします。
学ぶ前に答えを見つける事が出来る時代になったなぁと思います。


どっちの時代が良かったのか。

何にもなかったからこそ、自然の中で、知恵を出し合い遊んでいた我々。

今の子供達に、そんな知恵はあるのかな。

遊ぶ場所や、遊びを考え出すチャンスが奪われたように思える。

便利さで、心が満たされるのか
疑問です。

さあ、第2の人生が始まります。
定年退職した我々
それぞれにまた生きる道を変えて。


組織からは、お払い箱。
虚しさと、何もない感覚を知ったけれど
これでは終われない。

嫁さんも子供もいない私。
家族と言えば、年老いた母親だけ。

一人でこの先生きていくだけの蓄えはあるものの、目指すものがない。

必要としてくれる人がいない。

これは、この寂しさは、本当にこの立場になったものにしか分からない気持ちだろう。


60の我々が、夢を持つ事ってあるだろうか。

何人も亡くなり、あるいは病気を抱え、命の期限というものが、他人事ではなくなってきている現実がある。


さあ、第2の人生の始まり。


ひとまず、私の心を育ててくれたこの故郷にもう一度馴染んで、それから考えてみようかな。

たったひとつの命だから。
たったひとつの私の命だから。

遅くないのならば
こんな僕と家族になってくれる人を探そうと思う。

やっぱり、一人で生きていく人生よりも
心を分かち合える人の存在が
一番だと
今の私なら思えるから。


60歳、長崎県の孤独なオジサン
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大型連休の恒例行事になりました

ワイワイ雑談会〜

みんな53才

いろんな事がおきてて
それぞれに人生を精一杯生きているけど

50代の仕事ってなんだろ

若い人達に、生きる楽しみを見せてあげる事なのか
とにかく、自分自身が必死に生き抜く事なのか

ねっ


『超えられない山はない』
と、過去を振り返り思う

どんな状況でも
1人なんかじゃなければ
超えられる

けど、しんどい時はめちゃしんどい


私は、しんどかったなぁ
たくさん、たくさん、たくさん
泣いてきたもんな

そもそも泣き虫で
泣く事からしか始められない


そのぶん、今は弾けて笑えてる


みんなが、私の若い時の話を聞いて
『なんちゅう奇想天外な‥』
と、驚くけれど
‥‥命削って生きてきたなぁ
と、思いまする


メンバーの宏くんが、10日後に手術を受けるんです
でも、本人は心と体を休める時間をもらったんだととっても前向き

私もそう思う〜〜

この先、
目が悪くなり、耳が遠くなり、体のアチコチが痛くなり
だんだん不自由になっていくだろう

集まれば
誰が死んだ、だの
誰がボケた、だの
そんな話題ばかしになるよ
って

確かにそうなっていくんだろなぁ〜

親を見てたら分かるもん

そう
免れないことなのだーーーっ


が、しかし!!!

    心の持ち方    

     これだけは自由でしょ



健ちゃんが言うの
『耳が遠い老人は、話が噛み合わなくても話してる』って

これでいいんだと思うわ


周りに迷惑かけながら
手をとらせながら
口出ししながら
そこに謙虚さを持てたら
もう、合格💯


昨日、息子達に
『ほんっとに偉そうにしとる』
と、褒められちまった

息子達よ!
偉そうに出来る50代に
なりなさいよ٩(ˊᗜˋ*)و

‥しかし、たたりなのか
今朝からトイレとお友達

ちょびっとは、息子達優先で
いってあげようっかな


さぁ〜〜
昨日より1日老けた優子さん
今日も心は10代で

今週も、ツムツム第1位を維持してます

母の葬儀を17日に終えて
泣き疲れもあり
現実を受け止めきれないやりきれなさもあり

とても言い表せない感情のまま
お布団へ

母との最期の会話を思い出しながら
流しても流しても
涙枯れる事はなく


それでもいつの間にか眠ってしまってた


ふと、ドン!という気配に目覚めた
携帯を手に取り
『あ、まだ3時6分かぁ』
と、思った瞬間
母が現れて
『この時間やったとよ』と言う

ポッカーンとしている私だったと思う

母は、続けた

『みんな周りにおってくれたよ。
  大きく息を吸ってゆっくり吐くのを
  みんな見てくれてたよ。
  昼間みたいに明るかったよ』

そう、言ってスゥ〜ッと消えていった。

私は、これは夢なんかじゃない!
その証拠に、トイレに行き
タオルを換えよう。
この、ミッフイーのタオルが朝かかっていたら、確かに私はトイレに行ったんだ!
と、自分で確信を持てばいい。

そう、思ってタオルを換えて再びお布団へ。


それから一眠りした頃
『ゆうこ』と誰かによばれた。

ふと、目を開けると母の顔
『もう、桜の花びらが散ってしもたね。
  緑の葉っぱばかりになったたい。
  今年は久しぶりに茶摘みに行きたかねぇ〜
  懐かしか〜〜』
と、言って、スゥ〜ッと消えていった。


母の故郷は八女。
小さい頃は、おばあちゃんちの茶畑に行き、茶摘みの手伝いをしたものです。


母さん、茶摘みがしたいんだね。
今年は、代理で行ってくるから‥

この時、4時半。
母さんと会話がしたいのに、母の言葉を聞くだけで精一杯。

次は、何か言葉を交わそう!
と思いながら再びウトウト。


すると、また、『ゆうこ』と母の声


『母さんは、自分が進む道が分かったから。
まっすぐ進むから。
他の人が49日かかっても
お母さんは21日着くから。

あんた達が、法名で呼んでも、私は分からんよ。
私の名前はヤヨイ。
ヤヨイで生きていくとよ。

それから、じいちゃんが邪魔になったら、お母さんが迎えに来る。
それまで、お世話をしてやってくれんねね。

あんた達がしっかり育ってくれたけん、お母さんは何も心配しとらんよ。』

と、言って
クルッと後ろを向いて
白い光の玉になって
サーッと消えていきました。


私達は、悲しみのど真ん中にいるというのに、母はもう、魂の世界へ旅立ち
自分の行く世界へひたすら進んでいる。

私も、ボヤボヤしている場合じゃない。


母は、私がボーッとしていても喜ばない。


母さん、ちゃんと霊界で
ファミリーが集う場所とり
頑張っててね。
いつか、私もそっちに行く。

そっちでも家族みんなでワイワイやれるように。

いつまでもお母さんは  お母さん  でいてくれるのね。

心強いです。


さ、私も私の仕事
がんばろーっと٩(ˊᗜˋ*)و


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福岡市早良区の四箇田公民館さんへ
行ってきました。

総会の後の朗読会でした。
朗読会のためだけに来て下さった方も沢山おられたとか‥

嬉しい声です。


朝、9時半、朗読会の前に
控え室にはいって
仲間と久々の対面


そこで思いがけないプレゼント

あけみ手作り
『たったひとつの命だから』の本おねがい


ぜ〜〜んぶ手書きです

この先は言葉にできないわ
めっちゃかわいくて
めっちゃ心がぽっかぽかしてきて

とにかく
たからもの

私は仲間に何もしてやれんのに
仲間はい〜〜っぱい愛をくれる

もらってばかりだぁ〜


ふじえちゃんには、脇山の地鶏のかしわ飯ももらったぁ〜〜
写メる前に
食べてしまったぁー

すんません、美味しいもんは
待ったなしですチュー



母の初七日の法要と重なって
実家ではお経があがっている同時刻に
私は朗読会


『母の背中』を朗読

        老いた母
         こんなに小さかったかな

        物を言わない母の後ろ姿だが
        いろんな事を教えてくれる母の背中だ


         お母さん
         あなたをお母さんと呼んで
         30年生きてきました


          今  僕が思うこと
          ありきたりかもしれないけど
          これしかないんだよ


          あなたの息子に生まれて幸せでした


  ああ、ほんとにそう
  母の背中は全部を知ってる
  母の背中は
  わたしを背負って
  生きてきてくれた

  改めて感謝に包まれた



母を失って最初の朗読会
忘れられない朗読会になりました


四箇田公民館さんには
本当にお世話になりました
準備のやりとりも少なくて
迷惑もお掛けしてしまって

でも、優しくフォローして下さいました


元気をもらいたくて来ました!
と言って
わざわざ遠方から見えた方も
ありがたいです


私達だけでは行えない事です。
聴いて下さる方があって
初めてやれる事ですから


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ちあき・あけみ・ゆうこ・ふじえ・ひろこ

昨日のメンバーです


一緒に行ってくれる仲間が一番です