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ワンライフプロジェクトのブログ

平成18年(2006年)に 福岡県筑後市で 『ワンライフプロジェクト』 という活動を立ち上げました。
『たったひとつの命だから』この一行の言葉にあなたは何とつなげますか?
 

先日、初めて朗読させていただきました。

 

お母さまの最後の数か月を綴ってくださっています。

生き抜くこと

生き方そのもの・・

3人の息子を持つ母として

こういう生き様を私は見せていないな~

と、反省しつつ

 

亡き母の姿を重ねて朗読しました。

 

いろいろ教わるメッセージです。

 

 

 

気が付けば、2023年も始まって3週間が過ぎていました。

 

2022年の後半から、講演依頼も徐々に元に戻りつつあります。

 

コロナ禍で、人間関係や学校の状態に、細かく変化がおきているようです。

 

人の心というもの、生きるということ、毎日を過ごすということ・・

 

ほんのちょっとの時間でいいと思うのです。

ほんのちょっとを一緒に感じてみませんか?

 

2023年も沢山の方に聴いていただけたら幸いです。

 

 

 

 

10月の終わりに、誉佳さんのお父様から

大切な大切な宝物が届きました。

 

誉佳ちゃんが描いたあの『虹の絵』です。

 

誉佳ちゃんは、スケッチブックにいくつも虹を書き残しています。

生前、尋ねたことがあります。

「何故、そんなに虹の絵が好きなの?」と。

すると、彼女は迷いなく答えました。

「虹は人の心から出ていると思うの。人の心と心が虹のように繋がったら平和な世界になると思う」と。

15歳の女の子がなんて素敵なことを言うんだろうかと、心から感銘を受けました。

 

誉佳ちゃんの真っ新な心に触れて、私自身の心を消しゴムで消したかったです。

 

亡くなる一週間前に虹の絵を描き上げたことを聞いた時、

 続きは・・ https://onelife-project.or.jp/blog/?p=146

新着メッセージの紹介

◆僕のペースで生きる

僕は、小学5年から5年間、学校へ行くことが出来なくなり、家で自習をして過ごしました。

15歳の冬、僕のことを心配してくれた母が、不登校の子供たちが沢山通っている高校を見つけてくれて、高校受験をすることになりました。
僕は、人が緊張することろでは、あまり緊張をせず、人が平常心でいれる空間に緊張をしてしまうという障がいを持っています。
試験の問題を解くことは、僕にとって難しいことではありませんでした。
学校の勉強は、自宅でやっていたからです。
問題は、試験を受ける机に着席出来るかどうかでした。

受験の日がやってきました。雪がちらつく朝、合格を目指す高校に到着しました。
校舎を見た瞬間、足がすくみました。急に心臓の鼓動が早くなりました。立っていられなくなりました。
母がさっと車椅子を車から
続きはこちら

https://onelife-project.or.jp/blog/?p=123

 

 

神奈川県は、西尾誉佳ちゃんの故郷です。

 

誉佳ちゃん・誉佳ちゃんのご両親の身近な方が沢山おられる土地です。

 

『株式会社AZ-JAPAN』さんも、そのおひとりです。

この度、社長のご好意でHPを作っていただきました。

 

今後は、HPの中でメッセージを紹介させていただく予定です。

 

ただ、このアメブロさんでも、朗読会の様子や
日々の出会いを書き綴っていきます。

 

 

そうそう、この写メは壇ノ浦で先日大切な友が撮ったものです。

『雲の穴』と呼ばれるものだそうです。

とても珍しいのだとか。

 

風穴を開ける日、

あるいは、その役割を持った人しか出会えないものらしい。

 

 

 

なんか幻想的でこの写メ、好きだわ。

 

こうやって神様は降りてこられたのかしら・・

 

命のメッセージ

 

白い波を見ながら 人はいつか この海に帰っていくんだなと思う

 

遠い遠い昔昔 人々はこの地球にやってきた

失敗しながら、

争いながら、

欲を出しながら、

自分だけは幸せになるんだと バカなことを考えて生きてきたのだろう

 

21世紀になっても、まだそんな世界の中にある 

愚かな生き物だな、人間ってやつは

 

それでも、『家族』 というひとつの集団を作り

その中で、もがいたり、苦しんだり、喧嘩したり、笑ったり、抱きしめ合ったりする

 

なんだかんだ言いながら 最終的にはやっぱり家族

父親と母親、ひとつの命にはふたつの親がいて初めて誕生するのだから 当然のことだよね

 

命が、清らかに誕生し、命を優しく見守る人たちの手で育まれてゆく

ひとつの命が終わりを告げ海に消えてゆく   

その時また 海の向こうから次の命がやってくる

波が寄せ、波がひき、繰り返すかのごとく 命もまた 誕生し 死を迎える

 

私たち 一人にひとつずつ与えられた命 

どこまでも愛情いっぱいに膨らんでいいはずだよね

 

道を誤ってもいいじゃないか、最初から全てをこなせる人なんていないんだから

 

目の前が真っ暗で洞窟に落ちてしまっても仕方ないじゃないか

落とし穴があるなんて誰も知らなかったんだから

 

なんの為に人がいるんだ?

道を拓いてくれるためでしょう? 

落とし穴から救い出してくれるためでしょう?

どの命たちも 明るく笑って楽しく生きていけるはずだよね

 

たったひとつの命だから 今の僕のこの命を 抱きしめてください

 

石川県 17歳 ひきこもり歴7年生

伯母が、26日に102歳になりました。

93歳の伯父と
90歳の父と
87歳の叔父が
「姉ちゃんに会いたい」と言いまして‥

施設に入っている伯母に
来月、会いに行く事になりました

面会といっても、ガラス越し
そして予約制

会いに行くと伯母が涙を流すらしい
きっとうちの父達も泣くわ

それでも
全員、頭がしっかりしているうちに
会わせておかねば


私も102歳の伯母の姿
しっかり目に焼き付けてきます

今日の朗読会を聞いて、じいちゃんのことを思い出した。

 

じいちゃんは、朝起きると外でラジオ体操をする。

茶碗一杯のご飯とみそ汁と納豆は、必ず食べる。

それから、新聞を読む。

読み終えると、ばあちゃんと洗濯物を干す。

洗濯物を干すと、自転車ででかける。

じいちゃんは、警察官だったので、見回りが大好きだ。

自転車のかごには、ゴミ袋を入れていた。

毎日袋いっぱいのゴミを拾ってくる。

いったん出かけたら、いつ帰ってくるかわからない。

近所の人と話すのも好きだからだ。

 

じいちゃんは、お酒を飲むと、昔の話をする。

学校から帰ると田んぼ仕事を手伝っていたそうだ。

家に、馬や牛もいて、その世話もしていたって。

馬にけられたこともあって、ものすごく痛かったらしい。

家に馬や牛だけじゃなく、鶏とうさぎとカメもいた。

じいちゃんが育った家は、人より動物の方が多かったって。

近所の家もみんなそうだったよって、笑って話す。

自動車もなかったし、道路はでこぼこ道で、自転車やテーラーで行き来していたって。

テーラーってなんか分からなかったけれど、だまって聞いていた。

楽しそうに笑って話すじいちゃんの顔のマユゲが、5センチくらいあって

笑うと、そのマユゲが動くのが面白くて

じいちゃんの話は面白くなかったけど、

じいちゃんのマユゲが面白くて僕は毎日聞いていた。

 

じいちゃんの話の中には、昔の風景、昔の人々の生活があった。

それが、この国の歴史なんだと、中学生の今の僕は思うけれど、

小さい頃の僕には、じいちゃんの話が大切なものだったなんて気付きもしなかった。

 

何気ない話をいっぱいしてくれたじいちゃん

1年前に天国へいってしまって、もう、あのマユゲは見れなくなったけど

沢山いろんなことを教えてくれたことに、僕は感謝している。

 

そして、僕も、僕が生きてきたこの国のことを、将来、孫に話そうと思う。

じいちゃんより、もっと長いマユゲで。

 

じいちゃん、僕は、じいちゃんと血のつながった孫で本当によかったよ。

じいちゃんが生きたように、僕も警察官になって困っている人のチカラになります。

それが、今思う僕の『たったひとつの命』のありかたです。

 

福岡県、中学2年生

静岡県三島市にある『滝川神社』さんへ

連れてきてもらいました。


瀬織津姫さまが祀られています。


お祓いの四神のうちの一柱の神様。


徳之島・白井神社において

長い時を封じられ

そのお力を発揮される事がなかった神様。


何故、神様を封じ込めるという事がおきてしまったのか!

何故、それが出来たのか!


いつの世も

女は、都合の良い生き物なのか

神様でさえも

そう感じずにはいられない


2021年から『風の時代』がやってきた!

と、言われてる




あちこちに眠られておられる瀬織津姫様が

表に出てきてくださる事を願い

多くの方々が会いに行かれ

その封が

ひとつずつ開かれていく


素晴らしい


素晴らしい世界に変わる事を

願ってやみません。




私と西尾誉佳ちゃんの共通の出来事は

『14歳で余命宣告を受けた』こと。


誉佳ちゃんは、生きる為に右腕を失うという大きい手術を受け、

『私にはたったひとつ

 命があるから』

と、ニッコリ笑って

生きる事を楽しんだ。


それでも、神様は残酷な事をなさる。

そのひとつの命でさえ、持っていくという事を。


肉体のお別れ。

16歳で誉佳ちゃんは天国へいってしまった。


ところが

亡くなった後からの方が、私と誉佳ちゃんは親しくなった。


彼女が遺していった言葉たちが甦って

彼女の優しさ・強さ・爽やかさ‥

全部が身近に感じられるようになって

どんどん彼女の事を好きになっていく私。


16年を風のように生き抜いた誉佳ちゃん。


人は、何年生きたか!よりも

どう生きたかが大切

そう教えてくれた。


明日、私は58歳の誕生日を迎える。


17歳で死ぬと思っていた私が

58歳になる。


あと何年生きるのかより

どう毎日を生きるか

私は人が生きるのは時間の長さではないと

思う。



私と一緒にいてくれる人達と

デッカイ声で笑って

意見はしっかり言い合って

納得するまで気持ちを伝え合って

正直に生きる。


聖人君子なんかじゃなくていい

そんなの望みゃしない。


いい子でいる必要なんてない。

いい子だねって褒められる生き方なんて

やってきてない。笑っ


この先も私は私が生きたいように生きる。


私にとって『余命、明日!』