「みふのもちつき」

 

第一話 ボーイ ミーツ みふ 5

 

勢いよく会議室に入ると鶴ヶ丘と平良が窓際で並んで前庭を眺めていた。

「春だな」

「散りゆく桜がとても風流です」

のんびりしている。茶でも飲みそうな雰囲気だ。

拓真は勢いよく入りすぎて長机に激突してしまった。大きな音が会議室に響き渡る。

「何事だね」

ゆっくりと後ろ手を組んだまま鶴ヶ丘が振り返った。

「石川淑子さんは恐らく病院の外に出てしまってます」

拓真は病院に来る時に擦れ違ったお婆さんのことを二人に報告した。

「うちはほぼ外来患者が来ないからな。それで間違いないだろう」

鶴ヶ丘は堂々と言った。

「だからうちは赤字病院なんですよ」

平良がそう言うとまた二人で空笑いを始めた。

拓真は気にせずに「探してきます」と言って会議室を出て行く。

去り際に目の端に片手を挙げて「よろしく」と人ごとのように言う鶴ヶ丘の姿を捉えたが無視した。

拓真は病院の正面玄関から一気に正門まで駆け抜けた。門を出て辺りを見回すが誰もいなかった。

バス停の時刻表を確認したが、拓真が乗ってきたバスが出て以降まだどのバスも来ていない。

歩いてどこかへ行くとしてもあの覚束ない足取りだからまだ遠くへは行けないはずだと思い、辺りを探したが姿はなかった。

「何処へ行ったんだろう」

周りは見渡す限りの田圃だ。入り込む建物もない。

拓真のこめかみから汗が流れ落ちる。

「おかしいな」

何度も見回すがやはり姿は見当たらなかった。

息を切らしながら拓真は考える。お年寄りがどうしたら短時間で移動できるか。

「そんなの決まっている。乗り物で移動するんだ」

だがバスはまだ来てない。自転車なんて乗れないだろうし。

「ヒッチハイクか」

車が走っている気配はない。

いや、待てよ。拓真の頭はグルグル回転する。流れる汗も気にならない。

バス停でバスを待っている石川淑子の前を確実に通り過ぎた車が一台ある。

「迫田さんだ」

そう思い当たり、急いで病院の受付まで走って戻る。

「成海さん」

拓真が息せき切って声を掛けると「なあに」と上目遣いで芽衣がカウンターに体を乗り出してきた。胸が強調されて目の遣り場に困る。

「さっき面会に来ていた迫田さんの連絡先って判る」

「判るけど、どうして」

「もしかしたら、石川淑子さんは迫田さんの車に乗って外へ出たかもしれないんだ。それを確認したいんだよ」

「あら、そうなの。あたし、ぜっんぜん気が付かなかったぁ」

と驚きながら芽衣はパソコンを弄り始めた。

「あった。迫田さんの緊急連絡先。息子さんの携帯番号ね」

拓真は病院の電話を借りて迫田さんの番号にかけた。

「もしもし」

繋がった。

「私、鶴ヶ丘病院の職員で望月拓真と申します」

簡単に自己紹介してから、手短に事情を説明した。

「えっ、乗せた」

迫田さんの話を聞いて思わず拓真の声が大きくなる。

「突然電話なんかして済みませんでした。失礼します」

電話を切ると、芽衣が大きな目を興味津々に見開いて拓真に迫ってきた。

「迫田さんが車に乗せて行っちゃったんだぁ」

拓真はドギマギしながら頷いた。

「どうやら病棟から一緒にエレベーターを降りてきたらしいんだ」

石川淑子はその時既に私服に着替えていたから迫田夫妻は自分達と同じ面会に来た人なのだと勘違いしたらしい。

「そっかぁ、あたしが迫田さんとお喋りしている間に抜け出しちゃったのね」

芽衣はちょこっと舌を出しながら拓真に流し目を送ってきた。失敗したなという後ろめたい気持ちはないらしい。

「で、バス停でぽつんとバスを待っていた石川さんを見つけて」

「気の毒に思った迫田さんが車に乗せてあげたのね。迫田さん、優しいから困ってる人がいたら見過ごせないのよねぇ」

うんうんと芽衣は頷きながらカウンターに両肘を突き胸を押し上げた。

拓真は強いて目を逸らす。

「それで今石川さんは何処にいるのぉ」

「ああ、迫田さんによると」

と拓真が答えようとした時、会議室のある側の廊下から大声が飛んできた。

「おいおい、もちつき君、こんな所で油を売っていたのか」

スマートフォンを耳に当てながら鶴ヶ丘が平良を引き連れて拓真の方へやって来るところだった。

「じゃ、また今度寄らせてもらいますよ」

スマートフォンに向かって鶴ヶ丘は挨拶している。通話中にあんな大声で人の事を呼んだのかと拓真は呆れた。

「やあ、成海君、相変わらず可愛いね」

「やっだぁ、院長。それ以上言ったらセクハラですよぉ」

触ろうとした鶴ヶ丘の手を芽衣が払い除け、二人して空笑いを始めた。

拓真は早く石川淑子のことを報告しなくてはと割り込むタイミングを見計らっていたが、急に鶴ヶ丘が拓真を顧みて言った。

「石川淑子が見つかったぞ」

「へ」

思わず頓狂な声を上げてしまった。

鶴ヶ丘は得意げな顔をしている。

「今院長行き付けの高田屋という駅前の和菓子屋さんから連絡が入りましてね」

平良は一歩下がり院長を引き立たせる。

「石川淑子は金も持たずに大量のイチゴ大福を買ったそうだ」

「認知症を患っていますからね」

「主人が話を聞いても埒が明かないので、うちに連絡してきた」

「えっ、何でこの病院だと判ったんですか」

拓真が問うと、不敵な笑みを浮かべた鶴ヶ丘は左腕をぐいと突き出し金ぴかの高級腕時計を指差した。

「腕時計……ですか」

「違う」

一喝された。

「当院では患者さんの取り間違いを防ぐために腕に生年月日と性別も入れたネームバンドを付けてもらっているんです。そこに病院の名前も入っていたので、高田屋さんのご主人がうちに連絡してくれたんですよ」

平良が飄々と説明する。

拓真は石川淑子と擦れ違った時のことを思い出す。腕に付けていたのはミサンガじゃなかったのか。

「本来ならば警察に連絡されてもおかしくない事態だったのですが、院長は高田屋さんのお得意様なのでいの一番に病院に連絡をくれたのです」

平良がそう持ち上げると鶴ヶ丘はふんぞり返った。

「これも院長の人脈のなせる業です」

「院長、すっごーい」

芽衣が黄色い歓声を上げ、院長がそれに応える。

拓真は自分も今石川淑子の居場所を突き止めたところだとは言い出し辛くなってしまった。

「あら、やだ」

手を口に当て驚いた風で芽衣が正面玄関を見た。

「どうしたね」

目尻を下げて鶴ヶ丘が芽衣を眺める。

「石川さんの息子さんが来たわ」

「何」

さっきまで自慢げに胸を張っていた鶴ヶ丘が急に焦り始める。

「もちつき君、車は運転できるね。病院の車を使って良いから、早急に石川淑子を迎えに行きたまえ」

鶴ヶ丘は車のキーを拓真に渡すと「しっしっ」と手で払って拓真を追い出した。

「車まで案内しますよ」

ぐいっと平良に引き摺られる。

「私が時間稼ぎしているから、出来る限り素早く石川淑子を連れ帰るんだ。いいな、これは命令だぞ」

拓真は鶴が丘に指を突きつけられ、内心の溜息を殺しながら「はい」と返事した。

 

 

 

(続く)

 

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