「みふのもちつき」

 

第一話 ボーイ ミーツ みふ 2

 

2 

「うちは脳梗塞や骨折などで体の動きが不自由になった患者さんがまた日常生活を遅れるようにリハビリを頑張りましょうという病院なんですよ」

拓真を一階東側にある会議室へと連れて行きながらチョビ髭の事務長平良清は説明していた。何が可笑しいのか一つ説明する度に「はっはっはっ」と乾いた笑い声を上げる。

「病床数は五十床。少ないですねえ。はっはっは」

「患者はほぼ高齢者です。たまぁに若い骨折患者が入院しますけど、まれですね。望月君の叔父さんの入院なんてレアケースですよ。はっはっは」

平良は自ら会議室のドアを開け拓真を導く。

会議室には中央に長机が一つその周りにパイプ椅子が並べられていた。他にはホワイトボードが一台置かれている。ブラインドが降ろされ薄暗かった。

「今院長を呼んで来ますからね。そこの椅子に座って待ってて下さい」

手慣れた手つきでブラインドを開けながら平良は廊下側の端っこの椅子を拓真に勧めて会議室から出て行った。

言葉に従って拓真は座って待つ。

どうにも落ち着かなくお尻がむず痒い気分だ。何を質問されるのか、どう答えるかをグルグルと考えているが、思考が上滑りして全く纏まらない。ここで仕事をしたいのかどうかも判らない。

それに拓真は医療関係の仕事に就いたことはないのだ。それでも良いと病院側は言ってくれたようだが、では一体病院は拓真にどんな仕事をさせようと考えているのだろうか。それも不安だ。

それに拓真には働くことに対して消極的な理由がある。

拓真は私立大学の経済学部を卒業した後、関東地方を中心に店舗展開する小売業界の中堅スーパーに就職した。販売部門に配属されさる店舗に研修に行ったのだが、そこで人間関係のトラブルに巻き込まれ、人間不信に陥ってしまった。それが元でその会社を半年ほどで退職してしまったのだ。それから一年半、拓真は人と接するのが怖くなり再就職に二の足を踏んでいた。

今でもまだそのトラブルのことは思い出したくない。

会議室のドアが勢いよく開けられ、物思いに沈んでいた拓真は文字通り飛び上がって驚いた。そのまま気をつけの姿勢で立つ。

「やあやあ、君が望月拓真君か。お父さんそっくりだね。直ぐに誰か判ったよ」

陽気で朗らかな声が会議室に響く。恰幅の良い体格をした団子鼻で赤ら顔の老人が両手を広げて拓真に歓迎の意を表していた。

「院長、望月さんは拓真君の父親じゃなく叔父さんですよ」

空笑いをしながら平良が訂正するが団子鼻は全く聞いていない。

「私が院長の鶴ヶ丘真行だ。よろしく」

右手を差し出してくる。

「望月拓真です。よろしくお願いします」

拓真も右手を出し握手に応えた。

鶴ヶ丘と平良は拓真の向かい側に二人並んで座り、拓真にも椅子に座るよう促した。

拓真は緊張しながら席に着く。

まじまじと鶴ヶ丘が拓真のことを観察する。拓真は緊張で顔が紅潮してしまうのが恥ずかしかった。

「良いんじゃないの」

唐突に鶴ヶ丘が言った。そして、横を向くと「ねえ、事務長」と同意を求める。

「そうですね」

平良はうんうんと頷く。

「優しそうで人柄が良さそうだ」

「医療人として大事なポイントです」

「真面目そうだ」

「ホウレンソウを確り守ってくれます」

「正義感も強い気がする」

「いけないことには体を張って立ち向かう勇気の持ち主です」

「それに何より」

鶴ヶ丘が一拍間を置く。

そこで急に平良が何か閃いたかのように手を打った。

そして二人で、

「君の名字は素晴らしい」

と合唱した。

危うく拓真は椅子からズッコケそうになった。

「え? 名字ですか」

声が引っ繰り返ってしまったが、拓真の目の前の二人には関係なかった。何が可笑しいのか、互いの顔を指さし合って心のない笑い声を上げている。

「よし、決まりだ」

鶴ヶ丘がぽんっと手を叩くと、すかさず平良が紙切れを一枚取り出した。

「さ、もちつき君、ささっとここにサインをしてくれたまえ」

「院長、まだ望月君ですよ」

平良が耳打ちする。

「やや、私としたことが、少しばかり気が急いてしまったかな」

また二人して軽薄な笑い声を上げる。

拓真は理解が全然追いついていけない。差し出された紙が「雇用契約書」となっているのを見て焦った。

開いた口が塞がらないまま鶴ヶ丘を見遣ると、「我が鶴ヶ丘病院へようこそ」と痛い程の力で肩を叩かれた。

「いや、僕、まだ返事してませんし、それに仕事内容も何も聞いていませんから、直ぐにサインはちょっと……」

拓真はへどもどしながら差し出された契約書を手で押し戻す。

鶴ヶ丘は露骨に困った顔をして腕を組み唸り始めた。

「事務長、話が違うじゃないの」

鶴ヶ丘は不満を述べ始めた。拓真は自分が責められてる気がして心臓がドキドキと高鳴り始める。

「ご安心下さい、院長」

平良は気を揉む風もなく飄々としている。「こんな事もあろうかと叔父の望月耕史さんからはお手紙を預かっています」

平良は内ポケットから刀を抜くがごとく素早く一通の封書を取り出すと拓真に差し出した。

「望月君が入職を拒んだら渡すよう言われております」

ここまで地固めされているとは思ってもいなかったから、拓真は愕然とした気持ちで封書を受け取った。

 

望月拓真様

これを読んだという事は拓真が鶴ヶ丘病院への就職を断ったという事だろう。

小言は書かない。

両親の心配を考えろとも言わない。

俺からは一言。

鶴ヶ丘病院への就職を断ったら、前の会社を辞めた理由を両親に話す。

これ以上拓真を守る道理は俺にはない。

望月耕史

 

拓真は溜息を吐いた。

前職を辞めた理由を拓真は両親に話せないでいた。塞ぎ込んでいた拓真を心配して両親はあれやこれや聞いてきたが、拓真は口を閉ざした。自分の話を信じてくれるかどうか不安だったし、信じてくれなかったらどんな目で見られるのか怖かった。

だけど両親の相談を受けて出向いた叔父の耕史には素直に話せた。

生活の距離感のせいだと拓真は思う。一緒に生活して始終顔を合わせる両親よりも、大学の准教授で地質学を教え地層の研究のために日本全国を飛び回ってる耕史の方が気楽だった。例え拓真の話を信じてくれなくても余り顔を合わせる機会がないのだから。

果たして、耕史は拓真の話を信じてくれた。そして、時間をあげてくれと両親を説得してくれたのだった。

拓真が立ち直るためにくれた時間ももう限界という事だろう。

耕史を落胆させてしまったことを拓真は情けなく思う。

「判りました」

観念して拓真は雇用契約書にサインをした。

すると何かの祭りが始まったかのように鶴ヶ丘と平良は浮かれ万歳をしながら喜ぶ。クラッカーでも鳴らしそうな勢いだ。

「仕事の内容を教えて下さい」

おずおずと拓真が切り出すと、二人は急に改まって愛想笑いを浮かべた。

「いや何、簡単な仕事だよ。何も心配することはないさ、もちつき君」

鶴ヶ丘はそわそわと落ち着きを無くし視線をあらぬ方へと泳がせていく。明らかに様子がおかしかった。拓真の胸に嫌な予感がムクムクと湧いてきた。

「平良事務長、説明してくれたまえ」

鶴ヶ丘が話を丸投げすると、鉄球でも投げつけられたかのように平良はビクリと身を引いた。椅子までがガタンと音を立てて下がる。

「わ、私がですかぁ」

平良は明らかに狼狽えている。汗をかいてもいないのにハンカチを取り出し頻りに額を拭った。

「望月君は、阿部川田みふさんの部署に配属されます。そこで、阿部川田みふさんの指示の下に仕事をしてもらうことになりますので、詳しい仕事の説明は阿部川田みふさんからお聞き下さい」

平良はこの内容のない説明をするだけで、「あ~」「え~」「う~」と躊躇い音を所々挟むので聞いてる方には間怠っこくて仕方ない。

態度のおかしな二人の様子を拓真は訝しむ。平良の手元にあるサイン済みの雇用契約書が恨めしい。

「他にはですね」

汗を拭き拭き平良は説明を続ける。いつの間に汗だくになっていた。

隣にいる鶴ヶ丘は知らぬ存ぜぬで涼しい顔をしている。

「阿部川田みふさんが、どんなことをやろうとしているのかを我々に逐一報告して欲しいのです」

「これは病院を存続させる上でとても重要な仕事だ。君はそれに携わる」

鶴ヶ丘は厳めしく言ったが、拓真はそれを無視した。

「その阿部川田さんという方は病院の職員ですよね。謂わば院長先生や事務長さんの下で働いてるって言うことですよね。なのにその方がどんな仕事をされているかお二人は把握されていないのですか」

頭の中に疑問符が浮いている。拓真はついつい眉根を寄せて二人を見返してしまった。

「ま、そうカリカリなさんな。病院にも色々と大人の事情というものがあるんだよ」

「この病院で働くうちに追々事情は飲み込めてきますよ。ね、院長」

「ひとつ社会勉強だと思ってやってみたまえ」

子供をあやして誤魔化す様な感じがして拓真には納得がいかない。

「スパイをしろという事ですか」

拓真の質問に鶴ヶ丘と平良は揃って空笑いをした。

「そんな大袈裟に考えなさんな」

鶴ヶ丘が大きく手を振って否定する。

「ホウレンソウの一環だと考えて下さい。判りますよね。報告連絡相談のことです」

「それぐらい知っています」

拓真は憮然と答えた。

平良はそんな拓真の様子を敢えて気にせずに話を進めていく。

「望月君にはもう一つ重要な仕事があります」

拓真が今度は何だと身構えた時、会議室のドアがゆっくりと開いた。

話が中断し三人の視線がドアの方へと向く。

一人の看護師がフラフラと会議室に入って来た。五十年配の女性で酷く青ざめあからさまに具合が悪そうだ。

その看護師は二三歩会議室によろめくように入り「ああ、貧血が」と手で頭を押さえるとペタリと床に座り込んだ。

 

(続く)


※当ブログを気に入って頂けましたら、フォローをお願いします!

フォローしてね!

 

☆以前の小説「みふのもちつき」はコチラ!