「みふのもちつき」

 

第一話 ボーイ ミーツ みふ 1

 

「鶴ヶ丘病院前」

長い時間バスに揺られていたので望月拓真はうたた寝をしていた。

「あっ、降ります」

降車ボタンを押す前に焦って手を振り声を出していた。

拓真以外に乗客はなく運転手も親切に停車してくれたので良かったが、気恥ずかしかった。

愛想笑いを浮かべぺこぺこ頭を下げながらバスを降りる。

何やってんだかと情けない気分で手の甲で涎を拭った。

四月半ば天気の良いお昼過ぎとなれば眠気が襲ってきて当然だとは思うが、これから面接だという事を勘案すれば真剣味に欠ける。

「はぁ、うちでグダグダしてたいなぁ」

溜息と共に体の力が抜けていく。着慣れないスーツが窮屈だ。

拓真はまだ働く気構えが出来ていない。それをスキーに行って骨折し短期入院した叔父が鶴ヶ丘病院に恩義を感じて、人捜しに苦労していた院長に「家でぐうたら寝ている二十四歳のバカ甥が一匹いますから、扱き使って下さい」などと本人の意向は全く関係なしに面接の日取りまで決めてきてしまった。

すっぽかすかという考えがちらりと過ぎったが、以前の職場を退職した時に叔父に借りが出来てしまったので無碍に出来ない。

それにもうバスは去ってしまい、周りは田圃ばかり。バス停の直ぐ脇が病院の正門になっていて逃げるに逃げられない。

嫌なら断ればいいと拓真は腹を決める。ネクタイを締め直し背筋を伸ばして正門を潜る。

正門の向こう側には芝生の庭が広がっていた。周りを囲むように桜の木が植えられている。今はもう見頃は過ぎて散り始めている。

庭の中央には正門から続く道路が病院の正面玄関まで延びていた。道路で東西に分断された庭の東側の隅には小さな畑があり作物が育っている。西側は遊歩道が設置され所々にある花壇の花を楽しみながら歩けるようになっていた。

建物は東西に長い三階建てで西洋風の旅館を思わせる温かみを備えている。建物の前にも花壇が並び今は赤白黄色のチューリップが咲き誇り四月の気持ちの良い風に揺れている。落ち着いて療養できそうな雰囲気だ。

拓真が病院に向かって歩き出すと、正面玄関へと続く道路の中程に一人のお婆さんが覚束ない足取りでこちらに向かって歩いて来るのが目に入った。

診察の終わった患者だろうと考えた拓真は知らんふりで通り過ぎるのも礼儀に欠いているので、すれ違う時には一応黙礼だけはした。

するとお婆さんは立ち止まり皺の多い顔を更にしわくちゃな笑顔にして丁寧にお辞儀してくれた。

「お世話になりました」

それだけのことなのに拓真の胸にホッコリと温かいものが生まれた。自然と拓真も笑顔になる。ここでなら働いても良いかなという思いがふと湧いた。

「お気を付けて」

お婆さんの背中に声を掛けると、振り向いてまたお辞儀してくれた。腕にミサンガを付けていてお洒落なお婆さんだ。

清々しい気持ちのまま拓真は正面玄関を通り抜けた。

院内に入ると直ぐに受付カウンターがあり、その後ろのオープンスペースが事務所になっていた。数人の職員がパソコンに向かい仕事をしている。

ブレザータイプの制服を着た若い受付女性は中年夫婦の相手をしていた

。拓真は一歩引いてその応対が終わるのを待っていた。

中年夫婦はどうやら入院しているどちらかの母親の見舞いに来たらしい。頻りに「宜しくお願いします」と頭を下げている。

受付女性は路線バスの運行本数が少ないことを心配していた。

「大丈夫、大丈夫」大柄な旦那さんが答えている。「前回バスで来て酷い目にあったからね、今日は車で来たよ」

旦那さんは豪快に笑いながら手を上げて受付女性に別れを告げ、淑やかそうな奥様は丁寧にお辞儀をしてカウンターから離れて行った。

受付の手が空いたようなので拓真は進み出る。声を掛けようと身を乗り出したところで「望月拓真君だね」と名前を呼ばれた。

見ると事務所の一番奥の席に座っていたチョビ髭おかっぱ頭の男が立ち上がり手を振って拓真の注意を引いていた。