※記事が消えてしまったので再掲になります。

 

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今回の話者:御徒町さん(仮名)

 

 

私は人と一緒にいると自分がどのような役割を演じたらよいのか分かりません。だからだと思いますが皆様の様に正常な人間関係を築くことが出来ないのです。

 

他人様と一緒にいますと心が酷く窮屈に感じます。消えてしまいたいとさえ望みます。

 

私は他人様から話しかけられても、返す言葉を思い浮かべることが出来ません。恐らく皆様よりも頭の出来が悪いのでしょう。他人様の様に気持ちよくポンポンと切り返すことが出来ないのです。

 

ただ話しかけて下さった他人様に嫌な思いをさせることは出来ませんので、冴えない中年男ですが笑顔だけは浮かべます。そしてハイハイと壊れた人形のように相槌を入れます。

 

不気味です。

 

こんな不良品のような人間ですので、人と人との交わりで構成される社会の一部である会社に通うのが心痛極まりありません。

 

それでも生活するための金が必要ですから、我慢して働かなければいけないのです。

 

週に5日間労働をした後、会社はこのような私にも休日を与えて下さいます。

 

休日とは楽しいものだと他人様は仰います。所謂リフレッシュと言うものが出来、翌日から再び働くための活力が出てくるとか。

 

私にはそれも理解できません。

 

会社が休みになり家に居りますと、やたらと心が塞ぎます。翌日の職場での人との付き合いの事が頭に浮かんで恐怖します。私と言う人間が不完全であるがゆえに他人様に嫌な思いをさせてしまうのが申し訳ない気持ちに苛まれます。

 

実際私と同じ職場になった他人様は不幸だと思います。本来の忙しい業務に加えて社会性が機能不全に陥っている私の世話もしなければならないのですから。

 

私はお荷物なのです。

 

休日はそういう事ばかりを考えていて憂鬱です。「時間よ、止まれ」と本気で願い時計とにらめっこをしております。沈思黙考しては時計を見、時が進んでいることに戦き落胆しております。

 

そのように私の休日は過ぎ去っていきます。私に何の益も齎さないのです。しいて上げるとするならば、肉体的な疲労は回復されます。

 

私は読書や映画を観ることが好きではありますので、他人様の言うリフレッシュを得るためにそれらに挑戦するのですが、自然と職場の方々の困った顔が思い浮かんで集中することが出来ません。たまたま気分が乗ってそれらに集中することが出来たとしても、それらを終えた時、知らず知らずのうちに時間が食いつぶされていて大事な時間をどぶに捨てたような気分がして酷く空虚になります。

 

「ああ、もうこんな時間」だと激しく落胆します。他人様が語るようなスッキリとした良い気分にはならないのです。ただ無気力さが増します。

 

時間が進むのがやむを得ないことは分かっています。だけど進んで欲しくないのです。休日が終わって欲しくないのです。

 

これは叶わぬ願いです。

 

ならば、どうすれば時間を気にせずに済むのでしょうか。時間が進むことを悲しいと感じなくなる方法はあるのでしょうか。

 

そのようなことを考える私が愚かなのでしょうか。

 

 

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