恒例の金曜日の抗がん剤、この日はハーセプチンだけの日だった点滴

予約のだいたい一時間前に病院に到着して、採血して、その結果があがるのを待って診察病院
ということで、朝の11:00には採血の部屋にいる事になっていた。

以前はバスで通っていたが、帰りが辛いので最近は車でいくことが多い車
車ではいつもj-waveを聞くことにしている。

この日は誰がナビゲーターをやっていたのが誰だかわからないが、かなりテンションの高い男性だったアップ

なんかのコーナーで「アースデイ」の特集をやっていた。
アースデイはヨガの中でもかなり浸透していて、ヨガスタジオや雑誌、インストラクターのブログにもよく案内が掲載されている黄色い花

4/17に代々木公園でやっているとのことで、j-waveのブースでは自分が一品持参すると、そのブースにある品物を10点もってかえっていいという「エクスチェンジ」ということをやっていたらしい。

最近は、このように自分の大事な、でも使用しなくなった品物と誰かの品物をかえっこする事を、なんとか???といってはやっているらしいと聞いたことがある。
ものを無駄にしないいい企画だと思うブーケ1


そこで「アースデイ」の主催者が、発起したときの思いでなどをインタンビューで答えているシーンがあった。
最初は少人数でもいいからとスタートた初年度から、かなり反響があったと晴れ
そして、その後、野外ゲストにきてくれた「忌野清志郎」の話になった。

運転しながらだったので、詳細は聞けてないが、アースデイの理念に賛同した清志郎が野外でライブをしたらしい音譜
その「アースデイ」でのライブをまるでウッドストックのようだったと清志郎が話していたらしい。
その時の様子を主催の人が話ながら、そのBGMで「雨上がりの夜空に」が流れていた。

音楽は時に人をその歌を聞いた時代に戻してくれる。
私は学生時代に音楽をやっていた。
そのときの仲間が協力にすすめてくれたのがRCサクセションだった。
私の中で大好きだったのは、ストリートスライダースだったので、少し毛色の違う音楽だったが、
当時、音楽をやっている人は神様のように清志郎をしたっていたドキドキ

当時の私は、「そんな音楽もあるんだな。」くらいに思っており、友人がかしてくれたアルバムを聞いただけで終わっていた。

時代が流れ、その清志郎が「喉頭癌」になった事を知った。

癌の摘出をすると声が出なくなると宣告されたことから、放射線や抗癌剤での完治を図り、入院後2週間で代替医療へと治療法を変更。これは、がんセンターでの現代医学的な治療計画では胃に穴を開けての流動食生活となることを余儀なくされ、これに伴い唾液腺が消滅し、唾液が出ないためステージで歌うのは困難になると言われたことから。(Wikipediaより)

ステージ4 乳がん闘病日記

清志郎は歌うためにのどを守った。
いろんなメッセージや、生きる力や、いろんな事をきっとみんなに伝えたかったのだろうか?
車に乗りながら、そんな清志郎は生涯どういう事を思って生きていただろうか?とふと思った。


帰宅してから案の定、夜には辛い体が待っていたしょぼん
テレビをつけたらスマップのなんとかという番組で、三田佳子が特集されていた。
三田佳子の「波瀾万丈人生」のような内容の番組だった。

三田佳子の息子、麻薬で三度捕まったということを話していた。
その度に母である三田佳子に迷惑をかけてしまったことを詫びていた。

回想シーンでは、三田佳子とご主人がリハビリ施設で麻薬患者を家族にもつひとのセミナーにでたりして勉強している場面がうつっていた。
そして彼女が出した答え、学んだ答えは「共依存」だった。

その後、三田佳子が刑務所にいる息子に面会しにいっていった言葉、

「三度も捕まって、でもこうして人生があるということは、生かされているということよ。」


清志郎の事を思い出した。

清志郎はなぜ、すぐに逝かなかったのか?
そして、どうして歌うことを生き甲斐にしていた清志郎が咽頭がんなのか?

うまく言えないけど、きっと清志郎は神様に生かされていたのかもな、と思った。
だって、必要でなければ、見つかった時点であの世にいってもおかしくないもの。

そして、大事なのどを守ることを選択した清志郎だからこそ、きっとうたがもっともっと大事なものになったのだろうな。
そして、きっと限られた時間の中で、自分にできる精一杯のうたをうたって、いろんな人にメッセージや力やエネルギーを与え続けたからこそ、こうしてたくさんの人に愛される清志郎なんだろうなラブラブ


今まで世の中に流れている歌の一つだけだった「雨上がりの夜空に」は、私の中でその日から特別な歌になった。

一つ一つの歌詞や歌うエネルギー、元気な時に録音されたものだから、昔に聞いたものと変わらないのだろうが、なぜか1フレーズ1フレーズがとても心にしみいってくる*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


私の乳がんも、なぜステージ4で発見されて、その時点で余命一年ということだったのか?

もっと遅くに自分が検診にいく、または面倒でいかない、などとやっていたら、
ある日、とっても具合が悪くなって、発見されてあと数週間だったかもしれないじゃないか?

肺がんでもなく、大腸がんでもなく、悪性リンパ腫でもなく、どうして乳がんなのか?

どうして今の病院で、その先生で、どうしてこの薬なのか?

どうしてヨガの仕事をしてヨガを知ってから発見されたのか?

どうして、この周りの仲間や家族の中で病気が発見されたのか?
昔につるんでた仲間の時に発見されなかったのはなぜか?

どうして、手術はせずに抗がん剤だけの治療なのか?

どうして今ある情報だけが私に入ってくるのか?


いろんな事を考えさせられた。
そして、こうして朝になるとまたちゃんと生きている自分がいることを確認した。
そして朝がきちんときて、こうして命があることにとてもありがたさを感じる今日このごろ晴れ

私もきっと何かやること、知ること、経験すること、必要があって神様に生かされているんだ、と初めて「生かされている」という文章が、す~~っと自分に入ってきた。

「そっか、私、生かされてるんだ」

そんな事を思った金曜日の一日だった(‐^▽^‐)


☆採血結果(5-2-3→6-1→6-2→6-3)
白血球 6000→3000→4100→5600→3500Lダウン
赤血球 400→384→374→383→370Lダウン
血小板 34.3→38.0→46.3→31.8→30.3ダウン
GOT 23→18→20→25→25
GPT 25→22→15→21→22
CRT 0→0.3
アップ

ヘモグロビンなどの貧血の値がだんだん低くなってきている。
看護士さん曰くは、「徐々にゆっくり落ちる人が多いので、これから少し貧血には気をつけましょうね。でもまだ輸血するほどの値じゃないので。」だって!

不足したら輸血したりしてでも抗がん剤とかすることってあるんだ~~~!?
正直、その事実にびっくりした!あせる


診察室で先生にいつものように状況を報告して終わる医者
先生が触診でサイズを測りましょう!といって、また例の定規を出してきた定規

「1.5の1.9ですね!」
「お~~、小さいですか?」
「そうですね。ん????あれ???」
以前のカルテをみて先生。

「前回は1.5の1.6ですね。」

どよ~~~ん!

「念のためにエコーとってみましょう!」
先生、あわてて(そうは見えないが)エコーの予約をしたあせる

正直、だいぶへこんだ。

そんな小さなサイズ、触診だし…、と思う自分と、もうナベルビンがきかなくなってきた?と恐れる自分がいた。

がんに耐性ができてしまったか?

きかなくなっていたら、次の抗がん剤になってしまうあせる
生涯でつかえる抗がん剤の種類は3つ程度、骨髄が破壊されてりまうので3つが限度らしい。

先生も触診はあてにならないので、といいながらもう一度定規で採寸。
もう一度はかっても、やはり1.9だったあせる


来週以降の予約をとって帰宅するが、かなりへこんだ状態しょぼん

そんな少しの差なんだから、と自分で自分に話すものの、心は正直。
さすがに両親には言わないでおこうと思った。
エコーでよかったら無駄な心配だ。

命の事がかかっているので、こころは動揺したし、ナイーブになってしまったしょぼん


かっこいい事いっても書いても、こうして症状が少しでも悪化するとかなりしんどいな(>_<)

ペタしてね

※ペタ返し、また明日起きてゆっくり読みながらしますので、いつもペタってくれているみなさま、すみませんが今日も少し落ち込んだままおやすみします満月