『月明かりの男』

(1940/駒月雅子訳、創元推理文庫、2017.8.31)

 

『雪と毒杯』

『紙片は告発する』と同様

「犯人当て」を謳い文句にしている作品を

もうひとつ。

 

 

ヘレン・マクロイの作品については

以前にも『逃げる幻』というのを

紹介しています。

 

そちらでも書きましたが

マクロイといえば

『暗い鏡の中に』(1950)が代表作。

 

本書『月明かりの男』の解説で

鳥飼否宇氏も書いているとおり

かつてはそれしか読めなかったものです。

 

今では

創元推理文庫とちくま文庫とで

続々と刊行されて

ベイジル・ウィリング博士ものは

全作品が読めようかという勢い。

 

感慨にふけらざるを得ませんなあ。

 

 

『月明かりの男』は

マクロイの第2長編で

いわば若書きの一編です。

 

そのためかあらぬか

ベイジル・ウィリングの

精神分析を応用した探偵法が

割と前面に押し出されています。

 

それについては

鳥飼氏の解説に詳しいので

ここでは詳しくは書きません。

 

ただ、ちょっと面白いというか

興味深かったのは

嘘発見機なんてものが出てきたり

言語連想検査

いわゆる心理試験が

出てきたりしていること。

 

特に後者にはびっくりでした。

 

江戸川乱歩の「心理試験」を

彷彿させるものがありましたから。

 

乱歩を彷彿させるネタは

他にもう一点

出てくるのですけど

これは謎解きに関係してくるので

伏せておくことにしましょう。

 

 

『月明かりの男』は

プロットはよく出来ていて

パズルのピースが

きちんと当てはまるように

仕上がっています。

 

ただ、まだ若書きのせいなのか

細かいピースが多く

何でもかんでも盛り込みすぎ

という印象が残ります。

 

特に『雪と毒杯』のような

シンプル・イズ・ベスト

といった作品を読んだ後だけに

余計そう感じるわけですね。

 

よく出来ているんですけど

細かいピースが多いから

ここ一番、これぞ本書のキモ

というようなところが

見出しがたいのでした。

 

 

興味深いのは

作品の背景です。

 

最初に殺されるのは

ダッハウの強制収容所から逃亡してきた

ユダヤ系の生化学者。

 

発表が1940年なので

書かれたのは

1939年から1940年の頭にかけて

だと思いますが

第二次大戦が始まったか

始まらないかという早い時期から

ユダヤ人が強制収容所に連行されている

ということは知られていたのかと

ちょっとびっくり。

 

(そこで生体実験や

 大量虐殺が行なわれていたことは

 さすがに、まだ

 知られていなかったのかも

 しれませんけど)

 

その被害者はウイーン時代に

ナチスの若者に踏み込まれて

研究装置をめちゃくちゃに破壊された

という経験をしているのですが

これなんかは

後の文化大革命を

連想させるところがあります。

 

 

文化大革命といえば

本作品には

中国人の心理学者も登場し

日本に侵攻された祖国のために

収入のほとんどを

抗日闘争資金として送っている

という設定になっています。

 

後の歴史を知っていると

かなり皮肉な感じもしますね。

 

 

ちなみに

中国人の科学者と

ウィリング博士との間で

ミステリ・ファンにはお馴染みの

ノックスの十戒について

話す場面が出てきます。

 

先の

言語連想による心理試験は

これもミステリ・ファンにはお馴染み

ヴァン・ダインの二十則で

古臭いから使うな

と書かれている手法。

 

マクロイは意外と

ミステリ・マニアだったというか

ヴァン・ダインやノックスの規定に

挑戦する気持ちが

あったのかもしれないとも

思ったりしたことでした。

 

 

そしてもう一点

印象に残っているのは

殺された生化学者の秘書をしていた

やはりウイーンからの亡命者が

自らの精神のありようを

省みているところ。

 

ウイーンにいたとき

革命で亡命してきたロシア人や

ファシズムから逃れてきたイタリア人が

同国人をすべて敵だと見なしており

それを傍で見ていて

亡命者根性と蔑んでいたけれど

いざ自分が亡命者になってみれば

同じ精神状態に陥っていることに気づき

愕然とする、と話す場面があります。

 

こういうキャラクターを描く

想像力(ないし創作力)を

持っているところが

マクロイの面目躍如なところで

武装した難民というイメージを提示して

自分が難民になる可能性すら想像できない

どこぞの国の政治家とは大違い。

 

 

という具合に

犯人当ての面白さよりも

同時代の風俗描写というか

世相や時代背景を反映した記述の方が

自分的には印象的でしたし

面白く思われたのでした。


世相を反映した小説は古びやすい

というのは

単なる一般論、

迷信にすぎないと思います。

 

世相をどれだけ正確に写しとっているか、

ミステリの場合なら

世相とプロットが

どれだけ密接に結びついているか、

それが面白さのキモだと思うのです。

 

世相というのは

その時代を生きる人間の

ものの見方・考え方が

反映されていると

いえるわけでして。

 

つまり世相を描くのは

人間を描いているのに等しい

というふうに

考えるからです。

 

小説の風俗描写というのは

そういうものであるべきで

そうであればこそ

トリックやプロットにも

説得力が伴うのではないでしょうか。

 

前回、紹介した

『紙片は告発する』も

そういう風俗小説的な要素が

ミスディレクションとして

機能していたし

犯人の正体に

説得力を与えていたと

思うわけです。

 

 

まあ、御託はさておき

ベイジル・ウィリング博士ものは

あと一編、未訳があるのですが

それも来年、刊行予定だそうです。

 

すごいなあ。:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

 

昔は、こんな時代が来るとは

思いもよりませんでした。

 

 

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