伝奇冒険小説 「青い薔薇の血族 第一日 1.闇の予兆(後)」 | 隅の老人の部屋

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 その朝、五代蘭山(ごだい・らんざん)は自室で亀卜(きぼく)を行おうとしていた。
 蘭山は著名なオカルティストであり、多数の著書が出版されている。今年で七十六を迎えるが、見事な白髪は豊かで黒い瞳は精気にあふれ輝いていた。

 亀卜とは、亀の甲羅を火であぶり、その裂け方によって判断を下す中国古来の占い法だ。周時代にはすたれたが、かっては亀卜を記すために漢字が発明されたと伝えられるほど重視されていた。

 日本においては、奈良時代から平安時代にかけて国家の重要時を定めるための神事として多く用いられた。
 本棚で囲まれた室内には香が炊き込められている。中央には火の焚かれた陶器の火鉢が置かれ、その正面の椅子に蘭山が前かがみの姿勢で座っていた。上溝桜の枝を燃やす炎が顔を火照らせる。

 蘭山は生来の霊能者ではないが、長年の修行によって常人よりは強い霊力を得ていた。真の霊能者に比べれば赤子にも等しい力ではある。蘭山は持てる力を最大限に発揮するため、目を閉じ精神統一を開始した。

 今日(こんにち)、占いは遊戯的に誰もが行えるものとなっているが、本来の占いとは神霊の意思を聞くためのものだ。信ずるに足る結果を得るためには、神の意思と疎通する力を持った者が行わなければならない。

 従来の宗教と一線を画すため、蘭山自身は神という言葉を避け「大いなる宇宙意思」と呼んでいた。宇宙を統べる超存在は唯一のものである。宗教とは、その一つの巨大な存在に対して人間がそれぞれの解釈を加えて作り上げたものという考え方だ。

 深呼吸しながら瞑想を続ける。室内の気圧が高まり、温度も上昇してきた。霊気が高まってきた証(あかし)だ。
 準備は整った。蘭山はゆっくりと目を開き、傍らに置かれた亀の甲羅を手にした。甲羅は、厚さ約一センチの鉢形五角形に削り磨かれ、裏側にはいくつか長方形の穴が彫られている。これを炎にくべ灼熱する。

 蘭山が息を吹きかけると火勢が増し、甲羅は次第に赤く色を変えていく。表面に小さな亀裂が生じた。焼けた甲羅に、先端を細かく割いた竹片で霊泉水を注ぐ。
 弾けるような音とともに立ち昇る白い湯気。甲羅の亀裂が大きくなり、明らかな卜兆が現れた。
 蘭山は真剣な面持ちで亀卜の結果を読む。やがて、その表情に翳(かげ)りが生じた。

 蘭山は数週間前から大気の脈動に乱れを感じていた。最初は気のせいかと思うほど僅かな感覚だった。それが今では明らかな邪気の鳴動と化している。恐るべき凶事を予感させる暗黒の波動だ。

 亀卜の結果は蘭山の感覚が誤っていないことを示していた。邪気が西のほうから東京の何処かへ流れ込んでいることが分かった。
 邪気は、これから数日の間にその力をさらに増大していくと予測される。そうなれば間違いなく災いも大規模なものと化すだろう。

 どうやら自分は、その忌まわしい事件に巻き込まれる運命にあるようだ。背中に電流が走る感覚。蘭山はぞくりと身を震わせた。
 何が起ころうとしているのか。この先には自分に対する試練が待ち受けているのだろう。神秘学研究家としての好奇心だけではない。身体の深奥から突き上げてくる使命感を感じた。

 残念ながら自分だけの力では足りない。さらなる追求を続けるためには、真の霊能者の協力が必要だ。
 蘭山の脳裏に一人の女性の顔が浮かぶ。日本でも有数の霊能者。
 彼女の力を借りれば、さらに邪気の正体に近づけるに違いない。だが、うら若い女性を巻き込んで良いものかどうか。
 蘭山は、ひび割れた甲羅を見つめたまま思案に暮れるのだった。

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