映画感想 ギレルモ・デル・トロ監督「フランケンシュタイン」(ネタバレあり) | 隅の老人の部屋

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ギレルモ・デル・トロ監督は大好きで、
「ピノッキオ」(2022)は見逃してしまいましたが、
ほとんどを見ています。

今のところNetflixは加入していないので、
今回の劇場上映は嬉しいサプライズでした。
平日の上映でも、けっこう混んでいました。

原作は読んでいないのですが、
Wikiで調べると大筋はケネス・プラナー監督の1994年版や本作が原作に近いようです。
ただし大幅にストーリーを簡略化して70分にまとめたジェームズ・ホエール監督の1931年版も傑作だと思っています。
個人的にはケネス・プラナー監督版は、ちょっと中途半端かな、という印象でした。

今回はテーマをさらに踏み込んで「フランケンシュタインの怪物」というよりも、
「フランケンシュタインは怪物」になっているのが見どころでした。

北極探査船の船長が重傷を負ったヴィクター・フランケンシュタインを救助し、
異常に強い怪物の襲撃を受けます。
船長はなんとか怪物を氷の下に沈め、
ヴィクターが語る物語を聞き始めました。

今回の特徴はヴィクターの少年時代から、
死の克服に憑りつかれて狂気に走っていく過程を克明に描いていることです。
序盤におけるフランケンシュタイン家での衣装やセット(もしかしたらCGかもしれません)は、
豪華でさすがは予算潤沢と言われるNetflix作品と感心しました。

ヴィクターは母の死から、死の克服に憑りつかれ、
やがて電気の刺激でつぎはぎの死体を一時的に甦らせるまでになります。
しかし学界からは相手にされません。
そのまま終われば良かったのですが、
武器商人の富豪ハーランダーが彼のパトロンとなったため悲劇が始まります。

研究にはハーランダーの姪エリザベスと婚約しているヴィクターの弟ウィリアムも参加します。
今回はエリザベスがキーパーソンになっていることも特徴になってると感じました。
昆虫が大好きというエリザバスは、自らの人生哲学を持っていますが、
ハーランダーやウィリアムからは相手にされず孤独感を抱えています。
ヴィクターとは相容れない思想なのですが、
エリザバスは話を聞いてもらえたことから彼を論客として意識しました。
人の心を理解するのが苦手なヴィクターは、カン違いして妄想をふくらませたりします。
エリザバスを演ずるミア・ゴスのエキセントリックな魅力が生かされていました。

ついにヴィクターは戦死者をつなぎ合わせた死体の蘇生に成功します。
ヴィクターの人造人間に対する態度は、驚くほど無慈悲でした。
死体の背性に没頭するあまり、人間的には成長することができなかったのかもしれません。
体罰も辞さない教育に厳格な父親の悪い面ばかりを受け継いでしまったようです。
ヴィクターは人造人間を鎖につないで虐待し始めました。

ウィリアムとともにやって来たエリザベスは人造人間を見つけ心を通わせます。
理解してもらえない孤独な存在同士が共鳴したかのようでした。
それを知ったヴィクターは二人を帰し、
人造人間を研究所として使ったハーランダーの別荘ごと燃やしてしまおうとします。
最後の瞬間に思い直したヴィクターは、屋敷に戻ろうとして爆風に巻き込まれ片足を失いました。
人造人間は鎖を引きちぎり、水路から脱出しました。
ここから船室に現れた人造人間が新たな語り手に交代しています。

森をさまよう人造人間は猟師に見つかり銃撃されます。
いくら傷だらけの大男とはいえ、人の形をしたものをいきなり撃つのは無茶苦茶ですが、
理知より迷信が優先される時代だったのかもしれません。
理由は分かりませんが人造人間は驚異的な細胞再生能力を持つ不死身の存在となっていました。

人造人間は猟師たちが住む山小屋の納屋に潜み、一家の様子を窺うようになります。
特に盲目の老人と孫娘の会話から、人造人間は高い人格を持つようになっていきます。
猟師たちが狼の群れを追って討伐の旅に出て、
小屋に暮らすのが老人一人になったとき、
人造人間は姿を現わして共に暮らすようになりました。
聖書はともかく猟師の山小屋にミルトンの「失楽園」があるのは不釣り合いな気もしますが、
人造人間は読書を通じてさらに人格を高めていきます。

やがて人造人間は自分の過去を捜しに屋敷に戻り焼け残った研究資料から、
自分が死体の寄せ集めと知って絶望感にとらわれます。
人造人間が戻ると山小屋が狼の群れに襲われていました。
老人は死に、オオカミを追って戻ってきた猟師たちは人造人間の仕業と勝手に決めつけて、
彼を撃ち殺します。
時が経ち傷の癒えた人造人間が蘇ったとき、猟師たちは引っ越して山小屋は無人となっていました。

普通の人間とともにあることを諦めた人造人間はヴィクターのもとに向かいます。
人間と離れて暮らす寂しさを紛らわすため、伴侶を作ってほしいと頼もうとしたのですが、
このことがさらなる悲劇を生んでしまいます。
終盤の会話では、もはやヴィクターより人造人間のほうがインテリのように見えていました。

ホラー映画の要素は少なめで、
大河ドラマを見ているような重厚感にあふれていました。
謝罪と許しで、ようやく私たちは人間になった、と言う人造人間の言葉が印象的です。
多くの登場人物が命を落としていきますが、
主要なキャラクターの多くは穏やかな死に際で描かれていて、
死を迎えることすらできない人造人間の哀しみがより強く伝わってきました。

人造人間を演じたジェイコブ・エローディの次回作は「ノスフェラトゥ」(2024)のリリー=ローズ・デップと共演するスリラーらしいので、こちらも楽しみです。