八海老人日記 -25ページ目
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小唄と私

 小唄の路に足を突っ込んでからもう三十年余りになる。師匠が老人施設に入ったため、十数人いた弟子たちも、今はみんな散りじりになってしまった。

 昭和46年頃、ふとしたことが切っ掛けで小唄の弟子入りすることになった。昭和21年頃コーラスを始めて10年位で少し声が出始めた頃、上田 仁という指揮者の指揮でベートーベンの第九を歌ったが、無理な発声が祟って声帯を壊してしまった。それから10年以上歌を忘れたカナリヤでいたが、飲み友達で会社の小唄同好会メンバーだったK君が大阪へ転勤するについてボスから後釜を連れて来い言われ、私に白羽の矢をたてたというわけ。稽古所は赤坂の会社の寮。好奇心も手伝って、早速入門した処、病み付きになった。お師匠さんは中々綺麗な人で三味線もうまかった。稽古が終ると、先輩が師匠の箱を持たされて、行き付けの居酒屋まで肩を並べて行くのが羨ましかった。

 それから3年、私が名古屋へ転勤することになった。その頃私は小唄がすっかり好きになって、3年間で六十曲ほどあげた。名古屋へは単身赴任、所謂ナゴチョンだった。名古屋で私は三味線を習うことを思いついた。電話帳を頼りに邦楽楽器店を探した。名古屋は名にし負う芸処。八軒目でやっと稽古三味線を手に入れた。それから三味線の稽古を始め、東京に帰ったとき師匠に見てもらい、少しづつ身についていった。


 私が入門した頃既に亡くなっていたが、師匠と仲良しで平野よし子という同じ家元の弟子がいた。頗る美人だったそうで、師匠が時々彼女のことを話していたからからよく覚えている。よし子の父は、農林大臣に就任したことのある政治家で、姉は日光輪王寺の別当に稼ぎ、妹はジャーナリスト。次女のよし子は大変な女で、韓国料理店を経営する傍ら、美貌を武器に、上原 謙、河野一郎、石田博英、三木武夫などの大物を次から次へと手玉に取った。最後に、有吉佐和子と別れて一年も経たない神 彰(じんあきら)と結婚した。だけどその結婚は、双方とも思惑外れだったらしい。神はよし子を美貌の処女だと思い、よし子は、神がもっと元気な男かと思ったらからきし駄目でガッカリしたそうだ。神はひどい糖尿病だった。 神という男は戦後間もなく満州から引き上げてきた時、ロシアからドン・コザック合唱団を連れて来て、日本中で公演をし大金を儲けた。 私はその頃合唱団の世話役で、神からドン・コザックの切符を50枚ほど買ったのを覚えている。神は儲けた金で外車を乗り回し、手当たり次第銀座の女に手を出し、何人も子供を生ませた。ひと頃流行った「北の家族」という飲み屋は、よし子の知恵でつくった居酒屋のチェーン店であるが、神が銀座の女に生ませた子供が一店づつ支配人をやっている店なのである。 しかし今は「北の家族」も新しい店に押されてしまい、人手に渡ったと聞いている。

大きな夢

 大きな夢を見た。 日本人から地球人になった夢である。どうしてそんな夢をみたのかと言うと、靖国問題でNHKが、有名人を対象にアンケートを取ったことがあり、その中で或る高名な評論家が、「日本人が神社にお参りして何が悪い。よその国からトヤカク言われるいわれはない。神社をないがしろにするのは日本人ではない」、と言ったのが頭にきて、考えている内にそのまま眠ってしまった。 夜中の3時頃、ふと目が醒めて、続きを考え始めた。 そもそも靖国神社とは何ぞや。 インターネットで調べると、それは神道に基づく宗教法人で、天皇のために命を捧げた246万余柱の霊を祀ってをり、大部分が日清、日露から、支那事変,大東亜戦争の戦死者で、A級戦犯などの処刑者も合祀されている。我々日本人は, 明治以来、天皇のため命を捧げることを本懐とするよう教育され、その上、国難が来れば必ず神風が吹くと教え込まれた。そして多くの日本人が多くの戦場に駆り出され、戦死したら靖国神社に霊として祀られ、天皇=日本国の護りとなるのだと信じた。 では天皇とはどういう存在なのかと言うと、敗戦で神格天皇から人間天皇に降下したが、もともとアマテラスの子孫で、万世一系の皇位を継ぎ、八紘一宇の精神で征くところを統治し、天壌無窮であると信じられている。 その皇運を護っているのが靖国神社なのである。 不戦の誓いなど祈るのはお門違いというものであろう。

 60年前、日本は戦争に負けて多くの人命を失い、国は焦土と化したが、アメリカの傘の下で奇跡の復興を成し遂げた。このことは、日本人が色々な分野で、優れた資質を持っていることを証明するものである。 将来、アメリカの覇権が色褪せて来た時、アングロサクソンの前に立ちはだかるのは、東洋文明であるかも知れない。紀元前5千年の印度哲学から始まる東洋人の知恵が、あらゆるナショナリズム、あらゆる宗教を超越した地球人を生み出すことであろう。すべての地球人が、民主主義、自由主義の基で、人権の尊重、平和主義に徹して一つの基本法を守り、互いに協調して資源、環境問題に取り組み、自然及び人類の遺産を尊重し、地球上の総ての人々の幸せのために力を尽くす。 これが私の見果てることのない夢である。



水が救うあなたのカラダ

★一日2リットルの水

 人間は尿や汗などで毎日2リットル以上の水を排出すると云います。身体に水が足りなくなると、細胞の新陳代謝が妨げられ、老化が進むことになります。一日2リットル以上の水を毎日飲むことで老化が防げます。一辺に飲むのでなく、200mlのコップで10杯、これを就寝、起床時に一杯づつ、食前、食後に一杯づつ、入浴前後に一杯づつ、といった具合です。特に就寝、起床時、入浴前後の水は、脳梗塞、心筋梗塞の予防にもなります。


★冬の病気を水で防ごう

 寒くなると水分のほきゅうが乏しくなりがちです。すると思わぬ病気が忍びよってきます。特に脳の病気は冬に多く、致命的なダメージを人体に与えることがあります。冬こそ水で脳を守りましょう。人は冬でも寝ている間に1リットルの汗をかきます。睡眠中水分が足りないと、血液がドロドロになり、更に起きたときの寒さで血管が収縮し、脳血栓や脳梗塞を引き起こす原因になるのです。寝る前と起きてすぐ飲む一杯の水で、それを防ぐのに役立ちます。特に高年齢の方は、トイレが近くなるなど気にせず是非水を充分飲んで寝てください。


★高血圧、動脈硬化を水で防ぐ

 高血圧の人は動脈硬化を起こし易いそうです。高血圧は体内ナトリウムの過剰による循環血液の増加が一つの原因と言われています。塩辛いものが好きでナトリウムを沢山摂ると血圧が上がるのはそのせいです。ナトリウムの排泄を助けるのが水です。この場合の水は硬質ミネラルウオーターがより効果的です。


★ビールなどアルコール類は要注意

 ビールなどアルコール類は、水分を摂った事にならないので要注意です。飲んだアルコール類の1.5倍の水が排出されますので逆こうかです。夏のゴルフなどで汗をかき、水分を補給するつもりでビールなど飲むと、かえって脱水症状を助長することになりますので、くれぐれもご用心。




八海老人日記

★自己紹介

 今日からアメーバbログを始めました。自分のことや趣味のこと、歴史、社会その他に関するエッセイなどを毎月1日発行で記載します。トラックバックやコメントは歓迎です。それでは先ず自己紹介から始めます。大正12年生まれで、この12月で82歳です。大正12年は猪年です。それで老いた猪八海即ち八海老人が私の名前という訳です。60年もサラリーマンをやってやっと昨年末に会社を辞めたので、これからやっと第2の人生ヲアメーバブログと共に始めましたのでよろしく。60年のサラリーマン生活の間に、趣味としてコーラス10年、社交ダンス10年、小唄40年、そして現在は囲碁とパソコンで一日を過ごしています。これから老人のたわごとなどを記事にしますが、何卒ご愛読のほどお願いします。

★小泉首相の靖国神社参拝

 小泉首相が十月十七日、靖国神社を参拝した。小泉首相のこの行動が、対中韓外交関係を悪化させ、日本経済に深刻な影響を齎すことは必至で、どれほど国益を損なうか計り知れないものがある。膨大な財政赤字を抱えて少しでも改善を計らなければならないというのに何ということか。「今までの様に首相・小泉ではなく、一国民として心を込めて参拝した二度と戦争を起こしてはならないという不戦の決意で祈った」と述べ,私的参拝であることを強調した。だが問題は、私的か公的かとか、何を祈ったかでなく、何に対して祈ったかなのである。小泉首相の靖国参拝には、問題が二つあって、一つは違憲問題、もう一つは歴史観問題である。違憲かどうかについたは、既に九月三十日、大阪高裁から「違憲認定」が出されており、政教分離を厳格に規定した日本国憲法第二十条に違反するかどうかということは法律論であるが、若し本当に訴えられたなら首相の首が飛ぶもんだいである。もう一つの歴史観問題であるが、我々日本国民は明治以来皇国史観で教育され、戦争に駆り出されてきた。そして天皇のために戦って命を捧げた246万の霊が靖国神社に祀られているのである。靖国神社というのは、神道による一つの宗教法人であるが、凡そ神社と言うものは、神代の昔から、菅原道真は例外として、殆どが戦の神を祀ったものである。戦に赴く武人は総て神社に詣で戦勝を祈願した。だから小泉首相が靖国神社に詣でるのは、かつて日本の軍隊に痛めつけられた中国や韓国から見ると軍国主義と写るのだ。日本に戦争の道を進めさせ、多くの国民の命を奪い、敗戦を齎した根本原因は「皇国史観」または「かんながらのみち」であり、「神風思想」である。それを振りかざした指導者たちである。1945年8月15日の天皇の戦争終結の宣言がなかったなら、日本は気違いじみた軍部の指導で本土決戦に突入し、更に何百万の犠牲者が出たことであろう。A級戦犯は明治以来の指導者の代表として処刑されたと考えればよい。



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