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元手取り15万OL→今は専業主婦です流れ星

2021年5月に息子を出産しました赤ちゃん

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久々の続きですスター

また思うままに書いてるので
構成がしっかりしてなくて読みにくかったらすみませんアセアセ

このテーマは、書きたいものの
なかなか筆が進まない状態でしたアセアセ
(ブログだから指が進まない、かな)  

自分がいずれ読み返すための記録や
気持ちの整理?という感じで
息子のこと書きたいなぁと思ってるのですが

いざ書いてみると
ネタにしてる感が出るというか…
大変だったでしょアピール感というか…

私のような境遇の方の体験談が
アメブロやインスタでも結構読めて
今後の成長の度合いが参考になるし
共感できることも多々あるのですが

反面とてもドラマティックに描かれてて

私は息子のことで、
膝から崩れ落ちたりとか
目の前が真っ暗になったりとか
先生に「こどもはどうなるのですか!?
って詰め寄ったりとか
そういうドラマティックな展開は無いし 

ただただ目の前にあることを受け入れていって今に至るって感じなんですよねキョロキョロ

なので、
ドラマティックに書こうと思えば書けるけど
それじゃ嘘をまとってしまうというか
リアルでは無くなってしまい
私がいずれ読み返した時に事実とは異なってしまうので

とりあえず淡々と綴っていこうかなと思いますにっこり


  出産時の息子の状態


息子は約1000gで産まれました。
極低出生体重児に当たります。

この3つの分類で
今後のリスクの確率などが変わるのですが
ほぼほぼ1000gだったので
分類的には同じでも
1450gで生まれた子とはきっと違うだろうし
極低出生体重児の確率を見ても
いまいち信用しきれなかったりしてます。

 
これは以前にも書きましたが

息子は産まれた時
アプガースコア2点でした。
重症新生児仮死です。

5分後はアプガースコア5点。
軽症新生児仮死です。

自力で呼吸ができない週数で産まれたので
出産する時の手術室には
新生児科の先生3人が待機してくれていて
産まれたらすぐに人工呼吸器を付けてくれました。

出産時のことはこの近況シリーズでさらっと書いたのですが

書いてなかったことや
今になって思うこと、
その時には知らなかったことが
色々あります。

今思うと、私は産むまで
お腹の中の息子が危険な状態、
とは言われなかったのです。

胎盤剝離かもしれないから
切ってみたら違うかもしれないけど
胎盤剝離だと赤ちゃんもお母さんも危険な状態になるから
まだ赤ちゃんが元気なうちに出してあげよう!
という感じで言われていました。

けれどあとから話を聞くと
先生から手術前の説明を受けた父母は
(夫は職場から来たので到着が遅く、病院は早く手術を始めたかったから早く到着した父母に説明をして同意書も母が記入しましたう)

お腹の中の赤ちゃんがぐったりしてるし
お母さんの状態も危険だから
早く出した方がいい

と言われていたそうです。

私の状態はともかく
そもそもお腹の中の息子がぐったりしていた、なんて私は知らなかった。
なのに私はただの腹痛だと思ってて
なんとか入院しないように必死だったのです…。

  出産後の息子の経過


出産後、
夫がひとりで先生から説明を受けに行った時
先生からは

息子は結構良くない状態
障害が残る可能性も…

という説明をされていたらしいです。
これもつい最近聞いて、なんだかびっくりしました。(なんで当日言わないの???)
 
私はそんなこと知らなかったし
翌日はじめてNICUに面会に行って
想像よりだいぶ小さくて管だらけの息子を見て
ショックで泣いてしまいましたが
状態が良くないなんて思ってなかったのです。
小さいけど、無事に産まれてNICUで今後は順調に育ってくれるんだと思っていました。

入院中はネットでひたすら
極低出生体重児、で検索して
なんの障害も残らず成長してる人も多いし
息子は順調だしきっと大丈夫、と思ったり
けどもしも…なんて不安になったりしてました。

私が退院の日、先生から息子の状態について
「今のところ、まずまずと言ったところです」
と言われ、

え、今のところ順調、とかじゃないの?
息子は私が思ってるより良くないの?
と少しショックを受けました。

この頃から退院まで、
主治医の先生の私への対応は
無駄に安心させないし 
無駄に心配させない
という感じがしました。 

その日は帰宅して早速搾乳しながら
障害について色々考えてしまいました。
私の人生がこれから大きく変わってしまう?
という不安に駆られ少し泣きましたが
(まだまだ自分のことしか考えられてませんでした)
けれど、
それなら息子はいらなかった
なんて思わないし…

この不安が心の片隅にありつつ
NICU面会の日々が始まりました。


  NICUへの面会


NICUには、
どんな赤ちゃんでも
今生きてることが素晴らしい!
風な空気が流れているように感じました。
正直、この子は将来どうなるの?的な質問をしにくい空気です。
なので私はそういう質問を一切出来ませんでした。
せっかく頑張って生きている赤ちゃんに対して
障害を気にすること自体、残念な母親と思われてしまう気がしました。


「700gで産まれた赤ちゃんが、今5歳で元気に走り回ってますよ」
なんて励ましの言葉をくれた看護師さんもいましたが
今思うと、走り回ってるだけで
健常児と何も変わらず障害も残ってない、なんて言ってないんですよね。

もちろん、
何らかの障害にしたって
脳性麻痺にしたって
成長しないとわからないこともあるし
病院側からあえて脅すようなことをわざわざ言わない、というのもあると思います。

なので息子に対する将来の不安は消えることなく
ずっと心の片隅にあったため
私は面会の時、息子に会えて大はしゃぎ!みたいなお母さんではありませんでした。
逆に、入院着を着て明るく面会に来て
看護師さんと談笑してるママさんを見かけては
「どうせ、赤ちゃん少し体重少ないとかたいしたことない理由で短期間NICUにいるだけなんでしょ…だからそんな明るく居られるんでしょ…」
なんて思っちゃったりしてました。
ごめんなさい。

幸運なことに
息子は未熟児網膜症にもならず
退院前のMRI・脳波検査でも異常は無く
肺機能も投薬により問題無く
特に悲観する要素はありませんでした。

退院に向けてGCUに移ったときに
他のママさんが
「この前吸引の練習もして…」
と看護師さんと話してるのが聞こえて
「そうか、退院してからも特別なケアが必要な赤ちゃんもいるんだよな…息子はそういうのも無いし、順調な方だよな…」
と少し安心しました。

GCUでは、もう赤ちゃんでは無い
幼児に当たるであろう大きさの女の子がいたりもしました。恐らく寝たきりの状態なんだと思います。

NICUには他の赤ちゃんをじろじろ見てはいけない的な決まりもあったので
他の赤ちゃんと息子を比べることもあまりしてませんでした。

色んな状態の子がNICU・GCUにいて
その中で息子はすんなり回復している方なのかなぁとなんとなく思っていました。


なので息子の将来への不安もだいぶ消えて
退院後は、修正月齢で考えれば順調に成長してくれてるので
たまにふっと不安に駆られることはあるけれど
95%くらいは何も考えずに過ごしていますニコニコ

養護学校もわりと近くにあるので
こういうところに通うことになっても
送り迎えは楽そうだなーとか
ぼんやり、思ったりもしています。

  特別扱いされたいのかもしれない


支援センターの保育士さんには 
息子が早産だったことなどはお話します。
(成長の度合いがやはり実月齢とは違うため)

私は成長の度合いは正直気にしてなくて
むしろ早く生まれたんだから遅れて当たり前だと思ってるのですが
(むしろ同じ5月生まれと同じ成長してたら息子すごくない?)

近所の支援センターの保育士さんは、私が気にしてると思ってるのかやたら
「大丈夫、大丈夫」的なこと言ってきます。

「今って歩き出したりとかおしゃべりとか、昔より成長遅い子が多いから、むしろそれが普通だから〜全然大丈夫ですよ〜一緒一緒!」
 って。

それは、違う。全然違うよ。
一緒にしないで。

なんの問題も無く産まれた子の成長の遅れと

色々問題があって産まれて
産まれた時のことが原因かもしれない
息子の成長の遅れは

全然違うよ。

って、モヤモヤしてしまうのです…。

前回書いたこととは逆になりますが
私は特別扱いされたくないと言いつつ
特別扱いされたいのかもしれないです。

この保育士さんは、先日も
「1歳過ぎたらもうなんでも食べられますよ〜何でも食べさせてみてくださいね〜」
って言ってきたのですが
息子が修正月齢で離乳食してるの知ってるはずなんだけどな…まだ9ヶ月だから後期なんだけどな…
と思いつつ、面倒なので
「そうですね!」って返しときました。


続きます。