週100時間働く内科医のブログ 【王子北口内科クリニック】 -5ページ目

週100時間働く内科医のブログ 【王子北口内科クリニック】

勤務医・開業医を兼業しながら、人生の目標を達成するために考えたことをつづります。

【 グーグルマップ 】

 

その開発に、

CIAがからんでるって聞いて、

一時は使わないでいたんですが。

 

やっぱり、すごいです。

 

グーグルマップがなければ、

たぶん、往診や訪問診療の手間は、

かなりかかるはず。

 

あのね、

 

東京の下町の

こみいった路地に並ぶ家に

初っぱなから、ちゃんと

訪問できるって、奇跡みたいなのね。

 

こういうの慣れている、

郵便配達でも、

宅急便の兄ちゃんでもないから。

 

下手したら、自分の位置が

わからなくなって、

青木ヶ原樹海かと思うことがある。

(行ったことないけど)

 

いまなら、

 

グーグルの検索窓に

住所を丁目や番地まで入れて、

「地図」で調べると、

都内なら、ストリートビューまで

ばっちり出てきて、

 

「ああ、このポストのわきの

階段降りて、すぐ右斜めね」

 

とか、

 

「この奇抜な定食屋さんの

3軒となりの、奥ね」

 

とか、よく分かる。

 

近場は、訪問診療は、自転車。

 

こういうきっかけでもなければ、

もしかしたら、一生、

通り抜けることもなかったであろう、

路地や、踏切や、公園や

でかい団地の中を、

のんびり走るのが、楽しいのね。

 

「それにしても、ひまだなあ」

 

とか、感じながら、ニヤニヤして。

 

で、

 

いろんな「お宅拝見」も

またまた楽しいのね。

 

まあ、あれです。

 

うちも、似たようなもんだから、

片付いていなくても、

心配いらないのです、みなさん。

 

犬にかまれそうになるのは

勘弁してほしいけど。

 

「掃除してるか」

「ヘンなにおいがしないか」

「テレビがうるさいか」

「テーブルの食いかけはいつのもの?」

 

などは、気にしない。

 

『ここに、何年とか、何十年とか、

確かに人が、家族が生きてきた

物語がしみこんでるんだなあ』

 

と、思うと、

 

傾いたままの、黄ばんだ壁の写真

(だいたいは、軍服着た青年=患者さん)

を見るだけでも、なんだか、

 

しんみりする。

 

老老介護とか、みんな、ことばだけで

「問題」だとか「解決しなきゃ」とか

言うけど。

 

やはり、黄ばんだ壁には、

 

その「老老介護」しあって、

懸命に生きてきた「ふたり」の

60年前の姿が、結婚式の

写真に納められている。

 

現実に「そこ」にあるのは、

高齢化率が何パーセントとか、

医療費がなんぼ、とか、

保険システムがどうとか、

 

そんな、数字、で割り切ったり、

エクセルで計算できたりする

現象ではなくて、

 

『生身の人間が、確かに生きてきた歴史』

 

なんだなあ。

 

訪問診療は、楽しいし、おもしろい。

正直、私には、向いていると感じる。

 

ただ、

『人ひとりの生きてきた歴史』を

ものすごくリアルに感じる瞬間が

 

切ない。

 

ほんとうに、切ない。

【 私らしさ? 】

 

どうでもいいわ。

お前に関係ないし、ほっとけや。

 

って、言われるのを

承知で、それでもがんばって

言うとしたら。

 

あの、

 

「自分らしさ」

 

だの、

 

「あなたらしさ」

 

って、なんですか?

 

『あなたらしい』旅を。

『わたしらしい』結婚式を。

『あのひとらしさ』が輝く一着。

 

へ?

 

って、感じです。

 

ここで言う、

『~らしさ』って、

通常、ほめことばというか、

ポジティブな内容、評価で

使うことばですよね?

 

「高級料理店で、食事のあと、

みんなの見てる前で、

つまようじで歯を隅から隅まで

きれいにしてるところって、

『課長らしい』ですね」

 

とか、

 

「トイレを出るときに

いつも手を洗わないのは、

さすが『君らしい』なあ」

 

みたいに使わないですよね。

 

ふつう。

 

わたしとしては、

『~らしさ』って、いつも、

モノを売り込もうとする、

ちょっとコじゃれた人たちに

だまされてる気がしてしょうがない。

 

そもそも、

 

『自分らしさ』って、

自分で一番見えないものなんじゃ

ないですか?

 

自分の夢や、

自分の意志や、

自分の努力や、

自分の能力や、

自分の積み上げてきたもの、

 

それらを総括して、

 

これが

 

『わたし』の存在していることらしさ、

 

です、って、他人にじゃなく、

『自分に』堂々と見せられるほど、

自分のことなんて、

わかっちゃいない。

 

分かってないと言うより、

そんなところまで届いていない。

 

たいていは、

 

楽をしたい自分、

おいしい思いだけをしたい自分、

人からよく思われたい自分、

不安や、恐怖から逃げたい自分、

人から与えられるのを待つだけの自分、

 

そういった、

 

ほんとうは、さらけだされたら

みっともないだけの

 

『自分』を、

 

「そのままでいいんだよ。」

「あなたはがんばってるんだし」

「きっと、ごほうびあるよね」

「どこに行こうとしてるか

わからなくったって、平気だよ」

 

って、そのままに

肯定し、受け入れてくれる存在なんて

見当たらないから、

 

『自分らしさ』ってことばで

ごまかしている。

 

そんな風に、思えてしょうがない。

 

もし、そうだとしたら、

 

そんな「わたしらしさ」なんて、

私は、まっぴらごめんですわ。

 

変化し、成長したい、

自分にもっと、どんな可能性があるのか、

自分で見て、味わって、楽しんで、

感動して泣きたい。

 

だから、

 

いま現在の「自分らしさ」なんて、

わたしはいりません。

【 石の上にも三年 】

 

三度目の正直

三人寄れば文殊の知恵

三つ子の魂百まで

桃栗三年柿八年

早起きは三文の徳

 

・・・。

 

ことわざにも「3」はよく出る。

 

 

やっぱり、なにかある。

 

・・・気がする。

 

3年』って、時間には

深い秘密がある。

 

・・・気がする。

 

小学校も低学年、高学年で分けて

3年ずつ。

中学校や高校もそう。

 

私が大学を出て、

研修医の楽しくも過酷な期間を

過ごしていたときもよく言われた。

 

『最初の3年が一番大事』って。

 

医者としての、

最初の『3年』で、医者の一生が決まる、

いろんな先輩たちから、

よく言われたもの。

 

3年、石にかじりつくように

めげずに、がんばれ』と。

 

私は、それまでの勤務医一本の

生活をガラッと替え、

3年ちょっと前に

クリニックを作った。

 

いまでは、少しは余裕を持って、

楽しい気持ちと一緒に想い出せるけど、

何度も、何度も、恐らく何百回も

 

『やめよう』と思った。

 

心の折れそうな、ではなく、

実際に『心の折れる』ことは

数限りなく襲ってくるもの。

 

お客様相手の仕事をするって、

あたりまえのことなんですけどね。

 

で、

 

いま、思い返すと、

慣れないことで、がむしゃらに

できることをやりまくる1年、と、

 

仕事のなかの問題点を、

冷静に客観的に見て、それに

対処することができるようになる1年、

 

そして、将来的な展望を

見通しながら、人に何かを

伝えられるようになる1年で、

 

あわせて、3年。

 

なにかひとつ形にするには

パターンとして、やはり3年必要なのかな、

とそんな風に感じる。

 

「石の上にも三年」とは、

よく言ったモノだと思う。

 

 

そして、今日。

 

生まれて初めて知ったことわざに、

 

『商い三年』

 

っていうのがあった。

 

ほんとうに、そうなんだな。

 

お客さん、というか、

患者さんたちのことを分かるために、

お客さんたちが、私を育てて下さるにも

3年』がかかるんだな、と

ただ、感謝の気持ちばかりです。

 

時代は、

 

「すぐに、いますぐに、簡単に、」

 

欲望を満たすこと、

楽をして結果だけを得ること、

おいしい思いをすること、

 

を、もてはやす。

 

でも、

 

仕事も、勉強も、人間関係も、

スキルを身につけるにも、

それらを通じて、

 

『深い感動』を味わうにも、

 

ゆっくり、じっくりとした、

時間が必要。

 

いま、眼の前で起きているできごと、

不利に見える状況、

到底うまくいきそうにないという思い、

 

そういったモノに、

短期的に振り回されないで、

じっくりかじりつくマインドが、

 

やっぱり、必要なのね。