週100時間働く内科医のブログ 【王子北口内科クリニック】 -6ページ目
【 「お医者さん」に求めるもの 】
娘が、妻と一緒にキッザニアに行ったらしい。子どもが、いろんな職業の例えば、ケーキ屋さんやらモデルやら、
そういった「なりきり」が
できる場所らしい。
まあ、商売としては
かなりうまくできている、と思う。
実物見てないから、
よく分からないけど。
で、
「明日、『キッザニア』に行ってくる」と
妻が言った夜、私は娘に
「おいしゃさん」を
必ずやるように言っておいた。
あとから、聞くと、
ちゃんとやったらしい。
手術や注射も選べたらしい。
妻は、ちょっと不満げだったけど。
言いつけが守れる、
いい娘になってくれた、
と、私もいい気分。
娘に聞くと、
「おいしゃさんはちゅうしゃをする」人、
だと答える。
「じゃあ、なんのために
ちゅうしゃをするの?」と聞くと、
「びょうきをなおすためでしょ」
と答える。
それは、そうなのかも知れない。
けれど、実際・・・。
いつも、考えることがある。
薬だの、
注射だの、
点滴や、湿布だのなんだの。
ほとんど、すべて、
「症状をごまかしているだけ」
じゃないかと、切ない。
痛いのは、つらい。
かゆいのも、つらい。
将来、もっとややこしい病気に
なるんじゃないかと、心配な気持ちも
本当によく分かる。
だけど、
「風邪」を治すわけでもなんでもない
「風邪薬」を、求められるから出し、
「下痢」の原因を治すわけでもない
「下痢止め」を、求められるから出し、
「高血圧」の原因を是正するでもない
「血管を無理矢理開くだけ」の
「降圧剤」を、出しながら。
これで、いいのだろうか?
いつも、その気持ちが
どこかに顔を出す。
私は、救急病院で研修をしていたので、
今、現に、車にひかれて
骨がぐちゃぐちゃになっているような、
「生きるか死ぬか」みたいな人も
たくさん見てきた。
もう、1週間も、飲まず食わずで
放置されてきた老人もたくさん見てきた。
こうした人たちに、
手術や、点滴など、
少なくとも時間の単位で、
死んでしまうかも知れないひとに
治療を行うことになんらの疑問は
感じない。
でも、人数にしてみれば、
はるかに圧倒的多数の、「病気」。
それは、まず本当にやるべきは、
食事の見直しであり、
仕事の見直しであり、
ものの考え方の見直しであり、
家族関係の見直しであり、
汚れてしまった自然環境の見直しであり、
自分自身の生き方の見直しであり、
自分を自分で管理する、という
本来「自分にしかできないことを、
あたりまえに自分でやる」、
そのために「自分で学ぶ」方法を
「学ぶ」ことなんじゃないかと、
あらためて思う。
少なくとも、
「医者は『注射をする人』」で
終わってしまうのは、
あまりにも切ないし、
実際そうではないはず。
病気を、たくさん診てきているから
そもそも「病気ってなんなのか」、
「症状って、なんなのか」
いう基本の基本に戻って、
自分のスタンスというものを
それぞれが作れる、考えられる場所に
いるはずなんだと、
「医者が、求められているもの」
を考えてみた、昨日の夜。
夜も、芝桜がきれい 【 東京のお金持ち 】
今日、たまたま、
職場の看護師と、生まれた場所、
育った土地の話をしていました。
私は、生まれは北海道で、
育ちは、山口県、兵庫県、
大学で、再び、北海道に渡り、
そのまま10年を過ごしました。
で、私は小さいときから、
「テレビで見る世界」にいる人は、
きっと「金持ち」なんだと、
よく分からず、はっきりした理由もなく
信じ込んでました。
「テレビで見る世界」は
例えば、「東京の街」。
だから、
東京に住んでるひとは、
みんな金持ちなんだ、と
本気で信じていたのです。
という、話をしたら、
長崎出身の看護師が、
「そうそう、私もそう思ってた」
と、言うのです。
あとから、ちょっと
考えてみたんですが、
これって、『刷り込み』です。
絶対、そうです。
たぶん、
親や、友達や、学校の先生や、
親戚とか、マスコミとか。
東京以外の、
いわゆる地方出身のひとには、
東京に住んだり、
東京で働いたり、
東京で子育てをしたりすることは
非常にハードルが高い。
そういう、洗脳。
いや、別に東京に住むのが、
難しいとか、どうとか、
そんなことは
どうでもいいのです。
知らず知らずのうちに
『洗脳』されているのは、
「親が普通だから、自分も普通」
「兄弟が普通だから、自分もこんなもの」
「学校がこんなレベルだから、
就職できるのはこんな企業」
などと、自分で、自分に、
『見えない壁』を作っている。
無意識にね。
その壁を取り払い、
本当に『自分の行きたい場所』に
絶対に行ってやろうと決心し、
それを実行するのが、
どれだけ難しいことか、
それが、分かるのは、
実際に『到達してから』なんです。
小さな目標とした『到達点』に
着いてから、自分の来た道を
振り返って、ようやく気づく。
そういうものなんだなあ、
と、つくづく思わされます。
誰に、何を言われようと、
誰に、どんなに馬鹿にされ、
陰口をたたかれようと、
平気でいられるようになるためには、
こうした、
『自分で決めた到達点』を
クリアすることを
繰り返すしかないように
思います。
【 朝日と、夕日 】
「科学的な根拠もある」という人も
いますが、むずかしいことは
横に置いておいて。
『朝日を見ると、元気になる』
というのは、本当だと、
つくづく感じます。
できれば日の出の直後。
日中の太陽は目に入れてはいけませんが、
日の出直後の太陽は、
じっくり眺めて、仕事を始めると
確実に調子よく運びます。
次に、
『夕日を見ると、翌朝、元気になる』
気が、最近しています。
「お前はそんなにひまなのか?」
と言われそうですが、
実際そうなので、ひまなのかも
知れません。
今日、なんとなく感じたんですけど。
ものごとには
必ず始まりと終わりがあって、
人の、いのちにも、もちろん
始まりと終わりがある。
毎日、毎日、
小さなリハーサルをやっている。
本当は、そうなんじゃないか?
『一日』という
時間の積み重ねが、結局は『一生』。
『一日』の始まりの『朝』があって、
『新しい一日』の生まれ変わりに入る
『夕』がある。
繰り返しのような、
リハーサルのような、
でも全く同じ『日』は
決してない。
他人と同じ『人生』がないように
その人のなかで、
昨日や明日と同じ『今日』も
絶対にないんですよね。
その、『日』の積み重ねも
いつかは終わる。
悲しいけれど、
だからこそ、ひとりひとりの『人生』に
意味がある。
そんな、あたりまえのことに
ようやく気づいた、今日。