こんにちは。

アレテーを求めて~

今日もトコトコ( ・ω・)

弁護士の岡本卓大です。

 

『神武征討記』神武東征編3(第45話~第50話)のまとめ記事です( ・ω・)

 

この物語は、日本という国の原型を作った一人の

空前絶後の英雄の生涯を描いた物語である。

 

神武征討記

第45話「カヤグム!大陸からの使者!」

 

戦乱による民達の疲弊から内政の立て直しを方針とする神武軍。

財政の問題に悩んでいた神武達の元に対馬のソウケから使者が来る。

対馬を通じて、神武との拝謁を求める朝鮮半島の小国・伽耶国のカヤグム。

神武の国は、伽耶国と友好関係を結び、

カヤグムは、安芸の神武王宮近くに伽耶国大使としての宮殿を与えられ、対馬のソウケを通じて、

本国との連絡役となることとなった。

大陸にある伽耶国との交易を通じ、神武の国は、商業・技術・工芸が発達し、また学問も急激に発展していくことになる。

他方、同じ頃、対馬の船に乗り、畿内に入り大和(奈良県)のオオモノヌシ王宮にも、別の使者が訪れていた。

朝鮮半島の小国・加羅国の使者ペソジュンは、大和勢力に武具・兵器の支援を行い、ヒメタタライスケヨリヒメに、

日本(ヒノモト)統一の後に、朝鮮半島に出兵し、百済・新羅・高句麗といった国々を滅ぼすよう要請する。

祖国のためではなく、自分個人の野心のために大和勢力に近づくペソジュン。

そして、加羅国・ペソジュンによる大和勢力への武力供与がますます、

神武勢力と大和勢力の争乱を激化させることになっていく・・・

 

 

第46話「次世代の胎動!次代を作るのは誰だ!?」

 

神武様とアイラツヒメの間には、二人の息子がおりました。

長男のタギシミミ様は、この年13歳。

次男のキスミミ様は、この年11歳。

神武様は、かつて自分が学んだ出雲(島根県)にある

出雲大社学宮(イズモタイシャマナビノミヤ)を学校制度として整え、

7歳から12歳を6年制の出雲大社学宮幼年部、

13歳から15歳を3年制の出雲大社学宮中等部と体制を整え、

神武勢力の各地の王族、その側近達の教育のための全寮制の学校としていました。

タギシミミ様は、出雲大社学宮中等部1年生。

キスミミ様は、出雲大社学宮幼年部5年生。

お二人は、出雲大社学宮にそれぞれ学友達と共に学んでいます。

ウラワツキノミヤは、この年14歳。母はチチブカネビメ、父はサキタマハニマル。

関東の争乱のまっただ中でこの世に生を受けた赤子も、元気に成長し、

今では、出雲大社学宮中等部一の秀才です。

ヒムカノナミは、母はサルメノウズメ、父はアチタケル。

バリキャリシングルマザーの道を選んだ母と、毎日、面会交流していた父。

神武十将軍の中でも、政務重臣と軍事重臣の両親を持つヒムカノナミですが、

この娘の夢は、国事にかかわることではなく、ツッキーこと、ウラワツキノミヤのお嫁さん

になることのようです。

ショウリュウケンは、この年9歳。母は神武十将軍の一人・沖縄のショウリュウキ。

父は、台風による海難事故で亡くなった中華の商人・陸瑜。

幼年部(小学生)のクセに、夷陵の戦いの分析とか、ハンパ無い天才少年ね・・・

ショウリュウケンの子孫は、後に琉球王家の祖先となることになります。

ショウリュウケンの同級生のオワリノゴウは、オワリノブヒメの養女三姉妹の三女。江の前世です。

後に、時代を動かす大きな役割を果たすことになる人物ですが、このときは、まだ

年相応の幼い子です。

神武様の次男・キスミミ様は、政治や軍事の道ではなく、歌手の道に進みたいようです。

同級生のオワリノハツは、オワリノブヒメの養女三姉妹の次女。初の前世です。

ナガトノテルは、アカマホウイチとスオウノハルヒメの息子。毛利輝元の前世。

幼い頃に下関要塞での籠城戦を経験したテル君は、とにかく無難に生きていきたいようです。

エツノカゲカツは、エツノケンシンとエツノフユヒメの息子。

上杉景勝の前世で、とても強いのだけど、軍神と呼ばれる父と自分を比較して、

いつもプレッシャーを感じている子。そのため、とても無口です。

エツノカゲカツに仕えるアイノカネツグは、直江兼続の前世。

無口なカゲカツと深い信頼関係を築いていて、無口なカゲカツに代わり、

しゃべりまくる頭の良い子です。

キビツダンゴは、神武様の親友キビツモモタの息子。

モモタがオワリノブヒメにメロメロだったのと同じく、

オワリノチャチャにメロメロです。

オワリノチャチャは、オワリノブヒメの養女三姉妹の長女。

淀殿こと茶々の前世です。

同性愛者のオワリノブヒメには実子はいませんが、オワリノブヒメの妹の娘で、

オワリノブヒメの養女になっています。

女性ばかりの家庭で育った反動か、男の子が大好きなようです。

そして、最後に紹介するのが、神武様とアイラの長男・タギシミミ。

仲の良い友人達からは、タッギーと呼ばれていますが、

幼い頃から、神武様やアイラから身分・能力にかかわらず一人一人が尊いという考えを教育され、

偉ぶらず、優しい出雲大社学宮一の人気者です。

こんなメンバーが集まる出雲大社学宮での学生生活。

なかなか楽しそうね。

さて、最後に、神武勢力以外の次世代の少年を一人紹介しておきましょう。

奥州・陸前(宮城県)、現在の仙台市辺りにあった小さな集落。

関東争乱の時期に大和勢力のヤマトノアヤタムラマロにより人狩りが行われ、

東北地方は、大幅な人口減少、貧しい地となっていました。

神武様の子達が豊かで平和な出雲の出雲大社学宮で楽しく学ぶ中、

貧しく厳しい奥州の大地に隻眼で天下をにらむ13歳の少年がいた。

その名を・・・ドクガンリュウノマサムネ。

伊達政宗の前世であるこの少年が見る未来とは・・・?

 

 

第47話「奥州の独眼竜!天下に現る!」

 

今回の舞台は、奥州(東北地方)の陸前(宮城県)。

神武様の息子タギシミミ達が平和で豊かな出雲大社学宮(イズモタイシャマナビノミヤ)で学んでいたのと同じ時期。

奥州(東北)の少年・少女達は人間とは思えない過酷な暮らしをしておりました。

14年前に大和勢力のヤマトノアヤタムラマロは奥州を瞬く間に制圧しました。

しかし、制圧した奥州の統治を行うことなく、

若い男女を奴卑(奴隷)や兵として関東や大和(奈良県)本国に強制移住させたヤマトノアヤタムラマロ。

奥州は、老人と幼い孤児しかいない、貧しい、うち捨てられた地とされました。

ヤマトノアヤタムラマロの奥州での人狩りから14年。

当時、幼かった子どもたちも、十代となっています。

しかし、ヤマトノアヤタムラマロは陸前の多賀(現在の多賀城市)に

多賀要塞を築き、奥州各国から少年・少女達を奴卑として多賀の地に集めていました。

奥州の少年・少女達は、人として扱われず、まるで家畜のような扱いを受け、

少年達は強制的な厳しい肉体労働に、

少女達は大和軍の兵士達の性欲を満たすための慰安婦として、

非人道的な扱いを受けておりました。

大和勢力の出張所である多賀要塞には、

大和十二神将ヤマトノアヤタムラマロの配下であるタガガハズレタという将が太守として任じられていました。

タガガハズレタが率いる大和軍の兵力は1000。

10人隊長以上の将達は鉄の武具を、雑兵達は青銅の武具を装備しています。

そして、多賀要塞周辺には、陸前(宮城県)、陸中(岩手県)、陸奥(青森県)、

羽前(山県県)、羽後(秋田県)、磐城・岩代(福島県)の東北中から、少年・少女達が

奴卑として集められていました。奴卑の人数は、男女合わせて1万。

わずか1000の大和兵が1万の奥州(東北地方)の奴卑達を支配する。

陸前・多賀の地はそのような状況にありました。

そして、そのような大和勢力の支配が東北地方の会津を除くほぼ全域で行われていました。

そのような中、奥州(東北地方)の人々の自由を求めて立ち上がる13歳の少年。

その名をドクガンリュウノマサムネ!

ドクガンリュウノマムネは、奴卑として連行されていた200人の人々を解放。

体制を整え、1500の軍勢で自由と解放を求めて大和軍のタガガハズレタが守る多賀要塞を攻撃。

タガガハズレタに支配されていた1万人の奴卑達も立ち上がり、

ついに大和軍のタガガハズレタ軍を倒し、多賀要塞を陥落させる。

ドクガンリュウノマサムネは多賀要塞に入る。

そして、羽前(山県県)米沢出身のヨネザワノヨウザン、

陸奥(青森県)出身のツガルリンゴ、

陸中(岩手県)出身のナンブテツビン、

羽後(秋田県)出身のアキタコマチ、

羽前(山県県)出身のヤマガタサクラ、

磐城(福島県浜通り)出身のソウマウマオイ、

岩代(福島県中通り)出身のフクシマモモらが、

奥州各国を代表する奥州連合の盟主となる。

奥州王・ドクガンリュウノマサムネ。

異名を『奥州の独眼竜』。13歳という若さにして、

ドクガンリュウノマサムネは天下にその名を轟かせることとなる。

 

 

第48話「なるか親善外交!?ツチミカドヒメと奥州の独眼竜!」

 

13歳の少年ドクガンリュウノマサムネが立ち上げた奥州連合。

ドクガンリュウノマサムネに興味を持った神武様は、

奥州連合との親善外交を試みます。

神武様は、伽耶国のカヤグムが越後(新潟県)に交易のために向かう船に便乗することとなり、

奥州出身のツチミカドヒメと神武近衛兵団達のみを連れて、カヤグムと共に越後の直江津(現代の上越市)へ向かいました。

その後、神武様と神武近衛兵団達は、エツノケンシンのいる上野(群馬県)高崎へ。

ツチミカドヒメは、羽前(山形県)を通り、一人、陸前(宮城県)に向かいました。

他方、大和勢力では、オオモノヌシ王宮での軍議の結果、奥州征伐は大和軍としてではなく、

ヤマトノアヤタムラマロの私闘として扱われることとなった。

ヤマトノアヤタムラマロは、奥州出身者を中心に私兵5万人を動員。

その兵糧をミカワノタケチヨ、ゲンジノヨリトモに負担を求めるが、

両神将は、私闘への協力を拒否する。

また、ヤマトノアヤタムラマロ軍団の将のうち、知謀の士である

ソウウン、ドウサンの両名は出兵に反対し、病と称して出陣を拒否。

ヤマトノアヤタムラマロは山城(京都府)の守備をマツナガノヒラクモに任せ、

マサカド、スミトモの両将軍を連れ、5万の軍勢で、和泉(大阪府南部)から水軍を率いて、

大阪湾から太平洋に出て、東進し奥州に向けて出陣した。

仙台平野で奥州連合の少年・少女達に取り囲まれるツチミカドヒメ。

カタクラノコジュウロウがツチミカドヒメと面識があったことにより、

ようやく話ができるようになりました。

ツチミカドヒメは、奥州連合の少年・少女達の知らないことをたくさん知っており、

また彼らの興味のあることに的確に答えていきます。

特に農業についての知識や武芸、戦術についてのツチミカドヒメの知識は、

奥州連合の少年・少女達を喜ばせ、みなツチミカドヒメを先生と慕うようになりました。

ツチミカドヒメは、ドクガンリュウノマサムネの父センダイミヤギオウ、

そして、母ヨシと語り合った夜のことをドクガンリュウノマサムネに語ります。

父が語った言葉、そして母が語った言葉を興味深げに聞き入るドクガンリュウノマサムネ。

そして、夜は更けていきます・・・

次の日から、ツチミカドヒメは、奥州連合の指導者である少年・少女達に、

学問、技術、武芸、戦術などの指導をするようになりました。

ドクガンリュウノマサムネも熱心にツチミカドヒメの指導を聞きます。

そんな平和な日々が数日続きましたが・・・

自由を手にし、豊かさを夢みる奥州連合の少年達。

しかし、その自由を奪おうと残忍な魔神ヤマトノアヤタムラマロが

最新武具を装備した5万の大軍勢で海を渡ってきた!

果たして、奥州連合のドクガンリュウノマサムネ達、

そして、ツチミカドヒメの運命は!?

 

 

第49話「魔神の誤算!大和軍総司令官ヤマトノアヤタムラマロ散る!?」

 

自由を手にし、豊かさを夢みる奥州連合の少年達。

しかし、その自由を奪おうと残忍な魔神ヤマトノアヤタムラマロが

最新武具を装備した5万の大軍勢で海を渡ってきた!

果たして、奥州連合のドクガンリュウノマサムネ達、

そして、ツチミカドヒメの運命は!?

圧倒的な戦力差・・・

それでも戦うことを選んだドクガンリュウノマサムネ達、奥州連合の少年達。

ツチミカドヒメは、奇襲の作戦を立て、武器を持って戦うメンバーの編成が行われます。

ツチミカドヒメは、奥州連合の精鋭1000人を率いて、なんと本陣を襲撃。

5000の守備兵を巧みにかわしながら、兵糧に火矢を放ち、ヤマトノアヤタムラマロ軍の

兵糧を全て焼き払いました!

ドクガンリュウノマサムネ達がいる多賀要塞への攻撃を開始するヤマトノアヤタムラマロ軍!

激しい攻城戦が開始しました!

スミトモの魔力!マサカドの武勇!スミトモを討ち取るツチミカドヒメ!

そこに現れた天下最強の呼び声の高い軍神エツノケンシンの漆黒の騎馬軍団2万に、

錦の御旗を掲げる神武近衛兵団。

もはやヤマトノアヤタムラマロ軍の兵達の士気はゼロです!

悠々と進む神武軍。

さらに神武軍の後ろから万を超える流民達が続きます。

ヤマトノアヤタムラマロ軍の略奪を受けた磐城(福島県浜通り)、陸前(宮城県)の民達です!

そして、なんと!

神武軍は、芋がゆの炊き出しを始めました!

芋がゆを食べる流民達!

そして、それをうらやましそうに見るヤマトノアヤタムラマロ軍の兵士達!

マサカドの使役する怨霊達を蚩尤剣をかかげ成仏させ、さらにマサカドを討つエツノケンシン。

マサカドの敗北を見て、迷っていた兵達も、みな、神武様の芋がゆを食べに走る。

ヤマトノアヤタムラマロの率いてきた5万の軍勢は消滅し、奥州の民に戻った。

追い詰められるヤマトノアヤタムラマロ。しかし、そこにクロウノウシワカ軍団が登場する!

ヒメタタライスケヨリヒメの使者として奥州連合の独立を承認する旨を伝えるゲンジノヨリトモ。

ドクガンリュウノマサムネ達の奥州連合は、名実ともに独立を果たしました。

大喜びする少年、少女達。そして、それとともに喜ぶツチミカドヒメ。

神武様は、この若き奥州連合指導者達の喜びの姿を微笑ましく眺めておられました。

 

 

第50話「あいつは会津!?ミカワノタケチヨと北の狼たち!」

 

ドクガンリュウノマサムネの起こした奥州連合は大和軍から完全な独立を果たしました。

ゲンジノヨリトモら大和勢力が帰った後、神武様はエツノケンシン軍を先に帰し、ツチミカドヒメ、

神武近衛兵団のみを供として、奥州連合のドクガンリュウノマサムネの元にしばらく滞在しました。

ドクガンリュウノマサムネら奥州連合の指導者である少年・少女らと交流する神武様。

一方で、大和軍からは、約束通り、ヤマトノアヤタムラマロによって連れ去られた奥州出身の奴卑達が

解放され5万人近い女子どもたちが帰ってきました。

投降したヤマトノアヤタムラマロ軍兵士だった男達を含めて男女10万人が奥州連合に戻ってきたことになります。

ドクガンリュウノマサムネは仙台平野に都市の建設を開始します。

そして、仙台に政庁を作り、多賀要塞から政務の中心を仙台に移動させます。

また、羽前(山形県)の酒田、羽後(秋田県)の秋田、陸奥(青森県)の青森と八戸、

陸後(岩手県)の久慈、宮古、陸前(宮城県)の気仙沼、石巻、塩竃などを港として開き、

神武勢力と交易する伽耶国の船の航路を築くことになっていきます。

こうして、奥州連合は奥州各地に拠点となる港を持つ神武勢力とも大和勢力とも交流のある

一大勢力へと成長していくことになります。

そして、気がつけば秋となり、神武様達は、冬になる前に安芸(広島県)に帰ることになりました。

神武様とツチミカドヒメ、神武近衛兵団の14人と

出雲大社学宮に留学することになったヨネザワノヨウザンとフクシマモモの合わせて18人は、

仙台の町を出て、カヤグムの待つ越後(新潟県)に向かいました。

神武様は、岩代(福島県)出身のフクシマモモの道案内により、

越後(新潟県)への近道として会津を通ることにします。

その頃、エツノケンシンの出陣中にエツノケンシン領の越後(新潟県)をしれっと通り抜け、

会津に入った謎の旅人達がいました。

水戸黄門の扮装をするミカワノタケチヨ。

お供は、助さんのトンボキリヘイハチ、格さんのサカキノコヘイタ、

そして、うっかり八兵衛のイワチカノシチ。

イガノハンゾウが風車の弥七、シノビノオオネズメがお銀の役のようです。

なんで・・・水戸黄門の扮装を・・・?

まあ、きっと、ミカワノタケチヨの趣味ね。

いかにも怪しい扮装のミカワノタケチヨ一行が会津に入ると、

背中に「誠」の一文字を書いた陣羽織を着た剣士達が声をかけます。

ミカワノタケチヨ、トンボキリヘイハチ、サカキノコヘイタと

新撰組の戦闘が始まった!

うっかり八兵衛ことイワチカノシチは隠れています。

新撰組の剣士達も強い!

しかし、そこはさすがにトンボキリヘイハチやサカキノコヘイタ!

二人で何人も新撰組隊士達を殴り倒していきます!

さらに風車の弥七に扮装したイガノハンゾウ、

お銀に扮装したシノビノオオネズメもいつの間にか参戦!

まるで、水戸黄門の戦闘シーンのようです!

格さんことサカキノコヘイタは印籠を出した!

印籠には、葵のご紋が!

会津若松要塞・・・ここは、アイヅカタモリが起こした会津勢力の本拠地です。

コンドウユウに案内され、会津若松要塞の王の間で、

アイヅカタモリ王と謁見するミカワノタケチヨ。

ミカワノタケチヨは、会津王アイヅカタモリと会談した後、

トンボキリヘイハチやサカキノコヘイタと共に、コンドウユウら

新撰組の剣士達と武芸の稽古をして交流を行いました。

コンドウユウらの心を掴むミカワノタケチヨ。

会津勢力は、完全にミカワノタケチヨに心服しました。

そして、この北の狼たち。新撰組の剣士達は、

神武軍、特に国境を接するエツノケンシン軍団にとって手強い敵となっていきます。

さて、ミカワノタケチヨと新撰組の剣士達が武芸の稽古をしていた頃、

神武様達は、仙台から福島、郡山を通り、猪苗代湖の北側を通過しておりました。

すぐ近くにいながら、奇しくも遭遇しなかった神武様とミカワノタケチヨ。

二人の戦いは、まだ序盤、準備段階に過ぎなかった・・・

神武様は、越後(新潟県)で、伽耶国のカヤグムと合流。船で出雲へ。

出雲でフクシマモモとヨネザワノヨウザンの二人は、出雲大社学宮へ留学生として入学する。

そして、神武様は、安芸(広島県)の神武王宮に戻った。

奥州連合と会津勢力。

東北の地に生まれた新たな勢力が、今後、日本(ヒノモト)の情勢にどんな影響を与えることになるのか・・・

このときは、まだ誰にもわからなかった。